このページでは、東坊城家(菅原氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
東坊城家(半家)の略系図
1 茂長→東坊城茂長~長遠の系図
5 益長→東坊城益長~長維の系図
11 恒長→東坊城恒長~夏長の系図
東坊城茂長~長遠の系図
東坊城茂長(しげなが)/俊長【1284-1343】
正三位。東坊城家の祖。
祖父 高長・父 長経→五条高長~為清の系図
子の夫 高辻国長→高辻国長~長雅の系図
東坊城長綱(ながつな)【1314-1392】
参議。後光厳天皇~後小松天皇の侍読を務めた。
子の夫 二条師嗣→二条良基~持基の系図
孫 長政【?-1453】
参議。大納言を贈られた。
曾孫 顕長
参議。実は唐橋在豊(→唐橋在雅~在名の系図)の子。
言長孫 長光/長胤
言長孫 唐橋在忠〔養父:唐橋在名〕→唐橋在雅~在名の系図
東坊城秀長(ひでなが)【1338-1411】
参議。日記は『迎陽記』。
子の夫 一条経嗣→一条経通~兼良の系図
東坊城長遠(ながとお)【1365-1422】
参議。
子 益長・孫 長清→東坊城益長~長維の系図
子 長遠の娘【?-1454】
東坊城益長~長維の系図
東坊城益長(ますなが)【1407-1474】
権大納言。後花園天皇・後土御門天皇の侍読を務めた。
祖父 秀長・父 長遠→東坊城茂長~長遠の系図
子の夫 高倉永継→高倉永継~永相の系図
東坊城長清(ながきよ)【1440-1471】
参議。
東坊城和長(かずなが)【1460-1529】〔養子:禅雅(→五条為賢~為経の系図)〕
権大納言。後柏原天皇の侍読を務めた。日記は『和長卿記』。
子 資胤〔養父:二条資冬(→二条資家の系図)〕
子 和子【1487-?】
東坊城長淳(ながあつ)【1506-1548】
権中納言。筑紫から京都に帰る途中、長門国の赤間関で亡くなった。
妻 四条隆永の娘
妻の父 四条隆永→四条隆郷~隆永の系図
子 種長
実は中御門宣忠(→中御門宣胤~宣政の系図)の子。『系図纂要』では、為治と同一人物とする。
東坊城為治/盛長(もりなが)【1538-1607】
権中納言。実は五条為康(→五条為賢~為経の系図)の子。
東坊城長維(ながこれ)【1594-1659】(以下、『系図纂要』による。)
権大納言。実は五条為経(→五条為賢~為経の系図)の子。
妻 広橋総光の娘
妻の父 広橋総光→広橋兼勝・総光の系図
子 恒長・孫 長詮→東坊城恒長~夏長の系図
子 高辻豊長〔養父:高辻長純〕→高辻遂長~長量の系図
子 滋岡至長【1636-1678】
大坂天満宮の神職に補された。
孫 長祇【1661-1746】(以下、『東坊城家譜』による。)
曾孫 業長【1682-1717】
曾孫 辰長/氏顕【1702-1759】
実は桜井兼供(→桜井兼里・兼供の系図)の子。
曾孫の子の夫 藪保季→藪保季~実方の系図
至長孫 長房【1741-1804】
至長孫 強房【1750-1771】
至長孫 長昌【1757-1830】〔養子:滋岡功長〕
至長孫 芳長【1784-1814】
至長孫 長棟【1796-1823】
至長孫 功長
実は飛鳥井雅光(→飛鳥井雅香~雅望の系図)の子。養父は桑原忠長(→桑原忠長の系図)、滋岡長昌とも。
東坊城恒長~夏長の系図
東坊城恒長(つねなが)/知長【1621-1700】
権大納言。
祖父 種長・父 長維→東坊城益長~長維の系図
祖父 広橋総光→広橋兼勝・総光の系図
妻 滋野井季吉の娘
妻の父 滋野井季吉→滋野井季吉~実光の系図
子 長基【1641-1658】
子 長祐【1644-1662】
子 高辻長量〔養父:高辻豊長〕→高辻遂長~長量の系図
子 長子(『東坊城家譜』による。)
子の夫 長性院(『東坊城家譜』による。)
東坊城長詮(ながあき)【1646-1711】
権大納言。
子 長詮の娘(『東坊城家譜』による。)
子の夫 性白(『東坊城家譜』による。)
東坊城資長(すけなが)【1679-1724】
権中納言。
妻 池尻勝房の娘
妻の父 池尻勝房→池尻共孝~共条の系図
子 若江登長〔養父:若江長統〕→菅原在公~在永・公氏・公頼の系図
子 資善【1739-?】
子の夫 七条信全→七条隆脩~信睦の系図
子の夫 清岡致長→清岡長時~長説の系図
東坊城綱忠(つなただ)/長誠【1706-1781】
権大納言。
妻 葛岡宣易の娘
妻の父 葛岡宣易→庭田重具~重秀の系図
東坊城輝長(てるなが)【1736-1764】
従三位。
妻 五辻広仲の娘
妻の父 五辻広仲→五辻俊仲~継仲の系図
子 輝長の娘(『東坊城家譜』による。)
東坊城益良(ますよし)/保資【1747-1791】
正三位。実は広橋勝胤(→広橋兼廉~勝胤の系図)の子。
妻 小倉宜季の娘
妻の父 小倉宜季→小倉煕季~長季の系図
子 和子→光格天皇~孝明天皇の系図
子 益良の娘(『東坊城家譜』による。)
子の夫 水無瀬有成→水無瀬師成~経務の系図
東坊城尚長(なおなが)【1778-1805】
従三位。
東坊城聡長(ときなが)【1799-1861】
権大納言。実は五条為徳(→五条為範~為定の系図)の子。武家伝奏となったが、日米修好通商条約の勅許問題で辞任し、永蟄居となった。
妻 外山光実の娘
妻の父 外山光実→外山光顕~光輔の系図
子 任長【1838-1886】(『東坊城家譜』による。)
子の妻 高辻阿栄
高辻以長(→高辻総長~修長の系図)の娘。
子 唐橋在綱〔養父:唐橋在光(→唐橋在家~在光の系図)〕
子 聡長の娘(2人)(『東坊城家譜』による。)
子の夫 難波宗礼(『東坊城家譜』による。)→難波宗尚~宗礼の系図
子の夫 宍戸親基(『東坊城家譜』による。)
東坊城夏長【1836-1859】
妻 橋本麗子
橋本実麗(→橋本実理~実梁の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。