徳川氏(清和源氏・義国流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、徳川氏(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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徳川氏(江戸幕府将軍)の略系図

徳川氏の略系図

1 家康徳川家康の系図
1-A 信康忠吉信吉忠輝松平信康・忠吉・武田信吉・松平忠輝の系図

2 秀忠徳川秀忠の系図
3 家光徳川家光・家綱の系図
5 綱吉徳川綱吉~家継の系図
8 吉宗徳川吉宗の系図
9 家重徳川家重・家治の系図
11 家斉徳川家斉の系図
12 家慶徳川家慶~慶喜の系図

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徳川家康の系図

徳川家康の系図

  徳川家康(いえやす)/元信/元康【1542-1616】
 江戸幕府初代将軍(1603-1605)・太政大臣。幼少時は人質として今川氏の下で過ごした。関ヶ原の戦いで勝利し江戸幕府を創設した。将軍を秀忠に譲った後も、大御所として影響力を持った。

祖父 清康 広忠松平清康・広忠の系図
祖父 水野忠政→水野忠政の系図

 築山殿(つきやまどの)【?-1579】
 関口親永の娘。武田勝頼と内通しているとの嫌疑を受けて殺された。
 松平信康松平信康・忠吉・武田信吉・松平忠輝の系図
 亀姫→奥平信昌の系図

 朝日の方(あさひ)【1543-1590】
 豊臣秀吉の異父妹。小牧・長久手の戦いの後、豊臣秀吉の懐柔策により正室となった。

 西郡の方【?-1606】
 鵜殿長持(→鵜殿長持の系図)の娘。
 督姫池田輝政の系図北条氏政~氏盛の系図
 池田忠継池田忠継~光仲の系図
 池田輝澄池田輝澄の系図
 池田輝興池田利隆・恒元~恒行・輝興~清勝の系図

 お万の方/小督局【1548-1619】
 結城秀康 松平忠直結城秀康・松平忠直の系図
 松平直政松平直政~吉透の系図
 松平直基松平直基~基知の系図
 松平直良松平直良~直純の系図

 お愛の方【1562-1589】
 実は戸塚忠春(→戸塚忠春の系図)の娘。
妻の父 西郷清員→西郷清員の系図
 西郷義勝→西郷義勝の系図
 秀忠徳川秀忠の系図
 家光徳川家光・家綱の系図
 保科正之保科正之・正経の系図

 松平忠吉松平信康・忠吉・武田信吉・松平忠輝の系図

 お竹の方【?-1637】
 市川昌永の娘。
 振姫→蒲生秀行の系図・浅野長晟~綱晟・長治~長寔の系図

 下山殿【1565-1591】
 武田信吉松平信康・忠吉・武田信吉・松平忠輝の系図

 茶阿の方
 松平忠輝松平信康・忠吉・武田信吉・松平忠輝の系図
 松千代(まつちよ)【1594-1599】
 武蔵国深谷藩主。

 お亀の方(かめ)【1573-1642】
 竹腰正時→竹腰正時の系図
 仙千代【1595-1600】〔養父:平岩親吉(→平岩親吉の系図)〕
 義直徳川義直の系図
 光友徳川光友の系図

 お勝の方(かつ)【1578-1642】
 太田康資(→太田康資の系図)の娘。
 松姫【1596-1598】
 市姫【1607-1610】

 お万の方/蔭山殿【1580-1653】
 頼宣 光貞徳川頼宣~頼職の系図
 松平頼純松平頼純の系図

 頼房徳川頼房の系図
 松平頼重松平頼重・頼常の系図
 光圀徳川光圀・綱条の系図
 松平頼元松平頼元・頼貞の系図
 松平頼隆松平頼隆~頼明の系図
 松平頼雄松平頼雄~頼多の系図

