このページでは、久松松平家(菅原氏)・定綱流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
久松松平家・定綱流(伊勢国桑名藩主)の略系図
1 定綱→松平定綱・定良の系図
3 定重→松平定重の系図
4 定逵→松平定逵~定邦の系図
9 定信→松平定信の系図
10 定永→松平定永~定教の系図
松平定綱・定良の系図
松平定綱(さだつな)/定信(さだのぶ)【1592-1651】
下総国山川藩主・常陸国下妻藩主・遠江国掛川藩主・山城国淀藩主・美濃国大垣藩主・伊勢国桑名藩主。藩政の方針を『牧民後判』としてまとめた。
祖父 俊勝→久松俊勝・定員の系図
父 定勝→松平定勝の系図
祖父 奥平貞友→奥平貞俊~貞勝の系図
妻 浅野長政の娘
妻の父 浅野長政→浅野光時~幸長の系図
子 定次(さだつぐ)【1611-1629】
子 定綱の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 酒井忠清→酒井忠世~忠清の系図
孫 忠挙→酒井忠挙~親本の系図
子の夫 松平定経→松平定房・定時の系図
子の夫 酒井忠正→酒井忠重~忠貞・忠正~勝千代の系図
子の夫 松平定寛(『寛政重修諸家譜』による。)→松平定寛~定堅の系図
松平定良(さだよし)【1632-1657】
桑名藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
子 定重→松平定重の系図
孫 定逵→松平定逵~定邦の系図
松平定重の系図
松平定重(さだしげ)【1644-1717】
桑名藩主・越後国高田藩主。実は松平定頼(→松平定行・定頼の系図)の子。50年以上にわたって藩主を務めた。
祖父 定綱・父 定良→松平定綱・定良の系図
妻 前田松
前田利常(→前田利常~綱紀の系図)の娘。
妻 片岡氏
子 定富(さだとみ)【?-1685】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 駒井氏
子 定逵・孫 定輝→松平定逵~定邦の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 笹尾氏
子 定儀〔養父:松平定輝〕→松平定逵~定邦の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 井上氏
子 水野忠定〔養父:水野忠位〕→水野忠増~忠定の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 万吉【?-1671】
子 定弘(さだひろ)【?-1692】
子 柳生俊平〔養父:柳生俊方〕→柳生俊方~俊郎の系図
子 定利(さだとし)【?-1706】〔養父:松平定玄〕
子 定重の娘
松平忠雅に嫁ぐ予定であった。
子の夫 島津吉貴→島津吉貴の系図
子の夫 五島盛暢→五島盛利~盛暢の系図
子の夫 本多助芳→本多利長~助有の系図
子の夫 本庄宗弥→本庄宗弥の系図
子の夫 京極高栄→京極高栄~高厚の系図
松平定逵~定邦の系図
松平定逵(さだみち)【1677-1718】
高田藩主。
祖父 定良→松平定綱・定良の系図
父 定重→松平定重の系図
妻 大久保忠朝の娘
実は大久保忠増(→大久保忠増の系図)の娘。
妻の父 大久保忠朝→大久保忠朝の系図
妻 烏丸光雄の娘
妻の父 烏丸光雄→烏丸資慶~宣定の系図
子 定逵の娘〔養父:松平定儀〕
子の夫 堀田正亮→堀田正亮の系図
松平定輝(さだてる)【1704-1725】
高田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。質地騒動を鎮圧した。
妻 浅野吉長の娘
妻の父 浅野吉長→浅野綱長・吉長の系図
夫 阿部正直→阿部正武~正允・正明~正章の系図
松平定儀(さだのり)【1680-1727】
高田藩主。実は松平定重(→松平定重の系図)の子。
子 定泰(さだやす)【1710-1719】
子 定儀の娘〔養父:松平定逵〕
子の夫 酒井忠用→酒井忠隆~忠用の系図
松平定賢(さだよし)/頼儀(よりのり)/頼軌(よりのり)【1709-1770】
高田藩主・陸奥国白河藩主。実は松平頼貞(→松平頼元・頼貞の系図)の子。
妻 松平定儀の娘
実は松平定逵の娘。
夫 山内豊常→山内豊常の系図
妻 烏丸光栄の娘
妻の父 烏丸光栄→烏丸光栄~光徳の系図
妻 岡田氏
子の夫 真田幸弘→真田幸弘の系図
松平定邦(さだくに)/定多【1728-1790】
白河藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 黒田菊
黒田継高(→黒田綱政~継高の系図)の娘。
子・子の夫 定信→松平定信の系図
孫 定永→松平定永~定教の系図
松平定信の系図
松平定信(さだのぶ)【1758-1829】
老中・白河藩主。実は田安宗武(→田安宗武の系図)の子。老中として寛政の改革を行った。
祖父 定賢・父 定邦→松平定逵~定邦の系図
妻 松平定邦の娘
妻の父 松平定邦→松平定逵~定邦の系図
妻 加藤泰武の娘
妻の父 加藤泰武→加藤泰武の系図
子 定永・孫 定和→松平定永~定教の系図
子 定信の娘
松平定則に嫁ぐ予定であった。
子の夫 加藤泰済→加藤泰済の系図
子の夫 諏訪忠恕→諏訪忠恕の系図
妻 中井氏
子 真田幸貫〔養父:真田幸専〕→真田幸貫の系図
子 秦子→松浦清~詮の系図
子 婉子→内藤信興~信美の系図・牧野忠鎮の系図
子の夫 前田利幹→前田利幹~利同の系図
子の夫 井伊直清→井伊直中~直憲の系図
子の夫 松平輝健→松平輝和~輝声の系図
子 真田幸良→真田幸良の系図
子の夫 松平信志→松平信志~信正の系図
子の夫 朽木綱条→朽木倫綱~為綱の系図
松平定永~定教の系図
松平定永(さだなが)【1791-1838】(以下、『松平家譜(伊勢桑名)』による。)
白河藩主・桑名藩主。
祖父 定邦→松平定逵~定邦の系図
父 定信→松平定信の系図
祖父 加藤泰武→加藤泰武の系図
妻 蜂須賀綱
蜂須賀治昭(→蜂須賀治昭~茂韶の系図)の娘。
妻 随真院
子 板倉勝静〔養父:板倉勝職〕→板倉勝政~勝弼の系図
子 土岐頼之〔養父:土岐頼寧〕→土岐定経~頼之の系図
子 松平近説〔養父:松平近信〕→松平近形~近説の系図
子の夫 石川総禄→石川総師~成之の系図
子の夫 九鬼隆都→九鬼隆貞~隆備の系図
松平定和(さだかず)【1812-1841】
桑名藩主。
妻 島津寿/孝
島津重豪(→島津重豪の系図)の娘。
子 豊→黒田治之~長知の系図
松平猷(みち)/定猷(さだみち)【1834-1859】
桑名藩主。
妻 真田幸良の娘
妻の父 真田幸良→真田幸良の系図
妻 渡部氏
子 定教〔養父:松平定敬〕
松平定敬(さだあき)【1846-1908】(以下、『華族系譜』による。)
桑名藩主。実は松平義建(→松平義建~義生の系図)の子。京都所司代となり、京都守護職の松平容保とともに京都の治安維持にあたった。戊辰戦争では、転戦の末、箱館で降伏した。
松平定教(さだのり)【1857-1899】
実は松平猷の子。定敬の降伏で家名再興が許され、知藩事となった。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。