このページでは、竹屋家(藤原氏北家・真夏流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
竹屋兼俊~光昭の系図
竹屋兼俊(かねとし)【?-1447】
竹屋家の祖。
祖父 兼綱・父 仲光→広橋兼綱~兼宣の系図
子 資光〔養父:広橋兼宣〕→広橋兼綱~兼宣の系図
子 兼円〔養父:広橋兼郷〕→広橋兼郷~守光の系図
竹屋冬俊/冬光【?-1464】
従三位。
竹屋治光
子 円瑜【?-1547】
竹屋光継【1477-1540】
正三位。
子 兼範〔養父:広橋守光〕→広橋兼郷~守光の系図
子の夫 町資将→町資藤の系図
竹屋光長【1596-1659】(以下、『系図纂要』による。)
権中納言。実は広橋総光(→広橋兼勝・総光の系図)の子。竹屋家を再興した。
妻 前田利常の娘
実は前田利政(→前田利政・知好・利貞の系図)の娘。
妻の父 前田利常→前田利常の系図
子 光久〔養父:竹屋光通〕
子 光長の息子【?-1659】
『竹屋家譜』によれば、安芸国に住んで武家となり、前田佐左衛門と号した。
子 光長の娘(本多左衛門の妻)【?-1672】
竹屋光通【1619-1631】
竹屋光久【1625-1686】
参議。実は竹屋光長の子。
竹屋光忠【1662-1725】
権中納言。実は広橋兼賢(→広橋兼賢~貞光の系図)の子。
竹屋光兼【1682-1747】
正三位。
子 外山光時〔養父:外山光任〕→外山光顕~光輔の系図
竹屋光予【1736-1779】
正三位。
妻 松平忠愛の娘
妻の父 松平忠愛→松平忠愛の系図
子の夫 平松時章(『竹屋家譜』による。)→平松時行~時厚の系図
竹屋勝孟/兼孟【1763-1783】
竹屋光棣【1781-1837】
従三位。実は広橋伊光(→広橋伊光の系図)の子。
子 俊康【1797-1816】
実は広橋伊光(→広橋伊光の系図)の子。
子 光棣の娘【?-1839】(『竹屋家譜』による。)
竹屋光有【1811-1883】
参議。父は広橋胤定(→広橋胤定の系図)とも。
妻 白川資延の娘
妻の父 白川資延→雅朝王~白川資訓の系図
子の夫 土方雄永→土方雄永の系図
妻 中川故佐左衛門の娘
子 野宮定允・野宮定穀〔養父:野宮定功〕→野宮定晴~定平の系図
妻 佐々木照阿の娘
子 光有の娘【1872-?】(『竹屋家譜』による。)
竹屋光昭(みつあき)【1837-1906】
子爵。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。