このページでは、崇神天皇から仲哀天皇までの系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
崇神天皇の系図
第10代 崇神天皇(すじん)/御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ)
三輪山の神を祀り、四道将軍を派遣するなどして統治した。
皇后 御間城姫(みまきひめ)/御真津比売命(みまつひめ)
皇后の父 大彦命→孝元天皇の系図
子 垂仁天皇→垂仁天皇の系図
孫 景行天皇→景行天皇・成務天皇の系図
子 彦五十狭茅命(ひこいさちのみこと)
子 国方姫命(くにかたひめ)
子 千千衝倭姫命(ちちつくやまとひめ)
子 倭彦命(やまとひこ)
垂仁天皇による殉死の廃止のきっかけになった。
子 五十日鶴彦命(いかつるひこ)
『古事記』では伊賀比売命(いがひめ)(女性)。
妃 遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまくわしひめ)
妃の母 荒河戸畔(あらかわとべ)
子 豊城入彦命(とよきいりひこ)
上毛野君・下毛野君の祖。崇神天皇の夢占いにより、東国を治めた。
孫 八綱田(やつなた)/倭日向武日向彦八綱田(やまとひむかたけひむかひこやつなた)
垂仁天皇の時代に、反乱を起こした狭穂彦王を攻めた。
子 豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)
崇神天皇の命により、笠縫邑で天照大神を祭った。
妃 尾張大海媛(おわりのおおしあまひめ)
子 大入杵命(おおいりき)
子 八坂入彦命(やさかのいりひこ)
孫 八坂入媛→景行天皇・成務天皇の系図
孫 弟媛(おとひめ)
景行天皇の妃を辞退し、代わりに姉の八坂入媛を推薦した。
子 渟名城入姫命(ぬなきのいりびめ)
崇神天皇の命により、倭大国魂神を祭ろうとしたが能わなかった。
子 十市瓊入媛命(とおちにいりびめ)
垂仁天皇の系図
第11代 垂仁天皇(すいにん)/活目入彦五十狭茅尊(いくめいりびこいさち)
殉死を禁止して埴輪に代え、農業のために池や溝を多数作らせた。
皇后 狭穂姫(さほひめ)/佐波遅比売(さはぢひめ)
兄・狭穂彦王の勧めで天皇の殺害を試みるも果たせず、兄の後を追った。
皇后の父 彦坐王→開化天皇の系図
子 誉津別命(ほむつわけ)
長く口をきくことができなかったが、白鳥を見て口を動かすようになった。
皇后 日葉酢媛命(ひばすひめ)
野見宿禰の進言により、葬儀の際には殉死に代えて埴輪が作られた。
皇后の父 丹波道主命→開化天皇の系図
皇后の母 丹波河上麻須郎女(たにわのかわかみのますのいらつめ)
子 五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこ)
天皇から大足彦尊(景行天皇)とともに欲しいものを尋ねられ、弓矢を望んだ。また、河内国に高石池・茅渟池を作った。
子 景行天皇・孫 成務天皇→景行天皇・成務天皇の系図
子 大中姫命(おおなかつひめ)
兄・五十瓊敷入彦命から譲られた石上神宮の神宝を管理する役目を物部十千根に委ねた。
子 倭姫命(やまとひめ)
天照大神を伊勢に遷し、社を建てた。日本武尊が東征する際に草薙剣を授けた。
子 稚城瓊入彦命(わかきにいりひこ)
妃 渟葉田瓊入媛(ぬはたのにいりひめ)/沼羽田之入毘売命(ぬばたのいりひめ)
子 鐸石別命(ぬてしわけ)/沼帯別命(ぬたらしわけ)
孫 稚鐸石別命(わかぬてしわけ)
