九条家(藤原氏北家)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、九条家(藤原氏北家)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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九条家(摂家)の略系図

九条家の略系図

1 兼実九条兼実の系図
2 良経九条良経の系図
3 道家九条道家の系図
4 教実九条教実~師教の系図
8 房実九条房実~満教の系図
12 政基九条政基~兼孝の系図
16 幸家九条幸家~輔実の系図
20 師孝九条師孝~道孝の系図

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九条兼実の系図

九条兼実の系図

  九条兼実(かねざね)【1149-1207】〔養子:藤原兼良(→藤原兼房の系図)、道宝〕
 摂政・関白・太政大臣。九条家の祖。源頼朝と協力関係を築き、氏長者となったものの、源通親らによって失脚させられた。日記は『玉葉』。

祖父 忠実藤原忠実の系図
 忠通藤原忠通の系図
祖父 藤原仲光藤原仲実の系図

 楊梅兼子
 楊梅季行(→楊梅季行の系図)の娘。
 良通(よしみち)【1167-1188】
 内大臣。後継者として期待されたが、若くして亡くなった。
子の妻 花山院兼雅の娘
子の妻の父 花山院兼雅花山院忠雅・兼雅の系図

 良経九条良経の系図
 道家九条道家の系図

 任子後鳥羽天皇の系図

 八条院三位局(はちじょういんのさんみのつぼね)【?-1218】
 高階盛章(→高階盛章の系図)の娘。八条院に仕えた。
 以仁王後白河天皇~六条天皇の系図
 良輔(よしすけ)【1185-1218】〔養子:藤原教家(→九条良経の系図)〕
 左大臣。
子の妻 六条経家の娘
子の妻の父 六条経家六条経家の系図

子の妻 玄季の娘
子の妻の父 玄季楊梅季行の系図
 道宝(どうほう)【1214-1281】〔養父:九条兼実、九条道家(→九条道家の系図)〕
 後宇多天皇の護持僧を務めた。

子の妻 坊門信清の娘
子の妻の父 坊門信清坊門信清の系図

 六条顕輔の娘
妻の父 六条顕輔六条顕輔の系図
 良平(よしひら)【1184-1240】〔養父:九条良経(→九条良経の系図)〕
 太政大臣。醍醐太政大臣と号した。
子の妻 藤原兼子
 藤原範光(→藤原範光の系図)の娘。
 高実【1210-1248】〔養父:九条道家(→九条道家の系図)〕
 権大納言。
孫の妻 藤原経通の娘
 実は藤原光親(→藤原光親の系図)の娘。
孫の妻の父 藤原経通藤原泰通の系図
曾孫 忠基【1230-1263】
 参議。

忠基孫 円雄〔養父:洞院実雄(→洞院実雄の系図)〕
忠基孫 良慶〔養父:洞院公守(→洞院公守の系図)〕

忠基孫 実玄/実助

曾孫 良珍
曾孫の子の夫 後二条天皇後二条天皇の系図

子の妻 兼教の娘
 最源【1228-?】
 天台座主。

孫の夫 小倉公雄小倉公雄~実名の系図

 藤原頼輔の娘
妻の父 藤原頼輔六条顕輔の系図
 良円(りょうえん)【1178-1220】
 興福寺別当。
 良快(りょうかい)【1185-1242】
 天台座主。

 良海(りょうかい)【1197-1218】
 醍醐寺座主。
 良恵(りょうえ)【1192-1268】
 東寺長者。
子の夫 範宴→範宴の系図

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九条良経の系図

九条良経の系図

  九条良経(よしつね)【1169-1206】〔養子:藤原良平(→九条兼実の系図)〕
 摂政・太政大臣。歌人としても活躍し、『新古今和歌集』の仮名序を著した。『百人一首』にも歌が収められる。

祖父 忠通藤原忠通の系図
 兼実九条兼実の系図
祖父 楊梅季行楊梅季行の系図

 一条能保の娘
妻の父 一条能保一条通重・能保の系図
 道家九条道家の系図
 教実九条教実~師教の系図
 二条良実二条良実・師忠の系図
 一条実経一条実経~内経の系図

