このページでは、滋野井家(藤原氏北家・公季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
滋野井家(羽林家)の略系図
1 実国→滋野井実国~実宣の系図
4 公光→滋野井公光~教国の系図
11 季国→滋野井季国~之仲の系図
14 季吉→滋野井季吉~実光の系図
18 公澄→滋野井公澄~公麗の系図
21 冬康→滋野井冬康~公寿の系図
滋野井実国~実宣の系図
滋野井実国(さねくに)【1140-1183】
権大納言。滋野井家の祖。
祖父 実行→三条実行の系図
父 公教→三条公教の系図
祖父 藤原憲方→藤原憲方の系図
妻 藤原家成の娘
妻の父 藤原家成→藤原家成の系図
妻 源雅綱の娘
妻の父 源雅綱→源雅綱の系図
子 八条公清・孫 一条実隆→八条公清~一条公邦の系図
妻 藤原季成の娘
妻の父 藤原季成→藤原実隆・季成の系図
妻 大江広元の娘
妻の父 大江広元→大江広元の系図
子 阿野公佐・孫 実直→阿野公佐~公廉の系図
子 公全/豪円
子の夫 粟田口忠良→粟田口忠良の系図
孫 基良→粟田口基良の系図
滋野井公時/公輔/公雅【1157-1220】
参議。
妻 吉田経房の娘
妻の父 吉田経房→吉田経房・定経の系図
子の夫 惟明親王→高倉天皇・安徳天皇の系図
滋野井実宣/実広【1177-1228】
権大納言。
妻 持明院宗子
持明院基宗(→持明院基宗~基世の系図)の子。
夫 大炊御門家嗣→大炊御門師経~冬忠の系図
子 公光・孫 実冬→滋野井公光~教国の系図
妻 葉室宗方の娘
妻の父 葉室宗方→藤原光頼~葉室資頼の系図
妻 北条時政の娘
妻の父 北条時政→北条時家~時政の系図
子 公賢【1203-?】
参議。
子の妻 藤原光親の娘
子の妻の父 藤原光親→藤原光親の系図
滋野井公光~教国の系図
滋野井公光(きんみつ)【1223-1255】
中納言。
祖父 公時・父 実宣→滋野井実国~実宣の系図
祖父 持明院基宗→持明院基宗~基世の系図
妻 一条実有の娘
妻の父 一条実有→一条実有~実連の系図
子の夫 一条実家→一条実経~内経の系図
滋野井実冬【1243-1303】〔養子:阿野公廉(→阿野公佐~公廉の系図)〕
権大納言。
妻 吉田為経の娘
妻の父 吉田為経→吉田為経の系図
滋野井冬季【1264-1302】
中納言。
妻 近衛公敦の娘
妻の父 近衛公敦→川原実重・近衛実光の系図
滋野井実前【1278-1327】
権中納言。
子の夫 三条実治→正親町三条公貫~公秀の系図
滋野井公尚【1305-1344】
参議。
子 実勝【?-1352】
八幡合戦で横死した。
滋野井実益【?-1447】
参議。実は藤原公具(→阿野公佐~公廉の系図)の子。
子 阿野季賢〔養父:阿野公煕〕→阿野季継~実顕の系図
滋野井教国【1435-1500】
権中納言。
子 季国・孫 公古→滋野井季国~之仲の系図
子 実道(『滋野井家譜』による。)
子の夫 兼誉→兼誉の系図
滋野井季国~之仲の系図
滋野井季国【1493-1535】
権中納言。実は正親町三条公治(→正親町三条実雅~実望の系図)の子。
祖父 実益・父 教国→滋野井公光~教国の系図
妻 上冷泉為和の娘〔養父:上冷泉為和(→上冷泉為富~為益の系図)〕
子 五辻為仲〔養父:五辻諸仲〕→五辻諸仲~済仲の系図
子 房済〔養父:二条尹房(→二条持通~晴良の系図)〕(『系図纂要』による。)
滋野井公古【1520-1565】
権中納言。
子 実統・実松(『滋野井家譜』による。)
子の夫 五辻諸仲(『五辻家譜』による。)→五辻諸仲~済仲の系図