 松平家治→松平家治の系図
 松平忠明→松平忠明の系図
 登久姫→小笠原秀政の系図
 満天姫→福島正之の系図・津軽信枚の系図
 万姫→蜂須賀至鎮の系図
 国姫→有馬直純の系図・堀忠俊の系図
 栄姫→黒田長政の系図
 蓮姫→有馬豊氏の系図
 阿姫→山内忠義の系図
 小松→真田信之の系図
子の夫 小笠原忠脩→小笠原忠脩の系図
子の夫 小笠原忠真→小笠原忠真の系図
子の夫 加藤清正→加藤清正の系図
子の夫 中村忠一→中村忠一の系図
子の夫 毛利秀元→毛利秀元の系図
子の夫 鍋島勝茂→鍋島勝茂の系図
子の夫 井伊直政→井伊直政の系図
子の夫 田中忠政→田中忠政の系図
子の夫 松平成重→松平成重の系図

松平信康・忠吉・武田信吉・松平忠輝の系図

松平信康・忠吉・武田信吉・松平忠輝の系図

  松平信康(のぶやす)【1559-1579】
 武田勝頼との関係を疑われ、切腹させられた。

祖父 広忠松平清康・広忠の系図
 家康徳川家康の系図

 織田徳姫(とくひめ)【1559-1636】
 織田信長(→織田信長の系図)の娘。
 登久姫→小笠原秀政の系図
 国姫本多忠政の系図
 本多政朝本多政朝~忠孝の系図
 本多忠義本多忠義・忠以の系図


  松平忠吉(ただよし)/忠康【1580-1607】
 武蔵国忍藩主・尾張国清洲藩主。関ヶ原の戦いでは、井伊直政らとともに奮戦した。

祖父 西郷清員→西郷清員の系図

 井伊直政の娘
妻の父 井伊直政→井伊直政の系図

 忠吉の息子【1597】


  武田信吉(のぶよし)/信義【1583-1603】
 下総国佐倉藩主・常陸国水戸藩主。甲斐武田氏の跡を継いで武田を称した。

祖父 秋山虎康→秋山虎康の系図

 木下勝俊の娘
妻の父 木下勝俊→木下勝俊の系図


  松平忠輝(ただてる)【1592-1683】
 深谷藩主・佐倉藩主・信濃国川中島藩主・越後国福嶋藩主・越後国高田藩主。大坂の陣への遅参等を理由に改易された。
 伊達五郎八姫(いろはひめ)【1594-1661】
 伊達政宗(→伊達政宗の系図)の娘。忠輝改易後は離別し、仙台城に移った。
 徳松【1615-1632】

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徳川秀忠の系図

徳川秀忠の系図

  徳川秀忠(ひでただ)【1579-1632】
 江戸幕府2代将軍(1605-1623)。家康没後、大名の改易やキリスト教の禁止などで幕藩体制を確立していった。

祖父 広忠松平清康・広忠の系図
 家康徳川家康の系図
祖父 西郷清員→西郷清員の系図

 浅井江
 浅井長政(→浅井長政の系図)の娘。
 豊臣秀勝→豊臣秀勝の系図
 家光 家綱徳川家光・家綱の系図
 忠長(ただなが)【1606-1633】
 駿河国府中藩主。改易され、蟄居の後自害させられた。
子の妻 織田信良の娘
子の妻の父 織田信良→織田信良の系図

 千姫→豊臣秀頼の系図・本多忠政の系図
 子々姫→前田利常の系図
 勝姫結城秀康・松平忠直の系図
 松平光長松平光長~長煕の系図

 初姫→京極忠高の系図
 和子後水尾天皇~後光明天皇の系図

 浄光院
 保科正之 正経保科正之・正経の系図

 長丸
 土佐姫→毛利秀就の系図
 千代姫→細川忠利の系図
 振姫→伊達忠宗の系図
 亀子→好仁親王の系図
 鶴子池田利隆・恒元~恒行・輝興~清勝の系図
 勝姫池田光政の系図
子の夫 堀尾忠晴→堀尾忠晴の系図
子の夫 加藤忠広→加藤忠広の系図
子の夫 中村忠一→中村忠一の系図
子の夫 毛利秀元→毛利秀元の系図
子の夫 黒田忠之→黒田忠之の系図

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徳川家光・家綱の系図

徳川家光・家綱の系図

  徳川家光(いえみつ)【1604-1651】
 江戸幕府3代将軍(1623-1651)。武家諸法度を改正し、江戸幕府の支配体制を確立した。祖父家康を崇拝し、日光東照宮を造営した。

