このページでは、井伊氏(藤原氏北家・良門流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
井伊氏(近江国彦根藩主)の略系図
1 利世→藤原利世~井伊良直の系図
10-A 俊直→赤佐俊直の系図
12 弥直→井伊弥直~直盛の系図
21 直親→井伊直親~直澄の系図
25 直興→井伊直興の系図
26 直惟→井伊直惟・直定の系図
28 直幸→井伊直幸の系図
29 直中→井伊直中~直憲の系図
藤原利世~井伊良直の系図
藤原利世(としよ)(以下、『系図纂要』による。)
『尊卑分脈』には見えない。父は『寛政重修諸家譜』による。『系図纂要』では藤原利基の子。
藤原共良(ともよし)
藤原良春(よしはる)
藤原良宗(よしむね)
藤原共資(ともすけ)
遠江国敷智郡村櫛に住んだ。
井伊共保(ともやす)【1010-1093】
遠江国引佐郡井伊谷に住み、井伊を称した。
井伊共家(ともいえ)
井伊共直(ともなお)
井伊惟直(これなお)
井伊盛直(もりなお)
子 赤佐俊直→赤佐俊直の系図
盛直孫 日蓮(にちれん)【1222-1282】
日蓮宗の開祖。
井伊良直(よしなお)
子 弥直・孫 泰直→井伊弥直~直盛の系図
赤佐俊直の系図
赤佐俊直(としなお)
祖父 惟直・父 盛直→藤原利世~井伊良直の系図
俊直孫 親秀【?-1560】
俊直孫 朝忠【?-1629】
井伊弥直~直盛の系図
井伊弥直(みつなお)
祖父 盛直・父 良直→藤原利世~井伊良直の系図
孫 直清(『井伊家譜(近江彦根)』による。)
孫 松田直材/直村
曾孫 直秋(以下、『井伊家譜(近江彦根)』による。)
井伊泰直(やすなお)
子 上野直助
父は井伊行直(『井伊家譜(近江彦根)』)とも。
曾孫 直秀【?-1358】
井伊行直(ゆきなお)
子 上野直助
父は井伊泰直(『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』)とも。
井伊景直(かげなお)
子 岡直藤
父は井伊成直とも。
子 道政(以下、『井伊家譜(近江彦根)』による。)
道政孫 忠直・岡直藤
父は井伊景直とも。
井伊忠直(ただなお)
父は井伊成直とも。
子 忠直の息子(3人)(『井伊家譜(近江彦根)』による。)
孫 直村【?-1542】
曾孫 直由【?-1564】
直房孫 直之【?-1605】
井伊直氏(なおうじ)【?-1508】
井伊直平(なおひら)【1489-1563】
子 直満(なおみつ)【?-1544】
父は井伊直元(『井伊家譜(近江彦根)』)とも。
孫 直親〔養父:井伊直盛〕→井伊直親~直澄の系図
孫 直満の娘(『井伊家譜(近江彦根)』による。)
孫の夫 酒井忠敏(『井伊家譜(近江彦根)』による。)
子 南渓(なんけい)【?-1589】
子 直義(なおよし)【?-1544】
父は井伊直元(『井伊家譜(近江彦根)』)とも。
子 直元(なおもと)【?-1546】(以下、『井伊家譜(近江彦根)』による。)
孫 直満・直義
父は井伊直平(『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』)とも。
子の夫 関口親永→関口親永の系図
井伊直宗(なおむね)【?-1542】
子 善二郎(『井伊家譜(近江彦根)』による。)
井伊直盛(なおもり)【1526-1560】
子 直親・孫 直政→井伊直親~直澄の系図
子 次郎法師(じろうほうし)【?-1582】
直親の死後、家督を継いだ。
井伊直親~直澄の系図
井伊直親(なおちか)【1536-1562】(以下、『井伊家譜(近江彦根)』による。)
実は井伊直満(→井伊弥直~直盛の系図)の子。今川氏真の重臣の朝比奈泰朝に殺された。
祖父 直宗・父 直盛→井伊弥直~直盛の系図
子 直親の娘【?-1634】
井伊直政(なおまさ)【1561-1602】
近江国彦根藩主。徳川四天王の一人。
妻 徳川家康の娘
実は松平康親(→松井忠直・松平康親の系図)の娘。
妻の父 徳川家康→徳川家康の系図
子 直勝・孫 直好→井伊直勝~直員の系図
子の夫 松平忠吉→松平信康・忠吉・武田信吉・松平忠輝の系図
子の夫 伊達秀宗→伊達秀宗の系図
井伊直孝(なおたか)【1590-1659】
上野国白井藩主・彦根藩主。
妻 蜂須賀阿喜
蜂須賀家政(→蜂須賀正昭~家政の系図)の娘。
妻 五味氏
子 直滋(なおしげ)【1612-1661】
