このページでは、石川氏(清和源氏・義時流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
石川氏(伊勢国亀山藩主)の略系図
1 義時→石川義時~忠頼の系図
7 義忠→石川義忠~政康の系図
12-A1 康昌→石川康昌~重次・重勝~政徳・重俊~之信の系図
12-A2 政次→石川政次・政信の系図
12-A3 政往・政俊→石川政往~正邦・政俊~政平の系図
12-B 康長→石川康長~春房・春忠~春厚の系図
13 親康→石川親康~清兼・康正~三長の系図
15-A 一政→石川一政~政久の系図
16 家成→石川家成の系図
16-A 成次→石川成次~源三郎・成重~成次の系図
17 忠総→石川忠総~義孝の系図
17-A1 貞当→上野貞当・石川義当の系図
17-A2 総乗→石川総乗~総武の系図
17-B 総氏→石川総氏~総朋の系図
21 総慶→石川総慶~総博の系図
25 総師→石川総師~成之の系図
石川義時~忠頼の系図
石川義時(よしとき)
石川氏の祖。
孫 有義→武田信義の系図
父は武田信義とも。
石川義基(よしもと)
河内国石川郡石川荘を領した。
石川義兼(よしかね)
子の夫 源長俊→源季兼~兼教の系図
頼清孫 義純(よしずみ)【?-1331】
元弘の乱に加わったが、幕府軍に敗れて自害した。
石川頼房(よりふさ)
石川忠教(ただのり)
石川忠頼(ただより)
子 義忠・孫 時通→石川義忠~政康の系図
子 義継(『系図纂要』による。)
子の夫 石川義通(『系図纂要』による。)
石川義忠~政康の系図
石川義忠(よしただ)
実は石川義通の子。下野国の小山氏に預け置かれた。
祖父 忠教・父 忠頼→石川義時~忠頼の系図
子 信茂(以下、『系図纂要』による。)
信茂孫 重之/丈山(じょうざん)【1583-1672】
徳川家康に仕えた後、藤原惺窩に師事し、詩仙堂に隠棲した。
石川時通(ときみち)(以下、『系図纂要』による。)
妻 小山高朝の娘
妻の父 小山高朝→小山高朝の系図
小山時成(ときなり)
小山氏房(うじふさ)
小山泰信(やすのぶ)
石川政康(まさやす)【1411-1486】
蓮如に従って三河国小河城に移った。
子 康昌・孫 康繁→石川康昌~重次・重勝~政徳・重俊~之信の系図
子 康長・孫 春重→石川康長~春房・春忠~春厚の系図
子 親康・孫 忠輔→石川親康~清兼・康正~三長の系図
石川康昌~重次・重勝~政徳・重俊~之信の系図
石川康昌(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 泰信・父 政康→石川義忠~政康の系図
石川重康(しげやす)
石川重政(しげまさ)/重次(しげつぐ)【1510-1596】
石川重次(しげつぐ)/重政(しげまさ)【1561-1613】
子 政次・孫 政信→石川政次・政信の系図
子の夫 今村正長→今村正長の系図
子の夫 大河内正勝→大河内貞顕~正雄の系図
石川重勝(しげかつ)【1589-1637】
子 政信〔養父:石川政次〕→石川政次・政信の系図
子の夫 中根正和→中根正和の系図
石川重興(しげおき)【?-1686】
石川重良(しげよし)【1651-1704】
妻 興津能玄の娘
妻の父 興津能玄→興津能玄の系図
石川重治(しげはる)
実は高木守勝(→高木守勝の系図)の子。
妻 本庄道高の娘
妻の父 本庄道高→本庄道高の系図
石川政長(まさなが)/重長(しげなが)【1699-1743】
石川政邕(まさむら)【1719-1765】
妻 市川清煕の娘
妻の父 市川清煕→市川清煕の系図
子 政斐(まさあや)
実は大岡忠利(→大岡忠房~忠利の系図)の子。
子の妻 石川政邕の娘
実は曲淵英元(→曲淵英元の系図)の娘。
