渡辺氏(嵯峨源氏)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、渡辺氏(嵯峨源氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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渡辺氏(和泉国伯太藩主)の略系図

渡辺氏の略系図1

1 渡辺綱~安の系図
3-A1 渡辺至~惣八郎の系図
3-A2 盛吉向山盛吉~政耀の系図
3-A3 渡辺時~内蔵丞・虞~展の系図

4 渡辺伝の系図
4-A1 渡辺昇~吉三郎の系図
4-A2 渡辺茂・善の系図
4-A3 渡辺進~久の系図
4-A4 渡辺均~直・保~胤の系図

渡辺氏の略系図2

5 渡辺満~道綱の系図
19-A 有綱渡辺有綱~良綱の系図

20 範綱渡辺範綱~守綱の系図
20-A 遠綱渡辺遠綱~直綱の系図
23-A 宗綱渡辺宗綱~寛綱・与綱・保綱・章綱~直綱の系図

24 重綱渡辺重綱の系図
24-A 綱貞渡辺綱貞~徳綱・親綱~亀之助の系図

25 吉綱渡辺吉綱~基綱の系図
28 登綱渡辺登綱~伊綱の系図
31 豪綱渡辺豪綱~章綱の系図

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渡辺綱~安の系図

渡辺綱~安の系図

  渡辺綱(つな)【953-1025】〔養父:源敦(→人康親王・本康親王・源光の系図)〕
 源頼光の郎党で四天王の一人。頼光に従い、酒呑童子を退治したという。

祖父  源融~宛の系図


  渡辺久
 松浦正 松浦正~興信の系図
 (さだし)
 (なおし)
曾孫 (きこゆ)
聞孫 (おさむ)・(ただす)・(たのむ)
聞孫 (あきらむ)
聞孫 (きざす)・(はじむ)
聞孫 (たもつ)

曾孫 (むかう)
向孫 (きわむ)・(いさむ)

 (たかし)

曾孫 (さとる)
順孫 (しる・しらる)・(あがる)・(わたる)・(しきる)

 高俊(『系図纂要』による。)

 (以下、『系図纂要』による。)


  渡辺安(やすし)
 渡辺伝の系図
  渡辺至~惣八郎の系図
 (すぐる)
 (えらぶ)
曾孫 (まかす)

渡辺至~惣八郎の系図

渡辺至~惣八郎の系図

  渡辺至(いたる)

祖父  渡辺綱~安の系図

 (ながし)

曾孫 (つかう)・(むかう)・(まかす)・(もうく)・(おさう)


  渡辺好(このむ)
 (ちぎる)


  渡辺於(おいて)
 (さわぐ)


  渡辺譬(たとえ)


  渡辺高(たかし)(以下、『系図纂要』による。)


  渡辺宗(むね)


  渡辺実(まこと)
 『系図纂要』にはみえない。


  渡辺則(のり)


  渡辺続(つぐ)


  渡辺忠(ただ)


  渡辺光(みつ)


  渡辺恒(つね)
 左近(『寛政重修諸家譜』による。)


  渡辺知(とも)
 向山盛吉 盛重向山盛吉~政耀の系図


  渡辺縄(つな)


  渡辺守(もり)【?-1591】
 秋山虎康の娘
妻の父 秋山虎康→秋山虎康の系図

 (やす)
 16歳で亡くなった。


  渡辺長(おさ)【1534-1597】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
  忠勝渡辺時~内蔵丞・虞~展の系図


  渡辺盛(もり)【?-1678】
 榊原照(てる)【1637-1720】
 惣八郎〔養父:渡辺源太郎〕
孫の夫 三浦直栄→三浦直栄の系図
孫の夫 朝比奈昌豊→朝比奈昌豊の系図

子の夫 毛利重長→毛利重長の系図
子の夫 細井勝正→細井勝正の系図
子の夫 賀茂宮直房→賀茂宮直房の系図


  渡辺友(とも)【?-1680】
子の夫 坪内定弘→坪内定弘の系図


  渡辺源太郎【1669-1702】


  渡辺惣八郎【?-1722】
 実は榊原照の子。

向山盛吉~政耀の系図

向山盛吉~政耀の系図

  向山盛吉(もりよし)

