このページでは、宇多源氏の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
宇多源氏の略系図
2 敦実親王→敦実親王の系図
2-A1 重信→源重信の系図
2-A2 道方→源道方の系図
2-A3 経信→源経信の系図
2-A4 俊頼→源俊頼の系図
4 時中→源時中の系図
4-A1 経相→源経相~範基の系図
4-A2 経時→源経時の系図
4-B1 朝任→源朝任の系図
4-B2 朝実→源朝実の系図
5 済政→源済政・資通の系図
7 政長→源政長の系図
8 有賢→源有賢の系図
9 資賢→源資賢の系図
9-A 通家→源通家の系図
10 時賢→源時賢・有資の系図
敦実親王の系図
敦実親王(あつみ・あつざね)【893-967】〔養子:源扶義(→源扶義の系図)〕
敦実流の宇多源氏の祖。
祖父 光孝天皇→光孝天皇の系図
父 宇多天皇→宇多天皇の系図
祖父 藤原高藤→藤原高藤の系図
妻 藤原時平の娘
妻の父 藤原時平→藤原時平の系図
子 寛朝(かんじょう・かんちょう)【916-998】
真言宗の僧。東寺長者などを務めた。
子 源雅信→源雅信の系図
孫 時中→源時中の系図
孫 扶義→源扶義の系図
孫 時方→源時方~仲棟の系図
子 源寛信(ひろのぶ)
子 雅慶(がけい)【926-1012】〔養父:源重信(→源重信の系図)〕
兄寛朝から灌頂を受けた。東寺長者・東大寺別当などを務めた。
源重信の系図
源重信(しげのぶ)【922-995】〔養子:雅慶(→敦実親王の系図)〕
左大臣。
祖父 宇多天皇→宇多天皇の系図
父 敦実親王→敦実親王の系図
祖父 藤原時平→藤原時平の系図
妻 藤原朝忠の娘
妻の父 藤原朝忠→藤原定方の系図
子 致方【951-989】
子 相方
子の妻 平季明の娘
子の妻の父 平季明→式瞻王・興我王・忠望王の系図
孫 慶方/度方
曾孫 頼方
父は源相方とも。
曾孫の妻 源是輔の娘
曾孫の妻の父 源是輔→源清平の系図
相方孫 成方
成方の妻 平維時の娘
成方の妻の父 平維時→平維将~時直の系図
妻 藤原師輔の娘
妻の父 藤原師輔→藤原師輔の系図
子 道方→源道方の系図
孫 経信→源経信の系図
妻 源高明の娘
妻の父 源高明→源高明の系図
子 宣方
子の妻 藤原忠幹の娘
子の妻の父 藤原忠幹→藤原国経・忠幹の系図
曾孫 師信/師通/師言
曾孫の夫 敦賢親王→三条天皇の系図
妻 藤原伊尹の娘
妻の父 藤原伊尹→藤原伊尹・義孝の系図
夫 藤原忠君→藤原遠量・忠君・遠度・遠基の系図
妻 藤原頼忠の娘
妻の父 藤原頼忠→藤原頼忠の系図
子 乗方(あきまさ)
源道方の系図
源道方(みちかた)【968-1044】
権中納言。母は源高明(→源高明の系図)の娘とも。
祖父 敦実親王→敦実親王の系図
父 重信→源重信の系図
祖父 藤原師輔→藤原師輔の系図
妻 源国盛の娘
歌人。家集に『経信卿母集』がある。
妻の父 源国盛→源通理・国盛の系図
子 経長【1005-1071】〔養子:源政長(→源政長の系図)〕
権大納言。
孫 道良【1050-1111】
従三位。実は源資綱(→源顕基の系図)の子。
孫の妻 源高房の娘
孫の妻の父 源高房→源行任・高房の系図
子の夫 源資綱→源顕基の系図
源経信の系図
源経信(つねのぶ)【1016-1097】
大納言。詩歌・管絃に通じ、『難後拾遺』を著した。日記は『帥記』。
祖父 重信→源重信の系図
父 道方→源道方の系図
祖父 源国盛→源通理・国盛の系図
妻 源貞亮の娘
妻の父 源貞亮→源通理・国盛の系図
子 基綱(もとつな)【1049-1116】
権中納言。父と同様、任地の大宰府で亡くなった。