石川政本(まさもと)【1748-1781】
実は高木守明(→高木守明の系図)の子。
子の夫 保科正棟→保科正英~正棟の系図
石川政徳(まさやす)【1767-?】
妻 高木守富の娘
妻の父 高木守富→高木守富の系図
石川重俊(しげとし)/之森(ゆきもり)【?-1697】
石川政秀(まさひで)【1649-1690】
実は揖斐政綱(→揖斐政綱の系図)の子。
石川之明(ゆきあきら)【?-1712】
石川之俊(ゆきとし)【1707-1724】
石川之喜(ゆきよし)【1718-1759】
実は蔭山広邦(→蔭山広邦の系図)の子。
妻 小宮山長清の娘
妻の父 小宮山長清→小宮山長清の系図
妻 小花和成之の娘
妻の父 小花和成之→小花和成之の系図
石川之郷(ゆきさと)【1744-1772】
妻 石川政敬の娘
妻の父 石川政敬→石川政敬の系図
夫 本多重陽→本多重冬~忠茂・玄宣~玄仲の系図
石川之信(ゆきのぶ)【1760-?】
石川政次・政信の系図
石川政次(まさつぐ)【1583-1662】
祖父 重政・父 重次→石川康昌~重次・重勝~政徳・重俊~之信の系図
妻 稲垣長茂の娘
妻の父 稲垣長茂→稲垣長茂の系図
子の夫 永見重広→永見重広の系図
子の夫 柘植正利→柘植正利の系図
石川政信(まさのぶ)/正信(まさのぶ)【1622-1656】
実は石川重勝(→石川康昌~重次・重勝~政徳・重俊~之信の系図)の子。
妻 稲垣重綱の娘
妻の父 稲垣重綱→稲垣重綱の系図
子 政往・政俊・孫 政常・政明→石川政往~正邦・政俊~政平の系図
子 本多正芳〔養父:本多正之〕→本多正之~正収の系図
子の夫 朽木正綱→朽木友綱~賢綱の系図
子の夫 上田元隆→上田元隆の系図
子の夫 森川氏知→森川氏信~氏知・光房~長興の系図
石川政往~正邦・政俊~政平の系図
石川政往(まさゆき)【1641-1705】
祖父 政次・父 政信→石川政次・政信の系図
祖父 稲垣重綱→稲垣重綱の系図
妻 横田胤松の娘
妻の父 横田胤松→横田胤松の系図
子 政房(まさふさ)【1662-1686】
子 岩次郎〔養父:井上内匠〕
子 政明〔養父:石川政俊〕
子の夫 遠山伊清→遠山伊清の系図
石川政常(まさつね)【1675-1745】
妻 本堂玄親の娘
妻の父 本堂玄親→本堂玄親の系図
子 政常の娘
本堂苗親に嫁ぐ予定であった。
子の夫 松平正武→松平正久・正佐~正名の系図
子の夫 日下部延貞→日下部延貞の系図
子の夫 岡野春明→岡野春明の系図
石川政敷(まさのぶ)【1703-1740】
妻 小出有仍の娘
妻の父 小出有仍→小出有仍の系図
子 政峯〔養父:石川政胤〕
石川政胤(まさたね)【1724-1747】
妻 小出尹従の娘
妻の父 小出尹従→小出尹従の系図
石川政峯(まさみね)【1730-1754】
妻 加藤泰都の娘
妻の父 加藤泰都→加藤泰都の系図
石川正勲(まさよし)【1754-1795】
妻 安部信允の娘
妻の父 安部信允→安部信允の系図
妻 神保茂清の娘
妻の父 神保茂清→神保茂清の系図
夫 中山直寛→中山直寛の系図
子 正志(まさゆき)
子の妻 石川里濃
実は戸川正備(→戸沢正庸~正良の系図)の娘。
子の妻の夫 木下利嵩→木下利嵩の系図
石川正邦(まさくに)【1780-?】
実は松平正明(→松平正明の系図)の子。
石川政俊(まさとし)【1649-1698】
子の夫 堀田通右→堀田通右の系図
石川政明(まさあきら)【1683-1724】
実は石川政往の子。
妻 津田正氏の娘
妻の父 津田正氏→津田正氏の系図
妻 鵜殿長政の娘
実は鵜殿長義(→鵜殿長義の系図)の娘。
妻の父 鵜殿長政→鵜殿長政の系図
子の夫 石川成伊→石川成伊の系図
石川政好(まさよし)【1715-1758】
妻 細井勝豊の娘
妻の父 細井勝豊→細井勝豊の系図