祖父  渡辺至~惣八郎の系図


  向山盛重(もりしげ)【1548/51-1575】
 長篠の戦いで討ち死にした。


  向山正盛(まさもり)/政盛【1566-1662】


  向山盛広(もりひろ)/政吉(まさよし)【1601-1673】
 政久(まさひさ)【?-1671】
 実は岡部正綱(→岡部正綱の系図)の子。
子の夫 日根野弘直→日根野弘直の系図


  向山政勝(まさかつ)【1654-1732】
 実は岡部正綱(→岡部正綱の系図)の子。
子の夫 浅井良陳→浅井良陳の系図


  向山政春(まさはる)【1683-1723】
 松波明清〔養父:松波明教〕→松波明清の系図
 政忠〔養父:向山政行〕


  向山政行(まさゆき)【1708-1773】


  向山政忠(まさただ)【1715-1788】
 実は向山政春の子。
 雨宮政辰の娘
妻の父 雨宮政辰→雨宮政辰の系図


  向山政利(まさとし)【1745-?】
 雨宮正央の娘
妻の父 雨宮正央→雨宮正央の系図

 斎藤利和〔養父:斎藤利雄〕→斎藤利和の系図
子の夫 小林正永→小林正永の系図


  向山政耀(まさてる)【1773-?】
 斎藤利頼の娘
 実は斎藤利明(→斎藤利明の系図)の娘。
妻の父 斎藤利頼→斎藤利頼の系図

渡辺時~内蔵丞・虞~展の系図

渡辺時~内蔵丞・虞~展の系図

  渡辺時(とき)

祖父  渡辺至~惣八郎の系図

子の夫 佐久間盛遠→佐久間盛遠の系図


  渡辺忠勝(ただかつ)【?-1707】
 実は筒井忠助(→筒井忠助の系図)の子。
 忠勝の娘
 実は筒井忠清(→筒井忠清の系図)の娘。


  渡辺内蔵丞【?-1709】


  渡辺虞(とら)【?-1697】


  渡辺泰(やす)【1662-1738】
 実は下条氏の子。


  渡辺博(ひろし)【1700-1783】
 実は藤井義永(→藤井義永の系図)の子。
 浅羽幸充〔養父:浅羽幸国〕→浅羽幸充の系図


  渡辺英(さかえ)【1741-?】
 松波勝春の娘
妻の父 松波勝春→松波勝春の系図

子の夫 渡辺満→渡辺満の系図
子の夫 井上利恭→井上利恭の系図


  渡辺展(のぶ)【1763-?】
 須田祇持の娘
妻の父 須田祇持→須田祇持の系図

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渡辺伝の系図

渡辺伝の系図

  渡辺伝(つとう)【1075-1134】
 白河天皇・堀河天皇の滝口の武者を務めた。浄土教を熱心に信仰した。

祖父  渡辺綱~安の系図

  渡辺満~道綱の系図
  渡辺昇~吉三郎の系図
 (ふさむ)・(かける)
 (つねし)・(たわぬ)

 (おしう)
曾孫 (つらぬ)
教孫 (たずぬ)

定孫 (さとる)・(つねし)・(ありし)
定孫 (またた)・(したし)
定孫 (なお)・(そなう)・(つぐる)・(ながし)
定孫 (つたう)
定孫 (さかう)【1303-1351】
定孫 (むかう)【1325-1348】〔養父:赤田栄〕
 実は赤田備の子。

 (かなう)・(なのる)
曾孫 (こたう)

渡辺昇~吉三郎の系図

渡辺昇~吉三郎の系図

  渡辺昇(のぼる)

祖父 渡辺綱~安の系図
 渡辺伝の系図

 (ふさむ)・(たもつ)


  渡辺競(きおう)


  渡辺馴(のり)


  渡辺昵(むつる)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)


  渡辺明(あけ)


  渡辺成(なる)


  渡辺伴(とも)


  渡辺照(てる)


