七条家(藤原氏北家・道隆流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、七条家(藤原氏北家・道隆流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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七条隆脩~信睦の系図

七条隆脩~信睦の系図

  七条隆脩(たかなが)【1612-1669】
 七条家の祖。

祖父 兼成水無瀬具景~兼成の系図
 氏成水無瀬氏成~氏信の系図


  七条隆豊/隆良【1640-1686】
 参議。母は『七条家譜』による。
 烏丸資慶の娘
妻の父 烏丸資慶烏丸資慶~宣定の系図
 匡信【1669-1715】
 信方〔養父:七条隆福〕
 実は水無瀬兼豊(→水無瀬兼豊~経業の系図)の子。

 隆孝【1681-1688】
 『系図纂要』によれば、父は七条匡信とされる。
子の夫 橋本実松橋本季村~実文の系図


  七条隆福【1686-1705】
 『系図纂要』によれば、父は七条匡信とされる。


  七条信方/氏秀【1677-1729】〔養父:七条匡信〕
 従三位。実は水無瀬兼豊(→水無瀬兼豊~経業の系図)の子。
 綾小路俊景の娘
妻の父 綾小路俊景綾小路高有~有胤の系図

 裏松意光の娘
妻の父 裏松意光裏松資清~益光の系図


  七条信全【1714-1748】〔養子:七条隆房〕
 従三位。
 東坊城資長の娘
妻の父 東坊城資長東坊城恒長~夏長の系図
 隆元/隆久【1740-1745/1746】


  七条具安【1745-1750】


  七条隆房【1746-1773】〔養父:七条信全〕
 実は町尻説久(→町尻説久・説望の系図)の子。
 次郎丸〔養父:町尻説望〕→町尻説久・説望の系図


  七条隆充【1769-1774】


  七条成信【1763-?】
 実は町尻説望(→町尻説久・説望の系図)の子。


  七条隆則【1774-?】
 実は水無瀬忠成(→水無瀬師成~経務の系図)の子。
 桜井綱/三保
 桜井氏福(→桜井氏敦・氏福の系図)の娘。
 信敬【1791-1796】
 実は広橋伊光(→広橋伊光の系図)の子。


  七条信元【1792-1869】
 参議。『系図纂要』によれば、樋口宜康(→樋口宜康~静康の系図)の子。
 樋口宜康の娘
妻の父 樋口宜康樋口宜康~静康の系図
 信栄【1826-1841】


  七条信睦/信祖【1829-1878】
 実は吉田良長(→吉田良長の系図)の子。
 吉田信子
 吉田良煕(→吉田良煕の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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