子 胆香足姫命(いかたらしひめ)
妃 真砥野媛(まとのひめ)
『古事記』では、醜さを理由に国元に帰されることになり、それを恥じて自殺した。
妃 薊瓊入媛(あざみにいりひめ)
子 池速別命(いけはやわけ)/伊許婆夜和気命(いこばやわけ)/息速別命(おきはやわけ)
子 稚浅津姫命→景行天皇・成務天皇の系図
妃 綺戸辺(かにはたとべ)
妃の父 山背大国不遅(やましろおおくにのふち)
子 磐衝別命(いわつくわけ)
娘は景行天皇(→景行天皇・成務天皇の系図)の妃になった。
孫 磐城別(いわきわけ)
子 両道入姫命→日本武尊の系図
妃 山背苅幡戸辺(やましろのかりはたとべ)
子 祖別命(おおちわけ)
子 五十日足彦命(いかたらしひこ)
子 胆武別命(いたけるわけ)/伊登志別王(いとしわけ)
子がなかったため、子代として伊登志部が置かれた。
妃 迦具夜比売命(かぐやひめ)
妃の父 大筒木垂根王→開化天皇の系図
子 袁邪弁王(おざべ)
子 円目王(つぶらめ)
雄略天皇死去の際に天皇の魂をしずめ、遊部君と名付けられたとされる。
景行天皇・成務天皇の系図
景行天皇
第12代 景行天皇(けいこう)/大足彦忍代別尊(おおたらしひこおしろわけ)
日本武尊に熊襲征伐や東征をさせ、多くの子女を諸国に赴かせた。80人の子どもがいた。
皇后 播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)/稲日稚郎姫(いなびのわきいらつめ)
皇后の父 稚武彦命→孝安天皇・孝霊天皇の系図
子 櫛角別王(くしつのわけ)
子 大碓皇子(おおうす)
日本武尊の双子の兄。天皇に東征を命じられたが、恐れて草の中に隠れた。
子の妻 兄遠子(えとおこ)/兄比売(えひめ)
神骨(→開化天皇の系図)の子。大碓皇子は、天皇の命で兄遠子・弟遠子を探しに来たが、自分のものとした。
孫 押黒之兄日子王(おしぐろのえひこ)
子の妻 弟遠子(おととおこ)/弟比売(おとひめ)
神骨(→開化天皇の系図)の子。
孫 押黒弟日子王(おしぐろのおとひこ)
皇后 八坂入媛(やさかいりひめ)
皇后の父 八坂入彦命
崇神天皇(崇神天皇の系図)の皇子。
子 五百城入彦皇子(いおきいりひこ)
太子(ひつぎのみこ)の一人。
孫 品陀真若王(ほんだまわか)
娘が応神天皇(→応神天皇の系図)の皇后・妃となった。
子 忍之別皇子(おしのわけ)
子 稚倭根子皇子(わかやまとねこ)
子 大酢別皇子(おおすわけ)
忍之別皇子と同一人物か。
子 渟熨斗皇女(ぬのし)/沼代郎女(ぬのしろのいらつめ)
子 渟名城皇女(ぬなき)
子 五百城入姫皇女(いおきいりひめ)
子 麛依姫皇女(かごよりひめ)
子 五十狭城入彦皇子(いさきいりびこ)
子 吉備兄彦皇子(きびのえひこ)
子 高城入姫皇女(たかきいりびめ)
子 弟姫皇女(おとひめ)
子 若木之入日子王(わかきのいりひこ)
妃 水歯郎媛(みずはのいらつめ)
妃の父 磐衝別命→垂仁天皇の系図
子 五百野皇女(いおの)
天皇の命により、伊勢に遣わされて天照大神を祭った。
妃 五十河媛(いかわひめ)
子 神櫛皇子(かんぐし)
子 稲背入彦皇子(いなせいりひこ)
播磨別の祖。
子の妻 稚浅津姫命(わかあさつひめ)/阿邪美都比売命(あざみつひめ)
垂仁天皇(→垂仁天皇の系図)の皇女。
孫 御諸別命(みもろわけ)
妃 高田媛(たかたひめ)
妃の父 阿倍木事(こごと)
子 武国凝別皇子(たけくにこりわけ)
妃 日向髪長大田根媛(ひむかのかみながおおたねひめ)