  渡辺兼(かね)


  渡辺村(むら)


  渡辺元(もと)


  渡辺吉(よし)


  渡辺則(のり)


  渡辺武(たけ)


  渡辺競(きおう)【1463-1534】


  渡辺信(のぶ)【1504-1566】
 〔養父:渡辺永〕
  渡辺茂・善の系図
 新九郎【?-1572】
 三方ヶ原の戦いで討ち死にした。
 与左衛門【?-1600】
 秋過(あきゆき)【?-1590】
 岩槻城攻めの際に討ち死にした。


  渡辺盛(もり)/清(きよ)【1532-1570】


  渡辺永(なが)【?-1572】
 三方ヶ原の戦いで討ち死にした。


  渡辺光(みつ)【1538-1603】
 実は渡辺信の子。


  渡辺勝(かつ)【?-1652】


  渡辺正(まさ)【?-1666】
子の夫 内藤正総→内藤正総の系図
子の夫 宮城政幸→宮城政幸の系図


  渡辺源之丞/弥之助【?-1693】


  渡辺権六郎【?-1704】


  渡辺吉三郎
 夭折したため、家が絶えた。

渡辺茂・善の系図

渡辺茂・善の系図

  渡辺茂(しげ)【1551-1638】

祖父  渡辺昇~吉三郎の系図

 (ただ)
 実は戸田忠勝(→戸田忠勝~忠明の系図)の子。
子の妻 渡辺茂の娘
 実は大沢基宿(→大沢基宿の系図)の娘。
 〔養父:渡辺茂〕
 大沢基賀〔養父:大沢基宿〕→大沢基賀の系図

孫の夫 細井勝武→細井勝武の系図

子の夫 千本和隆→千本和隆の系図


  渡辺善(よし)【1604-1650】
 実は渡辺忠の子。
 興津直重の娘
妻の父 興津直重→興津直重の系図
  渡辺進~久の系図
  渡辺均~直・保~胤の系図
 千本季隆〔養父:千本和隆〕→千本季隆の系図

子の夫 仙石政則→仙石政則の系図
子の夫 岡部盛次→岡部盛次の系図
子の夫 平井省庵→平井省庵の系図

渡辺進~久の系図

渡辺進~久の系図

  渡辺進(すすむ)【?-1672】

祖父  渡辺茂・善の系図
祖父 興津直重→興津直重の系図

 土屋数直の娘
妻の父 土屋数直→土屋数直の系図


  渡辺勇(いさむ)【1661-1682】
 土屋政直の娘
 実は水野雅直(→水野雅直の系図)の娘。
妻の父 土屋政直→土屋政直の系図


  渡辺武(たけ)【1672-1731】
 実は土屋直樹(→土屋直樹の系図)の子。
 立花種明の娘
 実は立花種久(→立花種久の系図)の娘。
妻の父 立花種明→立花種明の系図