孫 信綱/重通〔養父:藤原孝清(→藤原孝清の系図)〕
孫の夫 藤原定実→藤原定実~伊行の系図
孫の夫 藤原為隆→藤原為隆の系図
孫の夫 源行宗→源行宗の系図
曾孫 実長/信平
実長孫 重定〔養父:源信康〕
実長孫 経観
父は源実長、玄正とも。
実長孫 清信
父は源信康とも。
曾孫 信康
曾孫の妻 高階仲範の娘
曾孫の妻の父 高階仲範→高階仲範の系図
信康孫 清信
父は源実長とも。
信康孫 重定
実は源実長の子。
信康孫 兵衛督局→後鳥羽天皇の系図
曾孫 寛康【?-1172】
曾孫 憲覚〔養父:藤原憲方(→藤原憲方の系図)〕
曾孫の夫 藤原憲方→藤原憲方の系図
子 俊頼→源俊頼の系図
源俊頼の系図
源俊頼(としより)【1055-1129】〔養父:橘俊綱(→橘俊綱の系図)〕
歌人。『金葉和歌集』を撰んだ。家集は『散木奇歌集』。『百人一首』にも歌が収められている。
祖父 道方→源道方の系図
父 経信→源経信の系図
祖父 源貞亮→源通理・国盛の系図
妻 大江清綱の娘
妻の父 大江清綱→大江朝綱の系図
孫 教縁〔養父:難波忠教(→難波忠教の系図)〕
孫の夫 藤原範兼→藤原範兼の系図
曾孫 範光→藤原範光の系図
妻 橘敦隆の娘
妻の父 橘敦隆→橘敦隆の系図
子 俊恵(しゅんえ)【1113-?】
歌人。家集は『林葉和歌集』。『百人一首』にも歌が収められている。
源雅信の系図
源雅信(まさのぶ)【920-993】〔養子:源雅通、源信時(→源時中の系図)〕
左大臣。
祖父 宇多天皇→宇多天皇の系図
父 敦実親王→敦実親王の系図
祖父 藤原時平→藤原時平の系図
妻 源公忠の娘
妻の父 源公忠→源国紀・公忠の系図
子 時中→源時中の系図
孫 済政→源済政・資通の系図
孫 経相→源経相~範基の系図
孫 朝任→源朝任の系図
子 済信(せいじん・さいしん)【954-1030】
雅慶に学び、東大寺別当や東寺長者を務めた。僧として初めて牛車を聴す宣旨を受けた。
妻 藤原元方の娘
妻の父 藤原元方→藤原元方の系図
子 扶義→源扶義の系図
孫 成頼→源成頼~佐々木季定の系図
子 通義【?-998】
妻 藤原穆子(ぼくし)【931-1016】
妻の父 藤原朝忠→藤原定方の系図
子 時通
子の妻 源尭時の娘
子の妻の父 源尭時→斉世親王・敦慶親王の系図
孫 雅通〔養父:源雅信〕
曾孫の夫 源兼長→源兼長~俊兼の系図
子 時叙(ときのぶ)/寂源(じゃくげん)【960/965-1024】
大原に勝林寺をひらいた。
子 時方・孫 仲舒→源時方~仲棟の系図
子 倫子→藤原道長の系図
孫 藤原頼通→藤原頼通の系図
孫 藤原教通→藤原教通の系図
妻 藤原為光の娘
妻の父 藤原為光→藤原為光の系図
子の夫 致平親王→村上天皇の系図
子の夫 藤原道綱→藤原道綱の系図
孫 兼経→藤原兼経の系図
子の夫 藤原定時→藤原定時・実方の系図
源扶義の系図
源扶義(すけよし)【951-998】〔養父:敦実親王(→敦実親王の系図)〕
参議。
祖父 敦実親王→敦実親王の系図
父 雅信→源雅信の系図
祖父 藤原元方→藤原元方の系図
妻 源是輔の娘
妻の父 源是輔→源清平の系図
子 経頼(つねより)【976-1039】
参議。日記は『左経記』。
子の妻 藤原行成の娘
子の妻の父 藤原行成→藤原行成の系図
孫の夫 藤原資仲→藤原資仲~資重の系図
孫の夫 源貞亮→源通理・国盛の系図
曾孫の夫 藤原能季→藤原能季の系図
子 成頼・孫 義経→源成頼~佐々木季定の系図
子の夫 藤原兼隆→藤原兼隆の系図
孫 兼房→藤原兼房~宗綱の系図
源時中の系図
源時中【941-1002】
大納言。
祖父 敦実親王→敦実親王の系図
父 雅信→源雅信の系図
祖父 源公忠→源国紀・公忠の系図