祖父 家康徳川家康の系図
 秀忠徳川秀忠の系図
祖父 浅井長政→浅井長政の系図

 鷹司孝子【1602-1674】
 鷹司信房(→鷹司信房~教平の系図)の娘。
 お振の方【?-1640】
 岡重政の娘。
 千代姫徳川光友の系図
 綱誠徳川綱誠の系図
 松平義行松平義行・義孝の系図

 お楽の方【1621-1652】
 お玉の方/光子/桂昌院【1627-1705】
 本庄宗正(→本庄宗正の系図)の娘。実は八百屋仁左衛門の娘。仏教に深く帰依したほか、綱吉が将軍になると政治にも影響力を持った。
 亀松【1645-1647】
 綱吉〔養父:徳川家綱〕→徳川綱吉~家継の系図

 お夏の方【1614-1683】
 岡部重家(→岡部重家の系図)の娘。鷹司孝子に従って大奥に入った。
 綱重(つなしげ)【1644-1678】
 甲斐国府中藩主。
子の妻 二条光平の娘【1648-1669】〔養父:九条兼晴(→九条幸家~輔実の系図)〕
子の妻の父 二条光平二条昭実~綱平の系図

子の妻 綾小路俊景の娘【?-1673】
子の妻の父 綾小路俊景綾小路高有~有胤の系図
 牛松【1673】

子の妻 お保良の方【1637-1664】
 田中勝宗の娘。
 家宣〔養父:徳川綱吉〕→徳川綱吉~家継の系図
 松平清武曾孫 武雅松平清武・武雅の系図

 お里佐の方【?-1674】
 鶴松【1648】

 お万の方【1624-1711】
 六条有純(→六条有継~有藤の系図)の娘。
 お琴の方【1614-1691】
 徳円寺の娘。

 亀鶴姫→森忠広の系図
 大姫→前田光高の系図
 鶴子九条幸家~輔実の系図
 輝子一条教輔~道香の系図


  徳川家綱(いえつな)【1641-1680】
 江戸幕府4代将軍(1651-1680)。末期養子の規制を緩めるなど、文治政治への転換を進めた。
 顕子女王(あきこ)【1639-1676】
 貞清親王(→貞清親王の系図)の皇女。
 お振の方【1649-1667】
 実は吉田兼起(→吉田兼起の系図)の娘。
妻の父 吉田兼敬→吉田兼敬の系図

 お満流の方【1660-1689】
 佐脇安清(→佐脇安清の系図)の娘。
 家綱の娘【1678】

 綱吉 家宣徳川綱吉~家継の系図
 直姫【1658-1661】
 実は徳川光友(→徳川光友の系図)の娘。

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徳川綱吉~家継の系図

徳川綱吉~家継の系図

  徳川綱吉(つなよし)【1649-1709】
 上野国館林藩主・江戸幕府5代将軍(1680-1709)。実は徳川家光(→徳川家光・家綱の系図)の子。

祖父 家光 家綱徳川家光・家綱の系図

 鷹司信子
 鷹司教平(→鷹司信房~教平の系図)の娘。
 お伝の方【1658-1738】
 小谷正元の娘。
 徳松【1679-1683】
 館林藩主。
 鶴姫徳川頼宣~頼職の系図

 大典侍【?-1741】
 清閑寺煕房(→清閑寺煕房~秀定の系図)の娘。
 新典侍【1667-1739】
 実は豊岡有尚(→豊岡有尚~健資の系図)の娘。
妻の父 日野弘資日野弘資~永資の系図

 八重姫徳川光圀・綱条の系図
 喜知姫【1697-1698】
 実は徳川綱誠(→徳川綱誠の系図)の娘。
 松姫→前田吉徳の系図
 竹姫→島津継豊の系図


  徳川家宣(いえのぶ)/綱豊(つなとよ)【1662-1712】
 江戸幕府6代将軍(1709-1712)。実は徳川綱重(→徳川家光・家綱の系図)の子。間部詮房や新井白石らを登用し、正徳の治を行った。
 近衛煕子
 近衛基煕(→近衛信尋~家煕の系図)の娘。
 月光院/おきよの方【1685-1752】
 実は勝田著邑(→勝田著邑の系図)の娘。
妻の父 勝田宗信→勝田宗信の系図

