このページでは、下冷泉家(藤原氏北家・長家流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下冷泉家(羽林家)の略系図

1 持為→下冷泉持為~為豊の系図
5 為純→下冷泉為純~為経の系図
11 為俊→下冷泉為俊~為柔の系図
下冷泉持為~為豊の系図
下冷泉持為(もちため)/持和【1401-1454】
権大納言。下冷泉家の祖。
祖父 為秀・父 為尹→冷泉為相~為之の系図
子 持為の娘(『系図纂要』による。)
子 持為の息子(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
下冷泉政為(まさため)/成為【1446-1523】
権大納言。後柏原天皇の時代に歌壇で活躍した。
妻 中山親通の娘
妻の父 中山親通→中山忠定~親通の系図
子 尭淵(『系図纂要』による。)
下冷泉為孝【1475-1543】(以下、『系図纂要』による。)
権中納言。
下冷泉為豊/為右【1504-?】
従三位。
子 為純・孫 為勝→下冷泉為純~為経の系図
子 甘露寺経元〔養父:甘露寺伊長〕→甘露寺経元~尚長の系図
下冷泉為純~為経の系図
下冷泉為純(ためずみ)/為房/為能/俊右【1530-1578】
参議。三木城主別所長治に攻められて亡くなった。
祖父 為孝・父 為豊→下冷泉持為~為豊の系図
子 為将〔養父:下冷泉為勝〕
子 惺窩(せいか)【1561-1619】
朱子学者。近世儒学の祖とされる。
孫 為景〔養父:下冷泉為将〕
子 六条有親〔養父:六条有継〕→六条有継~有藤の系図
子 為純の娘【1559-1658】
子の夫 沢井左衛門佐・仙石但馬(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
下冷泉為勝/俊孝【1557-1578】
父と共に戦死した。
下冷泉為将【1572-?】
実は下冷泉為純の子。
子 奥子【?-1680】(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
子の夫 藤県蔵人(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
下冷泉為景(ためかげ)【1612-1652】
実は藤原惺窩の子。後水尾天皇の勅命で下冷泉家を継承した。
子 為景の息子【?-1675】(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
子の夫 正親町三条実昭→正親町三条実有~実彦の系図
子の夫 倉橋泰吉→倉橋泰吉の系図
子の夫 佐藤与左衛門(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
下冷泉為元【1641-1702】
下冷泉為経/頼広/為直【1654-1722】
権大納言。実は葉室頼業(→葉室頼業~頼要の系図)の子。
子 為俊・孫 宗家→下冷泉為俊~為柔の系図
子 宗家〔養父:下冷泉為俊〕→下冷泉為俊~為柔の系図
子 経子→東山天皇の系図
子 為経の娘【1678】(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
子 為経の娘【?-1756】(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
子 為経の娘【?-1731】(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
『冷泉家譜』(下冷泉家)には、梅小路定喬に嫁いだ娘が誰か明記されていない。
子の夫 梅小路定喬→梅小路定矩~定輯の系図
子の夫 津守国輝(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)→津守国輝の系図
子の夫 青木一典(『華族系譜』による。)→青木重矩~一新の系図
下冷泉為俊~為柔の系図
下冷泉為俊【1682-1717】
祖父 為元・父 為経→下冷泉為純~為経の系図
下冷泉宗家【1702-1769】
権大納言。実は下冷泉為経(→下冷泉為純~為経の系図)の子。
妻 清閑寺煕定の娘
妻の父 清閑寺煕定→清閑寺煕房~秀定の系図
子 為晴【1727-1736】
子 藤波季忠〔養父:藤波和忠〕→藤波季忠の系図
妻 広幡豊忠の娘
妻の父 広幡豊忠→広幡忠幸・豊忠の系図
子の夫 勘解由小路資望→勘解由小路資忠~光尚の系図
下冷泉為栄/為名【1738-1782】
権中納言。
妻 加藤明煕の娘
妻の父 加藤明煕→加藤明煕の系図
子 為夏【1763-1770】
母は『冷泉家譜』(下冷泉家)による。
妻 毛利政苗の娘
妻の父 毛利政苗→毛利政苗~元純の系図
子 為栄の娘(2人)(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
下冷泉為訓/季韶【1764-1827】
権大納言。実は風早公雄(→風早実種~公紀の系図)の子。
妻 柳沢信復の娘
妻の父 柳沢信復→柳沢信鴻の系図
子 為子〔養父:高松公祐〕→高松実名~公雄の系図
子の夫 石井行弘→石井行文~行知の系図
下冷泉為起【1790-1831】
正三位。実は勧修寺経逸(→勧修寺顕道~経逸の系図)の子。母は『冷泉家譜』(下冷泉家)による。
妻 広橋伊光の娘
妻の父 広橋伊光→広橋伊光の系図
子 白川資敬〔養父:白川雅寿〕→雅朝王~白川資訓の系図
子 岩麿【1823-?】(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
子 久女麿【1822-1827】(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
子 永子【1814-?】
子 為起の娘【?-1851】〔養父:風早公雄(→風早実種~公紀の系図)〕(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
子 為起の娘【?-1850】〔養父:藤堂主馬〕(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
実は千種有功(→千種有補~有任の系図)の娘。
下冷泉為行【1821-1855】
母は『冷泉家譜』(下冷泉家)による。
妻 加藤明邦の娘
妻の父 加藤明邦→加藤明邦の系図
子 藤麿【1847-?】〔養母:桜本明子〕(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
子 田長【1848-?】(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
子 據【1849-?】(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
子 一千代麿【1844】(『冷泉家譜』(下冷泉家)による。)
下冷泉為柔【1846-1894】
妻 正親町三条眉延
正親町三条実愛(→正親町三条公積~公平の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。