このページでは、後花園天皇から後西天皇までの系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
後花園天皇~後柏原天皇の系図
後花園天皇
第102代 後花園天皇(ごはなぞの)/彦仁王(ひこひと)【1419-1470/在位:1428-1464】
後小松上皇の猶子となって皇位を継いだ。
祖父 栄仁親王・父 貞成親王→崇光天皇~貞成親王の系図
祖父 庭田経有→庭田経資~重賢の系図
典侍 日野郷子〔養父:広橋兼郷(→広橋兼郷~守光の系図)〕
日野秀光(→日野時光・資康の系図)の娘。
後宮 大炊御門信子(のぶこ)/嘉楽門院(からくもんいん)【1411-1488】〔養父:大炊御門信宗(→大炊御門宗実~頼国の系図)、和気郷成(→和気郷成の系図)、和気保成(→和気保成の系図)〕
実は藤原孝長(→藤原孝定の系図)の娘。
子 観心女王(かんしん)【1434-1490】
後土御門天皇
第103代 後土御門天皇(ごつちみかど)/成仁親王(ふさひと)【1442-1500/在位:1464-1500】
応仁の乱で財政が窮乏したなか、朝儀の再興に努めた。
典侍 庭田朝子(あさこ・ちょうし)【1437-1492】
庭田重賢(→庭田経資~重賢の系図)の娘。
子 尊伝法親王(そんでん)/尊敦親王【1472-1504】
典侍 勧修寺房子(ふさこ)
勧修寺教秀(→勧修寺経顕~教秀の系図)の娘。
子 大慈光院宮(だいじこういんのみや)
子 智円女王(ちえん)
子 理琇女王(りしゅう)【1489-1532】
後宮 花山院兼子(かねこ)
花山院持忠(→花山院兼定~家輔の系図)の娘。
子 応善女王(おうぜん)【1476-1497】
子 仁悟法親王(にんご)/仁尊法親王【1482-1515】
子 法蓮院宮(ほうれんいんのみや)【1484-1494】
子 慈勝女王【?-1509】
子 椿性女王【?-1558】
後柏原天皇
第104代 後柏原天皇(ごかしわばら)/勝仁親王(かつひと)【1464-1526/在位:1500-1526】
朝廷の財政が困窮したため、即位式は践祚から22年目にずれ込んだ。
典侍 勧修寺藤子(ふじこ)/豊楽門院(ぶらくもんいん)【1464-1535】
勧修寺教秀(→勧修寺経顕~教秀の系図)の娘。
子 覚鎮女王(かくちん)【1486-1550】
子 後奈良天皇・孫 正親町天皇→後奈良天皇~誠仁親王の系図
子 尊鎮法親王(そんちん)/清彦親王/尊猷(そんゆう)【1504-1550】
天台座主。
典侍 庭田源子(もとこ)
庭田雅行(→庭田雅行~重保の系図)の娘。
子 覚道法親王(かくどう)【1500-1527】
後禅河院御室と号した。
子 覚音女王(かくおん)【1506-?】
子 彦胤法親王(げんいん)/寛恒親王【1509-1540】
掌侍 高倉継子(つぐこ)
高倉永継(→高倉永継~永相の系図)の娘。
子 道喜(どうき)【1503-1530】
後奈良天皇~誠仁親王の系図
後奈良天皇
第105代 後奈良天皇(ごなら)/知仁親王(ともひと)【1496-1557/在位:1526-1557】
引き続き財政が逼迫していたため、即位式が践祚の10年後になった。
祖父 後土御門天皇・父 後柏原天皇→後花園天皇~後柏原天皇の系図
祖父 勧修寺教秀→勧修寺経顕~教秀の系図
典侍 広橋国子(くにこ)【1524-1557】
広橋兼秀(→広橋兼秀・国光の系図)の娘。
子 聖秀女王(しょうしゅう)【1552-1623】
典侍 高倉量子〔養父:高倉永家(→高倉永継~永相の系図)〕
実は橘以緒(→橘以緒の系図)の娘。
子 普光女王(ふこう)【1537-1561】
後宮 万里小路栄子(えいこ)/吉徳門院(きっとくもんいん)【?-1522】
万里小路賢房(→万里小路賢房~惟房の系図)の娘。