 お古牟の方【1682-1766】
 太田宗庵の娘。
 家千代【1707】

 お須免の方【?-1772】
 実は園池公屋(→園池宗朝~公屋の系図)の娘。
妻の父 櫛笥隆賀櫛笥隆胤~隆周の系図
 大五郎【1708-1710】
 虎吉【1711】

 斎宮局【1692-1710】
 小尾直易(→小尾直易の系図)の娘。

 政姫【1699-1704】
 実は近衛家煕(→近衛信尋~家煕の系図)の娘。


  徳川家継(いえつぐ)【1709-1716】
 江戸幕府7代将軍(1712-1716)。幼くして亡くなった。
 吉宗徳川吉宗の系図
 家重徳川家重・家治の系図
 田安宗武田安宗武の系図
 一橋宗尹一橋宗尹の系図

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徳川吉宗の系図

徳川吉宗の系図

  徳川吉宗(よしむね)/頼方(よりかた)【1684-1751】〔養父:徳川頼職(→徳川頼宣~頼職の系図)〕
 紀伊国和歌山藩主・江戸幕府8代将軍(1716-1745)。実は徳川光貞(→徳川頼宣~頼職の系図)の子。紀伊徳川家から将軍家を継ぎ、享保の改革を推進した。

祖父 家宣 家継徳川綱吉~家継の系図

 理子女王(さとこ)【1691-1710】
 貞致親王(→貞致親王の系図)の皇女。
 お須摩の方【1688-1713】
 大久保忠直の娘。
 家重 家治徳川家重・家治の系図
 清水重好清水重好~篤守の系図

 お古牟の方【1696-1723】
 竹本正長(→竹本正長の系図)の娘。
 田安宗武田安宗武の系図
 治察田安治察~亀之助の系図

 お梅の方【1689-1721】
 谷口正次(→谷口正次の系図)の娘。
 源三【1719】
 一橋宗尹一橋宗尹の系図
 治済一橋治済の系図

 お久免の方【1697-1777】
 稲葉定清の娘。
 芳姫【1722】

 宗直徳川宗直の系図
 宗将徳川宗将の系図

 綱子→伊達宗村の系図

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徳川家重・家治の系図

徳川家重・家治の系図

  徳川家重(いえしげ)【1711-1761】
 江戸幕府9代将軍(1745-1760)。言語不明瞭で大岡忠光のみが聞き取れたという。

祖父 家継徳川綱吉~家継の系図
 吉宗徳川吉宗の系図

 増子女王(ますこ)/培子女王【1711-1733】
 邦永親王(→邦永親王の系図)の娘。

 お幸の方【?-1748】
 梅渓通条(→梅渓季通~通条の系図)の娘。

 お遊の方【1721-1789】
 実は三浦義周の娘。
妻の父 松平親春→松平親春の系図
 清水重好 敦之助清水重好~篤守の系図


  徳川家治(いえはる)【1737-1786】
 江戸幕府10代将軍(1760-1786)。田沼意次を登用し、経済政策を推し進めた。
 倫子女王(ともこ)【1738-1771】
 直仁親王(→直仁親王の系図)の皇女。
 万寿姫徳川宗睦~義宜の系図

 お智保の方【1737-1791】
 津田信成(→津田信成の系図)の娘。
 家基(いえもと)【1762-1779】

 お品の方【?-1778】
 藤井充行(→藤井充行の系図)の娘。
 貞次郎【1762-1763】

 家斉徳川家斉の系図
 家慶徳川家慶~慶喜の系図

 種姫徳川重倫~茂承の系図

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徳川家斉の系図

徳川家斉の系図

  徳川家斉(いえなり)【1773-1841】
 江戸幕府11代将軍(1786-1837)。実は一橋治済(→一橋治済の系図)の子。50年もの間将軍職を務め、家慶に譲った後も大御所として影響力を持った。

祖父 家重 家治徳川家重・家治の系図

 近衛寔子(ただこ)【1773-1844】
 実は島津重豪(→島津重豪の系図)の娘。
妻の父 近衛経煕近衛経煕~忠房の系図
 清水敦之助〔養父:清水重好〕→清水重好~篤守の系図
 清雲院【1798】

