このページでは、伊東氏(藤原氏南家・乙麿流)・長久流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
伊東氏・長久流(備中国岡田藩主)の略系図
1 祐元→伊東祐元~長実・長重~長栄の系図
4 長昌→伊東長昌~長救の系図
8 長丘→伊東長丘の系図
9 長詮→伊東長詮の系図
10 長寛→伊東長寛~長〓の系図
伊東祐元~長実・長重~長栄の系図
伊東祐元【?-1566】(『伊東家譜(備中岡田)』による。)
伊東祐家(→伊東祐家・祐親・工藤茂光の系図)の末裔とされる。
子 祐昌【?-1588】
子 祐忠【?-1569】
孫 祐高【?-1578】
子 祐通【?-1565】
伊東長久(ながひさ)/祐久(すけひさ)【1531-1583】(以下、『系図纂要』による。)
子 孫助・快呑(『伊東家譜(備中岡田)』による。)
子の夫 平野道茂(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 森嶋権右衛門(『伊東家譜(備中岡田)』による。)
伊東長実(ながざね)/長次(ながつぐ)【1560-1629】
備中国岡田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。関ケ原の戦いでは、石田三成の挙兵を徳川家康に知らせた。
子 長直【1593-1615】
子 長昌・孫 長治→伊東長昌~長救の系図
子 長行(ながゆき)【1618-?】
実は堀田盛正(→堀田盛正の系図)の子。伊東長法と同一人物か。
子 長実の娘【?-1696】(『伊東家譜(備中岡田)』による。)
水戸栗田八郎兵衛に嫁いだ。
子の夫 堀田盛正→堀田盛正の系図
子の夫 伊東左馬助・吉田長庵・毛利秀頼・木脵頼母(『伊東家譜(備中岡田)』による。)
伊東長重(ながしげ)/長近(ながちか)【1596-1622】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
伊東長法(ながのり)【?-1677】
実は堀田盛正(→堀田盛正の系図)の子。伊東長行と同一人物か。
伊東包次(かねつぐ)【?-1704】
妻 竹尾元清の娘
妻の父 竹尾元清→竹尾元清の系図
子の夫 落合通節→落合通節の系図
伊東包法(かねのり)【1703-1763】
妻 斎藤忠矩の娘
妻の父 斎藤忠矩→斎藤忠矩の系図
伊東包種(かねたね)【1735-?】
子の夫 保々貞政→保々貞政の系図
子の夫 石川乗加→石川乗加の系図
伊東長栄(ながよし)【1766-?】
実は松平近明(→松平近鎮~近民の系図)の子。
妻 大平俊恒の娘
妻の父 大平俊恒→大平俊恒の系図
伊東長昌~長救の系図
伊東長昌(ながまさ)【1593-1640】
岡田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 長久・父 長実→伊東祐元~長実・長重~長栄の系図
妻 板倉勝重の娘
実は中島重次(→中島重次の系図)の娘。
妻の父 板倉勝重→板倉勝重の系図
子 長昌の娘【?-1649】
母は『寛政重修諸家譜』による。駿河玄昌に嫁いだ。
子 長昌の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 本堂栄親→本堂栄親の系図
伊東長治(ながはる)【1628-1658】
岡田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平勝隆の娘
実は松平重則(→松平重則の系図)の娘。
妻の父 松平勝隆→松平勝隆の系図
伊東長貞(ながさだ)【1643-1693】
岡田藩主。
妻 大久保教勝の娘
妻の父 大久保教勝→大久保教勝の系図
子 縫殿助【?-1678】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 長貞の娘【?-1673】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 長貞の娘【?-1680】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 遠山友春→遠山友春の系図
妻 小田氏
子 万次郎【?-1687】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 長貞の娘【?-1682】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 酒井忠成→酒井忠成~忠徹の系図
子の夫 神保親茂→神保親茂の系図
子の夫 斎藤三政→斎藤三政の系図
子の夫 大島義也→大島義也の系図
伊東長救(ながひら)/長祐(ながすけ)【1662-1745】
岡田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 木下俊長の娘
妻の父 木下俊長→木下俊長の系図
妻 橋本氏
子の夫 小笠原貞通→小笠原真方~貞顕の系図
子の夫 武田信胤→武田信貞~信親・川窪信慈~信睦の系図
妻 堀田氏
子 長丘→伊東長丘の系図
妻 藤井氏
子 大助【?-1702】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 長煕(ながてる)【1711-1729】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 長救の娘【?-1710】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 鍋五郎【?-1712】
子 吉五郎【?-1717】
