このページでは、酒井氏(清和源氏・義国流)・忠利流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
酒井氏・忠利流(若狭国小浜藩主)の略系図
1 忠利→酒井忠利の系図
1-A1 忠吉→酒井忠吉・忠経の系図
1-A2 忠助→酒井忠助~忠懿の系図
1-B 忠重→酒井忠重~忠貞・忠正~勝千代の系図
1-C 忠次→酒井忠次~忠貞の系図
2 忠勝→酒井忠勝の系図
2-A 忠朝→酒井忠朝~忠盈の系図
3 忠直→酒井忠直の系図
3-A 忠垠→酒井忠垠~忠迢の系図
4 忠隆→酒井忠隆~忠用の系図
9 忠与→酒井忠与~忠氏の系図
酒井忠利の系図
酒井忠利(ただとし)【1559-1627】
武蔵国川越藩主。
祖父 清秀・父 正親→酒井広親~重忠の系図
祖父 石川清兼→石川親康~清兼・康正~三長の系図
子 忠勝→酒井忠勝の系図
孫 忠朝→酒井忠朝~忠盈の系図
孫 忠直→酒井忠直の系図
子 忠吉・孫 忠経→酒井忠吉・忠経の系図
子 忠重・孫 忠綱・忠正→酒井忠重~忠貞・忠正~勝千代の系図
子 忠久(ただひさ)【1609-1636】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠次・孫 忠実→酒井忠次~忠貞の系図
子 忠末
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 高木正綱→高木正綱の系図
子の夫 青木重兼→青木重直~重成の系図
酒井忠吉・忠経の系図
酒井忠吉(ただよし)【1589-1663】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 正親→酒井広親~重忠の系図
父 忠利→酒井忠利の系図
妻 土屋重成の娘
妻の父 土屋重成→土屋重成の系図
子 忠時(ただとき)/忠政(ただまさ)/忠良(ただかた)【1623-1678】
子の妻 北条氏重の娘
子の妻の父 北条氏重→北条綱成~氏重の系図
子の夫 吉良義冬→吉良義冬~義周・東条義叔~吉良義質の系図
子の夫 板倉重郷→板倉重郷~重治の系図
子の夫 新庄直常→新庄直常の系図
子の夫 植村泰治→植村泰職~泰朝・政泰の系図
酒井忠経(ただつね)/忠信(ただのぶ)【1625-1699】
妻 杉浦正友の娘
妻の父 杉浦正友→杉浦正友の系図
子 忠助・孫 忠貫→酒井忠助~忠懿の系図
子 忠親(ただちか)【1659-1694】
子の妻 板倉石〔養父:板倉重常(→板倉重郷~重治の系図)〕
実は内藤忠次(→内藤忠重~忠勝・忠知~忠温の系図)の娘。
子の夫 伊東祐賢→伊東祐豊~祐真の系図
酒井忠助~忠懿の系図
酒井忠助(ただすけ)【1661-1723】
祖父 忠吉・父 忠経→酒井忠吉・忠経の系図
祖父 杉浦正友→杉浦正友の系図
子 忠之〔養父:酒井忠垠〕→酒井忠垠~忠迢の系図
子の夫 水野忠富→水野忠慎~忠晋の系図
酒井忠貫(ただつら)【1691-1761】
妻 谷衛広の娘
妻の父 谷衛広→谷衛利~衛将の系図
子の夫 三枝守応→三枝守応の系図
子の夫 宇津教逵→宇津教逵の系図
子の夫 高木正信→高木正信の系図
子の夫 一色直国→一色直与~敬直・直政~直美の系図
子の夫 永井直該→永井直該~直之の系図
子の夫 小笠原信甫→小笠原長住~信編の系図
酒井忠陸(ただみち)【1712-1769】
妻 米津政容の娘
妻の父 米津政容→米津政容の系図
酒井忠聴(ただとく)/長聴(ながあき)【1732-?】
実は黒田長貞(→黒田長興~長貞の系図)の子。
子 忠笴(ただもと)【1765-1786】
子の夫 高木守影→高木守影の系図
酒井忠懿(ただよし)【1773-?】
実は高木正鼎(→高木正鼎の系図)の子。
妻 榊原政永の娘
妻の父 榊原政永→榊原政永の系図
妻 内藤信凭の娘
妻の父 内藤信凭→内藤信興~信美の系図
夫 松平忠彊→松平忠福~忠恕の系図
夫 安藤信馨→安藤信尹~信馨の系図
酒井忠重~忠貞・忠正~勝千代の系図
酒井忠重(ただしげ)【1591-1648】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 正親→酒井広親~重忠の系図
