このページでは、徳大寺家(藤原氏北家・公季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
徳大寺家(清華家)の略系図
1 実能→徳大寺実能の系図
2 公能→徳大寺公能の系図
2-A1 実家→川原実家・公国の系図
2-A2 公明→近衛公明の系図
2-A3 実重・実光→川原実重・近衛実光の系図
2-B 実守・実印・実快→藤原実守・実印・実快の系図
3 実定→徳大寺実定・公継の系図
5 実基→徳大寺実基~実孝の系図
8 公清→徳大寺公清~実盛の系図
12 公有→徳大寺公有~公胤の系図
15 実規→徳大寺実規~公信の系図
19 実維→徳大寺実維~公城の系図
23 実祖→徳大寺実祖~実則の系図
徳大寺実能の系図
徳大寺実能(さねよし)【1096-1157】〔養子:三条公教(→三条公教の系図)、藤原公重(→西園寺通季の系図)〕
左大臣。徳大寺家の祖。衣笠に徳大寺を建立した。
祖父 実季→藤原実季の系図
父 公実→藤原公実の系図
祖父 藤原隆方→藤原隆方の系図
妻 藤原顕隆の娘
妻の父 藤原顕隆→藤原顕隆の系図
子 公能→徳大寺公能の系図
孫 実定→徳大寺実定・公継の系図
孫 川原実家→川原実家・公国の系図
孫 実守・孫 実印・実快→藤原実守・実印・実快の系図
子 幸子→藤原頼長の系図
妻 中御門宗忠の娘
妻の父 中御門宗忠→中御門宗忠の系図
子 公親【1131-1159】
参議。母は源遠仲(→源奉職・政職の系図)の娘とも。
子の妻 藤原家成の娘
子の妻の父 藤原家成→藤原家成の系図
孫 実教→山科実教の系図
実は藤原家成(→藤原家成の系図)の子。
妻 西園寺通季の娘
妻の父 西園寺通季→西園寺通季の系図
子 公保(きんやす)【1132-1176】
権大納言。
子の妻 藤原忠能の娘
子の妻の父 藤原忠能→藤原忠能の系図
孫 実保【?-1207】
従三位。
孫の夫 松殿基房→松殿基房の系図
孫の夫 坊門信清→坊門信清の系図
妻 源俊子
源顕俊(→源雅俊の系図)の娘。
子 育子→後白河天皇~六条天皇の系図
子 春日局→鳥羽天皇~近衛天皇の系図
徳大寺公能の系図
徳大寺公能(きんよし)【1115-1161】〔養子:大炊御門光能(→大炊御門光能の系図)、藤原時房(→藤原清隆の系図)〕
右大臣。
祖父 公実→藤原公実の系図
父 実能→徳大寺実能の系図
祖父 藤原顕隆→藤原顕隆の系図
妻 藤原豪子
藤原俊忠(→藤原俊忠の系図)の娘。
子 実定・孫 公継→徳大寺実定・公継の系図
子 川原実家・孫 公国→川原実家・公国の系図
孫 近衛公明→近衛公明の系図
子 実守→藤原実守・実印・実快の系図
子 公衡〔養父:藤原実守〕→藤原実守・実印・実快の系図
子 忻子→後白河天皇~六条天皇の系図
子 多子→鳥羽天皇~近衛天皇の系図・後白河天皇~六条天皇の系図
妻 大炊御門忠成の娘
妻の父 大炊御門忠成→大炊御門忠成の系図
子 実全(じつぜん)【1140/41-1221】
天台座主。
子 実印・実快→藤原実守・実印・実快の系図
子 坊門殿→後白河天皇~六条天皇の系図
子の夫 藤原師長→藤原頼長の系図
子の夫 一条通重→一条通重・能保の系図
子の夫 藤原邦綱→藤原盛国の系図
子の夫 源資賢→源資賢の系図
孫 時賢→源時賢・有資の系図
川原実家・公国の系図
川原実家(さねいえ)【1145-1193】
大納言。歌人。
祖父 実能→徳大寺実能の系図
父 公能→徳大寺公能の系図
祖父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
妻 藤原憲方の娘
妻の父 藤原憲方→藤原憲方の系図
子 近衛公明→近衛公明の系図
妻 藤原朝方の娘
妻の父 藤原朝方→藤原朝方の系図
子の夫 藤原顕俊→藤原光雅の系図
川原公国【1163-1218】
中納言。
妻 大江広元の娘
妻の父 大江広元→大江広元の系図
