このページでは、藤原氏北家・長家流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤原氏北家・長家流の略系図
1 長家→藤原長家・忠家の系図
2-A 顕良・忠実→藤原顕良・忠実の系図
3 俊忠→藤原俊忠の系図
3-A1 忠成→大炊御門忠成の系図
3-A2 光能→大炊御門光能の系図
4 俊成→藤原俊成の系図
5 定家→藤原定家の系図
6 為家→藤原為家の系図
7 為氏→御子左為氏の系図
8 為世→御子左為世の系図
藤原長家・忠家の系図
藤原長家(ながいえ)【1005-1064】
権大納言。御子左流の祖。
祖父 兼家→藤原兼家の系図
父 道長→藤原道長の系図
祖父 源高明→源高明の系図
妻 源懿子(いし)【?-1078】
源高雅(→源高雅の系図)の娘。
子 道家【?-1038】
子 祐家【1036-1088】
中納言。
子の妻 藤原憲輔の娘
子の妻の父 藤原憲輔→藤原憲輔の系図
孫の夫 藤原能実→藤原能実の系図
妻 藤原斉信の娘
妻の父 藤原斉信→藤原斉信の系図
妻 藤原正光の娘
妻の父 藤原正光→藤原朝光・正光の系図
妻 藤原行成の娘
妻の父 藤原行成→藤原行成の系図
藤原忠家【1033-1091】
大納言。母は藤原基貞(→藤原基貞の系図)の娘とも。
妻 藤原経輔の娘
妻の父 藤原経輔→藤原経輔の系図
子 基忠【1056-1098】
権中納言。
孫 信忠
実は源信宗(→源信宗の系図)の子。
孫の夫 源顕康→清仁親王~源顕康の系図
子 俊忠→藤原俊忠の系図
孫 大炊御門忠成→大炊御門忠成の系図
孫 俊成→藤原俊成の系図
妻 藤原敦家の娘
妻の父 藤原敦家→藤原敦家の系図
子 顕良→藤原顕良・忠実の系図
妻 高階業敏の娘
妻の父 高階業敏→高階敏忠・業遠の系図
子 忠実→藤原顕良・忠実の系図
子 家光→花山院家忠の系図
実は橘俊綱(→橘俊綱の系図)の子。養父は花山院家忠とも。
藤原顕良・忠実の系図
藤原顕良
祖父 長家・父 忠家→藤原長家・忠家の系図
祖父 藤原敦家→藤原敦家の系図
子 長経/覚遠
孫 長基/親長
曾孫 忠賢/俊基〔養父:藤原俊成(→藤原俊成の系図)〕
孫の夫 藤原済綱→藤原済綱の系図
孫 最舜
父は円厳とも。
曾孫の夫 近衛基通→近衛基通の系図
曾孫の子 鷹司兼基→藤原道経・鷹司兼基の系図
藤原忠実
鬼大夫と号した。
祖父 高階業敏→高階敏忠・業遠の系図
妻 藤原長房の娘
妻の父 藤原長房→藤原長房の系図
子 家信〔養父:藤原長房〕→藤原長房の系図
藤原俊忠の系図
藤原俊忠(としただ)/親家【1073-1123】
権中納言。母は藤原敦家(→藤原敦家の系図)の娘とも。歌人。
祖父 長家・父 忠家→藤原長家・忠家の系図
祖父 藤原経輔→藤原経輔の系図
妻 藤原敦家の娘
妻の父 藤原敦家→藤原敦家の系図
子 大炊御門忠成→大炊御門忠成の系図
孫 光能→大炊御門光能の系図
子 公長〔養父:西園寺通季(→西園寺通季の系図)〕
孫の夫 藤原盛国→藤原盛国の系図
子 俊貞〔養父:藤原知通〕→藤原尹通の系図
孫 重慶
父は大炊御門忠成(→大炊御門忠成の系図)とも。
曾孫 信忠/信覚
妻 藤原顕隆の娘
