このページでは、三条西家(藤原氏北家・公季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
三条西家(大臣家)の略系図
1 公時→三条西公時~公条の系図
6 実世→三条西実世~実条の系図
9 公勝→三条西公勝~公福の系図
12 実称→三条西実称~公允の系図
三条西公時~公条の系図
三条西公時(きんとき)【1339-1383】
権大納言。三条西家の祖。家名は三条北の西朱雀に住み、三条西と称したことによる。
祖父 公秀・三条公明→正親町三条公貫~公秀の系図
父 実継→正親町三条実継~公雅の系図
三条西実清【1373-1406】
権中納言。
三条西公保(きんやす)【1398-1460】
内大臣。実は正親町三条公豊(→正親町三条実継~公雅の系図)の子。後称名院内府と号した。
妻 甘露寺房長の娘【1423-1472】
妻の父 甘露寺房長→甘露寺房長~伊長の系図
子 実連/実貫【1442-1458】
参議。
子 公範
実は近江国の人。
三条西実隆(さねたか)/公世/公延【1455-1537】
内大臣。宗祇から古今伝授を受け、和学の興隆に尽力した。日記は『実隆公記』。
妻 勧修寺教秀の娘
妻の父 勧修寺教秀→勧修寺経顕~教秀の系図
子 保子→九条政基~兼孝の系図
子の夫 正親町実胤→正親町公仲~公叙の系図
三条西公条(きんえだ)【1487-1563】〔養子:公厳(→中院通氏~通右の系図)〕
右大臣。父実隆から和漢の学を修めた。
妻 甘露寺元長の娘
妻の父 甘露寺元長→甘露寺房長~伊長の系図
子 実世・孫 公国→三条西実世~実条の系図
子 水無瀬兼成〔養父:水無瀬英兼〕→水無瀬具景~兼成の系図
子の夫 中院通右→中院通氏~通右の系図
孫 通勝→中院通勝~通純の系図
子の夫 稲葉良通→稲葉良通の系図
孫 貞通→稲葉貞通~一通の系図
三条西実世~実条の系図
三条西実世/実澄/実枝(さねき)【1511-1579】
内大臣。有職故実の解説書である『三光院内府記』を著した。
祖父 実隆・父 公条→三条西公時~公条の系図
祖父 甘露寺元長→甘露寺房長~伊長の系図
妻 吉田兼満の娘
妻の父 吉田兼満→吉田兼満の系図
子 公世【1538-1544】
妻 正親町三条公兄の娘
妻の父 正親町三条公兄→正親町三条公兄~公仲の系図
子 公尊/公陸【1548-1561】
子 三条実綱〔養父:三条公頼〕(『系図纂要』による。)→三条実香~公広の系図
子の夫 松陰居士(『系図纂要』による。)→正親町三条公兄~公仲の系図
子の夫 高倉永孝(『系図纂要』による。)→高倉永孝~永俊の系図
三条西公国(きんくに)/公光/公明【1556-1587】
内大臣。
妻 西園寺公朝の娘
妻の父 西園寺公朝→西園寺公藤~公益の系図
子 三条公広〔養父:三条実綱〕(『系図纂要』による。)→三条実香~公広の系図
妻 花園実教の娘
妻の父 花園実教→花園実教~実延の系図
子の夫 庭田重定(『庭田家譜』による。)→庭田重具~重秀の系図
三条西実条(さねえだ)【1575-1640】(以下、『系図纂要』による。)
右大臣。
妻 前田玄以の娘
妻の父 前田玄以→前田玄以の系図
子 高松実名・孫 実信→高松実名~公雄の系図
子 公勝・孫 実教→三条西公勝~公福の系図
孫 押小路公音→押小路公音~実潔の系図
子 武者小路公種・孫 実陰→武者小路公種~公香の系図
子 泰長(『野宮家譜』による。)
孫の夫 正親町公通(『野宮家譜』による。)→正親町公通~実連の系図
子 光深〔養父:広橋兼賢〕→広橋兼賢~貞光の系図
三条西公勝~公福の系図
三条西公勝【1597-1626】
祖父 公国・父 実条→三条西実世~実条の系図
子 清水谷公栄〔養父:清水谷実任〕→一条公有~清水谷公栄の系図
子 押小路公音・孫 実岑→押小路公音~実潔の系図
子の夫 広橋綏光→広橋兼賢~貞光の系図
三条西実教【1619-1701】
権大納言。
三条西公福/公伊【1698-1745】
権大納言。
妻 前田誠/寿【?-1719】
実は前田孝行の娘。
妻の父 前田綱紀→前田利常~綱紀の系図
子 実称・孫 公里→三条西実称~公允の系図
子 花園公純〔養父:花園公緒〕→花園実教~実延の系図
子の夫 正親町三条公積→正親町三条公積~公平の系図
子の夫 四条隆叙→四条隆重~隆平の系図
三条西実称~公允の系図
三条西実称【1727-1791】
権大納言。
祖父 実教・父 公福→三条西公勝~公福の系図
妻 三条実顕の娘
妻の父 三条実顕→三条実顕~実美の系図
子 廷季〔養父:三条西公里〕
子 押小路公岑〔養父:押小路実富〕→押小路公音~実潔の系図
子 武者小路公隆〔養父:武者小路実純〕→武者小路公種~公香の系図
子の夫 押小路実富→押小路公音~実潔の系図
三条西公里【1749-1765】〔養父:三条実顕(→三条実顕~実美の系図)〕
三条西廷季【1750-1800】〔養父:三条実顕(→三条実顕~実美の系図)〕
権大納言。実は三条西実称の子。
妻 広幡前豊の娘
妻の父 広幡前豊→広幡長忠~忠礼の系図
三条西実勲【1785-1845】
権中納言。
妻 三条万寿君
三条実起(→三条実顕~実美の系図)の娘。
子の夫 押小路公連→押小路公音~実潔の系図
三条西季知(すえとも)【1811-1880】〔養父:三条公修(→三条実顕~実美の系図)〕
権大納言。七卿落ちをした公家の一人。
三条西公允【1841-1904】
妻 広橋光成の娘
妻の父 広橋光成→広橋光成~胤光の系図
夫 高倉永祜→高倉永範~永祜の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。