妻 藤原安親の娘
妻の父 藤原安親→藤原安親の系図
子 済政・孫 資通→源済政・資通の系図
子 信時〔養父:源雅信(→源雅信の系図)〕
子 経相・孫 経宗→源経相~範基の系図
子 朝任→源朝任の系図
孫 朝実→源朝実の系図
子 定長・永尊・定観→源朝任の系図
父は源朝任とも。
子の夫 藤原経任→藤原懐平の系図
子の夫 藤原資房→藤原資房・公房の系図
源経相~範基の系図
源経相/為能/惟能【?-1039】
祖父 雅信→源雅信の系図
父 時中→源時中の系図
祖父 藤原安親→藤原安親の系図
妻 藤原為盛の娘
妻の父 藤原為盛→藤原為盛の系図
子 経季
子の妻 藤原信通の娘
子の妻の父 藤原信通→藤原信通の系図
孫 済賢
実は頼誉の子。
子の夫 藤原資房→藤原資房・公房の系図
源経宗
妻 高階成順の娘
妻の父 高階成順→高階峯緒~良臣の系図
源兼俊
子の夫 藤原能仲→藤原俊家の系図
源邦家
妻 藤原頼季の娘
妻の父 藤原頼季→藤原為長~頼綱の系図
源範基
子 経時→源経時の系図
源経時の系図
源経時/経仲
祖父 邦家・父 範基→源経相~範基の系図
孫 経氏〔養父:源経逸〕
曾孫 経氏
実は源経尚の子。
経氏孫 経世
実は源経逸の子。
曾孫 経世〔養父:源経氏〕
源朝任の系図
源朝任【989-1034】
参議。
祖父 雅信→源雅信の系図
父 時中→源時中の系図
祖父 藤原安親→藤原安親の系図
妻 源俊賢の娘
妻の父 源俊賢→源俊賢の系図
子 師良
子の妻 藤原頼親の娘
子の妻の父 藤原頼親→藤原道隆の系図
孫 公房【?-1071】
曾孫 兼昌(かねまさ)
歌人。『百人一首』にも歌が収められている。
曾孫の夫 源顕仲→源顕仲の系図
俊輔孫 通定/俊通
妻 貞科の娘
子 有章【?-1064】
父は源時中(→源時中の系図)とも。任国から上洛する際に、美濃国で落馬して亡くなったとされる。
妻 源頼国の娘
妻の父 源頼国→源頼国の系図
子 朝実→源朝実の系図
子 定長・定観・永尊
父は源時中(→源時中の系図)とも。
源朝実の系図
源朝実
父は源有章(→源朝任の系図)とも。
祖父 時中→源時中の系図
父 朝任→源朝任の系図
祖父 源頼国→源頼国の系図
子 実基/朝基
曾孫 清実/実清
清実の子の夫 土御門定通→土御門定通・顕定の系図
清実孫 重光
父は源範実とも。
曾孫 俊光【?-1221】
実は行金の子。
曾孫の夫 土御門定通→土御門定通・顕定の系図
曾孫 重光
父は源清実とも。
子 一海
父は源朝俊とも。
孫 実慶
父は源朝実、源実基とも。
曾孫 定兼
実は高階忠広の子。
源済政・資通の系図
源済政(なりまさ)/頼時【?-1041】
祖父 雅信→源雅信の系図
父 時中→源時中の系図
祖父 藤原安親→藤原安親の系図
妻 源頼光の娘
妻の父 源頼光→源頼光の系図
子の夫 藤原能長→藤原能長の系図
子の夫 藤原信家→藤原信家の系図
子の夫 敦貞親王→三条天皇の系図
子の夫 藤原定頼→藤原公任の系図
子の夫 藤原政兼→藤原朝光・正光の系図
源資通(すけみち)【1005-1060】
参議。歌や管絃にすぐれた。菅原孝標の娘とも交遊があった。
妻 源頼光の娘
妻の父 源頼光→源頼光の系図
子 政長→源政長の系図
孫 有賢→源有賢の系図
子 師賢(もろかた)【1035-1081】
父と同様、歌や管絃にすぐれた。藤津弁と号した。
孫 寛助(かんじょ)【1057-1125】
白河法皇から信頼され、法関白と称された。
妻 源頼平の娘
妻の父 源頼平→源頼平の系図
子の夫 源経成→源重光の系図
源政長の系図
源政長(まさなが)【1038-1097】〔養父:源経長(→源道方の系図)〕
