このページでは、大炊御門家(藤原氏北家・師実流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
大炊御門家(清華家)の略系図
1 経実→大炊御門経実の系図
1-A1 経定→堀河経定の系図
1-A2 頼定→堀河頼定の系図
1-A3 成定→三条成定の系図
2 経宗→大炊御門経宗の系図
3 頼実→大炊御門頼実の系図
3-A 頼平→鷹司頼平の系図
4 師経→大炊御門師経~冬忠の系図
7 信嗣→大炊御門信嗣~冬信の系図
11 宗実→大炊御門宗実~頼国の系図
18 経敦→大炊御門経敦~経音の系図
22 経秀→大炊御門経秀~師前の系図
大炊御門経実の系図
大炊御門経実(つねざね)【1068-1131】
大納言。大炊御門家の祖。
祖父 頼通→藤原頼通の系図
父 師実→藤原師実の系図
祖父 藤原基貞→藤原基貞の系図
妻 藤原惟実の娘
妻の父 藤原惟実→藤原寧親の系図
孫 延源
父は藤原通定とも。
妻 藤原公子
藤原公実(→藤原公実の系図)の娘。
子 経宗→大炊御門経宗の系図
孫 頼実→大炊御門頼実の系図
子 懿子→後白河天皇~六条天皇の系図
孫の夫 藤原季成→藤原実隆・季成の系図
妻 藤原為房の娘
妻の父 藤原為房→藤原為房の系図
子 光忠【1116-1171】〔養子:持明院基宗(→持明院基宗~基世の系図)〕
中納言。
子の妻 源信雅の娘
子の妻の父 源信雅→源信雅・雅仲の系図
孫の夫 六条経家→六条経家の系図
孫の夫 平維盛→平重盛の系図
孫の夫 葉室宗頼→藤原光頼~葉室資頼の系図
妻 藤原通俊の娘
妻の父 藤原通俊→藤原経平の系図
子 堀河経定→堀河経定の系図
孫 頼定→堀河頼定の系図
孫 三条成定→三条成定の系図
妻 藤原憲方の娘
妻の父 藤原憲方→藤原憲方の系図
妻 藤原顕季の娘
妻の父 藤原顕季→藤原顕季の系図
堀河経定の系図
堀河経定【1102-1156】
権中納言。
祖父 師実→藤原師実の系図
父 経実→大炊御門経実の系図
祖父 藤原通俊→藤原経平の系図
妻 西園寺通季の娘
妻の父 西園寺通季→西園寺通季の系図
子 三条成定→三条成定の系図
子 頼定→堀河頼定の系図
子 行真/恵真
行真孫 勝玄〔養父:鷹司伊頼(→鷹司頼平の系図)〕
堀河頼定の系図
堀河頼定/憲定【1127-1181】〔養父:大炊御門経宗(→大炊御門経宗の系図)〕
参議。
妻 祝部成仲の娘
子 資頼(すけより)【1148-?】
従三位。
子の妻 藤原光国の娘
子の妻の父 藤原光国→日野資実の系図
妻 藤原親弘の娘
妻の父 藤原親弘→藤原親賢の系図
子 頼房(よりふさ)【1176-1253】
従三位。
子の妻 六条経家の娘
子の妻の父 六条経家→六条経家の系図
子の妻 藤原信隆の娘
子の妻の父 藤原信隆→藤原信隆の系図
曾孫 経顕/俊貫
曾孫 守瑜〔養父:大炊御門家嗣(→大炊御門師経~冬忠の系図)〕
曾孫 永源・浄深・尊弁
父は藤原頼親とも。
妻 藤原教良の娘
妻の父 藤原教良→難波忠教の系図
子 按察使典侍→高倉天皇・安徳天皇の系図
子 経源〔養父:大炊御門経宗(→大炊御門経宗の系図)〕
三条成定の系図
三条成定(なりさだ)【1153-?】
祖父 経実→大炊御門経実の系図
父 経定→堀河経定の系図
祖父 西園寺通季→西園寺通季の系図
妻 行仁の娘
子 基定【1171-1237】
従三位。
子の妻 源国行の娘
子の妻の父 源国行→源光行の系図
孫の夫 月輪基家→九条良経の系図
曾孫 長顕
曾孫の妻 藤原教雅の娘
曾孫の妻の父 藤原教雅→飛鳥井雅経~雅孝の系図
曾孫の妻 姉小路顕朝の娘
曾孫の妻の父 姉小路顕朝→藤原宗隆の系図
長顕孫 教顕
正三位。