  渡辺泰(やす)【1698-1738】


  渡辺昌(まさ)【1722-?】
 本堂苗親の娘
妻の父 本堂苗親→本堂苗親の系図

 (さかう)【1745-1778】
子の妻 溝口直季の娘
子の妻の父 溝口直季→溝口直季の系図

 昌の娘
 渡辺胤に嫁ぐ予定であった。
子の夫 松平正喬松平正信・正基~正賢の系図


  渡辺久(ひさ)【1753-?】

渡辺均~直・保~胤の系図

渡辺均~直・保~胤の系図

  渡辺均(ひとし)【?-1688】

祖父  渡辺茂・善の系図
祖父 興津直重→興津直重の系図

 戸田重種の娘
妻の父 戸田重種戸田重元~重種・光正~長重の系図
 〔養父:渡辺保〕

子の夫 戸田忠春戸田忠高~忠集の系図


  渡辺敬(とし)/直(なおし)【1668-1729】
 実は松平康敬(→松平康敬~康瑞の系図)の子。
 渡辺均の娘
 桜井政貞→桜井政貞の系図

 仁賀保誠方の娘
 実は妙延寺の娘。
妻の父 仁賀保誠方→仁賀保誠方の系図

子の夫 松平康平松平康敬~康瑞の系図


  渡辺雅(まさ)【1694-1744】
 実は幡豆康鑣(→松平康敬~康瑞の系図)の子。
 大島以興の娘
妻の父 大島以興→大島以興の系図

 村上正仲の娘
妻の父 村上正仲→村上正仲の系図

 松平康般〔養父:松平康平〕→松平康敬~康瑞の系図
子の夫 彦坂良真→彦坂良真の系図
子の夫 蔭山広慶→蔭山広慶の系図


  渡辺尹(すすむ)【1729-1773】
 奥田忠英の娘
妻の父 奥田忠英→奥田忠英の系図

子の夫 宅間憲煕→宅間憲煕の系図


  渡辺直(なおし)【1757-?】
 脇坂安繁の娘
妻の父 脇坂安繁→脇坂安繁の系図

 小笠原長民の娘
妻の父 小笠原長民小笠原長秋~長栄の系図


  渡辺保(やすし)【?-1669】
 柳生三厳の娘
妻の父 柳生三厳→柳生三厳の系図


  渡辺広(ひろし)【1664-1732】
 実は渡辺均の子。
 跡部良隆の娘
妻の父 跡部良隆→跡部良隆の系図


  渡辺滋(しげし)【1678-1759】
 実は松平康敬(→松平康敬~康瑞の系図)の子。
 渡辺広の娘
 実は岡部長次(→岡部長次の系図)の娘。


  渡辺義(よし)/慕(したう)【1724-1773】
 実は岡部賢次(→岡部賢次の系図)の子。
 高林昌雄の娘
妻の父 高林昌雄→高林昌雄の系図

 本多利紀の娘
妻の父 本多利紀本多利政~利貞の系図
 小笠原広通→小笠原広通の系図
 小笠原広州〔養父:小笠原広穀〕→小笠原広州の系図


  渡辺胤(つづく)【1758-?】
 一柳頼寿の娘
 一柳邦常(→一柳邦常の系図)の娘。
妻の父 一柳頼寿→一柳頼寿の系図

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渡辺満~道綱の系図

渡辺満~道綱の系図

  渡辺満(みつる)

祖父 渡辺綱~安の系図
 渡辺伝の系図

 (かたる)


  渡辺省(はぶく)
 (まなぶ)
 (ます)
曾孫 (なづく)
学孫 (したし)

 (ひろし)・(しきる)

 (かたる)
与孫 (つぐる)・(ちぎる)


  渡辺授(さずく)
 (たたう)
 (てらう)
湛孫 (ましう)

 (やすし)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 松浦久(ひさし)
曾孫 (なおし)
泰孫 (えだ)
泰孫 松浦正~興信の系図


  渡辺繁(しげし)
 (以下、『系図纂要』による。)
 (『系図纂要』による。)


  渡辺兼(かぬ)


  渡辺経(つね)


  渡辺企(くわだつ)


  渡辺基(もとい)
 『寛政重修諸家譜』にはみえない。


  渡辺俊忠(としただ)〔養父:箕田俊重〕(以下、『系図纂要』による。)


  渡辺忠房(ただふさ)


  渡辺満綱(みつつな)


  渡辺元綱(もとつな)


  渡辺頼綱(よりつな)


  渡辺安綱(やすつな)


  渡辺道綱(みちつな)
 三河国額田郡浦部村に住んだ。
 国綱(くにつな)【1466-1514】
 行綱(ゆきつな)【?-1562】

 範綱 氏綱渡辺範綱~守綱の系図
 遠綱渡辺遠綱~直綱の系図

 有綱 義綱渡辺有綱~良綱の系図

渡辺有綱~良綱の系図

渡辺有綱~良綱の系図

  渡辺有綱(ありつな)【1477-1561】

祖父 安綱 道綱渡辺満~道綱の系図

 長綱(ながつな)【1495-1544】
 『系図纂要』では父は渡辺道綱。
 沖綱(おきつな)【1529-1607】


  渡辺義綱(よしつな)【1497-1569】
 『系図纂要』では父は渡辺道綱。
 秀綱(ひでつな)【1537-1594】
 廉綱(かどつな)/広綱(ひろつな)【1543-1611】
子の夫 渡辺高綱渡辺範綱~守綱の系図
子の夫 大久保忠勝→大久保忠勝の系図


