このページでは、大給松平家(清和源氏・義国流)・乗政流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
大給松平家・乗政流(美濃国岩村藩主)の略系図
1 乗政→石川乗政・松平乗紀の系図
2-A 致乗→松平致乗~乗集の系図
3 乗賢→松平乗賢~乗命の系図
石川乗政・松平乗紀の系図
石川乗政(のりまさ)【1637-1684】
常陸国小張藩主・信濃国小諸藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 家乗・父 乗寿→松平家乗・乗寿の系図
妻 岩城長子【?-1668】
岩城重隆(→岩城重隆の系図)の娘。
妻 松浦寧子【?-1697】
松浦鎮信(→松浦鎮信・棟の系図)の娘。
夫 酒井忠解→酒井忠勝~忠真・忠俊~忠盈の系図
妻 丹波瀬氏
子 鍋子【1684-1686】
子 満子→松平信孝の系図
子の夫 北条元氏(『寛政重修諸家譜』による。)→北条元氏~氏富の系図
松平乗紀(のりただ)【1674-1716】
小諸藩主・美濃国岩村藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 朽木久子【?-1713】
朽木稙昌(→朽木稙昌~稙綱の系図)の娘。
子 乗賢・孫 乗薀→松平乗賢~乗命の系図
子 吉三郎/千次郎【1695-1696】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 致乗・孫 乗俊→松平致乗~乗集の系図
子 田宮【1707-1708】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 朽木玄綱〔養父:朽木稙治〕→朽木稙治~綱貞の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 亀之助【1711-1712】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 松子【1700-1701】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 美喜子→阿部正春~正実・正長~正保の系図
子 説子〔養父:松平義尭〕→松平義尭の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 乗紀の娘【1713】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 平井氏
子 弁子→知久久徹の系図
子 八百子【1714-?】〔養父:大野忠恕〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 今吉氏
子 水谷建英〔養父:水谷勝英〕→水谷建英の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
松平致乗~乗集の系図
松平致乗(ゆきのり)【1702-1739】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 乗政・父 乗紀→石川乗政・松平乗紀の系図
祖父 朽木稙昌→朽木稙昌~稙綱の系図
子 梅子〔養父:松平乗賢〕→松平乗賢~乗命の系図
松平乗俊(のりとし)【1725-1744】
妻 高木正栄の娘
妻の父 高木正栄→高木正栄の系図
夫 大草高満→大草高満の系図
夫 大久保忠英→大久保忠英の系図
松平乗純(のりずみ)【1734-1761】
実は朽木玄綱(→朽木稙治~綱貞の系図)の子。
妻 池田頼教の娘
妻の父 池田頼教→池田頼教の系図
子 乗純の娘
松平乗陳に嫁ぐ予定であった。
松平乗陳(のりつら)【1745-1786】
実は松平乗行(→松平乗興~乗譲の系図)の子。
妻 片桐友従の娘
妻の父 片桐友従→片桐友従の系図
子 溝口勝雄〔養父:溝口勝興〕→溝口勝雄の系図
子 乗陳の娘〔養父:吉田盛謙〕→吉田盛謙の系図
子の夫 蔭山広高→蔭山広高の系図
子の夫 酒井政長→酒井政長の系図
松平乗集(のりちか)【1771-?】
妻 永井直諒の娘
妻の父 永井直諒→永井直右~尚監の系図
妻 岡部長貴の娘
実は岡部直清(→岡部直好~直温の系図)の娘。
妻の父 岡部長貴→岡部定直~長貴の系図
松平乗賢~乗命の系図
松平乗賢(のりかた)【1693-1746】
老中・岩村藩主。
祖父 乗政・父 乗紀→石川乗政・松平乗紀の系図
祖父 朽木稙昌→朽木稙昌~稙綱の系図
妻 太田千子【?-1716】
太田資直(→太田資次~資晴の系図)の娘。
子 長子→松平真次~盈乗の系図
妻 境野氏
子 吉十郎【1719-1721】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 乗恒(のりちか)【1724-1740】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 嘉子→本多政信~忠尭の系図
子 品子【1731-?】
母は『寛政重修諸家譜』による。土井利延に嫁ぐ予定であった。
妻 加藤氏
子 政之助【1738-1743】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 梅子【1726-1741】
実は松平致乗(→松平致乗~乗集の系図)の娘。松平乗薀に嫁ぐ予定であった。
松平乗薀(のりもり)【1716-1783】
岩村藩主。実は松平乗邑(→松平乗邑の系図)の子。
妻 松浦綾子【?-1801】
実は千本倶隆(→千本俱隆の系図)の娘。
妻の父 松浦篤信→松浦篤信・有信の系図
子 乗国(のりくに)【1762-1770】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 乗遠(のりとお)【1763-1765】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 林衡〔養父:林信敬〕→林衡の系図
子 絜子→鍋島治茂の系図
松平乗保(のりやす)【1749-1826】
老中・岩村藩主。実は朽木玄綱(→朽木稙治~綱貞の系図)の子。
妻 松平数子【?-1777】
松平康福(→松平康映~康福の系図)の娘。
子 乗友(のりとも)【1782-1801】
子の妻 松平盛子【1794-1858】
松平武寛(→松平武元~武聡の系図)の娘。
子 乗時(のりとき)【1795-1801】
子 万千子【1780-1786】
子 多津子【1784-1786】
子 邑子【1789-1791】
子 乗保の娘【1793】(『松平家譜(美濃岩村)』による。)
松平乗美(のりよし)【1792-1845】
岩村藩主。丹羽瀬清左衛門に藩政改革を行わせた。
妻 朽木照子
朽木倫綱(→朽木倫綱~為綱の系図)の娘。
子 乗啓【1825】
子 乗敦【1829-1830】
子 牧野忠興〔養父:牧野忠直〕→牧野忠興の系図
子 貞子【1830-1832】(『松平家譜(美濃岩村)』による。)
松平乗喬(のりたか)【1826-1855】
岩村藩主。
妻 牧野綬子
牧野節成(→牧野節成の系図)の娘。
子 乗一【1851-1853】
子 絢子【1849-1850】(『松平家譜(美濃岩村)』による。)
子 敏子→有馬頼次~氏弘の系図・上杉茂憲の系図
子 道子【1853-?】(『松平家譜(美濃岩村)』による。)
子 常子【1855-?】(『松平家譜(美濃岩村)』による。)
松平乗命(のりとし)【1848-1905】
岩村藩主。
妻 徳川釣姫【?-1871】
徳川斉荘(→徳川宗睦~義宜の系図)の娘。
妻 岡部鐮子
岡部長寛(→岡部長慎~長職の系図)の娘。
夫 板倉勝尚→板倉勝矩~勝達の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。