子 日向襲津彦皇子(ひむかのそつひこ)
妃 襲武媛(そのたけひめ)
子 国乳別皇子(くにちわけ)
子 国背別皇子(くにそわけ)/宮道別皇子(みやじわけ)
子 豊戸別皇子(とよとわけ)
妃 御刀媛(みはかしひめ)
襲の国を平定した時に妃とされた。
子 豊国別皇子(とよくにわけ)
日向国造の祖。
妃 伊那毘能若郎女(いなびのわかいらつめ)
子 真若王(まわか)
子 彦人大兄王(ひこひとのおおえ)
孫 大中姫→仲哀天皇の系図
子 銀王(しろがね)
彦人大兄王の妻になったともされる。
成務天皇
第13代 成務天皇(せいむ)/稚足彦尊(わかたらしひこ)
国や県などに首長を置き、区画を定めた。
妃 弟財郎女(おとたからのいらつめ)
妃の父 建忍山垂根(たけおしやまたりね)
子 和訶奴気王(わかぬけ)
妃 吉備郎姫(きびのいらつめ)
日本武尊の系図
日本武尊(やまとたける)/小碓命(おうす)/日本童男(やまとおぐな)
太子の一人。熊襲を討ち、東国を平定した。
祖父 垂仁天皇→垂仁天皇の系図
父 景行天皇→景行天皇・成務天皇の系図
妃 両道入姫命(ふたじのいりびめ)/石衝毘売命(いわつくびめ)
垂仁天皇(→垂仁天皇の系図)の皇女。
子 稲依別王(いなよりわけ)
子 仲哀天皇→仲哀天皇の系図
孫 応神天皇→応神天皇の系図
子 布忍入姫命(ぬのしいりびめ)
子 稚武王(わかたける)
妃 吉備穴戸武媛(きびのあなとのたけひめ)
妃の父 吉備武彦→孝安天皇・孝霊天皇の系図
子 武卵王(たけかいご)
子 十城別王(とおきわけ)
妃 弟橘媛(おとたちばなひめ)
日本武尊が馳水の海を渡る時、入水して海神の心を鎮めた。
妃の父 穂積忍山宿禰(おしやまのすくね)
子 稚武彦王(わかたけひこ)
子の妻 飯野真黒比売命(いいののまぐろひめ)
孫 須売伊呂大中日子王(すめいろおおなかつひこ)
妃 宮簀媛(みやすひめ)
尾張氏の娘。日本武尊が尾張に立ち寄った際に妃になった。
妃 山代之玖々麻毛理比売(やましろのくくまもりひめ)
子 蘆髪蒲見別王(あしかみのかまみわけ)/足鏡別王(あしかがみわけ)
天皇に献上される白鳥を奪ったことで誅殺された。
子 息長田別王(おきながたわけ)
孫 河派仲彦(かわまたのなかつひこ)/杙俣長日子王(くいまたながひこ)
娘が応神天皇(→応神天皇の系図)・稚野毛二派皇子(→稚野毛二派皇子〜彦主人王の系図)の妃になった。
仲哀天皇の系図
第14代 仲哀天皇(ちゅうあい)/帯中津日子尊(たらしなかつひこ)
熊襲の征伐に向かい、その途中で崩御した。
祖父 景行天皇→景行天皇・成務天皇の系図
父 日本武尊→日本武尊の系図
祖父 垂仁天皇→垂仁天皇の系図
皇后 神功皇后(じんぐう)/気長足姫尊(おきながたらしひめ)
仲哀天皇の征討に同行し、天皇崩御後は皇后自ら新羅を討った。
皇后の父 気長宿禰王(おきながのすくね)
皇后の母 葛城高顙媛(かつらぎのたかぬかひめ)
子 応神天皇→応神天皇の系図
孫 仁徳天皇→仁徳天皇の系図
孫 稚野毛二派皇子→稚野毛二派皇子〜彦主人王の系図
妃 大中姫(おおなかつひめ)
妃の父 彦人大兄王→景行天皇・成務天皇の系図
子 麛坂皇子(かごさか)
忍熊皇子とともに、皇位をめぐり反乱を起こした。
子 忍熊皇子(おしくま)
麛坂皇子とともに、皇位をめぐり反乱を起こした。
妃 弟媛(おとひめ)
妃の父 大酒主(おおさかぬし)
子 誉屋別皇子(ほむやわけ)
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。