長顕孫 為顕
父は三条教顕とも。
曾孫の夫 藤原頼兼→花山院師継~師資の系図
子 伊成/資定【1194-?】
従三位。
子の妻 棟清の娘
子の妻の父 棟清→棟清の系図
孫 伊基
従三位。
大炊御門経宗の系図
大炊御門経宗(つねむね)【1119-1189】〔養子:堀河頼定・経源(→堀河頼定の系図)〕
左大臣。二条天皇の親政を支えた。
祖父 師実→藤原師実の系図
父 経実→大炊御門経実の系図
祖父 藤原公実→藤原公実の系図
妻 藤原清隆の娘
妻の父 藤原清隆→藤原清隆の系図
子 頼実→大炊御門頼実の系図
孫 師経→大炊御門師経~冬忠の系図
孫 鷹司頼平→鷹司頼平の系図
妻 橘政光の娘
妻の父 橘政光→橘政光の系図
子 師経〔養父:大炊御門頼実〕・孫 家嗣→大炊御門師経~冬忠の系図
妻 源定房の娘
妻の父 源定房→源定房の系図
子 通成→藤原清隆の系図
実は藤原清隆の子。
子 宗実
実は平重盛(→平重盛の系図)の子。
子の夫 三条実房→三条実房の系図
孫 公房→三条公房の系図
孫 姉小路公宣→姉小路公宣~実広の系図
孫 正親町三条公氏→正親町三条公氏・実蔭の系図
子の夫 藤原兼房→藤原兼房の系図
大炊御門頼実の系図
大炊御門頼実(よりざね)【1155-1225】〔養子:藤原公俊(→三条実房の系図)〕
太政大臣。
祖父 経実→大炊御門経実の系図
父 経宗→大炊御門経宗の系図
祖父 藤原清隆→藤原清隆の系図
妻 藤原伊行の娘
妻の父 藤原伊行→藤原定実~伊行の系図
子 家宗【?-1211】
従三位。
妻 平時忠の娘
妻の父 平時忠→平時信の系図
子 鷹司頼平→鷹司頼平の系図
妻 藤原隆子
藤原定隆(→藤原清隆の系図)の娘。
子 麗子→土御門天皇の系図
妻 藤原兼子(けんし)【1155-1229】
藤原範兼(→藤原範兼の系図)の娘。後鳥羽天皇の乳母。後鳥羽院政下で威勢を誇った。
夫 葉室宗頼→藤原光頼~葉室資頼の系図
子 師経・孫 家嗣→大炊御門師経~冬忠の系図
子 実昭/実智
白子禅師と号した。
子の妻 藤原親房の娘
子の妻の父 藤原親房→藤原親房の系図
鷹司頼平の系図
鷹司頼平【1180-1230】
中納言。
祖父 経宗→大炊御門経宗の系図
父 頼実→大炊御門頼実の系図
祖父 平時忠→平時信の系図
妻 泰宗の娘
妻の父 泰宗→泰宗の系図
子 伊平【1200-1262】
権大納言。
子の妻 日野資実の娘
子の妻の父 日野資実→日野資実の系図
孫 伊頼【1222-1283】〔養子:勝玄(→堀河経定の系図)〕
権大納言。
孫の妻 一条頼氏の娘
孫の妻の父 一条頼氏→一条高能の系図
孫の妻の夫 松殿良嗣→松殿忠房の系図
曾孫 宗嗣【?-1326】
権中納言。
宗嗣孫 宗平【1287-1346】
参議。
宗嗣孫 頼継
正三位。
曾孫 伊氏
実は松殿良嗣(→松殿忠房の系図)の子。
曾孫 宗伊・乗伊
実は聖勝(→藤原親能・定季の系図)の子。
曾孫 円伊・静伊
父は鷹司伊頼とも。
妻 藤原仲経の娘
妻の父 藤原仲経→水無瀬親信の系図
子 頼基【?-1270】
従三位。
孫 藤輔/藤基
曾孫 藤嗣
実は藤原範為(→高倉範茂の系図)の子。
孫の夫 徳大寺実基→徳大寺実基~実孝の系図
子の夫 徳大寺実基→徳大寺実基~実孝の系図
子の夫 近衛家基→近衛家基~道嗣の系図
子の夫 北畠雅家→北畠雅家の系図
孫の夫 藤原公持→一条実有~実連の系図
大炊御門師経~冬忠の系図
大炊御門師経(もろつね)【1175-1259】〔養子:藤原光親の娘(→藤原光親の系図)〕
右大臣。実は大炊御門経宗(→大炊御門経宗の系図)の子。
妻 藤原光雅の娘
妻の父 藤原光雅→藤原光雅の系図
