このページでは、毛利氏(大江氏)・就隆流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
毛利氏・就隆流(周防国徳山藩主)の略系図

1 就隆→毛利就隆・元賢の系図
3 元次→毛利元次・元尭の系図
5 広豊→毛利広豊の系図
6 広寛→毛利広寛~元蕃の系図
毛利就隆・元賢の系図
毛利就隆(なりたか)【1602-1679】
周防国徳山藩主。
祖父 隆元・父 輝元→毛利隆元・輝元の系図
妻 毛利松菊
毛利秀元(→毛利元清・秀元の系図)の娘。
子 千福→岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図
妻 中川重政の娘【?-1681】
子 千代松丸【1663-1668】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 岩松丸【1664-1668】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 千寿丸【1669-1673】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 就隆の娘【1672】(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 井上政蔽→井上政蔽~正国の系図
妻 富山氏
子 就隆の娘【1625-1670】(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 葉室頼孝→葉室頼業~頼要の系図
妻 佐藤氏
子の夫 京極高冬→京極高広・高勝~高平の系図
子の夫 酒井忠国→酒井忠国~忠美の系図
孫 忠成→酒井忠成~忠徹の系図
子 元次〔養父:毛利元賢〕→毛利元次・元尭の系図
毛利元賢(もとかた)/元隆(もとたか)【1670-1690】
徳山藩主。
妻 酒井忠直の娘
妻の父 酒井忠直→酒井忠直の系図
夫 植村家言→植村家貞~家包の系図
子 元次・孫 元尭→毛利元次・元尭の系図
毛利元次・元尭の系図
毛利元次(もとつぐ)【1667-1719】
徳山藩主。実は毛利就隆(→毛利就隆・元賢の系図)の子。宗家と対立し、改易された。
祖父 就隆・父 元賢→毛利就隆・元賢の系図
妻 関仙【?-1690】
実は森長継(→森長継の系図)の娘。
妻の父 関長政→関長重~長広の系図
子 主計【1691-1695】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 元次の娘【1693-1695】(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 松平頼隆の娘
妻の父 松平頼隆→松平頼隆~頼明の系図
夫 水谷勝美→水谷勝美の系図
妻 増野氏
子の夫 内田正偏→内田正信~正偏の系図
孫 正親→内田正親~正学の系図
妻 佐野氏
子の夫 稲葉正恒→稲葉正往~正恒の系図
妻 佐藤氏
子 元次の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。毛利元連に嫁いだ。
子 広豊〔養父:毛利元尭〕→毛利広豊の系図
子 元次の娘【1701-1702】(『寛政重修諸家譜』による。)
毛利元尭(もとたか)/元国(もとくに)/就清(なりきよ)/就久(なりひさ)【1702-1721】
徳山藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。徳山藩の再興を許された。
子 広豊→毛利広豊の系図
孫 広寛→毛利広寛~元蕃の系図
毛利広豊の系図
毛利広豊(ひろとよ)【1709-1773】(以下、『華族系譜』による。)
徳山藩主。実は毛利元次(→毛利元次・元尭の系図)の子。
祖父 元次・父 元尭→毛利元次・元尭の系図
妻 松平忠喬の娘【?-1730】
妻の父 松平忠喬→松平忠継・忠喬の系図
妻 江村氏
子 広豊の娘【1726-1727】
妻 谷川氏
子 就馴〔養父:毛利広寛〕→毛利広寛~元蕃の系図