妻の父 藤原顕隆→藤原顕隆の系図
夫 藤原家政→藤原家政の系図
子 豪子→徳大寺公能の系図
孫 徳大寺実定→徳大寺実定・公継の系図
孫 川原実家→川原実家・公国の系図
孫 藤原実守→藤原実守・実印・実快の系図
子 快修【?-1172】
子 忠海/彦珍
子 俊子→藤原顕頼の系図
孫 藤原光頼→藤原光頼~葉室資頼の系図
孫 藤原惟方→藤原惟方の系図
子の夫 藤原伊通→藤原伊通の系図
子の夫 藤原師綱→藤原師綱の系図
孫 済綱→藤原済綱の系図
孫 親綱→藤原親綱~師平の系図
子の夫 藤原知通→藤原尹通の系図
子の夫 藤原光房→藤原光房の系図
孫 吉田経房→吉田経房・定経の系図
孫 九条光長→九条光長・長房の系図
孫 定長〔養父:藤原俊成〕→藤原俊成の系図
大炊御門忠成の系図
大炊御門忠成【1091-1158】
祖父 忠家→藤原長家・忠家の系図
父 俊忠→藤原俊忠の系図
祖父 藤原敦家→藤原敦家の系図
妻 源季忠の娘
妻の父 源季忠→源広綱の系図
子 光能→大炊御門光能の系図
子 重慶
父は藤原忠定(→藤原俊忠の系図)とも。
子の夫 徳大寺公能→徳大寺公能の系図
子の夫 以仁王→後白河天皇~六条天皇の系図
子の夫 持明院基宗→持明院基宗~基世の系図
大炊御門光能の系図
大炊御門光能(みつよし)【1132-1183】〔養父:徳大寺公能(→徳大寺公能の系図)〕
参議。
祖父 俊忠→藤原俊忠の系図
父 忠成→大炊御門忠成の系図
祖父 源季忠→源広綱の系図
妻 遠元の娘
子 知光/広家
子 光俊【1179-?】
従二位。
子の妻 平繁雅の娘
子の妻の父 平繁雅→平繁雅の系図
孫 光成【?-1279】
従三位。
孫の妻 大江盛幸の娘
実は平信繁(→平信繁の系図)の娘。
曾孫 光氏
曾孫の子の夫 久我通嗣→久我通忠~通雄の系図
曾孫の子の夫 松殿忠冬→松殿忠房の系図
光氏孫 光冬/光忠〔養父:大炊御門光輔〕
曾孫 光輔〔養子:大炊御門光冬〕
曾孫の夫 持明院保藤→持明院基保の系図
孫の夫 鷹司兼平→鷹司兼平~冬教の系図
孫の夫 花山院師継→花山院師継~師資の系図
妻 経尊の娘
妻の父 経尊→藤原経季の系図
妻 大江維順の娘
妻の父 大江維順→大江匡房~維光の系図
夫 中原広季→中原広季の系図
子 大江広元〔養父:大江維光〕→大江広元の系図
子 家能〔養父:藤原兼光(→藤原兼光の系図)〕
子 親能〔養父:中原広季〕→中原親能の系図
子の夫 五辻家経→五辻家経の系図
藤原俊成の系図
藤原俊成(としなり・しゅんぜい)/顕広【1114-1204】〔養父:藤原顕頼(→藤原顕頼の系図)、養子:藤原忠賢(→藤原顕良・忠実の系図)〕
正三位。歌人。『千載和歌集』の撰者となったほか、歌論書『古来風体抄』などを著した。
祖父 忠家→藤原長家・忠家の系図
父 俊忠→藤原俊忠の系図
祖父 藤原敦家→藤原敦家の系図
妻 美福門院加賀(びふくもんいんのかが)【?-1193】
藤原親忠(→藤原親賢の系図)の娘。美福門院に仕えた。
夫 藤原為経→藤原為経・隆信の系図
子 成家(なりいえ)【1155-1220】
正三位。
孫 言家【?-1239】
従三位。
曾孫 家基/基兼
妻 藤原為忠の娘
妻の父 藤原為忠→藤原為忠の系図