子 永寿女王(えいじゅ)
後宮 伊予局【1497-1558】
壬生雅久(→壬生雅久の系図)の娘。
子 覚恕(かくじょ)【1521-1574】
天台座主。在任中には、織田信長に比叡山を焼き討ちにされた。
後宮 広橋具子〔養父:広橋守光(→広橋兼郷~守光の系図)〕
実は水無瀬季兼(→水無瀬具景~兼成の系図)の娘。
後宮 持明院基春の娘
後宮の父 持明院基春→持明院基春~基征の系図
正親町天皇
第106代 正親町天皇(おおぎまち)/方仁親王(みちひと)【1517-1593/在位:1557-1586】
織田信長・豊臣秀吉らの援助により、朝儀の復興に尽力した。
典侍 万里小路房子(ふさこ)【?-1580】
万里小路秀房(→万里小路賢房~惟房の系図)の娘。
典侍 目々典侍
飛鳥井雅綱(→飛鳥井雅綱~雅敦の系図)の娘。
典侍 大典侍
万里小路賢房(→万里小路賢房~惟房の系図)の娘。
誠仁親王
誠仁親王(さねひと)/陽光院【1552-1586】
正親町天皇からの譲位が内定していたが、若くして亡くなった。
妻 勧修寺晴子/新上東門院(しんじょうとうもんいん)【1553-1620】
勧修寺晴秀(→勧修寺晴秀・晴豊の系図)の娘。
子 後陽成天皇→後陽成天皇の系図
孫 後水尾天皇→後水尾天皇~後光明天皇の系図
子 空性法親王(くうしょう)【1573-1650】
子 良恕法親王(りょうじょ)【1574-1643】
子 興意法親王(こうい)【1576-1620】
子 智仁親王→智仁親王の系図
孫 広幡忠幸→広幡忠幸・豊忠の系図
妻 上冷泉為益の娘
妻の父 上冷泉為益→上冷泉為富~為益の系図
子 心月女王(しんげつ)【1580-1590】
後陽成天皇の系図
第107代 後陽成天皇(ごようぜい)/和仁親王(かずひと)/周仁親王(かたひと)【1571-1617/在位:1586-1611】
朝儀の復興に尽くしたほか、学問を好み、慶長勅版の刊行をした。
祖父 正親町天皇・父 誠仁親王→後奈良天皇~誠仁親王の系図
祖父 勧修寺晴秀→勧修寺晴秀・晴豊の系図
女御 近衛前子(さきこ)/中和門院(ちゅうわもんいん)【1575-1630】
近衛前久(→近衛尚通~信尹の系図)の娘。
子 聖興女王(しょうこう)【1590-1594】
子 清子内親王→鷹司信房~教平の系図
子 後水尾天皇・孫 明正天皇・後光明天皇→後水尾天皇~後光明天皇の系図
孫 後西天皇→後西天皇の系図
孫 霊元天皇→霊元天皇の系図
子 皇女【1593-?】
子 文高女王(ぶんこう)【1595-1644】
子 尊英女王(そんえい)【1598-1611】
子 近衛信尋〔養父:近衛信尹〕→近衛信尋~家煕の系図
子 好仁親王→好仁親王の系図
子 一条昭良〔養父:一条内基〕→一条冬良~昭良の系図
子 貞子内親王→二条昭実~綱平の系図
子 尊覚法親王(そんかく)/庶愛親王(もろちか)【1608-1661】
子 尊蓮女王【1619-1632】
典侍 日野輝子(てるこ)【1581-1607】
日野輝資(→日野輝資~光慶の系図)の娘。
子 尊性法親王(そんしょう)/毎敦親王(としあつ)【1602-1651】
東寺長者。
典侍 中山親子(ちかこ)【1576-1608】
中山親綱(→中山親綱~英親の系図)の娘。
子 覚深法親王(かくじん)/良仁親王(かたひと)【1588-1648】
仁和寺の復興に尽くした。
子 承快法親王(しょうかい)【1591-1609】
典侍 庭田具子(ともこ)【?-1626】
庭田重具(→庭田重具~重秀の系図)の娘。
子 良純法親王(りょうじゅん)/直輔親王【1603-1669】
知恩院の初代門跡。甲斐国天目山に配流された。
典侍 葉室宣子(のぶこ)【?-1679】
葉室頼宣(→葉室頼房~頼隆の系図)の娘。
子 尊清女王(そんせい)【1613-1669】