子 広矩(ひろのり)【1733-1757】
子 広寛・孫 就馴→毛利広寛~元蕃の系図
子 三助【1735-1742】
子 松野助紑〔養父:松野助能〕→松野助紑の系図
子 小笠原正良〔養父:小笠原正衍〕→小笠原正良の系図
子 就正〔養父:毛利元連〕
子 豊嘉(とよよし)【1740-1794】
子 吉川経倫〔養父:吉川経永〕→吉川経倫の系図
子 吉之助【1753-1755】
子 土方勝幼〔養父:土方勝芳〕→土方勝幼の系図
子 大島義順〔養父:大島義苗〕→大島義順の系図
子 松之助【1756】
子 吉助【1756-1758】
子 亀五郎【1758】
子 清平〔養父:粟屋清通〕
子 芳和〔養父:笹川就〓(「奠」+「犬」)〕
子 熊吉【1765-1766】
子 又三郎【1765-1767】
子 広豊の娘【1728-1729】
子 広豊の娘【1734-1735】
子 広豊の娘【1735-1747】
子 広豊の娘【1744-1757】
子 広豊の娘【1745-1757】
吉田兼隆に嫁ぐ予定であった。
子 広豊の娘〔養父:花房職朝(→花房職朝の系図)〕
子 広豊の娘【1751-1756】
子 広豊の娘【1752-1754】
子 広豊の娘【1752-1813】
子 広豊の娘【1754-1866】
子 広豊の娘【1756-1858】
吉助と双子で生まれた。
子 広豊の娘【1759-1763】
子 広豊の娘【1765-1867】
子 広豊の娘【1768-1869】
子の夫 八条隆輔→八条隆英~隆声の系図
子の夫 姉小路公聡→姉小路公文~公知の系図
子の夫 平野長純→平野長純の系図
子の夫 岡部利寛→岡部豊明~豊矩の系図
毛利広寛~元蕃の系図
毛利広寛(ひろとも)/豊長(とよなが)【1733-1764】
徳山藩主。
祖父 元尭→毛利元次・元尭の系図
父 広豊→毛利広豊の系図
妻 浅野長賢の娘【?-1800】
妻の父 浅野長賢→浅野長賢~長厚の系図
妻 河田氏
子の夫 戸田忠喬→戸田忠位~忠行の系図
子の夫 坪内定系→坪内定系の系図
毛利就馴(なりよし)/就友【1750-1828】
徳山藩主。実は毛利広豊(→毛利広豊の系図)の子。
妻 関貞【?-1783】
関政富(→関政富~長克の系図)の娘。
子の夫 板倉勝意→板倉勝暁~勝殷の系図
妻 加藤氏
子 三治郎【1802-1803】
子 就馴の娘【1805-1806】
子 馴倫〔養父:福原就清〕
子 馴仁(よしちか)【1785-1799】
子 易直〔養父:立清〕
子 良之丞【1797-1798】
子 就馴の娘【1771-1773】
子の夫 小笠原正弇→小笠原正弇の系図
子の夫 吉川経礼→吉川経礼の系図
毛利広鎮(ひろしげ)/就寿【1777-1865】
徳山藩主。城主格を許された。
妻 伊達村賢の娘
妻の父 伊達村賢→伊達村賢~村敬の系図
子の夫 京極高聴→京極高長~高陳の系図
子の夫 山崎義柄→山崎義徳~治敏の系図
妻 秋元永朝の娘【?-1835】
妻の父 秋元永朝→秋元永朝の系図
夫 本多忠典→本多忠典~忠直の系図
子 秋元志朝〔養父:秋元久朝〕→秋元志朝の系図
子 広鎮の娘【1818-1819】
子 広鎮の娘【1822-1823】
妻 佐々木氏
子 雅太郎【1805-1810】
子 広衷【1809-1826】
子 寿粛【1813-1827】
子 寿祉/元僴(もとたけ)【1815-1864】〔養父:佐世親長〕
子 広鎮の娘【1803-1804】
妻 宮木氏
子 寿俶〔養父:堅田就正〕
妻 三宅氏
子 元徳〔養父:毛利敬親〕→毛利治親~元徳の系図
子 鏘之進【1843-1844】
子 寿亮【1856-1857】
子 広鎮の娘【1845-1846】
子 広鎮の娘【1849-1850】
子 鋭三郎【1810-1816】
子 顒亮【1837-1841】
子 広鎮の娘【1836-1839】
毛利元蕃(もとみつ)/就軌/広篤【1816-1884】〔養子:毛利元功(→毛利元義~元敏の系図)〕
徳山藩主。幕末には宗家の萩藩を助けた。
妻 毛利八重子
毛利斉煕(→毛利治親~元徳の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。