本多氏(藤原氏北家・兼通流)・政信流の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、本多氏(藤原氏北家・兼通流)・政信流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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本多氏・政信流(播磨国山崎藩主)の略系図

本多氏政信流の略系図

1 政信本多政信~忠尭の系図
6 忠可本多忠可~忠明の系図

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本多政信~忠尭の系図

本多政信~忠尭の系図

  本多政信(まさのぶ)【1634-1662】
 実は本多政朝(→本多政朝~忠孝の系図)の子。政勝から1万石を分知された。

祖父 政朝 政勝本多政朝~忠孝の系図


  本多忠英(ただひで)/政貞(まささだ)【1647-1718】
 播磨国山崎藩主。実は本多政勝(→本多政朝~忠孝の系図)の子。
 加藤氏
 忠良〔養父:本多忠孝〕→本多忠良~忠粛の系図
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 小池氏
 忠辰〔養父:本多忠方〕
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 忠強〔養父:本多忠貞〕→本多忠周~忠曄の系図
 母は『寛政重修諸家譜』による。

子の夫 福原資倍→福原資倍の系図
子の夫 花房職勝→花房職勝の系図
子の夫 米津政容→米津政容の系図


  本多忠方(ただみち)【1707-1731】
 山崎藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 増山正任の娘
妻の父 増山正任→増山正任の系図


  本多忠辰(ただとき)/政成(まさなり)【1711-1750】
 山崎藩主。実は本多忠英の子。
 松平嘉子【1717-?】
 松平乗賢(→松平乗賢~乗命の系図)の娘。
 忠辰の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 忠辰の娘〔養父:増山正武〕→増山正武の系図
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 忠辰の娘〔養父:本多忠尭〕
 安之丞鉄三郎 忠辰の娘(『本多家譜(播磨山崎)』による。)


  本多忠尭(ただとお)【1737-1761】
 山崎藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 相良長在の娘
妻の父 相良長在相良頼福~福将の系図

子の夫 忠可 忠居本多忠可~忠明の系図

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本多忠可~忠明の系図

本多忠可~忠明の系図

  本多忠可(ただよし)【1741-1794】
 山崎藩主。実は有馬孝純(→有馬清純~孝純の系図)の子。

祖父 忠辰 忠尭本多政信~忠尭の系図

 本多忠尭の娘
 実は本多忠辰(→本多政信~忠尭の系図)の娘。
妻の父 本多忠尭本多政信~忠尭の系図
子の夫 太田資順太田資俊~資順の系図

 忠可の娘(2人)(『本多家譜(播磨山崎)』による。)
子の夫 米津通政→米津通政の系図
子の夫 永井直観永井直澄~直観の系図


  本多忠居(ただおき)【1771-1819】
 山崎藩主。
 堀直教の娘
 実は堀直泰(→堀直尭・直教の系図)の娘。
妻の父 堀直教堀直尭・直教の系図

 忠鄰〔養父:本多忠敬〕
 忠居の娘(『本多家譜(播磨山崎)』による。)


  本多忠敬(ただたか)【1793-1850】
 山崎藩主。
 本多忠顕の娘
妻の父 本多忠顕本多忠典~忠直の系図

 忠鎮〔養父:金森内記〕
 忠敬の娘
 『系図纂要』によれば養女。青山幸敬・松平勘美(『本多家譜(播磨山崎)』による。)に嫁いだ。
 戈之助 忠敬の娘(2人)(『本多家譜(播磨山崎)』による。)


  本多忠鄰(ただちか)【1811-1874】
 山崎藩主。実は本多忠居の子。
 五島盛繁の娘
妻の父 五島盛繁→五島盛繁の系図

 有馬道純〔養父:有馬温純〕→有馬允純~道純の系図
 光顕〔養父:戸田孫十郎〕(『本多家譜(播磨山崎)』による。)
 忠肇〔養父:本多忠民〕→本多忠典~忠直の系図
 植村家壺〔養父:植村家保〕→植村家道~家壺の系図
 忠禎〔養父:本多忠明〕
 忠鄰の娘(3人)(『本多家譜(播磨山崎)』による。)
子の夫 松平勘美(『本多家譜(播磨山崎)』による。)


  本多忠明(ただあきら)【1833-1901】〔養子:本多忠禎〕
 山崎藩主。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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