滋野井之仲/実吉/実藤/元仲(以下、『系図纂要』による。)→五辻諸仲~済仲の系図
子 季吉・孫 冬晴→滋野井季吉~実光の系図
滋野井季吉~実光の系図
滋野井季吉/之隆【1586-1655】
権大納言。
祖父 公古・父 之仲→滋野井季国~之仲の系図
祖父 葉室頼房→葉室頼房~頼隆の系図
子 教広〔養父:滋野井冬晴〕
子 五辻俊仲〔養父:五辻済仲〕→五辻俊仲~継仲の系図
子 実定〔養父:広橋兼賢(→広橋兼賢~貞光の系図)〕
子 葉室頼隆〔養父:葉室頼宣〕→葉室頼房~頼隆の系図
子 真清(『滋野井家譜』による。)
子の夫 東坊城恒長(『滋野井家譜』による。)→東坊城恒長~夏長の系図
子の夫 遠山秀友→遠山秀友の系図
子の夫 松平信濃守(『滋野井家譜』による。)
滋野井冬晴【1627-1636】
滋野井教広【1620-1689】
従三位。実は滋野井季吉の子。
妻 遠山秀友の娘
妻の父 遠山秀友→遠山秀友の系図
子 五辻英仲〔養父:五辻俊仲〕→五辻俊仲~継仲の系図
子 教広の娘(『滋野井家譜』による。)
滋野井実光【1644-1687】
子 公澄・孫 実全→滋野井公澄~公麗の系図
子 実光の娘(『滋野井家譜』による。)
滋野井公澄~公麗の系図
滋野井公澄(きんずみ)/兼成【1670-1756】〔養子:広橋兼廉の娘(→広橋兼廉の系図)〕
権大納言。実は高倉永敦(→高倉永孝~永俊の系図)の子。有職故実に精通した。
祖父 教広・父 実光→滋野井季吉~実光の系図
子 正親町三条実彦〔養父:正親町三条公統〕→正親町三条実有~実彦の系図
子 公玖・公澄の息子(『滋野井家譜』による。)
子 直子→文仁親王の系図
子の夫 堀河冬輔→堀河康俊~康実の系図
子の夫 榊原若狭守(『滋野井家譜』による。)
滋野井実全【1700-1735】
権中納言。
妻 園池実守の娘
妻の父 園池実守→園池実守~公静の系図
子 佐子→植松雅永~雅言の系図
子 実全の娘(2人)(『滋野井家譜』による。)
滋野井公麗(きんかず)【1733-1781】
権大納言。有職故実に関する著作を多数遺した。
子 冬康・孫 公敬→滋野井冬康~公寿の系図
子 光恕・公麗の息子(『滋野井家譜』による。)
子の夫 高松公祐→高松実名~公雄の系図
子の夫 佐竹山城(『滋野井家譜』による。)
滋野井冬康~公寿の系図
滋野井冬康/実古【1751-1785】
権中納言。
祖父 実全・父 公麗→滋野井公澄~公麗の系図
妻 常順の娘
妻の父 常順→常順の系図
子の夫 高松公祐→高松実名~公雄の系図
滋野井公敬【1768-1843】
権大納言。
妻 三条実起の娘
妻の父 三条実起→三条実顕~実美の系図
子 実邑【1796-1800】
子 実敬【1810-?】
子 押小路実潔〔養父:押小路公連〕→押小路公音~実潔の系図
子 公敬の息子・子 公敬の娘(『滋野井家譜』による。)
滋野井為国【1813-1838】
子 為国の娘(『滋野井家譜』による。)
5歳で亡くなった。
滋野井実在(さねあり)【1826-1878】
実は阿野実典(→阿野公縄~実允の系図)の子。
妻 鷲尾隆純の娘
妻の父 鷲尾隆純→鷲尾隆長~隆聚の系図
子 実在の娘(『滋野井家譜』による。)
子の夫 北小路俊昌→北小路俊昌の系図
子 実在の息子(3人)(『滋野井家譜』による。)
滋野井公寿(きんひさ)【1843-1906】
『滋野井家譜』によれば母は阿野実典(→阿野公縄~実允の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。