子 政平〔養父:石川政英〕
子の夫 細井勝名→細井勝名の系図
子の夫 浦上景元→浦上景元の系図
子の夫 細井勝秀→細井勝秀の系図
石川政英(まさひで)【1742-1773】
石川政平(まさひら)【1757-?】
実は石川政好の子。
妻 横田松興の娘
妻の父 横田松興→横田松興の系図
石川康長~春房・春忠~春厚の系図
石川康長(やすなが)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 泰信・父 政康→石川義忠~政康の系図
子 牧野忠正〔養父:牧野正重〕→牧野忠正の系図
石川春重(はるしげ)
71歳で亡くなった。
妻 酒井忠善の娘
妻の父 酒井忠善→酒井氏忠~忠次の系図
妻 本多広孝の娘
妻の父 本多広孝→本多正吉~忠利の系図
子の夫 松平康親→松平康親の系図
石川春久(はるひさ)【1569-1596】
石川重久(しげひさ)【1592-1619】
妻 平岩正当の娘
妻の父 平岩正当→平岩正当の系図
子の夫 余語正重→余語正重の系図
子の夫 安藤重次→安藤重次の系図
石川春吉(はるよし)【1611-1663】
妻 石川忠吉の娘
妻の父 石川忠吉→石川忠吉の系図
子 春房〔養父:石川春清〕
石川春清(はるきよ)【1637-1661】
石川春房(はるふさ)【?-1676】
実は石川春吉の子。
妻 森川長重の娘
妻の父 森川長重→森川長重の系図
石川春忠(はるただ)【1646-1705】
妻 平岩正信の娘
妻の父 平岩正信→平岩正信の系図
石川春繁(はるしげ)【1676-1754】
子 包正〔養父:石川正富〕→石川包正の系図
子 織田正如〔養父:織田正昭〕→織田正如の系図
子の夫 伊庭清盈→伊庭清盈の系図
石川春忠(はるただ)【1706-1749】
妻 賀茂宮直強の娘
妻の父 賀茂宮直強→賀茂宮直強の系図
石川春厚(はるあつ)【1733-?】
妻 小林正識の娘
妻の父 小林正識→小林正識の系図
妻 小沢正令の娘
妻の父 小沢正令→小沢正令の系図
子 春政(はるまさ)【1765-1786】
実は大久保忠泰(→大久保忠泰の系図)の子。
孫 春政の娘〔養父:石川春厚〕
子 春直(はるなお)
実は水野元著(→水野元興~元貞の系図)の子。
子 春峯(はるみね)【1766-?】
実は若林直政(→若林直政の系図)の子。
子の妻 石川春厚の娘
実は石川春政の娘。
石川親康~清兼・康正~三長の系図
石川親康(ちかやす)
祖父 泰信・父 政康→石川義忠~政康の系図
石川忠輔(ただすけ)
石川清兼(きよかね)/忠成(ただなり)
妻 水野忠政の娘
妻の父 水野忠政→水野忠政の系図
子 家成→石川家成の系図
孫 忠総→石川忠総~義孝の系図
孫 成次→石川成次~源三郎・成重~成次の系図
子 一政・孫 一勝→石川一政~政久の系図
子の夫 安藤基能→安藤家重~直次の系図
子の夫 酒井正親→酒井広親~重忠の系図
孫 忠利→酒井忠利の系図
石川康正(やすまさ)
妻 松平重吉の娘
妻の父 松平重吉→松平重吉の系図
夫 松平康親→松井忠直・松平康親の系図
子の夫 大岡忠政→大岡忠教~忠政・忠直・政保の系図
子の夫 犬塚忠次→犬塚忠次の系図
子の夫 松平家信→松平家忠・家信の系図
孫の夫 石川成尭→石川家成の系図
孫の夫 大久保正信→大久保正信の系図
石川数正(かずまさ)【?-1592】
信濃国松本藩主。徳川家康の側近として活躍したが、後に豊臣秀吉に従った。
妻 内藤義清の娘
妻の父 内藤義清→内藤行俊~家長の系図
妻 松平家広の娘
妻の父 松平家広→松平家広・家房の系図
子 康勝(やすかつ)【?-1615】
父の遺領から1万5000石を分知された。大久保長安の事件に連坐し、領地を没収された。
石川三長(みつなが)/康長(やすなが)【?-1642】