典侍 持明院孝子(たかこ)/基子(もとこ)【?-1644】
持明院基孝(→持明院基春~基征の系図)の娘。
子 尭然法親王(ぎょうねん)/常嘉親王(つねよし)【1602-1661】
天台座主。
掌侍 西洞院時子(ときこ)【?-1661】
西洞院時慶(→西洞院行時~時慶の系図)の娘。
子 永崇女王/永宗女王(えいそう)【1609-1690】
子 高雲院宮【1610-1612】
後宮 古市胤子(たねこ)
古市胤栄の娘。
後宮の夫 義尋→足利義澄~義昭の系図
子 冷雲院宮【1611】
子 道晃法親王(どうこう)【1612-1679】
皇室の護持僧を務めた。
子 空華院宮【1613】
後宮 土佐局(とさのつぼね)【?-1680】
中東時広の娘。
子 道周法親王(どうしゅう)【1613-1634】
子 慈胤法親王(じいん)/幸勝親王【1617-1699】
天台座主。
後水尾天皇~後光明天皇の系図
後水尾天皇
第108代 後水尾天皇(ごみずのお)/政仁親王(ことひと)【1596-1680/在位:1611-1629】
紫衣事件などをきっかけに譲位を強行した。学問・芸術にも力を入れたほか、修学院離宮を造営した。
祖父 誠仁親王→後奈良天皇~誠仁親王の系図
父 後陽成天皇→後陽成天皇の系図
祖父 近衛前久→近衛尚通~信尹の系図
皇后 徳川和子(まさこ・かずこ)/東福門院(とうふくもんいん)【1607-1678】
徳川秀忠(→徳川秀忠の系図)の娘。
子 昭子内親王→近衛信尋~家煕の系図
子 高仁親王(すけひと)【1626-1628】
皇太子となるものの夭折した。
子 若宮【1628】
子 顕子内親王(あきこ)【1629-1675】
子 賀子内親王→二条昭実~綱平の系図
子 菊宮【1633-1634】
典侍 四辻与津子(よつこ)【?-1638】
四辻公遠(→四辻季遠~季満の系図)の娘。はじめ勧修寺晴子に仕えた。
子 文智女王→鷹司信房~教平の系図
掌侍 櫛笥隆子(たかこ)/逢春門院(ほうしゅんもんいん)【1604-1685】
櫛笥隆致(→櫛笥隆憲~隆方の系図)の娘。
子 理昌女王(りしょう)【1631-1656】
子 光子内親王(みつこ・てるこ)【1634-1727】
父の崩御により尼になり、林丘寺を開基した。
子 後西天皇→後西天皇の系図
子 性真法親王(しょうしん)/真敦親王【1639-1696】
子 摩佐宮【1640】
子 理忠女王(りちゅう)【1641-1689】
子 穏仁親王→穏仁親王の系図
子 道寛法親王(どうかん)/嘉遐親王(よしとお)【1647-1676】
園城寺長吏。
後宮 園光子(みつこ)/継子/壬生院(みぶいん)【1602-1656】
園基任(→園基富~基音の系図)の娘。
子 守澄法親王(しゅちょう)/幸教親王(たかのり)【1634-1680】
天台座主。初代輪王寺門跡。
子 元昌女王(げんしょう)【1637-1662】
子 宗澄女王(そうちょう)【1639-1678】
霊鑑寺を開基した。
子 蕙宮【1641-1644】
後宮 園国子(くにこ)/新広義門院(しんこうぎもんいん)【1624-1677】
園基音(→園基富~基音の系図)の娘。
子 尭恕法親王(ぎょうじょ)/完敏親王(さだとし)【1640-1695】
天台座主。
子 常子内親王→近衛信尋~家煕の系図
子 真敬法親王(しんけい)【1649-1706】
興福寺別当。
子 尊証法親王(そんしょう)/周賢親王【1651-1694】
天台座主。
子 霊元天皇→霊元天皇の系図
孫 東山天皇→東山天皇の系図
子 永亨女王(えいこう)【1657-1686】
後宮 四辻継子(つぐこ)
四辻季継(→四辻季継~季輔の系図)の娘。
子 尊光法親王(そんこう)/良賢親王(よしかた)【1645-1680】