大炊御門家嗣(いえつぐ)【1197-1271】〔養子:守瑜(→堀河頼定の系図)〕
内大臣。
妻 持明院宗子
持明院基宗(→持明院基宗~基世の系図)の娘。
夫 滋野井実宣→滋野井実国~実宣の系図
子の夫 一条実経→一条実経~内経の系図
大炊御門冬忠(ふゆただ)【1218-1268】
内大臣。
妻 藤原長宗の娘
妻の父 藤原長宗→藤原宗隆の系図
子 信嗣・孫 良宗→大炊御門信嗣~冬信の系図
妻 二条資季の娘
妻の父 二条資季→二条資家の系図
子 冬輔【1248-?】
権中納言。
孫 定助〔養父:大炊御門信嗣(→大炊御門信嗣~冬信の系図)〕
妻 四条隆綱の娘
妻の父 四条隆綱→藤原隆衡の系図
大炊御門信嗣~冬信の系図
大炊御門信嗣(のぶつぐ)【1236-1311】〔養子:定助(→大炊御門師経~冬忠の系図)、大炊御門冬氏〕
太政大臣。母は中院通成(→中院通成~通冬の系図)の娘とも。
祖父 家嗣・父 冬忠→大炊御門師経~冬忠の系図
祖父 藤原長宗→藤原宗隆の系図
妻 惟宗昌俊の娘
子 冬実/嗣雄【?-1325】
従二位。
子の妻 持明院基光の娘
子の妻の父 持明院基光→持明院保家の系図
孫 冬実の娘(『系図纂要』による。)
子の夫 藤原経世→坊城経俊・俊定の系図
大炊御門良宗【1260-1307】
大納言。
大炊御門冬氏(ふゆうじ)【1282-1324】〔養父:大炊御門信嗣〕
内大臣。
妻 藤原景俊の娘
妻の父 藤原景俊→藤原能季の系図
子 氏忠【1302-?】
権大納言。
子の妻 九条隆教の娘
子の妻の父 九条隆教→九条顕家の系図
妻 吉田経長の娘
妻の父 吉田経長→吉田経長の系図
子 家信【1316-?】
権大納言。
孫 経嗣/信経【1355-?】
権大納言。
孫 家信の娘(『系図纂要』による。)
大炊御門冬信(ふゆのぶ)【1309-1350】
内大臣。
妻 西園寺実衡の娘
妻の父 西園寺実衡→西園寺公衡~公宗の系図
子 宗実・孫 宗氏→大炊御門宗実~頼国の系図
妻 吉田定房の娘
妻の父 吉田定房→吉田経長の系図
子 冬宗【1357-1405】
権大納言。
大炊御門宗実~頼国の系図
大炊御門宗実【1343-1404】
権大納言。
祖父 冬氏・父 冬信→大炊御門信嗣~冬信の系図
祖父 西園寺実衡→西園寺公衡~公宗の系図
大炊御門宗氏(むねうじ)【1375-1421】
内大臣。父は大炊御門冬宗(→大炊御門信嗣~冬信の系図)とも。
大炊御門信宗【1391-1468】
内大臣。太政大臣を贈られた。
子 信子→後花園天皇~後柏原天皇の系図
大炊御門信量(のぶかず)【1442-1487】
右大臣。実は三条実尚(→三条実冬~公敦の系図)の子。
妻 正親町持季の娘
妻の父 正親町持季→正親町公仲~公叙の系図
大炊御門経名(つねな)【1480-1553】
右大臣。
子の夫 花山院家輔(『系図纂要』による。)→花山院兼定~家輔の系図
孫 定煕→花山院定煕・定好の系図
大炊御門経頼(つねより)【1555-1617】
権大納言。実は中山孝親(→中山宣親~孝親の系図)の子。
妻 吉良義安の娘
妻の父 吉良義安→吉良義安~義弥の系図
夫 今川範以→今川氏真~氏尭の系図
子 経敦〔養父:大炊御門頼国〕→大炊御門経敦~経音の系図
子 慈運〔養父:近衛前久〕→近衛尚通~信尹の系図
大炊御門頼国(よりくに)【1577-1613】
正三位。猪熊事件で処罰され、硫黄島に流された。
子 経敦・孫 経光→大炊御門経敦~経音の系図
子 頼兼(以下、『系図纂要』による。)
子 寛海【1602-1629】(『系図纂要』による。)
子 覚恵(かくえ)【1604-?】(『系図纂要』による。)
大炊御門経敦~経音の系図
