このページでは、小笠原氏(清和源氏・義光流)・忠脩流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
小笠原氏・忠脩流(播磨国安志藩主)の略系図
1 忠脩→小笠原忠脩・長次の系図
2-A 長章→小笠原長章~長世の系図
3 長勝→小笠原長勝~長逵の系図
7 長為→小笠原長為~貞孚の系図
小笠原忠脩・長次の系図
小笠原忠脩(ただなか)【1594-1615】
大坂夏の陣で負傷して自刃した。
祖父 貞慶・父 秀政→小笠原貞慶・秀政の系図
祖父 徳川家康→徳川家康の系図
妻 徳川家康の娘
実は本多忠政(→本多忠政の系図)の娘。
妻の父 徳川家康→徳川家康の系図
夫 小笠原忠真→小笠原忠真の系図
子 繁→蜂須賀至鎮・忠英の系図
小笠原長次(ながつぐ)【1615-1666】
播磨国竜野藩主・豊前国中津藩主。
妻 松平鶴
松平康重(→松平康重の系図)の娘。
子 長章・孫 長宥→小笠原長章~長世の系図
子 熊松→森忠継の系図
子 金→蜂須賀光隆~綱矩の系図
妻 喜多【?-1661】
子 長勝・孫 長円→小笠原長勝~長逵の系図
子 亀【?-1649】
母は『華族系譜』による。
妻 三【?-1701】
子 千代→岩城景隆の系図
子 宮松(『寛政重修諸家譜』による。)
小笠原長章~長世の系図
小笠原長章(ながあきら)【1637-1675】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠脩・父 長次→小笠原忠脩・長次の系図
祖父 松平康重→松平康重の系図
妻 水野忠職の娘
妻の父 水野忠職→水野忠清・忠職の系図
子 長胤〔養父:小笠原長勝〕→小笠原長勝~長逵の系図
子 長富(ながとみ)【1672-1718】
子 長救(ながすけ)【1674-1705】
子 長円〔養父:小笠原長勝〕→小笠原長勝~長逵の系図
子 梅→酒井忠挙~親本の系図
子 源→青木利長~増山正任・正元~正富の系図
孫 増山正武→増山正武・正贇の系図
小笠原長宥(ながます)/長智(ながとも)/長升(ながます)【1669-1729】
小笠原長丘(ながおか)【1694-1738】
妻 姉小路公量の娘
妻の父 姉小路公量→姉小路公景~実武の系図
子 長庸〔養父:小笠原長煕〕→小笠原長煕~長恭の系図
子の夫 小笠原政久→小笠原政久の系図
小笠原長賢(ながかた)【1721-1752】
妻 本多康明の娘
実は本多利紀(→本多利政~利貞の系図)の娘。
妻の父 本多康明→本多利長~助有の系図
子の夫 高木守節→高木守節の系図
小笠原長喜(ながよし)【1743-1771】
妻 森川俊令の娘
妻の父 森川俊令→森川俊常~俊方の系図
小笠原長世(ながつぐ)/長貴(ながたか)/長如(ながゆき)【1765-?】
実は小笠原政久(→小笠原政久の系図)の子。
妻 山名義徳の娘
妻の父 山名義徳→山名義徳の系図
夫 小堀政共→小堀政共の系図
妻 小笠原長為の娘
妻の父 小笠原長為→小笠原長為~貞孚の系図
小笠原長勝~長逵の系図
小笠原長勝(ながかつ)【1646-1682】
中津藩主。母は『華族系譜』による。
祖父 忠脩・父 長次→小笠原忠脩・長次の系図
子 長胤(ながたね)【1668-1709】
中津藩主。実は小笠原長章(→小笠原長章~長世の系図)の子。苛政により領地を没収された。
子の妻 小笠原満/鶴【1676-1699】
孫 長胤の娘【?-1699】(『華族系譜』による。)
子 長美(ながよし)/長信/長博【1672-1717】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 勝之助【?-1678】
子 大七郎【?-1677】
子 若【?-1670】
子 千早【?-1672】
子 賀留・伊予→黒田長政~光之・高政~長寛の系図
子 隆【?-1680】
小笠原長円(ながのぶ)【1676-1713】
中津藩主。実は小笠原長章(→小笠原長章~長世の系図)の子。長胤が所領を没収された際、祖先の功績により4万石を与えられた。
妻 稲葉正往の娘
妻の父 稲葉正往→稲葉正往の系図
子 長邕(ながさと)【1711-1716】
中津藩主。嗣子がなく改易された。
子 豊〔養父:小笠原長興〕
小笠原長興(ながおき)【1712-1786】
播磨国安志藩主。兄長邕が所領を没収された際、祖先の功績により安志に所領を与えられた。
小笠原長逵(ながみち)【1713-1770】
安志藩主。実は小笠原忠基(→小笠原忠雄~忠総の系図)の子。
妻 小笠原豊/峯【1713-1765】
実は小笠原長円の娘。
子 幸松【1741-1742】
子 長為・孫 長禎→小笠原長為~貞孚の系図
子 菅【1739-1760】
妻 小林氏
子 忠苗〔養父:小笠原忠総〕→小笠原忠苗~忠忱の系図
子 大岡忠与〔養父:大岡忠恒〕→大岡忠恒~忠敬の系図
子 篤→水野勝前~勝寛の系図
子 政宜〔養父:小笠原政孝〕→小笠原政宜の系図
小笠原長為~貞孚の系図
小笠原長為(ながため)【1745-1782】
安志藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 長興・父 長逵→小笠原長勝~長逵の系図
妻 小笠原貞顕の娘
妻の父 小笠原貞顕→小笠原真方~貞顕の系図
妻 田中氏
子 忠固〔養父:小笠原忠苗〕→小笠原忠苗~忠忱の系図
子の夫 小笠原長世→小笠原長章~長世の系図
小笠原長禎(ながよし)【1781-1825】
安志藩主。
妻 植村家長の娘
妻の父 植村家長→植村家道~家壺の系図
子 万亀/富義
当初は溝口直正に嫁ぐ予定であった。
小笠原長武(ながたけ)【1809-1839】(以下、『華族系譜』による。)
安志藩主。
妻 戸田鉚
戸田光行(→戸田光悌~光則の系図)の娘。
子 貞大【1828-?】
小笠原貞幹/忠幹→小笠原忠苗~忠忱の系図
安志藩主。後に宗家を継いだ。
小笠原貞孚(さだちか・さだざね)【1850-1905】
安志藩主。
妻 戸田諒子
戸田光則(→戸田光悌~光則の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。