 お満の方【?-1835】
 平塚為善(→平塚為善の系図)の娘。
 竹千代【1792-1793】
 鎮子徳川宗睦~義宜の系図
 瓊岸院【1790】
 綾姫【1795-1797】
 伊達周宗に嫁ぐ予定であった。

 お楽の方【?-1810】
 押田敏勝(→押田敏勝の系図)の娘。
 家慶 家定徳川家慶~慶喜の系図

 お梅の方【?-1794】
 水野忠芳(→水野忠芳の系図)の娘。
 端正院【1794】

 お宇多の方【?-1851】
 水野忠直の娘。
 敬之助〔養父:徳川宗睦〕→徳川宗睦~義宜の系図
 豊三郎【1798】
 五百姫【1799-1800】
 舒姫【1802-1803】

 お志賀の方【?-1813】
 能勢頼能(→能勢頼能の系図)の娘。
 即幻院【1798】
 総姫【1796-1797】

 お利尾の方【?-1800】
 朝比奈矩春(→朝比奈矩春の系図)の娘。
 格姫【1798-1799】

 お登勢の方【?-1832】
 梶勝後(→梶勝後の系図)の娘。
 斉順〔養父:徳川治宝〕→徳川重倫~茂承の系図
 真空院【1803】
 美子徳川治紀・斉脩の系図
 寿姫【1803-1804】
 晴姫【1805-1807】

 お蝶の方【?-1852】
 曽根重辰(→曽根重辰の系図)の娘。
 時之助【1803-1805】
 虎千代〔養父:徳川治宝〕→徳川重倫~茂承の系図
 友松【1809-1813】
 斉荘〔養父:田安斉匡、徳川斉温〕→徳川宗睦~義宜の系図
 久五郎【1815-1817】
 亨姫【1801-1802】
 操子→毛利斉広の系図

 お美尾の方【?-1808】
 木村重勇(→木村重勇の系図)の娘。
 法如院【1802】
 浅姫松平宗昌~茂昭の系図

 お屋知の方【?-1810】
 実は大岩盛英(→大岩盛英の系図)の娘。
妻の父 諸星信邦→諸星信邦の系図
 高姫【1806】
 幸子松平容住~容大の系図

 お袖の方【?-1830】
 吉江政福(→吉江政福の系図)の娘。
 陽七郎【1818-1821】
 斉彊〔養父:清水斉明、徳川斉順〕→徳川重倫~茂承の系図
 富八郎【1822-1823】
 岸姫【1807-1811】
 結子松平頼恕~頼聡の系図
 艶姫【1811】
 孝姫【1813-1814】

 お八重の方【?-1843】
 清水斉明〔養父:清水斉順〕→清水重好~篤守の系図
 池田斉衆〔養父:池田斉稷〕→池田治道~慶徳の系図
 松平斉民〔養父:松平斉孝〕→松平康乂~慶倫の系図
 信之進【1817】
 松平斉良〔養父:松平斉厚〕→松平武元~武聡の系図
 蜂須賀斉裕〔養父:蜂須賀斉昌〕→蜂須賀斉裕の系図
 国子→鍋島直正の系図
 都子酒井忠学~忠邦の系図

 お美代の方【?-1872】
 実は内藤就相(→内藤就相の系図)の娘。
 偕子→前田斉泰の系図
 仲姫【1815-1817】
 貴子浅野斉賢~長勲の系図

 お八百の方【?-1813】
 実は阿部正芳(→阿部正芳の系図)の娘。
妻の父 阿部正盈→阿部正盈の系図
 奥五郎/興五郎/与五郎【1813-1814】

 お以登の方【?-1850】
 高木広充(→高木広充の系図)の娘。
 松平斉善〔養父:松平斉承〕→松平宗昌~茂昭の系図
 松平斉省〔養父:松平斉典〕→松平斉典~直方の系図
 松平斉宣〔養父:松平斉韶〕→松平直周~直致の系図
 琴姫【1815-1816】
 永姫一橋斉敦~茂栄の系図