大炊御門経敦/経孝(つねたか)【1613-1682】〔養子:寛存(→有馬康純の系図)〕
左大臣。実は大炊御門経頼(→大炊御門宗実~頼国の系図)の子。
祖父 経頼・父 頼国→大炊御門宗実~頼国の系図
子 光遍/隆証(『大炊御門家譜』による。)
子 澄栄・超孝・道清(『大炊御門家譜』による。)
子 伊与(『大炊御門家譜』による。)→大久保忠高の系図
子 長子(『大炊御門家譜』による。)→橋本季村~実文の系図
子 経敦の娘(『大炊御門家譜』による。)
子の夫 花山院定誠(『系図纂要』による。)→花山院定誠~家理の系図
子の夫 青山幸正(『大炊御門家譜』による。)→青山幸正~幸宣の系図
子の夫 最上義雅(『系図纂要』による。)→最上義雅の系図
大炊御門経光(つねみつ)【1638-1704】
左大臣。
妻 細川立孝の娘
妻の父 細川立孝→細川立孝~興里の系図
子 万子(『大炊御門家譜』による。)
子 義竜〔養父:内藤義泰(→内藤義泰の系図)〕(以下、『大炊御門家譜』による。)
孫 経音〔養父:大炊御門信名〕
子の夫 鷲尾隆長→鷲尾隆長~隆聚の系図
大炊御門信名【1669-1684】(以下、『系図纂要』による。)
実は近衛基煕(→近衛信尋~家煕の系図)の子。
大炊御門経音【1682-1714】
権大納言。実は義竜の子。
妻 上杉綱憲の娘
実は吉良義央(→吉良義冬~義周・東条義叔~吉良義質の系図)の娘。
夫 酒井忠平→酒井忠重~忠貞・忠正~勝千代の系図
妻 三条実治の娘【?-1716】
妻の父 三条実治→三条実秀~公充の系図
子 経秀・孫 家孝→大炊御門経秀~師前の系図
子 鷲尾隆煕〔養父:鷲尾隆長〕→鷲尾隆長~隆聚の系図
大炊御門経秀~師前の系図
大炊御門経秀【1711-1752】
内大臣。
祖父 信名・父 経音→大炊御門経敦~経音の系図
妻 醍醐冬煕の娘
妻の父 醍醐冬煕→醍醐冬基~忠順の系図
子 京子(『大炊御門家譜』による。)
大炊御門家孝(いえたか)【1747-1799】〔養子:豪遍(→岩倉恒具~具視の系図)〕
右大臣。
妻 三条季晴の娘
妻の父 三条季晴→三条実顕~実美の系図
妻 宗義蕃の娘
妻の父 宗義蕃→宗義誠~義蕃の系図
子 内藤政憲〔養父:内藤政養、今城定成、谷衛滋〕→内藤貞幹~政憲の系図
子 梁・子の夫 宗義功→宗義暢~重正の系図
子 宣子(『大炊御門家譜』による。)→庭田重煕~重胤の系図
子 禅忍・家孝の息子(5人)・子 家孝の娘(2人)(『大炊御門家譜』による。)
子の夫 酒井忠貫→酒井忠与~忠氏の系図
大炊御門経久【1781-1859】
右大臣。
妻 中山忠尹の娘
妻の父 中山忠尹→中山愛親~忠愛の系図
子 経長【1801-1806】
妻 三条依君〔養父:三条季晴(→三条実顕~実美の系図)〕
実は三条実起(→三条実顕~実美の系図)の娘。
子 家信〔養父:大炊御門経尚〕
子 経明〔養父:今城定成(→中山冷泉為親~今城定国の系図)〕(『大炊御門家譜』による。)
子 亮恕・経久の息子(7人)・子 家子・受子・経久の娘(2人)(『大炊御門家譜』による。)
子の夫 石井行光(『大炊御門家譜』による。)→石井行文~行知の系図
大炊御門経尚【1805-1822】
正三位。
大炊御門家信(いえこと)【1818-1885】
右大臣。実は大炊御門経久の子。
子 経宣【1844-1856】
子 幾麿【1875-1919】(『大炊御門家譜』による。)
子 家信の息子(4人)・子 万喜・喜久・久・家信の娘(『大炊御門家譜』による。)
子の夫 宮橋参三郎(『大炊御門家譜』による。)
大炊御門師前【1854-1926】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。