 教家(のりいえ)【1194-1255】〔養父:藤原良輔(→九条兼実の系図)〕
 権大納言。
 立子順徳天皇・仲恭天皇の系図

 松殿寿子
 松殿基房(→松殿基房の系図)の娘。
 月輪基家(もといえ)【1203-1280】
 内大臣。歌人。『続古今和歌集』の撰者の一人となった。
子の妻 一条高能の娘
子の妻の父 一条高能一条高能の系図
 経家【1227-?】
 正二位。母は一条能保の娘とも。
曾孫の夫 藤原公兼清水谷公定の系図

子の妻 三条基定の娘
子の妻の父 三条基定三条成定の系図
 良基【1236-1292】
 従二位。
孫の妻 行資王の娘
孫の妻の父 行資王顕広王・仲資王の系図
曾孫 良忠【?-1299】
 正三位。
曾孫の妻 藤原宗房の娘
曾孫の妻の父 藤原宗房藤原宗隆の系図

良忠孫 忠基/冬家【?-1319】〔養父:二条兼基(→二条兼基・道平の系図)〕
 従三位。

良兼孫 家尹【?-1387】
 従二位。
良兼孫 季尹/基尹
 参議。
良兼孫 尹賢
 参議。
良兼孫 基尹/家輔【?-1455】
 権中納言。父は月輪家尹とも。大納言を贈られた。

良兼孫 成基〔養父:二条師嗣(→二条良基~持基の系図)〕(『系図纂要』による。)

良兼孫 氏賢【1504-1526】(『系図纂要』による。)

子の妻 藤原兼季の娘
子の妻の父 藤原兼季中山忠親・兼宗の系図

 小国政綱の娘
妻の父 小国政綱→小国政綱の系図
 良尊(りょうそん)【1189-1246】
 園城寺長吏。

 平信業の娘
 道慶(どうきょう)【?-1285】
 園城寺長吏。

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九条道家の系図

九条道家の系図

  九条道家(みちいえ)【1193-1252】〔養子:道宝・藤原高実(→九条兼実の系図)〕
 摂政・関白・左大臣。承久の乱で摂政を罷免されたが、西園寺公経の働きにより復権し、長く実権を握ったほか、東福寺を建立した。光明峯寺殿と号した。日記は『玉蘂』。

祖父 兼実九条兼実の系図
 良経九条良経の系図
祖父 一条能保一条通重・能保の系図

 西園寺綸子(りんし)【1192-1251】
 西園寺公経(→西園寺公経の系図)の娘。
 教実 忠家九条教実~師教の系図
 二条良実 師忠二条良実・師忠の系図
 一条実経 家経一条実経~内経の系図
 頼経(よりつね)【1218-1256】〔養子:法助〕
 権大納言。鎌倉幕府4代将軍(1226-1244)。
子の妻 藤原親能の娘
子の妻の父 藤原親能藤原親能・定季の系図
 頼嗣(よりつぐ)【1239-1256】
 従三位。鎌倉幕府5代将軍(1244-1252)。
孫の妻 檜皮姫(ひわだひめ)【1230-1247】
 北条時氏(→北条泰時~時頼の系図)の娘。

 頼経の娘【?-1225】(『系図纂要』による。)

子の妻 持明院家能の娘
子の妻の父 持明院家能持明院基宗~基世の系図

子の妻 竹御所(たけのごしょ)【1203-1234】〔養父:源実朝(→源頼朝の系図)〕
 源頼家(→源頼朝の系図)の娘。難産の末亡くなった。

 円実(えんじつ)【1214-1272】
 興福寺別当。
 慈源【?-1255】
 天台座主。
 法助(ほうじょ)【1227-1284】〔養父:藤原頼経〕
 竴子守貞親王~四条天皇の系図