祖父 済政・父 資通→源済政・資通の系図
祖父 源頼光→源頼光の系図
妻 藤原経季の娘
妻の父 藤原経季→藤原経季の系図
子 有賢→源有賢の系図
孫 資賢→源資賢の系図
妻 藤原憲房の娘
妻の父 藤原憲房→藤原憲房・敦輔の系図
子 忠政/成仲
子の妻 藤原親信の娘
子の妻の父 藤原親信→藤原令尹・成尹の系図
孫 行祐・忠覚
父は源行長とも。
曾孫 頼仁/頼円
忠政孫 信光〔養父:源行頼〕→源実国・行実の系図
父は行仁とも。
子の夫 白河天皇→白河天皇の系図
子の夫 輔仁親王→後三条天皇の系図
源有賢の系図
源有賢(ありかた)【1070-1139】
従三位。管絃にすぐれた。
祖父 資通→源済政・資通の系図
父 政長→源政長の系図
祖父 藤原経季→藤原経季の系図
妻 高階為家の娘
妻の父 高階為家→高階為家の系図
子 資賢→源資賢の系図
孫 通家→源通家の系図
孫 時賢→源時賢・有資の系図
妻 平忠盛の娘
妻の父 平忠盛→平正盛・忠盛の系図
子 宗賢〔養父:源資賢(→源資賢の系図)〕
孫 中賢
父は源資賢(→源資賢の系図)、源資長とも。
子 資長
父は源忠政(→源政長の系図)とも。
孫 寛経
父は源宗賢とも。
子の夫 藤原光房→藤原光房の系図
源資賢の系図
源資賢(すけかた)【1113-1188】〔養子:源宗賢(→源有賢の系図)、源雅賢(→源通家の系図)〕
権大納言。後白河院の近臣として活躍した。
祖父 政長→源政長の系図
父 有賢→源有賢の系図
祖父 高階為家→高階為家の系図
妻 賀茂保文の娘
子 通家→源通家の系図
子 資時〔養子:源有資(→源時賢・有資の系図)〕
妻 徳大寺公能の娘
妻の父 徳大寺公能→徳大寺公能の系図
子 時賢・孫 有資→源時賢・有資の系図
子 中賢
父は源宗賢・源資長(→源有賢の系図)とも。
子の夫 八条公清→八条公清~一条公邦の系図
源通家の系図
源通家【1133-1167】
子 雅賢【1148-1192】〔養父:源資賢(→源資賢の系図)〕
参議。雅楽にすぐれた。
子の妻 藤原信経の娘
子の妻の父 藤原信経→藤原経忠の系図
孫 有雅【1176-1221】
権中納言。母は信綱の娘とも。承久の乱で罪に問われ、出家したが殺された。
孫の妻 藤原信家の娘
孫の妻の父 藤原信家→藤原基隆の系図
孫の妻 藤原憲子
藤原範光(→藤原範光の系図)の娘。
曾孫 佐々木野資雅【1200-?】
従三位。
資雅孫 為雅【?-1304】
資雅孫 為守
従三位。
資雅孫 守賢【1314-1380】
従三位。
為雅の子の夫 洞院公敏→洞院公敏・公泰の系図
曾孫の夫 土御門天皇→土御門天皇の系図
曾孫の夫 九条道家→九条道家の系図
子 寛済
父は源雅賢とも。
子の夫 松殿隆忠→松殿隆忠・師家の系図
子の夫 二条定能→二条定能の系図
孫 親能・定季→藤原親能・定季の系図
孫 資家→二条資家の系図
源時賢・有資の系図
源時賢(ときかた)【1176-1255】
従二位。
祖父 有賢→源有賢の系図
父 資賢→源資賢の系図
祖父 徳大寺公能→徳大寺公能の系図
子 資信
従三位。
子の妻 藤原孝道の娘
子の妻の父 藤原孝道→藤原孝定の系図
曾孫の夫 源雅憲→源兼忠の系図
子の夫 三条実親→三条実親・公親の系図
源有資(ありすけ)【1204-1272】〔養父:源資時(→源資賢の系図)〕
権中納言。郢曲にすぐれ、後深草天皇・亀山天皇・伏見天皇の師範となり、鈴虫中納言と称された。
子 庭田経資・孫 茂賢→庭田経資~重賢の系図
子 綾小路信有・孫 有頼→綾小路信有~資能の系図
子の夫 近衛公斉→近衛公明の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。