このページでは、九条家(藤原氏北家)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
九条兼実の系図
九条兼実(かねざね)【1149-1207】〔養子:藤原兼良(→藤原兼房の系図)、道宝〕
摂政・関白・太政大臣。九条家の祖。源頼朝と協力関係を築き、氏長者となったものの、源通親らによって失脚させられた。日記は『玉葉』。
祖父 忠実→藤原忠実の系図
父 忠通→藤原忠通の系図
祖父 藤原仲光→藤原仲実の系図
妻 楊梅兼子
楊梅季行(→楊梅季行の系図)の娘。
子 良通(よしみち)【1167-1188】
内大臣。後継者として期待されたが、若くして亡くなった。
子の妻 花山院兼雅の娘
子の妻の父 花山院兼雅→花山院忠雅・兼雅の系図
子 良経→九条良経の系図
子 任子→後鳥羽天皇の系図
妻 八条院三位局(はちじょういんのさんみのつぼね)【?-1218】
高階盛章(→高階盛章の系図)の娘。八条院に仕えた。
夫 以仁王→後白河天皇~六条天皇の系図
子 良輔(よしすけ)【1185-1218】〔養子:藤原教家(→藤原教家の系図)〕
左大臣。
子の妻 六条経家の娘
子の妻の父 六条経家→六条経家の系図
子の妻 玄季の娘
子の妻の父 玄季→楊梅季行の系図
孫 道宝(どうほう)【1214-1281】〔養父:九条兼実、九条道家(→九条道家の系図)〕
後宇多天皇の護持僧を務めた。
子の妻 坊門信清の娘
子の妻の父 坊門信清→坊門信清の系図
妻 六条顕輔の娘
妻の父 六条顕輔→六条顕輔の系図
子 良平(よしひら)【1184-1240】〔養父:九条良経(→九条良経の系図)〕
太政大臣。醍醐太政大臣と号した。
子の妻 藤原兼子
藤原範光(→藤原範光の系図)の娘。
孫 高実【1210-1248】〔養父:九条道家(→九条道家の系図)〕
権大納言。
孫の妻 藤原経通の娘
実は藤原光親(→藤原光親の系図)の娘。
孫の妻の父 藤原経通→藤原泰通の系図
曾孫 忠基【1230-1263】
参議。
忠基孫 円雄〔養父:洞院実雄(→洞院実雄の系図)〕
忠基孫 良慶〔養父:洞院公守(→洞院公守の系図)〕
忠基孫 実玄/実助
曾孫 良珍
曾孫の子の夫 後二条天皇→後二条天皇の系図
子の妻 兼教の娘
孫 最源【1228-?】
天台座主。
孫の夫 小倉公雄→小倉公雄の系図
妻 藤原頼輔の娘
妻の父 藤原頼輔→六条顕輔の系図
子 良円(りょうえん)【1178-1220】
興福寺別当。
子 良快(りょうかい)【1185-1242】
天台座主。
子 良海(りょうかい)【1197-1218】
醍醐寺座主。
子 良恵(りょうえ)【1192-1268】
東寺長者。
子の夫 範宴→範宴の系図