 源有雅の娘
妻の父 源有雅源通家の系図

 源重房の娘
妻の父 源重房源有雅の系図
 慈実(じじつ)【1238-1300】
 天台座主。

 行昭【1232-1303】
 園城寺長吏。
 道智(どうち)【1217-1269】
 園城寺長吏。狛僧正と号した。
 勝信(しょうしん)【1235-1287】
 東寺長者。
 仁子近衛家実・兼経の系図
 近衛基平近衛基平の系図

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九条教実~師教の系図

九条教実~師教の系図

  九条教実(のりざね)【1211-1235】
 摂政・関白・左大臣。摂政・関白に就くものの、実権は父道家が握っていた。洞院殿と号した。日記は『洞院摂政記』。

祖父 良経九条良経の系図
 道家九条道家の系図
祖父 西園寺公経西園寺公経の系図

 藤原恩子
 藤原定季(→藤原親能・定季の系図)の娘。実は家綱の子。

 西園寺嘉子
 西園寺公経(→西園寺公経の系図)の娘。
 彦子守貞親王~四条天皇の系図

 室町家信の娘
妻の父 室町家信室町家信の系図

 尊信(そんじん)【1223-1283】
 興福寺別当。


  九条忠家(ただいえ)【1229-1275】
 摂政・関白・右大臣。一音院と号した。
 三条公房の娘
妻の父 三条公房三条公房の系図
 忠嗣【1253-?】
 正二位。
子の妻 金沢実泰の娘
子の妻の父 金沢実泰金沢実泰の系図

 湛恵/順空【?-1332】

 尋慶/清空【?-1308】


  九条忠教(ただのり)【1248-1332】
 関白・左大臣。報恩院殿と号した。
 西園寺公相の娘
妻の父 西園寺公相西園寺公相の系図

 尊覚/覚意

 二条道良の娘
妻の父 二条道良二条良実・師忠の系図
 禖子二条兼基・道平の系図

 藤原有時の娘
妻の父 藤原有時藤原済綱の系図
 房実〔養父:九条師教〕→九条房実~満教の系図

 藤原公持の娘
妻の父 藤原公持一条実有~実連の系図


  九条師教(もろのり)【1273-1320】
 摂政・関白・左大臣。己心院殿と号した。
 守良親王の娘
妻の父 守良親王亀山天皇の系図
 道教〔養父:九条房実〕→九条房実~満教の系図

 亀山天皇の皇女
妻の父 亀山天皇亀山天皇の系図

 房実 道教九条房実~満教の系図
 孝覚〔養父:九条房実〕→九条房実~満教の系図

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九条房実~満教の系図

九条房実~満教の系図

  九条房実(ふさざね)【1290-1327】
 関白・左大臣。実は九条忠教(→九条教実~師教の系図)の子。後一音院殿と号した。

祖父 忠教 師教九条教実~師教の系図

 二条治子
 二条兼基(→二条兼基・道平の系図)の娘。

 孝覚(こうかく)【1319-1368】
 実は九条師教(→九条教実~師教の系図)の子。興福寺別当。


  九条道教(みちのり)【1315-1349】
 関白・左大臣。実は九条師教(→九条教実~師教の系図)の子。三縁院殿と号した。
 大宮季衡の娘
妻の父 大宮季衡西園寺公衡~公宗の系図

 孝尊(こうそん)


  九条経教(つねのり)【1331-1400】
 関白・左大臣。後報恩院殿と号した。

 冷泉定親の娘
妻の父 冷泉定親吉田為経の系図
 教嗣(のりつぐ)【1362-1404】
 右大臣。

 三条実忠の娘
妻の父 三条実忠三条実重~公忠の系図

 忠基(ただもと)/教平【1345-1397】
 関白・左大臣。後己心院殿と号した。
 道尊(どうそん)/尊経
 園城寺長吏。
 孝尋(こうじん)【?-1428】
 実は鷹司冬通(→鷹司師平~忠冬の系図)の子。興福寺別当。
 孝信(こうしん)
 実は鷹司冬通(→鷹司師平~忠冬の系図)の子。衆徒の訴えで配流された。
 孝円(こうえん)【1378-1410】
 興福寺別当。
 仁意/教意【?-1415】
 経覚(きょうがく)【1395-1473】(『系図纂要』による。)
 興福寺別当。日記は『経覚私要鈔』。