子 実重・子 近衛実光→川原実重・近衛実光の系図
妻 西園寺実宗の娘
妻の父 西園寺実宗→西園寺実宗の系図
子の夫 高倉氏通→高倉敦通の系図
川原実重・近衛実光の系図
川原実重
祖父 実家・父 公国→川原実家・公国の系図
祖父 大江広元→大江広元の系図
妻 平光盛の娘
妻の父 平光盛→平経盛・教盛・頼盛の系図
孫の夫 粟田口良教→粟田口基良の系図
曾孫 公直
曾孫の子の夫 三条実忠→三条実重~公忠の系図
公直孫 実茂
参議。
近衛実光(さねみつ)【1202-1247】
参議。
子 公敦【1235-1287】
参議。
孫 実香【1261-1325】
権中納言。
曾孫 公量【?-1361】
参議。
曾孫の夫 源秋仲→源師俊の系図
孫の夫 滋野井冬季→滋野井公光~教国の系図
近衛公明の系図
近衛公明【?-1218】
従三位。
祖父 公能→徳大寺公能の系図
父 実家→川原実家・公国の系図
祖父 藤原憲方→藤原憲方の系図
妻 松殿基房の娘
妻の父 松殿基房→松殿基房の系図
子 実忠
子の妻 五辻家経の娘
子の妻の父 五辻家経→五辻家経の系図
孫 公斉【1219-?】
従二位。
孫の妻 源有資の娘
孫の妻の父 源有資→源時賢・有資の系図
曾孫 庭田経資〔養父:源有資(→源時賢・有資の系図)〕→庭田経資~重賢の系図
公員孫 実綱
正三位。父は近衛公斉とも。
子の妻 坊門隆清の娘
子の妻の父 坊門隆清→坊門隆清の系図
孫の夫 三条公泰→三条実親・公親の系図
藤原実守・実印・実快の系図
藤原実守【1147-1185】
権中納言。
祖父 実能→徳大寺実能の系図
父 公能→徳大寺公能の系図
祖父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
妻 源雅通の娘
妻の父 源雅通→源雅通の系図
子 公衡【?-1193】
従三位。実は徳大寺公能(→徳大寺公能の系図)の子。
子の妻 一条通重の娘
子の妻の父 一条通重→一条通重・能保の系図
子の妻 源雅通の娘
子の妻の父 源雅通→源雅通の系図
子 守通→唐橋通資の系図
実は唐橋通資の子。
徳大寺実定・公継の系図
徳大寺実定(さねさだ)【1139-1191】
左大臣。議奏公卿の一人。歌人としても活躍し、『百人一首』にも歌が収められている。
祖父 実能→徳大寺実能の系図
父 公能→徳大寺公能の系図
祖父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
妻 藤原顕長の娘
妻の父 藤原顕長→藤原顕長の系図
子 公守【1162-1186】
妻 藤原顕隆の娘
妻の父 藤原顕隆→藤原顕隆の系図
子 公順→西園寺通季の系図
実は公源の子。
子の夫 粟田口忠良→粟田口忠良の系図
徳大寺公継(きんつぐ)/公嗣【1175-1227】
左大臣。野宮左大臣と号した。承久の乱の際には、西園寺公経を処断しようとした後鳥羽上皇を諫めた。日記は『宮槐記』。
妻 三条実房の娘
妻の父 三条実房→三条実房の系図
子 実嗣【1195-1213】
正三位。
子 実基・孫 公孝→徳大寺実基~実孝の系図
実縁孫 光雅〔養父:広橋仲光〕→広橋兼綱~兼宣の系図
徳大寺実基~実孝の系図
徳大寺実基(さねもと)【1201-1273】〔養子:実宝(→西園寺実氏の系図)、実芿(→一条実有~実連の系図)、一条公仲(→一条高能の系図)〕
太政大臣。迷信をしりぞける逸話が『徒然草』に載せられている。
祖父 実定・父 公継→徳大寺実定・公継の系図
妻 鷹司頼平の娘
妻の父 鷹司頼平→鷹司頼平の系図
妻 藤原頼基の娘
徳大寺公孝の養母。
妻の父 藤原頼基→鷹司頼平の系図
子 教子→西園寺公相の系図
徳大寺公孝(きんたか)【1253-1305】〔養子:性弘〕
太政大臣。母は成願(→藤原懐広の系図)の娘とも。
妻 二条良実の娘
妻の父 二条良実→二条良実・師忠の系図
妻 三条喜子