子 覚長/覚弁
子 定長/寂蓮(じゃくれん)【1139?-1202】
実は俊海(→藤原俊忠の系図)の子。歌人。
孫 保季〔養父:西園寺実宗(→西園寺実宗の系図)〕
孫 昌観/尚観
子の夫 藤原成親→藤原成親の系図
子の夫 中御門宗家→中御門宗家~宗雅の系図
子の夫 高倉家通→高倉重通・家通の系図
孫 敦通→高倉敦通の系図
子の夫 堀川通具→堀川通具~基具の系図
子の夫 藤原盛頼→藤原家成の系図
藤原定家の系図
藤原定家(さだいえ・ていか)/光季/季光【1162-1241】〔養子:聖覚(→澄憲の系図)〕
権中納言。歌人として活躍し、『新古今和歌集』・『新勅撰和歌集』の撰修にあたったほか、『源氏物語』をはじめとする多くの古典の書写も行った。日記は『明月記』。家集は『拾遺愚草』。
祖父 俊忠→藤原俊忠の系図
父 俊成→藤原俊成の系図
祖父 藤原親忠→藤原親賢の系図
妻 西園寺実宗の娘
妻の父 西園寺実宗→西園寺実宗の系図
子 為家→藤原為家の系図
孫 御子左為氏→御子左為氏の系図
孫 冷泉為相→冷泉為相~為之の系図
妻 藤原季能の娘
妻の父 藤原季能→藤原顕盛の系図
子 後堀河院民部卿典侍(ごほりかわいんのみんぶきょうのすけ)【1195-?】
歌人。後堀河天皇などに仕えた。
子 中納言典侍→西園寺公相の系図・法性寺雅平の系図
藤原為家の系図
藤原為家(ためいえ)【1198-1275】〔養父:西園寺公経(→西園寺公経の系図)〕
権大納言。歌人。『続後撰和歌集』を撰進した。
祖父 俊成→藤原俊成の系図
父 定家→藤原定家の系図
祖父 西園寺実宗→西園寺実宗の系図
妻 宇都宮頼綱の娘
妻の父 宇都宮頼綱→宇都宮頼綱の系図
子 御子左為氏→御子左為氏の系図
孫 為世→御子左為世の系図
子 京極為教(ためのり)【1227-1279】
従二位。歌人。京極家の祖。
子の妻 三善雅衡の娘
孫 為兼(ためかね)【1254-1332】
権大納言。京極派の歌人。『玉葉和歌集』を撰進した。
曾孫 公蔭→正親町実明~実綱の系図
実は正親町実明の子。
曾孫 為仲
実は藤原為顕の子。
孫 為子(ためこ・いし)
歌人。伏見天皇に信任された。
妻 阿仏尼(あぶつに)【?-1283】
平度繁(→平度繁の系図)の養女。歌人。『十六夜日記』などを著した。
子 冷泉為相・孫 為秀→冷泉為相~為之の系図
子 為守(ためもり)【1265-1328】
歌人。夢窓疎石とも交流があった。
子 為顕(ためあき)
歌人。
孫 為仲〔養父:京極為兼〕
孫 宣子→二条兼基・道平の系図
妻 室町家信の娘
妻の父 室町家信→室町家信の系図
子 源承(げんしょう)/為定【1224-?】〔養父:御子左為氏(→御子左為氏の系図)〕
歌人。歌論書『和歌口伝』を著した。
子 慶融(けいゆう)〔養父:御子左為氏(→御子左為氏の系図)〕
子 承遍→藤原範光の系図
実は兼遍の子。
子 覚源→藤原光頼~葉室資頼の系図
実は頼全の子。
子 憲家→藤原貞憲の系図
実は源承の子。
子の夫 二条道良→二条良実・師忠の系図
御子左為氏の系図
御子左為氏(ためうじ)【1222-1286】〔養子:藤原博氏(→水無瀬親信の系図)〕
