このページでは、正親町家(藤原氏北家・公季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
正親町家(羽林家)の略系図
1 実明→正親町実明~実綱の系図
5 公仲→正親町公仲~公叙の系図
11 実彦→正親町実彦~実豊の系図
15 公通→正親町公通~実連の系図
19 公明→正親町公明~公董の系図
正親町実明~実綱の系図
正親町実明【1274-1351】〔養子:正親町忠季〕
権大納言。母は北条久時(→北条久時の系図)の娘とも。正親町家の祖。
祖父 実雄→洞院実雄の系図
父 公守→洞院公守の系図
祖父 泰勝→泰勝の系図
妻 藤原顕嗣の娘
妻の父 藤原顕嗣→藤原長方の系図
妻 正親町三条公貫の娘
公貫の二女。
妻の父 正親町三条公貫→正親町三条公貫~公秀の系図
子 守子→伏見天皇・花園天皇の系図・後伏見天皇の系図
子 実子・一条局→伏見天皇・花園天皇の系図
子 対御方→後伏見天皇の系図
妻 正親町三条公貫の娘
公貫の四女。
子 廊御方→後伏見天皇の系図
子の夫 光厳天皇→光厳天皇・光明天皇の系図
正親町公蔭(きんかげ)/忠兼【1297-1360】〔養父:京極為兼(→藤原為家の系図)、小倉公雄(→小倉公雄~実名の系図)〕
権大納言。母は松殿兼嗣(→松殿忠房の系図)の娘とも。
妻 赤橋久時の娘
妻の父 赤橋久時→極楽寺重時の系図
子 実文
従三位。
孫 公仲〔養父:正親町実綱〕→正親町公仲~公叙の系図
子 一条局→光厳天皇・光明天皇の系図
子 弁耀【1311-1387】
正親町忠季(ただすえ)【1322-1366】〔養父:正親町実明〕
権大納言。
妻 鷹司輔房の娘
妻の父 鷹司輔房→藤原道経・鷹司兼基の系図
子 洞院実信〔養父:洞院公定〕→洞院実夏~公連の系図
子 仁耀【1355-1417】
正親町実綱【1343-1370】
権中納言。
子 公仲・孫 実秀→正親町公仲~公叙の系図
正親町公仲~公叙の系図
正親町公仲(きんなか)【1357-1403】
権大納言。実は正親町実文(→正親町実明~実綱の系図)の子。
祖父 忠季・父 実綱→正親町実明~実綱の系図
正親町実秀(さねひで)【1388-1432】
権大納言。
子 公澄〔養父:正親町持季〕
子 小倉実右〔養父:小倉公種〕→小倉公種~実躬の系図
子 弘芸・子 頼子(『正親町家譜』による。)
正親町持季【1415-1472】
権大納言。
子 公澄【1430-1470】
権大納言。実は正親町実秀の子。
子 小倉季種〔養父:小倉実右〕→小倉公種~実躬の系図
子 持季の娘〔養父:洞院公数(→洞院実夏~公連の系図)〕(『正親町家譜』による。)
子の夫 大炊御門信量→大炊御門宗実~頼国の系図
正親町公兼/公遠【1453-1525】
権大納言。
子の夫 中山康親→中山宣親~孝親の系図
正親町実胤/実枝【1490-1566】
権大納言。
妻 三条西実隆の娘
妻の父 三条西実隆→三条西公時~公条の系図
正親町公叙(きんのぶ)【1514-1549】
権大納言。
妻 甘露寺伊長の娘
妻の父 甘露寺伊長→甘露寺房長~伊長の系図
子 実彦・孫 季康→正親町実彦~実豊の系図
正親町実彦~実豊の系図
正親町実彦/季秀(すえひで)【1548-1612】
権大納言。実は庭田重保(→庭田雅行~重保の系図)の子。本能寺の変の際には、誠仁親王を二条城から脱出させた。
祖父 実胤・父 公叙→正親町公仲~公叙の系図
祖父 甘露寺伊長→甘露寺房長~伊長の系図
妻 烏丸光康の娘
妻の父 烏丸光康→烏丸豊光~光康の系図
子 季俊〔養父:正親町季康〕
子 持明院基久〔養父:持明院基孝〕→持明院基春~基征の系図
