このページでは、永井氏(桓武平氏・良兼流)・尚庸流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
永井氏・尚庸流(美濃国加納藩主)の略系図
1 尚庸→永井尚庸・尚附~尚賢の系図
2 直敬→永井直敬・尚平・尚方~尚友の系図
4 直陳→永井直陳~尚服の系図
永井尚庸・尚附~尚賢の系図
永井尚庸(なおつね)【1631-1677】
河内国に2万石を領した。『本朝通鑑』編修の奉行を務めた。
祖父 直勝→長田重元・永井直勝の系図
父 尚政→永井尚政の系図
祖父 内藤清成→内藤清成~重頼の系図
妻 稲葉正吉の娘
妻の父 稲葉正吉→稲葉正成・正勝・正吉・正休の系図
妻 太田資宗の娘
妻の父 太田資宗→太田康資~資宗の系図
子 直敬・孫 尚平・孫 尚方→永井直敬・尚平・尚方~尚友の系図
子 尚庸の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 万次郎・伊織・子 尚庸の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子 松平定盈〔養父:松平定知〕→松平定政~定節の系図
永井尚附(なおます)/尚昌(なおまさ)【1662-1721】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 阿野実藤の娘
妻の父 阿野実藤→阿野公業~実惟の系図
子 高力清弥〔養父:高力忠弘〕→高力清弥の系図
子 伊沢辰之助〔養父:伊沢正久〕→伊沢辰之助の系図
子 甫就〔養父:荒尾仙就〕
子 直矩〔養父:永井直宇〕→永井直元・直又~直陟の系図
子の夫 永井直丘→永井直丘の系図
孫 直該→永井直該~直之の系図
永井尚尹(なおただ)/尚樹(なおむら)【1698-1773】
妻 米津田賢の娘
妻の父 米津田賢→米津田賢の系図
子 直羽〔養父:永井直矩〕→永井直元・直又~直陟の系図
子 石野唯従〔養父:石野唯義〕→石野唯従の系図
子 尚庸〔養父:永井元般〕→永井元孝~尚昉の系図
子の夫 小栗信久→小栗信久の系図
子の夫 別所貢豊→別所貢豊の系図
永井尚喜(なおよし)【1728-?】
妻 野村勝林の娘
妻の父 野村勝林→野村勝林の系図
永井尚賢(なおかた)【1770-?】
実は永井尚恕(→永井尚恕の系図)の子。
妻 中島正勝の娘
実は中島正方(→中島正方の系図)の娘。
妻の父 中島正勝→中島正勝の系図
妻 石丸定栄の娘
妻の父 石丸定栄→石丸定栄の系図
永井直敬・尚平・尚方~尚友の系図
永井直敬(なおひろ)/尚富(なおとみ)【1664-1711】
下野国烏山藩主・播磨国赤穂藩主・信濃国飯山藩主・武蔵国岩槻藩主。
祖父 尚政→永井尚政の系図
父 尚庸→永井尚庸・尚附~尚賢の系図
祖父 太田資宗→太田康資~資宗の系図
妻 松平典信の娘
妻の父 松平典信→松平康信~信利の系図
妻 永井直右の娘
妻の父 永井直右→永井直右~尚監の系図
子 直陳〔養父:永井尚平〕→永井直陳~尚服の系図
子 小四郎(『寛政重修諸家譜』による。)
子 内藤頼由〔養父:内藤頼卿〕→内藤清枚~頼直の系図
子の夫 諏訪忠尋→諏訪忠尋の系図
子の夫 新庄直祐→新庄直祐の系図
子 尚品〔養父:永井尚右〕→永井直右~尚監の系図
永井尚平(なおひら)【1697-1714】
岩槻藩主。
子 直陳・孫 尚備→永井直陳~尚服の系図
子の夫 土方豊義→土方豊義の系図
永井尚方(なおかた)【1701-1771】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 久留島通貞の娘