  九条満教(みつのり)/満家(みついえ)/満輔【1394-1449】
 関白・左大臣。母は『九条家譜』による。後三縁院殿と号した。
 唐橋在豊の娘
妻の父 唐橋在豊唐橋在雅~在名の系図
 政基 尚経九条政基~兼孝の系図

 政忠(まさただ)/成家【1440-1488】
 関白・内大臣。父は九条加々丸(『九条家譜』)とも。普門寺殿と号した。
 政紹【1469-1491】〔養父:足利義教(→足利義教・義政の系図)〕(『系図纂要』による。)
 忠巌【?-1552】(『系図纂要』による。)
 桓昭(『系図纂要』による。)

 尋実/尊範(『系図纂要』による。)
 加々丸(『九条家譜』による。)

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九条政基~兼孝の系図

九条政基~兼孝の系図

  九条政基(まさもと)【1445-1516】
 関白・左大臣。従兄弟の唐橋在数を殺害し、勅勘を蒙った。和泉国日根野荘に下向し、『政基公旅引付』を書き記した。慈眼院殿と号した。

祖父 経教 満教九条房実~満教の系図
祖父 唐橋在豊唐橋在雅~在名の系図

 武者小路隆光の娘
妻の父 武者小路隆光柳原資明の系図
 細川澄之〔養父:細川政元〕→細川澄之の系図

 義尭【1505-1564】〔養父:足利義稙(→足利義稙の系図)〕
 養慶【?-1582】(『系図纂要』による。)
 恵観澄栄(『九条家譜』による。)


  九条尚経(ひさつね)【1468-1530】〔養子:宗泰(→万里小路賢房~惟房の系図)、光教(→光教の系図)〕
 関白・左大臣。父とともに唐橋在数を殺害し、勅勘を蒙った。後慈眼院殿と号した。
 三条西保子
 三条西実隆(→三条西公時~公条の系図)の娘。
 経尋(きょうじん)【1499-1526】
 興福寺別当。日記は『経尋記』。
 尋円【?-1581】
 花山院家輔〔養父:花山院忠輔〕→花山院兼定~家輔の系図
 経子二条持通~晴良の系図


  九条稙通(たねみち)【1507-1594】
 関白・内大臣。『源氏物語』の注釈書『孟津抄』を著した。東光院殿と号した。
 尋憲二条持通~晴良の系図
 実は二条尹房の子。


  九条兼孝(かねたか)【1553-1636】
 関白・左大臣。実は二条晴良(→二条持通~晴良の系図)の子。後月輪殿と号した。
 高倉煕子
 高倉永家(→高倉永継~永相の系図)の娘。
 幸家 道房九条幸家~輔実の系図

 増孝【1589-1644】(『系図纂要』による。)
子の夫 智仁親王→智仁親王の系図

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九条幸家~輔実の系図

九条幸家~輔実の系図

  九条幸家(ゆきいえ)/忠栄【1586-1665】〔養子:公海(→花山院定煕・定好の系図)〕(以下、『系図纂要』による。)
 関白・左大臣。

祖父 稙通 兼孝九条政基~兼孝の系図
祖父 高倉永家高倉永継~永相の系図

 豊臣完子
 豊臣秀勝(→豊臣秀勝の系図)の娘。
 二条康道〔養父:二条昭実〕→二条昭実~綱平の系図
 松殿道昭/道基【1615-1646】
 権大納言。松殿家を再興した。
 栄厳【1622-1664】
子の夫 光円→光円の系図