父 忠利→酒井忠利の系図
子の夫 高木正武→高木正武の系図
子の夫 牧野永成→牧野永成の系図
子の夫 片桐為元→片桐為元の系図
子の夫 牛込重〓(「夭」+「心」)→牛込重〓の系図
酒井忠綱(ただつな)/忠興(ただおき)【1624-1694】
妻 松平忠国の娘
妻の父 松平忠国→松平忠国の系図
子の夫 森長重→森長重の系図
酒井忠与(ただとし)【1662-1703】
実は酒井忠直(→酒井忠直の系図)の子。
子の夫 植村家敬→植村家貞~家包の系図
子の夫 曽根澄次→曽根澄次の系図
酒井忠位(ただつら)【1690-1723】
実は酒井忠稠(→酒井忠稠の系図)の子。
子 忠厚〔養父:酒井忠候〕
酒井忠候(ただよし)【1704-1737】
実は田中定矩の子。
妻 酒井忠英の娘
実は酒井忠丘(→酒井忠正~忠求の系図)の娘。
妻の父 酒井忠英→酒井忠正~忠求の系図
酒井忠厚(ただあつ)【1723-1740】
実は酒井忠位の子。
酒井忠順(ただのぶ)【1730-1772】
実は酒井忠音(→酒井忠隆~忠用の系図)の子。
妻 菅沼定用の娘
妻の父 菅沼定用→菅沼定用の系図
子の夫 横山知遠→横山知遠の系図
子の夫 本多寛方→本多重良~繁文の系図
子の夫 大久保忠快→大久保忠快の系図
子の夫 浅野長致→浅野長恒~長盈の系図
子の夫 大島義和→大島義和の系図
酒井忠幸(ただゆき)【1758-1782】
妻 菅沼定庸の娘
妻の父 菅沼定庸→菅沼定庸の系図
酒井忠貞(たださだ)【1766-?】
実は酒井忠香(→酒井忠香の系図)の子。
妻 本多忠栄の娘
妻の父 本多忠栄→本多忠栄~忠鵬の系図
酒井忠正(ただまさ)/忠辰(ただとき)【1632-1691】
妻 松平定綱の娘
妻の父 松平定綱→松平定綱・定良の系図
子の夫 堀利雄→堀利雄の系図
子の夫 松平信綿→松平氏辰~信知の系図
酒井忠平(ただひら)【?-1698】
妻 上杉綱憲の娘
実は吉良義央(→吉良義冬~義周・東条義叔~吉良義質の系図)の娘。
妻の父 上杉綱憲→上杉綱憲の系図
夫 大炊御門経音→大炊御門経敦~経音の系図
酒井勝千代【1697-1699】
酒井忠次~忠貞の系図
酒井忠次(ただつぐ)【1614-1662】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 正親→酒井広親~重忠の系図
父 忠利→酒井忠利の系図
妻 大島義唯の娘
妻の父 大島義唯→大島義唯の系図
子の夫 水野重路→水野重家~為昌・元吉~元典の系図
子の夫 伊奈忠則→伊奈忠則の系図
酒井忠実(ただざね)【1647-1691】
妻 渡辺綱貞の娘
妻の父 渡辺綱貞→渡辺綱貞~徳綱・親綱~亀之助の系図
子の夫 京極高久→田中満吉~京極高貞の系図
酒井忠穏(ただおき)【1674-1747】
妻 池田政済の娘
妻の父 池田政済→池田政済~政行の系図
子 赤井忠直〔養父:赤井忠高〕→赤井忠直の系図
酒井忠堅(ただかた)【1701-1745】
子 忠祇〔養父:酒井忠意〕
酒井忠意(ただもと)【1732-1758】
妻 丹羽長道の娘
妻の父 丹羽長道→丹羽長道の系図
夫 塙直博→塙直博の系図
酒井忠祇(ただまさ)【1741-1785】
実は酒井忠堅の子。
妻 鈴木正重の娘
妻の父 鈴木正重→鈴木正重の系図
子の夫 富永参前→富永参前の系図
酒井忠貞(たださだ)【1769-?】
妻 酒井忠香の娘
妻の父 酒井忠香→酒井忠香の系図
酒井忠勝の系図
酒井忠勝(ただかつ)【1587-1662】
大老・老中・武蔵国深谷藩主・川越藩主・若狭国小浜藩主。徳川家光・家綱の幕政を支えた。
祖父 正親→酒井広親~重忠の系図
父 忠利→酒井忠利の系図
妻 松平親能の娘
妻の父 松平親能→松平親能の系図
子 忠朝・孫 忠雄→酒井忠朝~忠盈の系図
孫 忠国→酒井忠国~忠美の系図
子 忠経(ただつね)【1622-1640】
子 青木可一〔養父:青木重兼〕→青木重直~重成の系図
子 忠直→酒井忠直の系図
孫 忠隆→酒井忠隆~忠用の系図
孫 忠稠→酒井忠稠の系図
孫 忠垠→酒井忠垠~忠迢の系図
子の夫 建部政長→建部高光~政宇・光延~政周の系図