妻の父 久留島通貞→久留島通春・通貞~通在の系図
妻 織田信栄の娘
実は織田信清(→織田信清の系図)の娘。
妻の父 織田信栄→織田信栄の系図
子 尚備〔養父:永井直陳〕→永井直陳~尚服の系図
子 忠胤〔養父:内藤忠貴〕
子の夫 大久保忠救→大久保忠救の系図
子の夫 小栗久明→小栗久明の系図
子の夫 桜井応勝→桜井応勝の系図
子の夫 太田美資→太田美資の系図
永井尚恕(なおより)【1731-1793】
妻 堀親敷の娘
妻の父 堀親敷→堀親敷の系図
子 尚賢〔養父:永井尚喜〕→永井尚賢の系図
子 揖斐政峯〔養父:揖斐政久〕→揖斐政峯の系図
子の夫 一色直美→一色直与~敬直・直政~直美の系図
子の夫 辻盛珍→辻盛珍の系図
子の夫 大岡直久→大岡政貞~直昌・寛直~直久の系図
永井尚友(なおとも)【1766-?】
永井直陳~尚服の系図
永井直陳(なおのぶ)/尚英(なおひで)/直信(なおのぶ)【1698-1762】
岩槻藩主・美濃国加納藩主。実は永井直敬(→永井直敬・尚平・尚方~尚友の系図)の子。
祖父 直敬・父 尚平→永井直敬・尚平・尚方~尚友の系図
妻 松平信庸の娘
妻の父 松平信庸→松平信庸・信岑・庸倫・庸孝の系図
子 尚俶(なおよし)【1726-1756】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 松浦誠信の娘
子の妻の父 松浦誠信→松浦誠信・政の系図
孫 尚俶の娘〔養父:永井直陳〕
孫の夫 榊原長良→榊原長良の系図
子 尚志(なおゆき)【1732-1761】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 松平乗佑の娘
子の妻の父 松平乗佑→松平乗佑の系図
孫 尚志の娘〔養父:松平乗完〕→松平乗完~乗秩の系図
子 直陳の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 小笠原信胤→小笠原信辰~長守の系図
子の夫 松平近輝→松平近明~直巳の系図
子の夫 大久保忠烈→大久保忠烈の系図
子の夫 松平親盈→松平親盈の系図
妻 加藤嘉矩の娘
妻の父 加藤嘉矩→加藤嘉矩の系図
夫 堀親蔵→堀親蔵の系図
永井尚備(なおみち)【1743-1769】
加納藩主。実は永井尚方(→永井直敬・尚平・尚方~尚友の系図)の子。
妻 永井直陳の娘
実は永井尚俶の娘。
子 直憙〔養父:太田資厚〕
孫 尚佐〔養父:永井直旧〕
永井直旧(なおひさ)【1768-1790】
加納藩主。
妻 松平正升の娘
妻の父 松平正升→松平正升~正質の系図
永井尚佐(なおすけ)/直弼(なおただ)【1782-1839】
加納藩主。実は永井直憙の子。
妻 戸田忠寛の娘
妻の父 戸田忠寛→戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図
子 佐時〔養父:牧野贇成〕
子 〓造(『永井家譜(美濃加納)』による。)
〓は「敦」+「金」。
子 直幹〔養父:永井直養〕→永井直温~直哉の系図
子 直穀〔養父:永井直道〕
子 尚佐の娘
永井尚応に嫁ぐ予定であった。
子の夫 酒井忠毗→酒井忠言~忠経の系図
永井尚典(なおのり)【1810-1885】(以下、『永井家譜(美濃加納)』による。)
加納藩主。
妻 奥平昌高の娘
妻の父 奥平昌高→奥平昌高~昌邁の系図
子の夫 板倉勝全→板倉勝喜~勝弘の系図
永井尚服(なおこと)【1833-1885】
加納藩主。実は板倉勝俊(→板倉勝矩~勝達の系図)の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。