 お瑠璃の方
 戸田政方(→戸田政方の系図)の娘。
 斉温〔養父:徳川斉朝〕→徳川宗睦~義宜の系図
 益子池田治道~慶徳の系図

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徳川家慶~慶喜の系図

徳川家慶~慶喜の系図

  徳川家慶(いえよし)【1793-1853】
 江戸幕府12代将軍(1837-1853)。水野忠邦を老中首座とし、天保の改革を行わせた。ペリー来航直後に亡くなった。

祖父 家治徳川家重・家治の系図
 家斉徳川家斉の系図
祖父 押田敏勝→押田敏勝の系図

 喬子女王(たかこ)【1795-1840】
 織仁親王(→織仁親王の系図)の皇女。
 竹千代【1813-1814】
 儔姫【1815】
 最玄院【1816】

 お定の方【?-1847】
 押田勝長(→押田勝長の系図)の娘。
 嘉千代【1819-1820】
 一橋慶昌〔養父:一橋斉位〕→一橋斉敦~茂栄の系図
 達姫【1814-1818】

 お加久の方【1803-1826】
 太田資寧の娘。
 円常院【1822】
 咸姫【1826】

 お美津の方【1807-1885】
 跡部正賢(→跡部正賢の系図)の娘。
 春之丞【1826-1827】
 悦五郎【1828-1829】

 お波奈の方
 菅谷政徳の娘。
 米姫【1824-1829】
 暉姫田安治察~亀之助の系図

 お筆の方【?-1844】
 稲生正方(→稲生正方の系図)の娘。
 直丸【1829-1830】
 銀之丞【1832-1833】
 亀五郎【1838-1839】
 千恵姫【1835-1836】
 若姫【1842-1843】

 お金の方【1819-1843】
 竹本沢右衛門の妹。菓子屋の娘という。照耀院を生んだ後に亡くなった。
 照耀院【1843】
 里姫【1833-1834】
 吉姫【1836-1837】
 万釵姫【1839-1840】

 お琴の方/広/服【?-1855】〔養父:杉重明(→杉重明の系図)〕
 水野忠啓(→水野忠啓の系図)の娘。
 田鶴若【1845-1846】
 長吉郎【1852-1853】
 鐐姫【1844-1845】
 鋪姫【1848】

 おつゆの方【?-1888】
 斉信院【1849】

 韶子女王→有馬慶頼の系図
 幟子女王徳川斉昭~昭武の系図


  徳川家定(いえさだ)/家祥(いえさき)【1824-1858】
 江戸幕府13代将軍(1853-1858)。病弱で子がなく、将軍継嗣問題を引き起こした。
 鷹司任子(あつこ)【1823-1848】
 実は鷹司政煕(→鷹司政煕の系図)の娘。疱瘡で亡くなった。
妻の父 鷹司政通鷹司政通~輔政の系図

 一条秀子
 一条忠良(→一条忠良~実良の系図)の娘。父は一条忠香とも。
 近衛敬子(すみこ)/篤姫【1836-1883】
 実は島津忠剛(→島津忠剛の系図)の娘。徳川家の存続に尽くした。
妻の父 近衛忠煕近衛経煕~忠房の系図

 お志賀の方
 明治初年まで生きた。


  徳川家茂(いえもち)/慶福(よしとみ)【1846-1866】〔養父:徳川斉彊(→徳川重倫~茂承の系図)〕
 和歌山藩主・江戸幕府14代将軍(1858-1866)。実は徳川斉順(→徳川重倫~茂承の系図)の子。当初は紀伊藩主を継いだが、井伊直弼ら南紀派に推されて将軍を継いだ。第2次長州征討の最中に亡くなった。
 親子内親王(ちかこ)【1846-1877】
 仁孝天皇(→光格天皇~孝明天皇の系図)の皇女。公武合体のため降嫁した。家茂の死後は、徳川家の存続に尽くした。

 茂承徳川重倫~茂承の系図


  徳川慶喜(よしのぶ)/昭致(あきむね)【1837-1913】〔養父:一橋昌丸(→一橋斉敦~茂栄の系図)〕
 江戸幕府15代将軍(1866-1867)。実は徳川斉昭(→徳川斉昭~昭武の系図)の子。大政奉還を行った。
 一条省子/和子/美賀子
 実は今出川公久(→今出川公言~実順の系図)の娘。
妻の父 一条忠香一条忠良~実良の系図

 一色須賀(すが)【1838-1929】

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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