  渡辺雅綱(まさつな)【1560-1600】


  渡辺友綱(ともつな)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)


  渡辺近綱(ちかつな)


  渡辺矩綱(のりつな)


  渡辺長綱(ながつな)【1680-1759】
 実は阿佐美利清の子。
 山本義雅〔養父:山本親行〕→山本義雅の系図
 岩田富直〔養父:岩田富昭〕→岩田富直の系図
子の夫 河野通延→河野通延の系図
子の夫 深谷盛定→深谷盛定の系図
子の夫 坂本正豊→坂本正豊の系図
子の夫 内藤之廉→内藤之廉の系図


  渡辺長昌(ながまさ)【1707-1782】
 横山一貫の娘
妻の父 横山一貫→横山一貫の系図
 岩田富保〔養父:岩田富直〕→岩田富保の系図

 定綱(さだつな)/昌豊
 実は武川行豊(→武川行豊の系図)の子。


  渡辺則綱(のりつな)【1752-?】
 実は佐藤信寿(→佐藤信寿の系図)の子。
 沢寿貞の娘
妻の父 沢寿貞→沢寿貞の系図


  渡辺良綱(よしつな)【1771-?】
 実は内藤忠種(→内藤忠種の系図)の子。

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渡辺範綱~守綱の系図

渡辺範綱~守綱の系図

  渡辺範綱(のりつな)【1470-1529】

祖父 安綱 道綱渡辺満~道綱の系図

 照綱(てるつな)【1492-1540】
 遠綱 直綱渡辺遠綱~直綱の系図


  渡辺氏綱(うじつな)【1489-1563】
 興綱(おきつな)【?-1561】


  渡辺高綱(たかつな)【?-1564】
 松平広忠・家康に仕えた。後に三河一向一揆に与し、家康と戦って敗死した。
 渡辺義綱の娘
妻の父 渡辺義綱渡辺有綱~良綱の系図
 政綱(まさつな)【1544-1596】
 秀綱(ひでつな)
 尾張徳川家に仕えた。


  渡辺守綱(もりつな)【1542-1620】
 徳川家康に仕え、十六将の一人に数えられた。槍の名手で槍半蔵と称された。後に徳川義直に付属され、1万4000石を領した。
 平岩親重の娘
妻の父 平岩親重→平岩親重の系図
 重綱渡辺重綱の系図
 吉綱渡辺吉綱~基綱の系図
 綱貞渡辺綱貞~徳綱・親綱~亀之助の系図

 宗綱 清綱渡辺宗綱~寛綱・与綱・保綱・章綱~直綱の系図

 岡部真幸の娘
 成綱(なりつな)【1591-1650】
 綱久(つなひさ)【1640-?】
 実は渡辺宗綱(→渡辺宗綱~寛綱・与綱・保綱・章綱~直綱の系図)の子。
曾孫の夫 渡辺恒綱渡辺宗綱~寛綱・与綱・保綱・章綱~直綱の系図

渡辺宗綱~寛綱・与綱・保綱・章綱~直綱の系図

渡辺宗綱~寛綱・与綱・保綱・章綱~直綱の系図

  渡辺宗綱(むねつな)【1579-1665】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 高綱 守綱渡辺範綱~守綱の系図
祖父 平岩親重→平岩親重の系図