子の妻 井伊直勝の娘
子の妻の父 井伊直勝→井伊直勝~直員の系図
妻 石居氏
子 直孝の娘【1625-1693】
妻 服部氏
子 松千代【?-1619】
妻 木下氏
子 直寛(なおひろ)【1616-1664】
妻 遠藤氏
子 直時(なおとき)/直縄(なおつな)【1622-1658】
子の妻 桜居氏
孫 直興〔養父:井伊直澄〕→井伊直興の系図
子の妻 遠藤氏
孫 直時の娘〔養父:井伊直澄〕
井伊直澄(なおずみ)【1625-1676】
大老・彦根藩主。
子 直興→井伊直興の系図
孫 直惟→井伊直惟・直定の系図
子 本平〔養父:武藤本国〕
子の夫 阿部正武→阿部正武~正允・正明~正章の系図
井伊直興の系図
井伊直興(なおおき)/直該(なおもり)/直治(なおはる)【1656-1717】
大老・彦根藩主。実は井伊直時(→井伊直親~直澄の系図)の子。彦根藩の中興の主と称された。直恒の死後、再び藩主となった。
祖父 直孝・父 直澄→井伊直親~直澄の系図
妻 中村氏
子 直延【1677-1686】
妻 上原氏
子の夫 井伊直朝→井伊直勝~直員の系図
妻 宮本氏
子の夫 阿部正喬→阿部正武~正允・正明~正章の系図
妻 玉米氏
子 直通(なおみち)【1689-1710】
彦根藩主。母は小笠原氏(『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』)とも。
子の妻 三条実治の娘
子の妻の父 三条実治→三条実秀~公充の系図
孫 直恒(なおつね)【1693-1710】
彦根藩主。実は井伊直興の子。
妻 大橋氏
子 直恒〔養父:井伊直通〕
妻 里見氏
子 直興の娘【1704-1743】
印具保重に嫁いだ。
子の夫 三条公充→三条実秀~公充の系図
孫 実顕→三条実顕~実美の系図
妻 寺沢氏
子 直矩〔養父:井伊直朝〕→井伊直勝~直員の系図
妻 田山氏
子 直惟・孫 直定→井伊直惟・直定の系図
妻 平石氏
子 直定〔養父:井伊直惟〕→井伊直惟・直定の系図
妻 梅原氏
子 直興の娘【?-1784】
木俣守吉に嫁いだ。
子 直興の息子【?-1675】
子 鶴次郎【?-1680】
子 宮松【?-1680】
子 吉十郎【?-1689】
子 橘太郎【?-1687】
子 重次郎【?-1691】
井伊直惟・直定の系図
井伊直惟(なおのぶ)【1700-1736】
彦根藩主。
祖父 直澄→井伊直親~直澄の系図
父 直興→井伊直興の系図
妻 蜂須賀亀
蜂須賀綱矩(→蜂須賀光隆~綱矩の系図)の娘。
妻 高橋氏
子 直惟の娘【?-1731】
井伊直陽に嫁ぐ予定であった。
子 直惟の娘
三条季晴に嫁ぐ予定であった。
子 直惟の娘(2人)〔養父:井伊直定〕
妻 内藤氏
子 金蔵【?-1727】
子 直禔〔養父:井伊直定〕
子 剛太郎【?-1734】
妻 小西氏
子 直惟の娘【?-1783】
印具威重に嫁いだ。
子 直惟の娘【?-1780】
木俣守融に嫁いだ。
妻 堀部氏
子 直幸〔養父:井伊直定〕→井伊直幸の系図
子 直惟の娘【?-1806】
性徳に嫁いだ。
井伊直定(なおさだ)【1702-1760】
近江国彦根新田藩主・彦根藩主。実は井伊直興(→井伊直興の系図)の子。直禔の死後、再度藩主になった。
妻 宮崎氏
子 直峯(なおみね)【?-1746】
子 辰三郎【?-1738】
妻 金子氏
子 直定の娘【?-1747】
子 直賢(なおかた)【1723-1742】
子 直禔(なおよし)【1727-1754】
彦根藩主。実は井伊直惟の子。
子の妻 酒井忠恭の娘
子の妻の父 酒井忠恭→酒井忠恭・忠仰・忠交~忠全の系図
孫 熊次郎【?-1753】
子 直幸→井伊直幸の系図
孫 直中→井伊直中~直憲の系図
子の夫 阿部正允→阿部正武~正允・正明~正章の系図
孫 正敏→阿部正敏~正篤の系図
子の夫 松平忠順→松平忠順~忠礼の系図
子の夫 三条季晴→三条実顕~実美の系図
井伊直幸の系図
井伊直幸(なおひで)/直英(なおひで)【1731-1789】
大老・彦根藩主。実は井伊直惟(→井伊直惟・直定の系図)の子。
祖父 直惟・父 直定→井伊直惟・直定の系図
妻 井伊直存の娘
妻の父 井伊直存→井伊直存~直安の系図
妻 江見氏
子の夫 松平康哉→松平長孝・康哉の系図
妻 伊藤氏
子 直尚(なおひさ)【1754-1766】
子 直寧(なおやす)【?-1763】
妻 渡辺氏
子 仙之允【?-1780】
