万里小路家(藤原氏北家・高藤流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、万里小路家(藤原氏北家・高藤流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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万里小路資通~冬房の系図

万里小路資通~冬房の系図

  万里小路資通(すけみち)【1225-1306】
 従三位。万里小路家の祖。

祖父 定経吉田経房・定経の系図
 資経吉田資経の系図

 経円
 父は坊城経俊(→坊城経俊・俊定の系図)とも。


  万里小路宣房(のぶふさ)/通俊【1258-1348】〔養子:万里小路仲房〕
 大納言。後宇多天皇・後醍醐天皇に重用され、後の三房の一人に数えられた。日記は『万一記』。
 藤房(ふじふさ)/惟房【1295-?】
 中納言。元弘の乱では捕らえられて常陸国に流された。
子の夫 土御門親賢土御門定実の系図


  万里小路季房(すえふさ)【?-1333】
 参議。元弘の乱で捕らえられ、のちに殺された。
 藤原顕相の娘
妻の父 藤原顕相藤原親房の系図


  万里小路仲房(なかふさ)【1323-1388】〔養父:万里小路宣房〕
 准大臣。祖父の養子となり、万里小路家を継いだ。
 頼房【?-1389】
 参議。
子の夫 中院通氏中院通氏~通右の系図


  万里小路嗣房(つぐふさ)【1341-1401】
 内大臣。
 甘露寺藤長の娘
妻の父 甘露寺藤長甘露寺隆長~兼長の系図

 豊房(とよふさ)/重房
 権中納言。実は甘露寺兼長(→甘露寺隆長~兼長の系図)の子。


  万里小路時房(ときふさ)【1394-1457】
 内大臣。建聖院内大臣と号した。日記は『建内記』。
 玄周【1427-1488】
 恵俊/慈俊


  万里小路冬房(ふゆふさ)/成房【1423-1485】
 准大臣。補陀落渡海を行った。菩提院儀同三司と号した。
 広橋兼郷の娘【1438-1470】
妻の父 広橋兼郷広橋兼郷~守光の系図
 命子→足利義尚の系図

 春房(はるふさ)/氏長【1449-?】
 参議。実は甘露寺親長(→甘露寺房長~伊長の系図)の子。
 賢房 秀房万里小路賢房~惟房の系図

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万里小路賢房~惟房の系図

万里小路賢房~惟房の系図

  万里小路賢房(かたふさ)【1466-1507】
 参議。実は勧修寺教秀(→勧修寺経顕~教秀の系図)の子。

祖父 時房 冬房万里小路資通~冬房の系図

 阿野季時〔養父:阿野季綱〕→阿野季継~実顕の系図
 栄子大典侍後奈良天皇~誠仁親王の系図


  万里小路秀房(ひでふさ)/量房【1492-1563】
 内大臣。
 畠山政煕の娘
 胤秀/胤周
 満誉 胤秀の娘(『系図纂要』による。)
 助歓(以下、『系図纂要』による。)

 貞子→大内義隆の系図
 房子後奈良天皇~誠仁親王の系図

 宗泰〔養父:九条尚経(→九条政基~兼孝の系図)〕
 (以下、『系図纂要』による。)
 書写山に入った。
子の夫 西園寺公朝→西園寺公朝の系図


  万里小路惟房(これふさ)【1513-1573】
 内大臣。日記は『惟房公記』。
 畠山家俊の娘
 輔房→万里小路輔房の系図

 尊雅 惟房の娘(『系図纂要』による。)
子の夫 邦輔親王(『系図纂要』による。)→邦輔親王の系図
子の夫 今出川晴季(『系図纂要』による。)→今出川晴季の系図

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