 小栗久次の娘
妻の父 小栗久次→小栗久次の系図
 綱久〔養父:渡辺成綱〕→渡辺範綱~守綱の系図

子の夫 近藤用行→近藤用行の系図


  渡辺清綱(きよつな)【1631-1706】
 渡辺綱貞の娘
妻の父 渡辺綱貞渡辺綱貞~徳綱・親綱~亀之助の系図

 三枝守恵の娘
妻の父 三枝守恵→三枝守恵の系図


  渡辺恒綱(つねつな)【1658-1710】
 渡辺綱久の娘
妻の父 渡辺綱久渡辺範綱~守綱の系図

子の夫 谷衛直谷衛冬~衛裕の系図


  渡辺紀綱(のりつな)【1694-1739】
 岡野成勝の娘
妻の父 岡野成勝→岡野成勝の系図

 邦綱(くにつな)【1713-1738】
子の妻 土方豊義の娘
子の妻の父 土方豊義→土方豊義の系図
子の妻の夫 大久保忠肥→大久保忠肥の系図


  渡辺貞綱(さだつな)【1718-?】〔養父:渡辺保綱〕
 土屋亮直の娘
妻の父 土屋亮直→土屋亮直の系図

子の夫 小堀政弘→小堀政弘の系図
子の夫 正木康満→正木康満の系図


  渡辺寛綱(ひろつな)/方綱(みちつな)【1737-?】
 実は板倉勝里(→板倉重寛~勝行の系図)の子。
 房綱
子の妻 渡辺信綱の娘
子の妻の父 渡辺信綱渡辺登綱~伊綱の系図

 土屋盛直〔養父:土屋匡直〕→土屋盛直の系図
 大久保徳綱〔養父:大久保忠寛〕→大久保徳綱の系図
子の夫 稲葉正順→稲葉正順の系図


  渡辺与綱(ともつな)【?-1712】


  渡辺保綱(やすつな)【1701-1730】
 実は小栗正定(→小栗正定の系図)の子。
 貞綱
 実は渡辺紀綱の子。保綱の養子になったが、後に実家を継いだ。


  渡辺章綱(のりつな)【1683-1775】
子の夫 杉浦政臧→杉浦政臧の系図
子の夫 坂井政長→坂井政長の系図
子の夫 大島国幹→大島国幹の系図


  渡辺久綱(ひさつな)【1721-1792】
 森川勝矩の娘
妻の父 森川勝矩堀場重定~森川勝房・重房~寛勝の系図

 都筑景春〔養父:都筑徳能〕→都筑景春の系図


  渡辺直綱(なおつな)【1757-?】
 松平正雅の娘
妻の父 松平正雅→松平正雅の系図

 都筑徳能の娘
妻の父 都筑徳能→都筑徳能の系図

渡辺遠綱~直綱の系図

渡辺遠綱~直綱の系図

  渡辺遠綱(とおつな)【1509-1587】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 道綱渡辺満~道綱の系図
 範綱渡辺範綱~守綱の系図


  渡辺直綱(なおつな)【1544-1601】


  渡辺生綱(なりつな)【1564-1635】
 父は渡辺遠綱とも。


  渡辺綱治(つなはる)/直綱(なおつな)【1597-1669】
 筧為春の娘
妻の父 筧為春→筧為春の系図
 盛綱(もりつな)【1612-?】

子の夫 小笠原正勝→小笠原正勝の系図
子の夫 松下之綱→松下之綱の系図


  渡辺直茂(なおしげ)/綱太(つなふと)【1640-1689】
 川村重正の娘
妻の父 川村重正→川村重正の系図


  渡辺直長(なおなが)【1673-1722】
子の夫 土方行曹→土方行曹の系図


  渡辺直政(なおまさ)【1710-1733】


  渡辺栄直(しげなお)【?-1749】
 実は小笠原正直(→小笠原正直の系図)の子。
 土方保江の娘
妻の父 土方保江→土方保江の系図


  渡辺直矩(なおのり)【1733-1758】


  渡辺行孝(ゆきたか)【1748-1791】
 実は土方行曹(→土方行曹の系図)の子。
 木下利忠の娘
 実は本多成美(→本多重看~成孝の系図)の娘。
妻の父 木下利忠→木下利忠の系図
 平野長常→平野長常の系図