子の夫 立花鑑門→立花鑑門の系図
妻 高橋氏
子 直富(なおとみ)/直豊(なおとよ)【1763-1787】
子の妻 伊達重村の娘
子の妻の父 伊達重村→伊達重村~宗基の系図
妻 大武氏
子 直中・孫 直亮→井伊直中~直憲の系図
子 俊→蜂須賀治昭~茂韶の系図
妻 後藤氏
子の夫 鍋島治茂→鍋島治茂の系図
妻 能勢氏
子 正介【?-1773】
子 遍勝/直在【?-1828】〔養父:性徳〕
妻 坂本氏
子 忠六郎【?-1772】
子 直広〔養父:井伊直朗〕→井伊直存~直安の系図
子 真田幸専〔養父:真田幸弘〕→真田幸専の系図
子 〓十郎【?-1775】
〓は「金」+「冊」。
妻 山崎氏
子 直幸の娘
酒井忠道に嫁ぐ予定であった。
妻 池崎氏
子 土井利義〔養父:土井利貞〕→土井利貞~利恒の系図
妻 藤堂氏
子 直明(なおあきら)【1778-1803】
子の夫 酒井忠道→酒井忠以・忠道の系図
子の夫 松平忠馮→松平忠馮~忠和の系図
妻 近藤氏
子 万平【?-1780】
子 暉玄/直一〔養父:闡道、養子:摂有〕
妻 浅見氏
子 直幸の娘
光厚に嫁ぐ予定であった。
妻 藤田氏
子 直容(なおなり)【1783-1839】
子の夫 松平容住→松平容住~容大の系図
子の夫 土井利広→土井利厚~利与の系図
妻 富森氏
子 摂有/共雅〔養父:奥山共香、暉玄〕
妻 小林氏
子 直致【1788-1831】
孫 荘重〔養父:印具任重〕
孫の夫 井伊直元→井伊直中~直憲の系図
子 鶴之介【?-1768】
子 房之允【?-1780】
子 栄吉【?-1785】
子 美代→三条実顕~実美の系図
子 直幸の娘
有馬頼貴に嫁ぐ予定であった。
子の夫 秋元永朝→秋元永朝の系図
子の夫 戸沢正親→戸沢正親~正実の系図
子の夫 立花鑑門→立花鑑門の系図
井伊直中~直憲の系図
井伊直中(なおなか)【1766-1831】
彦根藩主。藩校稽古館を創設した。
祖父 直定→井伊直惟・直定の系図
父 直幸→井伊直幸の系図
妻 南部豊子
南部利正(→南部利雄~利用の系図)の娘。
子 穠→蜂須賀治昭~茂韶の系図
妻 小島氏
子 直清【1791-1825】
子の妻 松平定信の娘
子の妻の父 松平定信→松平定信の系図
子の妻の夫 前田利幹→前田利幹~利同の系図
子の妻の夫 松平輝健→松平輝和~輝声の系図
妻 津田氏
子 鋭三郎【?-1796】
子 亀五郎【?-1827】
子 中顕【1799-1852】
孫 内藤政文〔養父:内藤政優〕→内藤学文~文成の系図
孫 戸塚正紹〔養父:戸塚正安、養子:戸塚正礼〕
孫 戸塚正礼〔養父:戸塚正紹〕
妻 勅使河原氏
子 内藤政成〔養父:内藤政峻〕→内藤学文~文成の系図
子 知→榊原政養の系図
子の夫 内藤政順→内藤政樹~政挙の系図
妻 関口氏
子 中川久教〔養父:中川久貴〕→中川久貞~久成の系図
妻 山田氏
子 親良/中守/守業〔養父:木俣守易、新野親矩〕
妻 君田氏
子 直元・子 直弼〔養父:井伊直亮〕
子 内藤政優〔養父:内藤政成〕→内藤学文~文成の系図
妻 中島氏
子 内藤政義〔養父:内藤政順〕→内藤政樹~政挙の系図
子 松平勝権〔養父:松平勝升〕→松平勝以~勝慈の系図
子 義之/義致〔養父:横地義載〕
子の夫 松平忠侯→松平忠馮~忠和の系図
子の夫 井伊直暉→井伊直存~直安の系図
井伊直亮(なおあき)【1794-1850】
大老・彦根藩主。
妻 松平頼儀の娘
妻の父 松平頼儀→松平頼真~頼儀の系図
妻 井伊直朗の娘
妻の父 井伊直朗→井伊直存~直安の系図
子 直元(なおもと)【1810-1846】
実は井伊直中の子。
子の妻 井伊直致の娘
子の妻の父 井伊直致→井伊直幸の系図
子 豊子→南部利済~利恭の系図
井伊直弼(なおすけ)【1815-1860】
大老・彦根藩主。勅許を得ずに日米修好通商条約に調印した。将軍継嗣問題等で徳川斉昭らと対立し、安政の大獄を行った後、桜田門外で水戸浪士らに暗殺された。
妻 松平貞
松平信豪(→松平信志~信正の系図)の娘。
妻 西村氏
子 直安〔養父:井伊直充〕→井伊直存~直安の系図
妻 千田氏
子の夫 松平頼聡→松平頼恕~頼聡の系図
井伊直憲(なおのり)【1848-1904】
彦根藩主。
妻 宜子女王(よしこ)【1851-1895】
幟仁親王(→幟仁親王の系図)の王女。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。