子 長救の娘【?-1712】(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 岡部長臧→岡部定直~長貴の系図
子の夫 池田長興→池田長賢~長休の系図
子の夫 松平正方→松平正朝~正卜の系図
伊東長丘の系図
伊東長丘(ながおか)/長広(ながひろ)【1697-1782】
岡田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 長貞・父 長救→伊東長昌~長救の系図
妻 大久保教寛の娘
妻の父 大久保教寛→大久保教寛の系図
子 幸松【?-1723】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 木下俊徳→木下俊徳の系図
妻 本多ソヨ
本多助芳(→本多利長~助有の系図)の娘。
子 熊之助【1732-1747】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 長詮→伊東長詮の系図
子 長丘の娘【?-1734】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 内田正良→内田正良の系図
妻 清水氏
子の夫 三枝守恭→三枝守恭の系図
子の夫 永見為糾→永見為糾の系図
子 岩吉【?-1748】
子 石河貞通〔養父:石河貞義〕→石河貞通の系図
子の夫 松平康休→松平康命~康弘の系図
伊東長詮の系図
伊東長詮(ながとし)【1736-1778】
岡田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 長救→伊東長昌~長救の系図
父 長丘→伊東長丘の系図
祖父 本多助芳→本多利長~助有の系図
妻 五島久子
五島盛道(→五島盛佳・盛道の系図)の娘。
子 長寛・孫 長之→伊東長寛~長〓の系図
子 長庚(ながよし)/長歖(ながよし)【1767-1829】〔養父:堀縫殿〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 増山忠篤/正友〔養父:山本義福〕
実は天野冨之(→伊東長寛~長〓の系図)の子。
子 長詮の娘【?-1773】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 朽木昌綱→朽木鋪綱・昌綱の系図
子の夫 阿部正童(『伊東家譜(備中岡田)』による。)
子の夫 松平康彊→松平康命~康弘の系図
妻 渡辺氏
子 銕之助【?-1768】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 佐野貴行〔養父:佐野義行〕→佐野貴行の系図
子の夫 木下俊昌→木下俊昌の系図
伊東長寛~長〓の系図
伊東長寛(ながとも)【1764-1850】(以下、『伊東家譜(備中岡田)』による。)
岡田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。藩校敬学館を創設した。
祖父 長丘→伊東長丘の系図
父 長詮→伊東長詮の系図
祖父 五島盛道→五島盛道の系図
妻 五島民子
実は五島盛義(→五島盛佳・盛道の系図)の娘。
妻の父 五島盛運→五島盛運~盛徳の系図
子 政之助【?-1803】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 森忠興の娘
妻の父 森忠興→森忠興の系図
夫 加藤明陳→加藤明陳の系図
子 長貴(ながたか)【1783-1803】
子 恒次郎【?-1786】
子 英三郎【?-1786】
子 長禎/長祥【1794-1830】
孫 長裕〔養父:伊東長之〕
孫 繁丸【?-1818】
孫 悦三郎【?-1826】
孫 力之助【?-1827】
孫 陽之助【?-1829】
孫 輝吉【?-1830】
孫 長禎の娘【?-1826】
孫 長禎の娘【?-1823】
孫 長禎の娘【?-1825】
子 長寛の息子【?-1795】
子 増千賀【?-1797】
子 長寛の息子【?-1800】
子 天野冨之/長善【1800-1847】〔養父:天野冨敷〕
孫 徤之助【?-1820】
孫 増山忠篤〔養父:伊東長庚、山本義福〕→伊東長詮の系図
孫 冨之の娘【?-1821】
子 厚之助【?-1803】
子 幾之助【?-1808】
子 鉤之助【?-1809】
子 長道【1810-1858】
孫 元之助【?-1838】
孫 祐友〔養父:瀬尾庄蔵〕
孫 長道の娘【?-1849】
孫 長道の娘【?-1851】
子 長生【1813-?】
孫 寅太郎【?-1842】
孫 長〓(「卆」+「百」+「千」)〔養父:伊東長裕〕
子 長世【1814-1836】
子 高明【1824-1858】〔養父:多賀高厚〕
子 造酒之助【?-1837】
子 長寛の娘【?-1786】
子 長寛の娘【?-1793】
子 長寛の娘【?-1794】
子 長寛の娘【?-1799】
子 長寛の娘【?-1799】
子 長寛の娘【?-1802】
子 長寛の娘【?-1806】
子の夫 松平康豊→松平忠充~康豊の系図
伊東長之/長守【1804-1864】
子 長之の息子【?-1834】
子 愛行〔養父:松平忠愛〕
子 盛之助【?-1838】
子 銀之助【?-1838】
子 慶之助【1838-1848】
子 長之の娘【1849-1871】
伊東長冨に嫁いだ。
伊東長裕(ながやす)【1816-1860】
岡田藩主。実は伊東長禎の子。
妻 土方雄興の娘
妻の父 土方雄興→土方雄興の系図
子 猪万彦【?-1839】
子 寿伝丸【?-1859】
子 長裕の娘【?-1838】
伊東長〓(「卆」+「百」+「千」)(ながとし)【1844-1900】
岡田藩主。実は伊東長生の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。