庭田家(宇多源氏)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、庭田家(宇多源氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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庭田家(羽林家)の略系図

庭田家の略系図

1 経資庭田経資~重賢の系図
7 雅行庭田雅行~重保の系図
11 重具庭田重具~重秀の系図
14 雅純庭田雅純~重孝の系図
18 重煕庭田重煕~重胤の系図

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庭田経資~重賢の系図

庭田経資~重賢の系図

  庭田経資(つねすけ)/実泰/有忠/実連【1241-?】
 権中納言。実は近衛公斉(→近衛公明の系図)の子。庭田家の祖。

祖父 時賢 有資源時賢・有資の系図

 中山基雅の娘
妻の父 中山基雅中山忠定~親通の系図

 経賢
 従二位。


  庭田茂賢【?-1325】
 従三位。


  庭田重資(しげすけ)【1305-1389】
 権大納言。
 田向資蔭/資煕【?-1392】
 従三位。
 経良/経兼
 参議。
曾孫 長資/長兼
 権中納言。
資蔭孫 経秀/経家【1417-1461】
 参議。
資蔭孫 重治【1452-1535】
 権中納言。
資蔭孫 高綱→姉小路隆綱の系図
 実は姉小路済継の子。

 資子崇光天皇~貞成親王の系図


  庭田経有【?-1412】〔養子:五辻資仲(→五辻仲貞~富仲の系図)〕
 後花園天皇の外祖父となったため、左大臣従一位を贈られた。
 飛鳥井雅冬の娘
妻の父 飛鳥井雅冬飛鳥井雅経~雅孝の系図
 幸子崇光天皇~貞成親王の系図
 後花園天皇後花園天皇~後柏原天皇の系図

 五辻朝仲〔養父:五辻資仲〕→五辻仲貞~富仲の系図


  庭田重有【1378-1440】
 権大納言。
 盈子→貞常親王の系図


  庭田重賢/長賢/政賢【?-1487】
 権大納言。内大臣を贈られた。
 雅行 重経庭田雅行~重保の系図
 承英/資友
 朝子後花園天皇~後柏原天皇の系図

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庭田雅行~重保の系図

庭田雅行~重保の系図

  庭田雅行【1434-1495】
 権大納言。

祖父 重有 重賢庭田経資~重賢の系図

 源子後花園天皇~後柏原天皇の系図


  庭田重経【1465-1501】
 参議。


  庭田重親(しげちか)【1495-1533】
 権中納言。実は中山宣親(→中山宣親~孝親の系図)の子。
 今出川季孝の娘
妻の父 今出川季孝今出川兼季~公彦の系図
 重子→光教の系図

 中院通世の娘
妻の父 中院通世中院通氏~通右の系図


  庭田重保(しげやす)【1525-1595】
 権大納言。
 広橋兼秀の娘
妻の父 広橋兼秀広橋兼秀・国光の系図
 重具 重定庭田重具~重秀の系図
 正親町実彦〔養父:正親町公叙〕→正親町実彦~実豊の系図
 中御門資胤〔養父:中御門宣政〕→中御門資胤~宣基の系図
 日豊保忠(『系図纂要』による。)
 光恵〔養父:広橋国光〕→広橋兼秀・国光の系図

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庭田重具~重秀の系図

庭田重具~重秀の系図

  庭田重具/重頼/重通【1547-1598】(以下、『系図纂要』による。)
 権大納言。

祖父 重親 重保庭田雅行~重保の系図
祖父 広橋兼秀広橋兼秀・国光の系図

 純恵の娘
 具子後陽成天皇の系図

 明智光秀の娘
妻の父 明智光秀→明智光秀の系図


  庭田重定【1577-1620】
 権中納言。
 三条西公国の娘
妻の父 三条西公国三条西実世~実条の系図

 佐々木野資教/資敦【1618-1662】
 正三位。
 資晴(『庭田家譜』による。)