正親町季康【1575-1609】(以下、『系図纂要』による。)
子 裏辻季福・孫 実景→裏辻季福~実脩の系図
子の夫 広橋兼賢→広橋兼賢~貞光の系図
正親町季俊【1586-1625】
参議。実は正親町実彦の子。
子の夫 岡崎宣持→岡崎宣持~国有の系図
正親町実豊【1619-1703】
権大納言。
妻 藤谷為賢の娘
妻の父 藤谷為賢→藤谷為賢・為条の系図
子 公通・孫 実垂→正親町公通~実連の系図
子 中山篤親〔養父:中山英親〕→中山篤親~栄親の系図
子 承頥・賢証(『正親町家譜』による。)
子 町子→柳沢吉保の系図
孫 柳沢経隆→柳沢経隆~光邦の系図
孫 柳沢時睦→柳沢時睦~徳忠の系図
子 久→中川久清~久慶の系図
子の夫 松平頼豊→松平頼豊~頼恭の系図
正親町公通~実連の系図
正親町公通(きんみち)【1653-1733】
権大納言。山崎闇斎に垂加神道を学んだ。日記は『八角記』。
祖父 季俊・父 実豊→正親町実彦~実豊の系図
祖父 藤谷為賢→藤谷為賢・為条の系図
妻 三条西泰長の娘
妻の父 三条西泰長→三条西実世~実条の系図
子 野宮定俊〔養父:野宮定基〕→野宮定逸~定之の系図
子 実建【1692-1697】
子 公梁〔養父:正親町実垂〕
子 実連〔養父:正親町公梁〕
子 四条隆叙〔養父:四条隆文〕→四条隆重~隆平の系図
子 尊通(『正親町家譜』による。)
子 生姫→松平友著の系図
子の夫 柳沢経隆→柳沢経隆~光邦の系図
子の夫 山科頼言(『正親町家譜』による。)→山科頼言~忠言の系図
子の夫 梅園実縄(『正親町家譜』による。)→梅園実縄~実静の系図
正親町実垂/公成【1694-1726】
正親町公梁【1711-1731】
実は正親町公通の子。
子 裏辻実本〔養父:裏辻公視〕→裏辻季福~実脩の系図
正親町実連(さねつら)【1720-1802】
権大納言。実は正親町公通、中山兼親(→中山篤親~栄親の系図)(『正親町家譜』)の子。
妻 広幡豊忠の娘
妻の父 広幡豊忠→広幡忠幸・豊忠の系図
子 公明・孫 実光→正親町公明~公董の系図
子 実則【1745-1751】(『正親町家譜』による。)
子 裏辻公理〔養父:裏辻公本〕→裏辻季福~実脩の系図
子の夫 鷲尾隆建→鷲尾隆長~隆聚の系図
正親町公明~公董の系図
正親町公明(きんあき)/公功【1744-1813】
権大納言。尊号一件の際には、武家伝奏として朝廷と幕府の折衝に努めた。
祖父 公梁・父 実連→正親町公通~実連の系図
祖父 広幡豊忠→広幡忠幸・豊忠の系図
妻 鍋島治茂の娘
実は鍋島直員(→鍋島直員の系図)の子。
妻の父 鍋島治茂→鍋島治茂の系図
子 実賢【1767-1769】
子 成実〔養父:三条季晴(→三条実顕~実美の系図)〕
子 藪実嗣〔養父:藪公師〕→藪保季~実方の系図
子 盈源・尊雄・紹潤・子 周昉(『正親町家譜』による。)
子の夫 西園寺寛季→西園寺公晃~公望の系図
正親町実光【1777-1817】
権大納言。
妻 四辻公亨の娘
妻の父 四辻公亨→四辻公韶~公賀の系図
子 公訓【1809-1810】
子 公遵【1811-1818】
子 雅子→光格天皇~孝明天皇の系図
子 公厚【1806-1808】
正親町実徳【1814-1896】
権大納言。
妻 山内豊敬の娘
妻の父 山内豊敬→山内豊敬の系図
妻 広橋陳子
広橋胤定(→広橋胤定の系図)の娘。
正親町公董(きんただ)【1839-1879】
実は中山忠能(→中山愛親~忠愛の系図)の子。戊辰戦争では奥羽追討総督として活躍した。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。