このページでは、久松松平家(菅原氏)・康元流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
久松松平家・康元流の略系図
1 康元→松平康元の系図
2 忠良→松平忠良・康尚の系図
2-A 忠利→松平忠利~忠幸の系図
4 忠充→松平忠充~康豊の系図
松平康元の系図
松平康元(やすもと)/勝元(かつもと)【1552-1603】
下総国関宿藩主。徳川家康の異父兄弟として松平姓を許された。
祖父 定義→久松道定~定義の系図
父 俊勝→久松俊勝・定員の系図
祖父 水野忠政→水野忠政の系図
子 忠良・孫 康尚→松平忠良・康尚の系図
孫 忠利→松平忠利~忠幸の系図
子 満天姫→福島正之の系図・大浦政信~津軽信枚の系図
子の夫 岡部長盛→岡部長盛の系図
孫 宣勝→岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図
子の夫 菅沼定仍→菅沼定仍の系図
子の夫 松平忠政→松平忠政の系図
子の夫 菅沼定芳→菅沼定芳の系図
子の夫 田中忠政→田中忠政の系図
子の夫 松平成重→松平成重~近陣の系図
子の夫 中村忠一→中村忠一の系図
子の夫 毛利秀元→毛利元清・秀元の系図
孫 康竜【1644-1662】
孫 直久〔養父:榊原若狭守、養子:松平良兼(→松平忠良・康尚の系図)〕
孫の夫 津軽信義→津軽信義の系図
曾孫 信政→津軽信政~信著の系図
松平忠良・康尚の系図
松平忠良(ただよし)【1582-1624】
関宿藩主・美濃国大垣藩主。
祖父 俊勝→久松俊勝・定員の系図
父 康元→松平康元の系図
妻 酒井家次の娘
妻の父 酒井家次→酒井家次の系図
子 忠憲(ただのり)/憲良(のりよし)【1620-1647】
大垣藩主・信濃国小諸藩主。
孫の夫 松平隆政→松平隆政~直道の系図
子の夫 黒田忠之→黒田長政~光之・高政~長寛の系図
子の夫 松平直政→松平直政~吉透の系図
孫 近栄→松平近栄~近朝の系図
子の夫 佐久間勝友→佐久間勝友の系図
子 忠利・孫 忠勝→松平忠利~忠幸の系図
子 喜太郎【?-1670】
松平康尚(やすひさ)/良尚(よしひさ)【1623-1696】
下野国那須藩主・伊勢国長島藩主。忠憲に嗣子がおらず領地を没収されたが、家督を継ぐことを許された。
妻 永井尚政の娘
妻の父 永井尚政→永井尚政の系図
妻 朝山氏
子 定員〔養父:松平定澄〕→松平定澄~定謐の系図
子 忠充・孫 忠章→松平忠充~康豊の系図
子 良重(よししげ)【1653-1684】
子 良兼(よしかね)〔養父:松平直久(→松平康元の系図)〕
子の夫 松平綱近→松平直政~吉透の系図
子の夫 植村政行→植村政春~政広の系図
子の夫 酒井忠垠→酒井忠垠~忠迢の系図
松平忠利~忠幸の系図
松平忠利(ただとし)/忠節(ただとき)【1605-1688】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 康元→松平康元の系図
父 忠良→松平忠良・康尚の系図
松平忠勝(ただかつ)【1639-1718】
実は大河内久綱(→大河内久綱の系図)の子。
妻 松平忠利の娘
子 忠昌(ただまさ)【1678-1701】
妻 樋口初
樋口信康(→樋口信孝~康煕の系図)の娘。
子 盛延(もりのぶ)
実は五島盛勝(→五島盛利~盛暢の系図)の子。
松平忠盈(ただみつ)【1689-1755】
実は松平氏辰(→松平氏辰~信知の系図)の子。
妻 松平忠勝の娘
松平盛延に嫁ぐ予定であった。
妻 安部信峯の娘
妻の父 安部信峯→安部信峯の系図
子 崇済〔養父:松平近富〕→松平近良~近豊の系図
子の夫 松平勝房→松平勝房の系図
子の夫 久貝正郷→久貝正郷の系図
子の夫 秋山正員→秋山正員の系図
松平忠庸(ただつね)【1725-1789】
妻 池田政晴の娘
妻の父 池田政晴→池田輝録~政員の系図
子の夫 松平正邦→松平正邦の系図
松平忠幸(ただゆき)【1760-?】〔養子:安藤忠侃(→安藤信尹~信馨の系図)〕
妻 土屋与直の娘
妻の父 土屋与直→土屋与直の系図
松平忠充~康豊の系図
松平忠充(ただみつ)【1651-1729】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
長島藩主。発狂で領地を没収された。
祖父 忠良・父 康尚→松平忠良・康尚の系図
妻 松平典信の娘
妻の父 松平典信→松平康信~信利の系図
子 忠章(ただあき)/忠勝(ただかつ)【1672-1735】
子 康郷〔養父:松平康顕〕
子の夫 岩城秀隆→岩城秀隆の系図
子の夫 松平忠一→松平忠尚~忠洪の系図
松平康顕(やすあき)/尚顕(ひさあき)【1691-1712】
松平康郷(やすさと)/尚慶(ひさよし)【1693-1789】
実は松平忠充の子。
子 水野勝羨〔養父:水野勝澄〕→水野勝彦~勝善・勝英~勝順の系図
子 最上郷倍〔養父:最上義郷〕→最上郷倍の系図
子 戸田氏永〔養父:戸田氏純〕→戸田氏照~氏寧・氏道~氏友の系図
子の夫 加藤泰亨→加藤泰亨の系図
子の夫 堀田一常→堀田一常の系図
子の夫 松平忠寄→松平忠根~忠元の系図
子の夫 伊東祐峯→伊東祐豊~祐真の系図
松平康真(やすまさ)/康明(やすあきら)【1718-?】
妻 土岐頼郷の娘
妻の父 土岐頼郷→土岐頼郷~頼門の系図
子 伊東祐寿〔養父:伊東祐昌〕→伊東祐春~祐膺・祐恵・祐程の系図
子 向井正直〔養父:向井政香〕→向井正直の系図
子の夫 朽木長綱→朽木則綱~綱弘の系図
子の夫 酒井忠和→酒井忠能~忠善の系図
子の夫 一色敬直→一色敬直の系図
松平康盛(やすもり)【1760-?】
妻 一柳末栄の娘
妻の父 一柳末栄→一柳末栄の系図
夫 一柳頼欽→一柳頼欽の系図
妻 山崎義俊の娘
妻の父 山崎義俊→山崎尭治~義苗の系図
子 康豊(『系図纂要』による。)
子の妻 京極永【1815-1882】
京極高賢(→京極高通~高典の系図)の娘。
子の妻 青木幸
青木一貞(→青木一貫~重義の系図)の娘。
子の妻 伊東長寛の娘【1811-1835】
子の妻の父 伊東長寛→伊東長寛~長〓の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。