 日怡(『九条家譜』による。)
子の夫 光従→光従の系図


  九条道房(みちふさ)/忠象【1609-1647】
 摂政・左大臣。
 梅姫→松平綱賢の系図
子の夫 光晴→光晴の系図
子の夫 浅野綱晟→浅野綱晟の系図


  九条兼晴(かねはる)【1641-1677】〔養子:俊海(→鷹司信房~教平の系図)〕
 左大臣。実は鷹司教平(→鷹司信房~教平の系図)の子。
 二条綱平〔養父:二条光平〕→二条昭実~綱平の系図
 光澄〔養父:光常〕→光澄の系図
 兼晴の娘(2人)(『九条家譜』による。)


  九条輔実(すけざね)【1669-1729】
 摂政・関白・左大臣。絵をよくした。
 益子内親王(ますこ)【1669-1738】
 後西天皇(→後西天皇の系図)の皇女。
 師孝 幸教九条師孝~道孝の系図

 幸教〔養父:九条輔実〕→九条師孝~道孝の系図
 尚実〔養父:九条稙基〕→九条師孝~道孝の系図
 輔子→徳川吉通の系図
 輔実の息子(4人)・ 輔実の娘(2人)(『九条家譜』による。)

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九条師孝~道孝の系図

九条師孝~道孝の系図

  九条師孝【1688-1713】
 権大納言。

祖父 兼晴 輔実九条幸家~輔実の系図
祖父 後西天皇後西天皇の系図


  九条幸教(ゆきのり)【1700-1728】
 内大臣。実は九条輔実(→九条幸家~輔実の系図)の子。
 徳川三千姫【1706-1757】〔養父:徳川継友(→徳川継友の系図)〕
 実は徳川吉通(→徳川吉通の系図)の娘。
 二条宗基〔養父:二条宗煕〕→二条吉忠~重良の系図


  九条稙基(たねもと)【1725-1743】
 内大臣。


  九条尚実(ひさざね・なおざね)/尭厳【1717-1787】
 摂政・関白・太政大臣。実は九条輔実(→九条幸家~輔実の系図)の子。出家して随心院に入っていたが、還俗して九条家を継いだ。日記は『尚実公記』。
 松殿忠孝(ただたか)【1748-1768】
 権中納言。松殿家を再興したが、一代で断絶した。
 増護二条治孝~斉敬の系図
 実は二条治孝の子。
 尚実の息子(3人)(『九条家譜』による。)


  九条道前(みちさき)【1746-1770】
 内大臣。
 徳川恭君【1747-1791】
 徳川宗勝(→徳川宗勝の系図)の娘。


  九条輔家【1769-1785】
 権大納言。


  九条輔嗣【1784-1807】
 権大納言。実は二条治孝(→二条治孝~斉敬の系図)の子。


  九条尚忠(ひさただ)【1798-1871】
 関白・右大臣。実は二条治孝(→二条治孝~斉敬の系図)の子。
 唐橋姪子〔養父:唐橋在煕(→唐橋在家~在光の系図)〕
 実は禅泰の娘。
 夙子光格天皇~孝明天皇の系図

 宗徳
 宗義功(→宗義暢~重正の系図)の娘。
 松平斉典→松平斉典の系図

 隆芳/尚嘉(ひさよし)【1840-1903】
 忠善〔養父:伊木忠恭〕(『九条家譜』による。)
 鷹司煕通〔養父:鷹司輔煕(→鷹司政通~輔政の系図)〕
 二条基弘(もとひろ)【1859-1928】〔養父:二条斉敬(→二条治孝~斉敬の系図)〕
 鷹司淳君〔養父:鷹司政通〕→鷹司政通~輔政の系図
 祥子→光沢の系図
 尚忠の息子(3人)・ 尚忠の娘(6人)(『九条家譜』による。)


  九条幸経【1823-1859】
 権大納言。実は鷹司政通(→鷹司政通~輔政の系図)の子。
 酒井肫子
 酒井忠実(→酒井忠実の系図)の娘。

 幸経の娘(『九条家譜』による。)


  九条道孝(みちたか)【1839-1906】
 左大臣。貞明皇后の父。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』及び東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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