松本藩主。大久保長安の事件に連坐し、改易された。
石川一政~政久の系図
石川一政(かずまさ)【1512-1549】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠輔・父 清兼→石川親康~清兼・康正~三長の系図
石川一勝(いちかつ)【1538-1614】
石川一長(かずなが)【1576-1635】
石川一次(かずつぐ)【?-1652】
妻 山本重吉の娘
妻の父 山本重吉→山本重吉の系図
子の夫 服部保近→服部保近の系図
石川一定(かずさだ)【1646-1689】
妻 佐野政宣の娘
妻の父 佐野政宣→佐野政宣の系図
石川一致(いちむね)【1667-1720】
実は山本正世(→山本正世の系図)の子。
子 一致の娘(2人)〔養父:石川一敬〕
石川一敬(いちたか)【1693-1766】
実は山本義重の子。
妻 山本正大の娘
実は山本正治(→山本正治の系図)の娘。
妻の父 山本正大→山本正大の系図
子 永田義休〔養父:永田政恒〕→永田義休の系図
子 安西弁之助〔養父:安西政永〕→安西弁之助の系図
子の夫 森義明→森義明の系図
子の夫 深谷盛秀→深谷盛秀の系図
子の夫 山本正置→山本正置の系図
子の夫 石丸定正→石丸定正の系図
子の夫 野沢清儀→野沢清儀の系図
石川政辰(まさとき)【1723-1773】
妻 山本正相の娘
妻の父 山本正相→山本正相の系図
子 山本義寛〔養父:山本親行〕→山本義寛の系図
子 浅井元義〔養父:浅井元近〕→浅井元義の系図
子 青木正満〔養父:青木信保〕→青木正満の系図
子 政辰の娘〔養父:山本正良〕→山本正良の系図
子の夫 筧方懿→筧方懿の系図
石川政久(まさひさ)【1746-?】
石川家成の系図
石川家成(いえなり)【1534-1609】
美濃国大垣藩主。徳川家康の側近として活躍した。
祖父 忠輔・父 清兼→石川親康~清兼・康正~三長の系図
祖父 水野忠政→水野忠政の系図
妻 松平清善の娘
妻の父 松平清善→松平清善の系図
子 康通(やすみち)【1554-1607】
大垣藩主。関ヶ原の戦いでは清洲城を守り、佐和山城を攻めた。
子の妻 植村家存の娘
子の妻の父 植村家存→土岐光兼~植村家政の系図
孫 忠義(ただよし)【1599-?】
曾孫の夫 大久保忠尚→大久保忠尚の系図
孫の夫 内藤信正→内藤信正・信照の系図
孫の夫 皆川隆庸→皆川隆庸の系図
孫の夫 松平康重→松平康重の系図
孫の夫 松平家乗→松平家乗・乗寿の系図
曾孫 知乗→松平知乗・乗実~乗郷の系図
子 忠総・孫 廉勝→石川忠総~義孝の系図
孫 総長→石川総長~総陽の系図
孫 上野貞当→上野貞当・石川義当の系図
孫 総氏→石川総氏~総朋の系図
子 成尭(なりたか)【?-1615】
実は大久保忠隣(→大久保忠隣の系図)の子。大坂の陣で戦死した。
子の妻 石川小隼人の娘
子の妻の父 石川小隼人→石川親康~清兼・康正~三長の系図
子の妻の夫 大久保正信→大久保正信の系図
子 成次・孫 成久→石川成次~源三郎・成重~成次の系図
子の夫 本多康重→本多正吉~忠利の系図
子の夫 大久保忠隣→大久保忠隣の系図
石川成次~源三郎・成重~成次の系図
石川成次(なりつぐ)/重成(しげなり)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 清兼→石川親康~清兼・康正~三長の系図
父 家成→石川家成の系図
石川成久(なりひさ)【1628-1682】
妻 徳永昌成の娘
妻の父 徳永昌成→徳永昌成の系図
子 成治〔養父:石川成重〕
子の夫 菅沼定広→菅沼定広の系図
石川源三郎【?-1691】
石川成重(なりしげ)【?-1684】
石川成治(なりはる)【1665-1722】