三条公親(→三条実親・公親の系図)の娘。徳大寺実孝の養母。
子 忻子→後二条天皇の系図
妻 西園寺公相の娘
妻の父 西園寺公相→西園寺公相の系図
徳大寺実孝(さねたか)【1293-1322】
権中納言。
妻 西園寺公相の娘(『徳大寺家譜』による。)
妻の父 西園寺公相→西園寺公相の系図
子 公清・孫 実時→徳大寺公清~実盛の系図
子 性弘〔養父:徳大寺公孝〕
子の夫 洞院実世→洞院公賢の系図
徳大寺公清~実盛の系図
徳大寺公清(きんきよ)/公蔭【1312-1360】
内大臣。
祖父 公孝・父 実孝→徳大寺実基~実孝の系図
祖父 西園寺公相→西園寺公相の系図
妻 洞院公賢の娘
妻の父 洞院公賢→洞院公賢の系図
子 高祐
父は徳大寺実時とも。
子の夫 久我具通→久我長通~清通の系図
徳大寺実時(さねとき)【1338-1404】〔養子:実禅(→三条実重~公忠の系図)〕
太政大臣。
子 公朝(『徳大寺家譜』による。)
子 高祐
父は徳大寺公清とも。
子 空昭(『系図纂要』による。)
徳大寺公俊(きんとし)【1371-1428】
太政大臣。
子 空俊(『系図纂要』による。)
子 月江・公俊の娘(『徳大寺家譜』による。)
子の夫 足利義持(『徳大寺家譜』による。)→足利義詮・義満の系図
徳大寺実盛【1400-1428】
権大納言。
妻 持明院基親の娘
妻の父 持明院基親→持明院基兼~基信の系図
子 公有・孫 実淳→徳大寺公有~公胤の系図
子 教覚(きょうかく)〔養父:足利義教(→足利義教・義政の系図)〕
妙法院門跡。天台座主。後花園天皇の護持僧を務めた。
子 実盛の娘(『徳大寺家譜』による。)
徳大寺公有~公胤の系図
徳大寺公有(きんあり)【1422-1486】
右大臣。
祖父 公俊・父 実盛→徳大寺公清~実盛の系図
祖父 持明院基親→持明院基兼~基信の系図
妻 高倉永豊の娘
妻の父 高倉永豊→高倉永季~永豊の系図
子 実顕【?-1466】
子 空覚【1451-1510】(『系図纂要』による。)
子 公祐【1446-1505】
子 実祐【?-1507】(『徳大寺家譜』による。)
子 公有の娘【1437-1503】〔養父:細川勝元(→細川勝元の系図)〕(『徳大寺家譜』による。)
子 公有の娘【1438-1511】(『徳大寺家譜』による。)
子の夫 三条公敦(『徳大寺家譜』による。)→三条実冬~公敦の系図
子の夫 足利義政(『徳大寺家譜』による。)→足利義教・義政の系図
子の夫 細川教春(『徳大寺家譜』による。)→細川頼元の系図
子の夫 烏丸益光(『徳大寺家譜』による。)→烏丸豊光~光康の系図
徳大寺実淳(さねあつ)【1445-1533】
太政大臣。和歌を好んだ。
妻 細川教春の娘
妻の父 細川教春→細川頼元の系図
子 日野内光〔養父:日野政資〕→日野勝光~晴光の系図
子 維子→近衛尚通~信尹の系図
子の夫 久我通言→久我通博~通言の系図
徳大寺公胤(きんたね)【1487-1526】
左大臣。
妻 畠山尚順の娘
妻の父 畠山尚順→畠山尚順の系図
子 実規・孫 公維→徳大寺実規~公信の系図
子 実胤/空頊(以下、『系図纂要』による。)
子 公胤の娘(『徳大寺家譜』による。)
徳大寺実規~公信の系図
徳大寺実規(さねのり)/実通(さねみち)【1513-1545】
権大納言。越中国の荘園に行った際に殺害された。
祖父 実淳・父 公胤→徳大寺公有~公胤の系図
祖父 畠山尚順→畠山尚順の系図
妻 吉田兼満の娘
妻の父 吉田兼満→吉田兼満の系図
徳大寺公維(きんふさ・きんこれ・きんつな)【1537-1588】
内大臣。実は久我通言(→久我通博~通言の系図)の子。
子 実満(『徳大寺家譜』による。)
子の夫 花山院定煕→花山院定煕・定好の系図
徳大寺実久(さねひさ)【1583-1616】
権中納言。実は花山院定煕(→花山院定煕・定好の系図)の子。『徳大寺家譜』によれば、母は右馬頭局。
妻 織田信長の娘
