このページでは、本多氏(藤原氏北家・兼通流)・忠恒流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
本多氏・忠恒流(伊勢国神戸藩主)の略系図
1 忠恒→本多忠恒・忠統の系図
3 忠永→本多忠永~忠貫の系図
本多忠恒・忠統の系図
本多忠恒(ただつね)【1657-1704】
河内国西代藩主。
祖父 俊次→本多俊次の系図
父 康将→本多康長・康将の系図
子 忠岡【1689-1699】
子 忠恒の娘【?-1693】
子 忠恒の娘【?-1695】
子の夫 藤堂良端→藤堂嘉長~良真の系図
本多忠統(ただむね)/忠良(ただよし)【1691-1757】
西代藩主・伊勢国神戸藩主。荻生徂徠の高弟。
子 康桓〔養父:本多康敏〕→本多康桓~康匡の系図
子 小笠原信胤〔養父:小笠原信成〕→小笠原信辰~長守の系図
子 忠篤(ただあつ)【1719-1747】
子の妻 広橋兼廉の娘
子の妻の父 広橋兼廉→広橋兼廉~勝胤の系図
孫 忠興〔養父:本多忠永〕→本多忠永~忠貫の系図
孫 忠篤の娘〔養父:本多忠永〕→本多忠永~忠貫の系図
子の妻 広橋兼廉の娘〔養父:甘露寺尚長(→甘露寺経元~尚長の系図)〕
子 忠栄〔養父:本多忠敞〕→本多忠栄~忠鵬の系図
子 忠永・孫 忠興→本多忠永~忠貫の系図
子 金次郎【1726-1732】
子 忠明(ただあきら)/賞深【1736-1801】
子 忠国〔養父:本多俊方〕→本多忠隆・忠吉・忠直~忠篤の系図
子 康政〔養父:本多康桓〕→本多康桓~康匡の系図
子 忠統の娘【1712-1713】
子 忠統の娘【1719-1720】
子の夫 本多忠央→本多忠利~忠慎の系図
子の夫 吉田良延→吉田良延の系図
子の夫 藤堂良由→藤堂嘉長~良真の系図
子の夫 高力長昌→高力長昌の系図
子の夫 松平信敏→松平信重~信寅の系図
子の夫 本多忠経→本多俊昌~忠暁の系図
本多忠永~忠貫の系図
本多忠永(ただなが)【1724-1817】
神戸藩主。和歌や茶道にすぐれた。
祖父 忠恒・父 忠統→本多忠恒・忠統の系図
子 忠賢(ただかた)【1751-1762】
子 忠奝〔養父:本多忠興〕
子 正識(まさつね)【1757-?】〔養父:内藤正英〕
子 忠尹【1757-1774】
子 多賀知一(ともかず)【1760-1788】
子 忠憲(ただのり)【1774-1823】
子 忠建(ただたけ)【1776-1828】
子 忠永の娘【1744-1768】
実は本多忠篤(→本多忠恒・忠統の系図)の娘。渡辺綱通に嫁いだ。
子の夫 松平忠挙→松平忠根~忠元の系図
本多忠興(ただおき)/忠繁【1742-1766】
神戸藩主。実は本多忠篤(→本多忠恒・忠統の系図)の子。
妻 松平房
松平勝尹(→松平勝以~勝慈の系図)の娘。
本多忠奝(ただひろ)/忠慶/忠京(ただたか)【1755-1803】
神戸藩主。実は本多忠永の子。
妻 酒井忠恭の娘
妻の父 酒井忠恭→酒井忠恭・忠仰・忠交~忠全の系図
妻 土井三保子
実は土井利剛(→土井利益~利見の系図)の娘。
妻の父 土井利里→土井利益~利見の系図
夫 土井利国→土井利直~利豊の系図
夫 五島盛運→五島盛運~盛徳の系図
本多忠升(ただたか)/忠敬【1791-1859】
神戸藩主。実は本多忠薫(→本多忠薫の系図)の子。古賀精理の高弟。藩学を朱子学に統一した。
妻 松平忠告の娘
妻の父 松平忠告→松平忠告の系図
子 団七郎【1820】
母は『本多家譜(伊勢神戸)』による。
子 忠升の息子【1831】(『本多家譜(伊勢神戸)』による。)
子の夫 松平正義→松平正升~正質の系図
子 助省/忠倍【1830-1869】〔養父:曽我助予〕
子 正義【1832-?】〔養父:鈴木正宣〕(『本多家譜(伊勢神戸)』による。)
子 忠昌【1833-?】〔養父:水野忠信〕
子 道之丞【1834-1835】(『本多家譜(伊勢神戸)』による。)
子 謹八郎【1840-1842】(『本多家譜(伊勢神戸)』による。)
子 幾丸【1849-1860】(『本多家譜(伊勢神戸)』による。)
子 六十郎【1850-1853】(『本多家譜(伊勢神戸)』による。)
子 誠之丞【1856-1862】(『本多家譜(伊勢神戸)』による。)
子 忠升の息子【1832-1833】(『本多家譜(伊勢神戸)』による。)
子 忠升の娘【1818-1819】(『本多家譜(伊勢神戸)』による。)
子 忠升の娘【1820-?】
中井正路に嫁いだ。
子 忠升の娘【1823-1871】(『本多家譜(伊勢神戸)』による。)
石河光晃に嫁いだ。
子 忠升の娘【1825-?】
下条三圭に嫁いだ。
子 忠升の娘【1827-?】
木下利往に嫁ぐ予定であった。後に永井直次に嫁いだ。
孫 永井直壮→永井直温~直哉の系図
孫 永井直諒→永井直進~直諒の系図
子 忠升の娘【1833-1852】(『本多家譜(伊勢神戸)』による。)
松平信敏に嫁いだ。
子 忠升の娘【1834-?】〔養父:鈴木正宣〕(『本多家譜(伊勢神戸)』による。)
粟津近江介養子・河辺長量に嫁いだ。
子 忠升の娘【1835-1853】(『本多家譜(伊勢神戸)』による。)
子 忠升の娘【1852-1868】〔養父:朝比奈勝承〕(『本多家譜(伊勢神戸)』による。)
子の夫 松前昌広→松前章広~修広の系図
子の夫 山口弘敞→山口弘敞の系図
本多忠寛(ただひろ)/忠廉(ただゆき)/忠都(ただよし)【1827-1885】(以下、『本多家譜(伊勢神戸)』による。)
神戸藩主。
子 健五郎【1853-1854】
子 康直【1856-?】〔養父:本多康穣(→本多康完~康穣の系図)〕
子 忠穆【1830-1856】
実は溝口直諒(→溝口直諒の系図)の子。
子 璋吉【1862-1866】
子 駒之助【1865】
子 焜之助【1866】
子 忠寛の娘【1858】
子 忠寛の娘【1861-1865】
子 忠寛の娘【1871】
子の夫 稲垣長敬→稲垣長敬の系図
本多忠貫(ただつら)【1833-1898】
神戸藩主。実は戸沢正令(→戸沢正親~正実の系図)の子。
妻 本多忠升の娘【1831-?】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。