実は石川成久の子。
妻 馬場房清の娘
妻の父 馬場房清→馬場房清の系図
石川成伊(なりこれ)【1714-1747】
実は石川伝十郎(→石川伝十郎の系図)の子。
妻 石川政明の娘
妻の父 石川政明→石川政明の系図
妻 山田信盈の娘
妻の父 山田信盈→山田信盈の系図
子 成伊の娘〔養父:石川成征〕
子の夫 山角定福→山角定福の系図
石川成征(なりゆき)【1722-1748】
実は菅沼定昌(→菅沼定昌の系図)の子。
石川成久(なりひさ)【1731-1764】
実は小林正永(→小林正永の系図)の子。
妻 石川成征の娘
実は石川成伊の娘。
石川成寿(なりとし)【1746-?】
実は石川成征(→石川成征の系図)の子。
妻 神保武周の娘
妻の父 神保武周→神保武周の系図
石川成次(なりつぐ)【1770-?】
実は石野広保(→石野広保の系図)の子。
妻 石川成寿の娘
実は中山直遷(→中山直好~直経の系図)の娘。
石川忠総~義孝の系図
石川忠総(ただふさ)【1582-1650】
大垣藩主・豊後国日田藩主・下総国佐倉藩主・近江国膳所藩主。実は大久保忠隣(→大久保忠隣の系図)の子。大久保忠隣の改易で幽閉されたが、後に許され、大坂の陣で功をあげた。
祖父 清兼→石川親康~清兼・康正~三長の系図
父 家成→石川家成の系図
妻 堀尾吉晴の娘
妻の父 堀尾吉晴→堀尾吉晴の系図
子 総長・孫 総良→石川総長~総陽の系図
子 新兵衛・邦総
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 上野貞当・孫 石川義当→上野貞当・石川義当の系図
子 泰総(やすふさ)【1617-1644】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 総氏・孫 総昌→石川総氏~総朋の系図
子 種→中川久清~久慶の系図
石川廉勝(かどかつ)【1604-1650】
妻 堀尾忠晴の娘
妻の父 堀尾忠晴→堀尾忠晴の系図
子の夫 石川総良→石川総長~総陽の系図
子の夫 九鬼隆常→九鬼隆季~隆寛の系図
石川憲之(のりゆき)/昌勝(まさかつ)【1634-1707】
膳所藩主・伊勢国亀山藩主・山城国淀藩主。
妻 梅園実清の娘
妻の父 梅園実清→梅園実清~久季の系図
子 堀尾勝明(かつあき)【1661-1688】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 昌能(まさよし)【1658-1682】
子の妻 京極高和の娘
実は藤堂高次(→藤堂高次~高敏の系図)の娘。
子の妻の父 京極高和→京極高次~高和の系図
孫 勝之(かつゆき)【1675-1706】
孫の妻 水野忠直の娘
孫の妻の父 水野忠直→水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図
孫の妻 柘植氏
曾孫 総慶〔養父:石川義孝〕→石川総慶~総博の系図
孫の夫 石川総茂→石川総長~総陽の系図
子の夫 酒井忠胤→酒井忠国~忠美の系図
子の夫 米倉昌照→米倉昌明~里矩の系図
石川義孝(よしたか)/昌信(まさのぶ)【1659-1710】
淀藩主。
妻 北条氏治の娘
妻の父 北条氏治→北条氏信~氏朝の系図
夫 久世広貞→久世広次~広民の系図
子 総慶・孫 総尭→石川総慶~総博の系図
上野貞当・石川義当の系図
上野貞当(さだまさ)【1613-1653】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 家成→石川家成の系図
父 忠総→石川忠総~義孝の系図
祖父 堀尾吉晴→堀尾吉晴の系図
妻 鷲尾隆量の娘
妻の父 鷲尾隆量→鷲尾隆尚~隆尹の系図