権大納言。歌人。和歌の家である二条家の祖として活躍し、『続拾遺和歌集』を撰集した。
祖父 定家→藤原定家の系図
父 為家→藤原為家の系図
祖父 宇都宮頼綱→宇都宮頼綱の系図
妻 飛鳥井教定の娘
妻の父 飛鳥井教定→飛鳥井雅経~雅孝の系図
子 為世→御子左為世の系図
妻 棟清の娘
妻の父 棟清→棟清の系図
夫 藤原親頼→藤原光雅の系図
子 為雄【1255-?】〔養子:御子左為藤(→御子左為世の系図)〕
参議。
孫の夫 堀川具俊→堀川具守の系図
妻 藤原重名の娘
妻の父 藤原重名→藤原家輔の系図
子 五条為実【1266-1333】
参議。
孫 為嗣【1291-1355】
参議。
子 源承・慶融→藤原為家の系図
実は藤原為家の子。
子 快為/源為
孫 俊言
参議。
孫の妻 藤原長綱の娘
孫の妻の父 藤原長綱→藤原資綱の系図
曾孫 為基
曾孫の子の夫 今出川実尹→今出川兼季~公彦の系図
御子左為世の系図
御子左為世(ためよ)【1250-1338】〔養子:承憲(→澄憲の系図)〕
権大納言。歌人。『新後撰和歌集』『続千載和歌集』の撰者となった。
祖父 為家→藤原為家の系図
父 為氏→御子左為氏の系図
祖父 飛鳥井教定→飛鳥井雅経~雅孝の系図
妻 賀茂氏久の娘
子 為通(ためみち)/為道【1271-1299】
子の妻 飛鳥井雅有の娘
子の妻の父 飛鳥井雅有→飛鳥井雅経~雅孝の系図
孫 為親【?-1341】
従三位。
曾孫 尊済(『系図纂要』による。)
孫 為定(ためさだ)/為孝【1293-1360】〔養父:御子左為藤〕
権大納言。『新千載和歌集』を撰集した。
曾孫 為遠(ためとお)【1341-1381】〔養父:洞院実夏(→洞院実夏~公連の系図)〕
権大納言。『新後拾遺和歌集』の撰者になったが、途中で亡くなった。
曾孫の妻 園隆子
園基隆(→園基成~基有の系図)の娘。
孫 権大納言三位局→後醍醐天皇の系図
孫の夫 正親町三条公秀→正親町三条公貫~公秀の系図
子 為藤(ためふじ)【1275-1324】〔養父:御子左為雄(→御子左為氏の系図)、養子:御子左為定〕
中納言。『続後拾遺和歌集』の撰集にあたったが、途中で亡くなった。
子の妻 吉田経長の娘
子の妻の父 吉田経長→吉田経長の系図
孫 為明(ためあき)【1295-1364】
権中納言。『新拾遺和歌集』の撰者となったが、途中で亡くなった。
孫 為忠【1310-1373】
権中納言。
曾孫 為雅・為邦(『系図纂要』による。)
妻 菅原公氏の娘
妻の父 菅原公氏→菅原在公~在永・公氏・公頼の系図
子 為冬(ためふゆ)【?-1335】
歌人。後醍醐天皇方として、駿河で足利軍と戦い、討ち死にした。
孫 為重(ためしげ)【1325-1385】
権中納言。『新後拾遺和歌集』を完成させた。
曾孫 隆尊・芳禅・隆覚(『系図纂要』による。)
曾孫 守能(以下、『系図纂要』による。)
孫 覚専(『系図纂要』による。)
子 房保〔養父:持明院保藤〕→持明院基保の系図
子 為子→後醍醐天皇の系図
子 昭訓門院春日→西園寺公衡~公宗の系図
子の夫 花山院兼信→花山院師継~師資の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。