水野氏(清和源氏・満政流)・忠増流の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、水野氏(清和源氏・満政流)・忠増流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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水野氏・忠増流(上総国鶴牧藩主)の略系図

水野氏・忠増流の略系図

1 忠増水野忠増~忠定の系図
4 忠見水野忠見~忠順の系図

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水野忠増~忠定の系図

水野忠増~忠定の系図

  水野忠増(ただます)【1625-1694】

祖父 忠重水野忠重の系図
 忠清水野忠清・忠職の系図

 土屋利直の娘
妻の父 土屋利直→土屋利直の系図

子の夫 柴田勝富→柴田勝富の系図


  水野忠位(ただたか)/忠明(ただあきら)/忠房(ただふさ)【1655-1713】
 大坂定番となった後に加増され、1万2000石を領した。
 池田政武の娘
 実は池田政直(→池田輝澄の系図)の娘。
妻の父 池田政武池田政武の系図

 権吉【1690-?】
 長之助【1700-?】
 忠房(ただふさ)/忠休(ただよし)【1703-1712】


  水野忠定(たださだ)【1691-1748】
 安房国北条藩主。実は松平定重(→松平定重の系図)の子。

 忠寛(ただひろ)【1722-1743】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 水野忠定の娘
 実は松平定章(→松平定長~定功・定章の系図)の娘。
子の妻の夫 酒井忠雄酒井忠正~忠求の系図
 忠廉〔養父:水野忠見〕→水野忠見~忠順の系図

 忠見 忠韶水野忠見~忠順の系図
 忠定の息子(『水野家譜(上総鶴牧)』による。)
 忠定の娘
 花房正偏に嫁ぐ予定であった。
子の夫 松平勝房松平勝以~勝慈の系図
子の夫 内田正親→内田正親の系図
子の夫 酒井忠香酒井忠香の系図
 忠言酒井忠言~忠経の系図

子の夫 水野忠〓(「老」+「高」)→水野忠慎~忠晋の系図
子の夫 内藤正興内藤正貞~正博の系図

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水野忠見~忠順の系図

水野忠見~忠順の系図

  水野忠見(ただちか)【1730-1775】
 北条藩主。

祖父 忠位 忠定水野忠増~忠定の系図

 板倉勝清の娘
妻の父 板倉勝清板倉重形~勝清の系図

 忠廉(ただかど)【1743-1759】
 実は水野忠寛(→水野忠増~忠定の系図)の子。
 忠慎(ただまさ)/正僖(まさよし)〔養父:杉浦正勝(→杉浦正勝の系図)〕(以下、『水野家譜(上総鶴牧)』による。)
子の妻 黒田直亨の娘
子の妻の父 黒田直亨→黒田直亨の系図
子の妻の夫 堀直皓堀直皓~直明の系図

 政寛〔養父:大河内政養〕
 忠慎の娘(2人)〔養父:水野忠韶〕

 忠晋〔養父:水野忠敞〕→水野忠慎~忠晋の系図
 溝口直静〔養父:溝口直清〕→溝口直静の系図
子の夫 加藤明陳→加藤明陳の系図
子の夫 内田正純→内田正純の系図
子の夫 小浜寿隆→小浜寿隆の系図


  水野忠韶(ただてる)【1761-1828】
 北条藩主・上総国鶴牧藩主。
 大岡忠喜の娘
妻の父 大岡忠喜大岡忠光~忠要の系図

 溝口直養の娘
妻の父 溝口直養→溝口直養の系図

 鉄之助【1790-?】
 行之進【1794-?】
 忠篤(ただかた)/煕続(ひろつぐ)【1787-1816】
 実は毛利治親(→毛利治親~元徳の系図)の子。
子の妻 間部詮煕の娘
子の妻の父 間部詮煕→間部詮煕の系図

 忠韶の娘
 実は水野忠慎の娘。水野忠篤に嫁ぐ予定であった。
 忠韶の娘
 実は水野忠慎の娘。水野忠曹に嫁いだ。
 忠韶の娘(『寛政重修諸家譜』による。)


  水野忠実(ただみつ・ただしつ)【1792-1842】(以下、『水野家譜(上総鶴牧)』による。)
 鶴牧藩主。実は酒井忠徳(→酒井忠徳の系図)の子。
 島津並/立
 実は島津忠厚(→島津忠厚の系図)の娘。
妻の父 島津重豪→島津重豪の系図

 牧野忠精の娘
妻の父 牧野忠精→牧野忠精の系図
 西尾忠宝西尾忠移~忠篤の系図

 乙次郎【1822-?】
子の夫 本多忠興本多忠栄~忠鵬の系図


  水野忠順(ただより)/忠宝【1824-1884】
 鶴牧藩主。
 前田建【1830-?】
 前田利之(→前田利之~利鬯の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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