石川義当(よしまさ)【1646-1716】
妻 三枝守俊の娘
妻の父 三枝守俊→三枝守俊の系図
子 総乗・孫 総因→石川総乗~総武の系図
子 総因〔養父:石川総乗、下条信隆〕→石川総乗~総武の系図
子 大久保忠之〔養父:大久保忠良〕→大久保忠之の系図
子の夫 石川総昌→石川総氏~総朋の系図
子の夫 吉川広紀→吉川広紀の系図
孫 義武〔養父:石川総乗〕→石川総乗~総武の系図
石川総乗~総武の系図
石川総乗(ふさのり)/当俊(まさとし)/総明(ふさあきら)【1663-1720】
祖父 貞当・父 義当→上野貞当・石川義当の系図
祖父 三枝守俊→三枝守俊の系図
妻 遠藤常友の娘
妻の父 遠藤常友→遠藤常友の系図
妻 京極高和の娘
実は京極高房(→京極高次~高和の系図)の娘。
妻の父 京極高和→京極高次~高和の系図
子 義武(よしたけ)【1697-1715】
実は石川当時(→上野貞当・石川義当の系図)の子。
石川総因(ふさより)/信澄(のぶすみ)【1670-1728】〔養父:下条信隆〕
実は石川義当(→上野貞当・石川義当の系図)の子。
子の夫 水野忠福→水野忠清~忠福の系図
石川総為(ふさため)/教豊(のりとよ)/総益(ふさえき)【1701-1751】
実は大久保教福(→大久保教福の系図)の子。
妻 石川総因の娘
実は佐治好耀の娘。
子 総為の娘〔養父:大久保教房〕→大久保教房の系図
子の夫 久貝正保→久貝正保の系図
子の夫 土屋応直→土屋之直~業直の系図
子の夫 諏訪頼致→諏訪頼致の系図
石川総恒(ふさつね)【1728-?】
妻 板倉昌信の娘【1730-1750】
妻の父 板倉昌信→板倉重宣~昌信の系図
妻 松平信友の娘
実は久貝正順(→久貝正順の系図)の娘。
妻の父 松平信友→松平氏清~信愛の系図
子 総博〔養父:石川総純〕→石川総慶~総博の系図
妻 堀親蔵の娘
妻の父 堀親蔵→堀親蔵の系図
夫 戸田氏之→戸田氏之~氏良の系図
子 総恒の娘
吉川経倫に嫁ぐ予定であった。
子 総恒の娘〔養父:笹本忠省〕→笹本忠省の系図
子の夫 船越景範→船越景範の系図
石川総武(ふさたけ)【1746-?】
妻 京極高永の娘
妻の父 京極高永→京極高栄~高厚の系図
妻 五島昌子【1757-1818】
五島盛道(→五島盛佳・盛道の系図)の娘。
子 総予(ふさよし)
実は石川総博(→石川総慶~総博の系図)の子。
子の夫 土井利豊→土井利直~利豊の系図
石川総氏~総朋の系図
石川総氏(ふさうじ)【1626-1702】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 家成→石川家成の系図
父 忠総→石川忠総~義孝の系図
祖父 堀尾吉晴→堀尾吉晴の系図
妻 高木正弘の娘
妻の父 高木正弘→高木正弘の系図
子 賢詮〔養父:蘆田吉賢〕
子の夫 北条氏澄→北条氏利~氏副の系図
石川総昌(ふさまさ)【1658-1724】
妻 石川義当の娘
妻の父 石川義当→上野貞当・石川義当の系図
子 大久保総比〔養父:大久保忠明〕→大久保忠明~石川総集の系図
子の夫 近藤用相→近藤用相の系図
石川総朗(ふさあきら)【1691-1732】
妻 松平忠明の娘
妻の父 松平忠明→松平伊燿~忠明の系図
石川総共(ふさとも)【1717-1775】
実は大久保総比(→大久保忠明~石川総集の系図)の子。
妻 林信充の娘
妻の父 林信充→林信充の系図
妻 室賀正普の娘
妻の父 室賀正普→室賀正普の系図
子の夫 堀知秀→堀知秀の系図
子の夫 徳永昌福→徳永昌福の系図
子の夫 谷口正成→谷口正成の系図
石川総詳(ふさあきら)【1750-?】
妻 林信言の娘
妻の父 林信言→林信言の系図
石川総朋(ふさとも)【1778-?】
実は稲葉正春(→稲葉正春の系図)の子。
妻 青木直美の娘