妻の父 織田信長→織田信長の系図
子の夫 和田飛騨守(『徳大寺家譜』による。)
徳大寺公信(きんのぶ)【1606-1684】(以下、『系図纂要』による。)
左大臣。
妻 吉川広正の娘
妻の父 吉川広正→吉川広正の系図
子 実維・孫 公全→徳大寺実維~公城の系図
子 今出川公規〔養父:今出川経季〕→今出川晴季~公規の系図
子 公信の娘(『徳大寺家譜』による。)
徳大寺実維~公城の系図
徳大寺実維【1636-1682】
内大臣。
祖父 実久・父 公信→徳大寺実規~公信の系図
祖父 吉川広正→吉川広正の系図
妻 藪嗣孝の娘
妻の父 藪嗣孝→藪嗣良~嗣義の系図
子 公逸【1670-1673】
子 公観【1674-1675】
子 実維の娘(『徳大寺家譜』による。)
徳大寺公全【1678-1719】
内大臣。実は醍醐冬基(→醍醐冬基~忠順の系図)の子。
妻 近衛家煕の娘
妻の父 近衛家煕→近衛信尋~家煕の系図
子 公全の息子(『徳大寺家譜』による。)
妻 宗義真の娘
妻の父 宗義真→宗義真~義方の系図
夫 日野資茂→日野弘資~永資の系図
子 菊子→阿部正武~正允・正明~正章の系図
子 真静【?-1730】(『徳大寺家譜』による。)
徳大寺実憲【1714-1740】
権大納言。
妻 加藤泰恒の娘
妻の父 加藤泰恒→加藤泰恒の系図
子 公恵【?-1743】
子 実憲の娘(2人)(『徳大寺家譜』による。)
徳大寺公城(きんむら)【1729-1782】
権大納言。宝暦事件に連座し、永蟄居となった。
妻 松平頼恭の娘
当初は前田重煕と婚約していた。
妻の父 松平頼恭→松平頼豊~頼恭の系図
子 実祖・孫 公迪→徳大寺実祖~実則の系図
子 公城の娘(『徳大寺家譜』による。)
徳大寺実祖~実則の系図
徳大寺実祖/季繁【1753-1819】
右大臣。実は西園寺公晃(→西園寺公晃~公望の系図)の子。
祖父 実憲・父 公城→徳大寺実維~公城の系図
祖父 松平頼恭→松平頼豊~頼恭の系図
子 清水谷実揖〔養父:清水谷公寿〕→清水谷陳季~実睦の系図
子 実繁【1805-?】
子 泰子(『徳大寺家譜』による。)
浅野斉賢に嫁ぐ予定であった。
子 行雅・子 房子・政子・貞子・勇子(『徳大寺家譜』による。)
徳大寺公迪(きんなり・きんみち)【1771-1811】
権大納言。
妻 今出川光子
今出川実種(→今出川公言~実順の系図)の娘。
子 山科言成〔養父:山科言知〕→山科言知~言縄の系図
子 騎麿・子 種子・久米子(『徳大寺家譜』による。)
徳大寺実堅(さねみ)【1790-1858】
内大臣。実は鷹司輔平(→鷹司輔平の系図)の子。学習所の創設に尽力した。
妻 醍醐信子
醍醐輝久(→醍醐冬基~忠順の系図)の娘。
子 四辻公積〔養父:四辻公説〕→四辻公韶~公賀の系図
子 中院通富〔養父:中院通繁〕→中院通維~通富の系図
子 定子→西園寺公晃~公望の系図
子 永子【1852-?】(『徳大寺家譜』による。)
子 得麿・子 紀子(『徳大寺家譜』による。)
子の夫 相良頼基(『相良家譜』による。)→相良長寛~頼基の系図
徳大寺公純(きんいと)【1821-1883】
右大臣。実は鷹司政通(→鷹司政通~輔政の系図)の子。
子 西園寺公望〔養父:西園寺師季〕→西園寺公晃~公望の系図
子 中院通規〔養父:中院通富(→中院通維~通富の系図)〕
子 西園寺威麿〔養父:西園寺公望(→西園寺公晃~公望の系図)〕
子 隆麿【1864-?】(『徳大寺家譜』による。)
子 福子→加藤泰秋の系図
子 照子→阿部正瞭~正功の系図
子 於菟子【1866-?】(『徳大寺家譜』による。)
徳大寺実則(さねのり)【1839-1919】
権大納言。維新後は明治天皇の侍従長などを務めた。
妻 山内照子/嘉年子【1844-1879】
山内豊資(→山内豊資の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。