子の夫 朝倉宣親→朝倉宣親の系図
子の夫 松平康信→松平康信~信利の系図
子の夫 高木正俊→高木正俊の系図
子の夫 松平康政→松平康政~康功の系図
子の夫 堀田正盛→堀田正盛の系図
子の夫 井伊直好→井伊直勝~直員の系図
子の夫 水野勝貞→水野勝成~勝貞の系図
子の夫 牧野親成→牧野親成の系図
酒井忠朝~忠盈の系図
酒井忠朝(ただとも)【1619-1662】
忠勝の長男として後継者になる予定であったが、廃嫡された。
祖父 忠利→酒井忠利の系図
父 忠勝→酒井忠勝の系図
祖父 松平親能→松平親能の系図
妻 松平定行の娘
妻の父 松平定行→松平定行・定頼の系図
子 鍋・隼人・与十郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 仙→松平直良~直純の系図
子 忠国・孫 忠胤→酒井忠国~忠美の系図
孫 忠成→酒井忠成~忠徹の系図
子 忠重〔養父:野々口為勝〕
子 松平定安〔養父:松平定長、松平定盛(→松平定行・定頼の系図)〕→松平定長~定功・定章の系図
子 忠朝の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 亀井政直→亀井茲政の系図
酒井忠雄(ただお)【1652-1702】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 牧野成勝の娘
妻の父 牧野成勝→牧野成勝の系図
酒井忠景(ただかげ)【1675-1726】
実は青木景英の子。
子 忠棟〔養父:酒井忠郷〕→酒井忠成~忠徹の系図
酒井忠寄(ただより)【1705-1786】
妻 土屋利起の娘
実は土屋利意(→土屋利意の系図)の娘。
妻の父 土屋利起→土屋利起の系図
子の夫 前田玄昌→前田玄昌の系図
子の夫 山本茂珍→山本茂珍の系図
子の夫 小栗久明→小栗久明の系図
酒井忠徳(ただのり)【1746-?】
酒井忠盈(ただみつ)/良安(よしやす)【1768-?】
実は渋谷良紀(→渋谷良紀の系図)の子。
酒井忠直の系図
酒井忠直(ただなお)【1630-1682】
小浜藩主。甥の忠国に1万石を分与した。
祖父 忠利→酒井忠利の系図
父 忠勝→酒井忠勝の系図
祖父 松平親能→松平親能の系図
妻 松平定頼の娘
妻の父 松平定頼→松平定行・定頼の系図
子 忠隆・孫 忠🈶→酒井忠隆~忠用の系図
子 忠稠→酒井忠稠の系図
孫 忠菊→酒井忠菊・忠武の系図
子 忠与〔養父:酒井忠綱〕→酒井忠重~忠貞・忠正~勝千代の系図
子 舎政〔養父:江見盛政〕
子 忠垠・孫 忠真→酒井忠垠~忠迢の系図
子の夫 亀井政直→亀井茲政の系図
子の夫 秋田輝季→秋田輝季の系図
子の夫 毛利元賢→毛利就隆・元賢の系図
子の夫 植村家言→植村家貞~家包の系図
子の夫 高木正純→高木正純の系図
酒井忠垠~忠迢の系図
酒井忠垠(ただきし)【1663-1707】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 松平康尚の娘
妻の父 松平康尚→松平忠良・康尚の系図
子の夫 水野忠富→水野忠慎~忠晋の系図
酒井忠真(ただざね)【1687-1715】
妻 松平定員の娘
妻の父 松平定員→松平定澄~定謐の系図
酒井忠之(ただゆき)【1696-1754】
実は酒井忠助(→酒井忠助~忠懿の系図)の子。
子の夫 松浦信庸→松浦信辰~信安の系図
子の夫 山本茂珍→山本茂珍の系図
子の夫 酒井忠道→酒井忠道の系図
酒井忠儔(ただとも)【1719-1770】
妻 本庄道章の娘
妻の父 本庄道章→本庄道章の系図
酒井忠記(ただふさ)【1756-1783】
妻 酒井忠香の娘
妻の父 酒井忠香→酒井忠香の系図
夫 小出英敦→小出英敦の系図
子 忠正〔養父:酒井忠迢〕
酒井忠迢(ただとお)【1767-?】
実は酒井忠旨(→酒井忠隆~忠用の系図)の子。
子 忠正
実は酒井忠記の子。
酒井忠隆~忠用の系図
酒井忠隆(ただたか)【1651-1686】
小浜藩主。弟の忠稠に1万石を分与した。
祖父 忠勝→酒井忠勝の系図
父 忠直→酒井忠直の系図
祖父 松平定頼→松平定行・定頼の系図
妻 島津綱久の娘