  庭田重秀【1606-1650】
 中御門資胤の娘
妻の父 中御門資胤中御門資胤~宣基の系図

 雅純 雅秀庭田雅純~重孝の系図
 葛岡宣慶/宣之【1629-1717】
 潤海(『庭田家譜』による。)
 宣易【1643-1742】(以下、『庭田家譜』による。)
 70歳で亡くなったともされる。
曾孫 大原栄敦〔養父:大原栄顕〕→大原栄顕~重実の系図
曾孫の夫 東坊城綱忠東坊城恒長~夏長の系図
曾孫の夫 上冷泉為村上冷泉為綱~為村の系図

 五辻広仲〔養父:五辻仲賢〕→五辻俊仲~継仲の系図
 大原栄顕〔養父:庭田重条〕→大原栄顕~重実の系図

 見雲重村(『庭田家譜』による。)
 秀子後水尾天皇~後光明天皇の系図

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庭田雅純~重孝の系図

庭田雅純~重孝の系図

  庭田雅純【1627-1663】

祖父 重定 重秀庭田重具~重秀の系図

 重条〔養父:庭田雅秀〕
子の夫 小笠原長定(『寛政重修諸家譜』による。)→小笠原長定~長有の系図


  庭田雅秀【1647-1667】


  庭田重条【1650-1725】
 権大納言。実は庭田雅純の子。
 花園実満の娘
妻の父 花園実満花園実教~実延の系図

 大原栄顕 栄敦大原栄顕~重実の系図
子の夫 中山兼親中山篤親~栄親の系図


  庭田重孝【1692-1745】
 権大納言。実は中山篤親(→中山篤親~栄親の系図)の子。
 野宮定基の娘
妻の父 野宮定基野宮定逸~定之の系図
 重煕 重嗣庭田重煕~重胤の系図

 亮淳【?-1788】(『庭田家譜』による。)
 重孝の娘【?-1758】(『庭田家譜』による。)
 重孝の娘【?-1801】(『庭田家譜』による。)
 宇和島藩士山崎某に嫁いだ。

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庭田重煕~重胤の系図

庭田重煕~重胤の系図

  庭田重煕【1717-1789】
 権大納言。

祖父 重条 重孝庭田雅純~重孝の系図
祖父 野宮定基野宮定逸~定之の系図

 唐橋積子
 唐橋在廉(→唐橋在通~在秀の系図)の娘。
 綾小路俊資〔養父:綾小路有美〕→綾小路俊宗~有良の系図

 純豪 孝子(『庭田家譜』による。)
子の夫 富小路貞直富小路重直~敬直の系図


  庭田重嗣【1757-1831】
 権大納言。
 七十四子(『庭田家譜』による。)
子の夫 道明寺専惣寺(『庭田家譜』による。)


  庭田重能【1782-1842】
 権大納言。
 大炊御門宣子
 大炊御門家孝(→大炊御門経秀~師前の系図)の娘。
 葉室頼寿の娘
妻の父 葉室頼寿葉室頼煕~長邦の系図

 孝基【1809-?】
 『庭田家譜』には見えない。嗣基と同一人物か。
 五辻高仲〔養父:五辻豊仲〕→五辻俊仲~継仲の系図
 嗣子(つぐこ)【1820-1867】
 仁孝天皇・孝明天皇に仕えた。和宮降嫁に伴い、和宮の御付きを命じられた。日記は『庭田嗣子日記』。
 盈存嗣基 八十子二左子措子(『庭田家譜』による。)
子の夫 道明寺(『庭田家譜』による。)


  庭田重基【1799-1840】
 参議。実は中山愛親・中山忠尹(→中山愛親~忠愛の系図)の子。
 壬生基修〔養父:壬生道吉〕→葉川基起~壬生基修の系図
 重基の娘(『庭田家譜』による。)
 実は勘解由小路光宙(→勘解由小路資忠~光尚の系図)の娘。祐慎の妻になった。
 基子重基の娘(『庭田家譜』による。)
子の夫 愛宕通致愛宕通福~通致の系図


  庭田重胤【1821-1873】〔養子:中山栄子(→中山愛親~忠愛の系図)〕
 権大納言。
 東園基貞の娘
妻の父 東園基貞東園基禎~基愛の系図

 石井知子
 石井行弘(→石井行文~行知の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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