子の夫 松平乗一→松平乗一の系図


  渡辺直綱(なおつな)【1767-?】
 実は服部保春(→服部保春の系図)の子。

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渡辺重綱の系図

渡辺重綱の系図

  渡辺重綱(しげつな)【1574-1648】
 徳川家康に仕え、後に尾張藩の家老になった。

祖父 高綱 守綱渡辺範綱~守綱の系図
祖父 平岩親重→平岩親重の系図

 水野正重の娘
妻の父 水野正重水野清重~清氏の系図
 勝綱(かつつな)【1598-1615】
 忠綱(ただつな)【1604-1623】

 杉浦盛嗣の娘
妻の父 杉浦盛嗣→杉浦盛嗣の系図
 治綱(はるつな)【1606-1657】
 代々尾張徳川家に仕えた。
治綱孫 綱保
綱保の妻 竹腰正武の娘
綱保の妻の父 竹腰正武竹腰正武~正旧の系図

治綱孫 綱光/乗詮
 実は松平乗穏(→松平乗穏~乗謨の系図)の子。
治綱孫 規綱(のりつな)【1792-1871】
 実は松平乗友(→松平乗穏~乗謨の系図)の子。茶人。本草学に通じ、『本草図譜』を著した。

 吉綱 方綱渡辺吉綱~基綱の系図
 綱貞 完綱平岩親綱渡辺綱貞~徳綱・親綱~亀之助の系図

 仲綱(なかつな)【?-1618】
 長綱(ながつな)【?-1668】
 基綱〔養父:渡辺方綱〕→渡辺吉綱~基綱の系図

渡辺綱貞~徳綱・親綱~亀之助の系図

渡辺綱貞~徳綱・親綱~亀之助の系図

  渡辺綱貞(つなさだ)/三綱(みつつな)【1611-1682】
 八丈島に流された。

祖父 守綱渡辺範綱~守綱の系図
 重綱渡辺重綱の系図
祖父 杉浦盛嗣→杉浦盛嗣の系図

 丹羽氏信の娘【?-1635】
妻の父 丹羽氏信→丹羽氏信の系図
 綱高(つなたか)/直綱
子の妻 松平忠房の娘
 実は松平忠実(→松平忠実の系図)の娘。
子の妻の父 松平忠房→松平忠房の系図

 三枝守吉の娘
妻の父 三枝守吉→三枝守吉の系図

子の夫 岡部勝政(『寛政重修諸家譜』による。)→岡部与賢~美勝の系図
子の夫 酒井忠実(『寛政重修諸家譜』による。)→酒井忠次~忠貞の系図
子の夫 渡辺清綱(『寛政重修諸家譜』による。)→渡辺宗綱~寛綱・与綱・保綱・章綱~直綱の系図


  渡辺完綱(さだつな)【1642-1709】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 三枝守俊の娘
妻の父 三枝守俊→三枝守俊の系図


  渡辺公綱(きんつな)【1695-1740】
 実は堀内辰胤の子。
 長谷川重尚の娘
妻の父 長谷川重尚→長谷川重尚の系図

 房綱(ふさつな)【1720-1735】


  渡辺寧綱(やすつな)【1725-1792】
 実は大野定春(→大野定春の系図)の子。
 有馬時盛の娘
妻の父 有馬時盛→有馬時盛の系図

 義綱(よしつな)/徳綱(とくつな)
 実は前島栄延(→前島栄延の系図)の子。


  渡辺徳綱(のりつな)【1761-?】
 実は大野定安(→大野定安の系図)の子。
 小林正央の娘
妻の父 小林正央→小林正央の系図


  平岩親綱(ちかつな)【?-1696】


  渡辺源七郎【1684-1717】


  渡辺亀之助【1715-1726】

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渡辺吉綱~基綱の系図

渡辺吉綱~基綱の系図

  渡辺吉綱(よしつな)【1611-1668】
 武蔵国野本藩主。大坂定番を務めた。

祖父 守綱渡辺範綱~守綱の系図
 重綱渡辺重綱の系図
祖父 杉浦盛嗣→杉浦盛嗣の系図

 高木正成の娘
妻の父 高木正成→高木正成の系図
 近綱(ちかつな)【1634-1651】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 利綱(としつな)【1638-1657】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 則綱(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 内藤信通内藤信通~信幅の系図
子の夫 山田常紀→山田常紀の系図