妻の父 青木直美→青木可直~直諒の系図
石川総慶~総博の系図
石川総慶(ふさよし)【1704-1764】
淀藩主・備中国松山藩主・伊勢国亀山藩主。実は石川勝之(→石川忠総~義孝の系図)の子。
祖父 憲之・父 義孝→石川忠総~義孝の系図
妻 久世重之の娘
妻の父 久世重之→久世広之・重之の系図
妻 杉田氏
子の夫 松平頼済→松平頼永~頼策の系図
妻 音羽氏
子 総英(ふさひで)【1738-1759】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 戸田克【1740-?】
戸田光雄(→戸田光雄~光和の系図)の娘。
孫 総純〔養父:石川総尭〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 服部氏
子の夫 酒井忠大→酒井忠国~忠美の系図
妻 高島氏
子の夫 石川総弾→石川総候~総管の系図
石川総尭(ふさたか)/総矩【1744-1764】
亀山藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
石川総純(ふさずみ)【1758-1776】
亀山藩主。実は石川総英の子。
子 総純の娘
石川総博に嫁ぐ予定であった。
石川総博(ふさひろ)【1759-1819】
亀山藩主。実は石川総恒(→石川総乗~総武の系図)の子。藩校の明倫舎を創設した。
妻 前田春
前田利幸(→前田利幸~利謙の系図)の娘。
妻 安田氏
子 総師・孫 総佐→石川総師~成之の系図
子 総予〔養父:石川総武〕→石川総乗~総武の系図
子の夫 本堂親庸→本堂親庸の系図
石川総師~成之の系図
石川総師(ふさのり)【1776-1803】
亀山藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。父は石川総徳とも。
祖父 総純・父 総博→石川総慶~総博の系図
妻 水野忠鼎の娘
妻の父 水野忠鼎→水野忠鼎の系図
子 総章【1803-1818】
子の夫 松平近訓→松平近形~近説の系図
石川総佐(ふさすけ)【1795-1820】
亀山藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 西尾忠善の娘【?-1878】
妻の父 西尾忠善→西尾忠移~忠篤の系図
子の夫 牧野康命→牧野康命の系図
子の夫 加納久徴→加納久徴の系図
石川総安(ふさやす)【?-1833】
亀山藩主。実は石川総般(→石川総候~総管の系図)の子。
妻 石川総佐の娘〔養父:水野忠邦〕→水野忠邦~忠弘の系図
夫 戸田忠温→戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図
子 総禄〔養父:石川総紀〕
子 三郎(『石川家譜(伊勢亀山)』による。)
子の夫 吉田良煕→吉田良煕の系図
石川総紀(ふさのり)/総和(ふさとも)【1815-1886】(以下、『石川家譜(伊勢亀山)』による。)
亀山藩主。実は石川総登の子。
子 鍈次郎【1841-1846】
子 森川俊徳〔養父:森川俊位〕→森川俊常~俊方の系図
子 総脩〔養父:石川総禄〕
子 成之〔養父:石川総脩〕
石川総禄(ふさよし)/総定【1829-1862】
亀山藩主。実は石川総安の子。
妻 松平定永の娘
妻の父 松平定永→松平定永~定教の系図
夫 九鬼隆都→九鬼隆貞~隆備の系図
子の夫 吉田良義→吉田良義の系図
石川総脩(ふさなが)【1852-1865】
亀山藩主。実は石川総紀の子。
石川成之(しげゆき)【1855-1878】
亀山藩主。実は石川総紀の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。