子 盛胤法親王(せいいん)/常尹親王(つねただ)【1651-1680】
天台座主。
子 文察女王(ぶんさつ)【1654-1683】
後宮 水無瀬氏子(うじこ)
水無瀬氏成(→水無瀬氏成~氏信の系図)の娘。
子 新宮【1635-1637】
子 性承法親王(しょうじょう)/周敦親王(なりあつ)【1637-1678】
明正天皇
第109代 明正天皇(めいしょう)/興子内親王(おきこ)【1623-1696/在位:1629-1643】
奈良時代の称徳天皇以来の女帝。手芸を好んだ。追号は奈良時代の女帝である元明天皇・元正天皇から。
後光明天皇
第110代 後光明天皇(ごこうみょう)/紹仁親王(つぐひと)【1633-1654/在位:1643-1654】
儒学を尊重し、学問に励んだが、若くして痘瘡で亡くなった。
典侍 庭田秀子(ひでこ)
庭田重秀(→庭田重具~重秀の系図)の娘。
子 孝子内親王(たかこ)/礼成門院(れいせいもんいん)【1650-1725】
後西天皇の系図
第111代 後西天皇(ごさい)/良仁親王(ながひと)【1637-1685/在位:1654-1663】
識仁親王(霊元天皇)が成長するまでの中継ぎとして即位した。記録類の謄写に尽力し、東山御文庫の基を作った。
祖父 後陽成天皇→後陽成天皇の系図
父 後水尾天皇→後水尾天皇~後光明天皇の系図
祖父 櫛笥隆致→櫛笥隆憲~隆方の系図
女御 明子女王(あきこ)【1638-1680】
好仁親王(→好仁親王の系図)の娘。
子 誠子内親王(ともこ)【1654-1686】
子 長仁親王→長仁親王の系図
典侍 清閑寺共子(ともこ)【?-1695】
清閑寺共綱(→清閑寺資房~共綱の系図)の娘。
子 幸仁親王→幸仁親王の系図
子 正源院宮(しょうげんいんのみや)【1657-1658】
子 宗栄女王(そうえい)【1658-1721】
子 高栄女王(こうえい)/尊秀女王【1661-1722】
子 義延法親王(ぎえん)/幸嘉親王【1662-1706】
園城寺長吏。
子 円光院宮【1663】
子 天真法親王(てんしん)/守全法親王/幸智親王【1664-1690】
子 賀陽宮【1666-1675】
子 益子内親王→九条幸家~輔実の系図
孫 九条師孝→九条師孝~道孝の系図
子 理豊女王(りほう)【1672-1745】
典侍 権典侍局
岩倉具起(→岩倉具尭~乗具の系図)の娘。
子 永悟法親王(えいご)/貴平親王(たかひら)【1659-1676】
園城寺長吏。
掌侍 右京局
富小路頼直(→富小路俊通~貞維の系図)の娘。
子 常宮【1661-1665】
後宮 梅小路定子(さだこ)【?-1680】〔養父:梅小路定矩(→梅小路定矩~定輯の系図)〕
尭庸(→尭庸の系図)の娘。父は智秀とも。
子 香久宮【1667-1668】
子 聖安女王(しょうあん)【1668-1712】
子 公弁法親王(こうべん)/秀憲親王【1669-1716】
天台座主。輪王寺門跡。
子 道祐法親王(どうゆう)/宗範親王【1670-1690】
園城寺長吏。
子 尚仁親王→尚仁親王の系図
子 満宮【1672-1677】
子 瑞光女王(ずいこう)【1674-1706】
子 尊杲女王(そんこう)/尊慶女王【1675-1719】
子 尊勝女王(そんしょう)【1676-1703】
子 良応法親王(りょうおう)/勝明親王(かつあき)【1678-1708】
天台座主。
子 凉月院【1680】
後宮 按察使局(あぜちのつぼね)
高辻豊長(→高辻遂長~長量の系図)の娘。
子 道尊法親王(どうそん)/昌隆親王(まさたか)【1675-1705】
園城寺長吏。
後宮 松木条子(ながこ)
松木宗条(→松木宗満~宗条の系図)の娘。
子 槿栄院【1677】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。