妻の父 島津綱久→島津綱久の系図
子 忠隆の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 毛利吉就→毛利秀就~吉広の系図
子の夫 島津惟久→島津惟久の系図
酒井忠囿(ただその)【1670-1706】
小浜藩主。
妻 土井利益の娘
妻の父 土井利益→土井利益~利見の系図
酒井忠音(ただおと)【1691-1735】
老中・小浜藩主。実は酒井忠稠(→酒井忠稠の系図)の子。
妻 有馬盛【1691-1765】
有馬頼元(→有馬忠頼~頼旨の系図)の娘。
妻 武藤氏
子 忠用〔養父:酒井忠存〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠通(ただみち)【1713-1720】
子 忠与〔養父:酒井忠用〕→酒井忠与~忠氏の系図
子 忠順〔養父:酒井忠厚〕→酒井忠重~忠貞・忠正~勝千代の系図
子 忠旨(ただむね)/則憑(のりよし)/忠丘(ただおか)〔養父:有馬則雄(→有馬則致~則篤の系図)〕
孫 武島茂育〔養父:武島茂弘〕→武島茂育の系図
孫 忠迢〔養父:酒井忠記〕→酒井忠垠~忠迢の系図
孫 忠旨の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
酒井忠存(ただあきら)【1720-1740】
小浜藩主。
酒井忠用(ただもち)【1720-1775】
小浜藩主。実は酒井忠音の子。
妻 松平定儀の娘
妻の父 松平定儀→松平定逵~定邦の系図
子の夫 加藤泰武→加藤泰武の系図
子の夫 酒井忠鄰→酒井忠国~忠美の系図
子 忠与・孫 忠貫→酒井忠与~忠氏の系図
子 一学【?-1750】
子の夫 森川俊孝→森川俊常~俊方の系図
酒井忠与~忠氏の系図
酒井忠与(ただよし)【1721-1762】
小浜藩主。実は酒井忠音(→酒井忠隆~忠用の系図)の子。
祖父 忠存・父 忠用→酒井忠隆~忠用の系図
子 遠藤胤相〔養父:遠藤胤忠〕→遠藤胤相の系図
子 船越景範〔養父:船越景順〕→船越景範の系図
子 高木正直〔養父:高木正弼〕→高木正直の系図
酒井忠貫(ただつら)【1752-1806】
小浜藩主。藩校順造館を創設した。
妻 伊達宗村の娘
妻の父 伊達宗村→伊達宗村の系図
子 忠望【1771-1784】
妻 久我通兄の娘
妻の父 久我通兄→久我通誠~通兄の系図
妻 久我信通の娘
実は大炊御門家孝(→大炊御門経秀~師前の系図)の娘。
妻の父 久我信通→久我信通~通久の系図
妻 志村氏
子 忠順〔養父:酒井忠進〕
酒井忠進(ただゆき)【1770-1828】
老中・小浜藩主。実は酒井忠香(→酒井忠香の系図)の子。
妻 奥平昌鹿の娘
妻の父 奥平昌鹿→奥平昌鹿・昌男の系図
子 忠敏(『酒井家譜(若狭小浜)』による。)
子 忠進の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 水野忠邦→水野忠邦~忠弘の系図
子 忠義〔養父:酒井忠順〕
子 達三郎・全之助・悦之丞・忠進の息子・子 忠進の娘(『酒井家譜(若狭小浜)』による。)
子の夫 内藤信方→内藤信興~信美の系図
子の夫 木下俊敦→木下俊敦の系図
子の夫 西尾忠宝→西尾忠移~忠篤の系図
酒井忠順(ただより)【1791-1853】
小浜藩主。実は酒井忠貫の子。
妻 松平定国の娘
妻の父 松平定国→松平定静~定昭の系図
酒井忠義(ただあき)/忠禄(ただとみ)【1813-1873】
小浜藩主。実は酒井忠進の子。将軍継嗣問題では一橋派を弾圧した。忠氏の後、再び藩主になった。
妻 松平輝延の娘
妻の父 松平輝延→松平輝和~輝声の系図
夫 本庄宗秀→本庄宗秀の系図
子 忠道〔養父:酒井忠道〕(『酒井家譜(若狭小浜)』による。)
子の妻 酒井忠毗の娘
子の妻の父 酒井忠毗→酒井忠言~忠経の系図
子 忠義の娘(5人)(『酒井家譜(若狭小浜)』による。)
酒井忠氏(ただうじ)【1835-1876】〔養子:酒井忠道〕
小浜藩主。実は酒井忠欽の子。鳥羽・伏見の戦いでは幕府軍に参加した。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。