  渡辺方綱(みちつな)/正綱(まさつな)【1640-1680】
 野本藩主。
 松平氏信の娘
妻の父 松平氏信→松平氏信の系図
 豊綱(とよつな)【?-1669】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 半助勝千代
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 方綱の娘(3人)(『寛政重修諸家譜』による。)


  渡辺基綱(もとつな)【1665-1728】
 野本藩主・和泉国大庭寺藩主・和泉国伯太藩主。実は渡辺長綱(→渡辺重綱の系図)の子。
 渡辺方綱の娘
 登綱 信綱渡辺登綱~伊綱の系図

 山口弘長〔養父:山口弘豊〕→山口弘長の系図
 基綱の娘(3人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 戸田光言戸田光直~光一の系図
子の夫 酒井忠雄酒井忠正~忠求の系図
子の夫 長谷川勝清→長谷川勝清の系図
子の夫 高木允貞→高木允貞の系図

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渡辺登綱~伊綱の系図

渡辺登綱~伊綱の系図

  渡辺登綱(のりつな)【1694-1767】
 伯太藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。

祖父 方綱 基綱渡辺吉綱~基綱の系図

 松平定陳の娘
妻の父 松平定陳松平定陳~定温の系図
 充綱(みつつな)【1722-1768】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 銕之助朝綱
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 登綱の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
 酒井忠雄に嫁ぐ予定であった。

 登綱の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 酒井忠雄酒井忠正~忠求の系図


  渡辺信綱(のぶつな)【1727-1772】
 伯太藩主。
 松平近明の娘
妻の父 松平近明松平近明~直巳の系図
 源蔵【?-1756】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 信綱の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 松平直義松平近明~直巳の系図

 久留島光通の娘
妻の父 久留島光通→久留島光通の系図
 松平信男〔養父:松平信名〕→松平信男の系図
 源三郎鶴吉
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 中根正寧→中根正寧の系図
子の夫 松平正愛松平正朝~正卜の系図
子の夫 渡辺房綱渡辺宗綱~寛綱・与綱・保綱・章綱~直綱の系図

 豪綱〔養父:渡辺伊綱〕→渡辺豪綱~章綱の系図
 信綱の娘(『寛政重修諸家譜』による。)


  渡辺伊綱(これつな)【1757-1825】
 伯太藩主。
 山口弘長の娘
 渡辺伊綱との離婚後に小出有里に嫁ぐ予定であった。
妻の父 山口弘長→山口弘長の系図
 新庄直規→新庄直規の系図

 豪綱 春綱渡辺豪綱~章綱の系図

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渡辺豪綱~章綱の系図

渡辺豪綱~章綱の系図

  渡辺豪綱(ひでつな)【1759-1793】
 伯太藩主。実は渡辺信綱(→渡辺登綱~伊綱の系図)の子。

祖父 信綱 伊綱渡辺登綱~伊綱の系図

 土岐朝之〔養父:土岐朝利〕→土岐朝澄~朝利の系図
 則綱〔養父:渡辺春綱〕


  渡辺春綱(はるつな)【1778-1810】
 伯太藩主。
 青木一貫の娘
妻の父 青木一貫→青木一貫の系図
 春綱の娘(『寛政重修諸家譜』による。)

 仲之進(『渡辺家譜』による。)


  渡辺則綱(のりつな)【1788-1832】
 伯太藩主。実は渡辺豪綱の子。
 岡部長備の娘
妻の父 岡部長備岡部長著~長備の系図

 条綱【?-1842】


  渡辺潔綱(きよつな)【1814-1876】
 伯太藩主。
 細川立之の娘
妻の父 細川立之→細川立之の系図

 寛綱〔養父:渡辺章綱〕
 隆綱 潔綱の娘(3人)(『渡辺家譜』による。)
子の夫 永井直幹永井直温~直哉の系図


  渡辺章綱(あきつな)【1833-1894】〔養子:渡辺寛綱〕
 伯太藩主。
 内藤頼寧の娘
妻の父 内藤頼寧内藤清枚~頼直の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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