このページでは、水野氏(清和源氏・満政流)・忠守流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
水野氏・忠守流(出羽国山形藩主)の略系図
1 忠守→水野忠守・忠元の系図
1-A1 守重→水野守重・春守・守次~守之の系図
1-A2 守正→水野守正~守美の系図
1-A3 守満→水野守満~政恒の系図
1-B 重家・元吉→水野重家~為昌・元吉~元典の系図
2-A 忠久→水野忠久~忠朋の系図
3 忠善→水野忠善の系図
4 忠春→水野忠春~忠任の系図
10 忠鼎→水野忠鼎の系図
11 忠光→水野忠光の系図
12 忠邦→水野忠邦~忠弘の系図
水野忠守・忠元の系図
水野忠守(ただもり)/忠義(ただよし)【1525-1600】
祖父 清忠→小河重房~水野清忠の系図
父 忠政→水野忠政の系図
子 守重・孫 春守・守次→水野守重・春守・守次~守之の系図
孫 守正→水野守正~守美の系図
子 重家・元吉・孫 元重・元正→水野重家~為昌・元吉~元典の系図
水野忠元(ただもと)【1576-1620】
下総国山川藩主。
妻 三浦為春の娘
妻の父 三浦為春→三浦為春の系図
子 忠善→水野忠善の系図
孫 忠春→水野忠春~忠任の系図
子 忠久・孫 忠国→水野忠久~忠朋の系図
子の夫 有馬豊長→有馬豊長・則故の系図
子の夫 水野重良→水野重央・重良・良全~長啓の系図
孫 重上→水野重上~忠実の系図
子の夫 佐野政信→佐野政信の系図
水野忠久~忠朋の系図
水野忠久(ただひさ)【1619-1673】
祖父 忠守・父 忠元→水野忠守・忠元の系図
祖父 三浦為春→三浦為春の系図
妻 水谷勝隆の娘
妻の父 水谷勝隆→水谷勝隆の系図
子 豊昌〔養父:水野重路〕→水野重家~為昌・元吉~元典の系図
子の夫 八木高豊→八木高豊の系図
子の夫 諏訪頼張→諏訪頼張の系図
子の夫 久貝正方→久貝正方の系図
子の夫 黒田直常→黒田直常の系図
子の夫 水野重路→水野重家~為昌・元吉~元典の系図
水野忠国(ただくに)【1657-1686】
妻 松平定之の娘
妻の父 松平定之→松平定之・久松定代~定敞の系図
子の夫 奥山良政→奥山良政の系図
水野忠恒(ただつね)【1677-1709】
妻 畠山義寧の娘
妻の父 畠山義寧→畠山義寧の系図
水野忠栄(ただよし)【1699-1759】
実は奥山良政(→奥山良政の系図)の子。
子 忠之(ただゆき)【1713-1753】
子の妻 久貝正順の娘
子の妻の父 久貝正順→久貝正順の系図
子の妻 牧野康重の娘
子の妻の父 牧野康重→牧野康重の系図
子の妻の夫 柳生俊峯→柳生俊方~俊郎の系図
子の妻の夫 大島義苗→大島義苗の系図
孫 忠之の娘〔養父:水野忠栄〕
子の夫 三淵政甫→三淵政甫の系図
子の夫 伊勢貞恒→伊勢貞恒の系図
水野忠体(ただもと)【1737-?】
実は酒井忠休(→酒井忠休・忠崇・忠起~忠恕の系図)の子。
妻 水野忠栄の娘
実は水野忠之の娘。
妻 大岡忠宜の娘
妻の父 大岡忠宜→大岡忠世~忠宜の系図
子 中山久勝〔養父:中山愛勝〕→中山久勝の系図
子の夫 林信敬→林信敬の系図
子の夫 山田利往→山田利往の系図
水野忠朋(ただとも)【1758-?】
妻 津田信之の娘
妻の父 津田信之→津田信之の系図
妻 松平乗展の娘
妻の父 松平乗展→松平乗真~乗輪の系図
水野守重・春守・守次~守之の系図
水野守重(もりしげ)【?-1607】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠政→水野忠政の系図
父 忠守→水野忠守・忠元の系図
妻 彦坂重定の娘
妻の父 彦坂重定→彦坂重定の系図
子 守正・孫 守重→水野守正~守美の系図
子の夫 大河内政憲→大河内正澄~政儀の系図
水野春守(はるもり)【?-1631】
水野守次(もりつぐ)【?-1679】
妻 彦坂重定の娘
妻の父 彦坂重定→彦坂重定の系図
子の夫 小林正続→小林正続の系図
水野守勝(もりかつ)【?-1683】
水野守祐(もりすけ)【?-1710】
妻 大久保忠頼の娘
妻の父 大久保忠頼→大久保忠頼の系図
水野守門(もりかど)【1707-1762】
妻 加藤三省の娘
子 深尾元篤〔養父:深尾元儔〕→深尾元篤の系図
妻 依田貞辰の娘
妻の父 依田貞辰→依田貞辰の系図
子 守穏〔養子:水野守房〕
子 守房〔養父:水野守穏〕
水野守安(もりやす)【1734-?】
妻 依田辰政の娘
妻の父 依田辰政→依田辰政の系図
子 木村長弼〔養父:木村長祐〕→木村長弼の系図
妻 武藤安卿の娘
妻の父 武藤安卿→武藤安卿の系図
夫 本多保正→本多保正の系図
水野守之(もりゆき)【1759-?】
妻 藤堂良貞の娘
妻の父 藤堂良貞→藤堂嘉次~良度の系図
水野守正~守美の系図
水野守正(もりまさ)【?-1680】
祖父 忠守→水野忠守・忠元の系図
父 守重→水野守重・春守・守次~守之の系図
祖父 彦坂重定→彦坂重定の系図
子の夫 赤井忠正→赤井忠正の系図
子の夫 山角正勝→山角正勝の系図
子の夫 進藤正親→進藤正親の系図
水野守重(もりしげ)【1629-1691】
妻 間宮正信の娘
妻の父 間宮正信→間宮正信の系図
子 小林守正〔養父:小林正続〕→小林守正の系図
子 守満〔養父:水野守美〕→水野守満~政恒の系図
子 杉浦正美〔養父:杉浦恒隆〕→杉浦正美の系図
子の夫 久松定元→久松定延~定得の系図
水野守美(もりよし)【1664-1728】
妻 小笠原長朝の娘
妻の父 小笠原長朝→小笠原長臣~長著の系図
子 守満・孫 守鑑→水野守満~政恒の系図
子の夫 稲生正延→稲生正延の系図
水野守満~政恒の系図
水野守満(もりみち)【1678-1743】
実は水野守重(→水野守正~守美の系図)の子。
祖父 守重・父 守美→水野守正~守美の系図
子 忠任〔養父:水野忠辰〕→水野忠春~忠任の系図
水野守鑑(もりみ)【1720-1788】
実は水野忠伸(→水野定勝・忠順~忠告の系図)の子。
子 忠実〔養父:水野忠興〕→水野忠実の系図
子 長昇〔養父:大聖院〕
子の夫 深津盛徳→深津盛徳の系図
子の夫 揖斐政芳→揖斐政芳の系図
水野忠直(ただなお)/政慰(まさよし)【1744-?】
妻 稲生正熹の娘
妻の父 稲生正熹→稲生正熹の系図
夫 船越景東→船越景東の系図
子 お宇多の方→徳川家斉の系図
水野政恒(まさつね)
実は本多正命(→本多正之~正収の系図)の子。
水野重家~為昌・元吉~元典の系図
水野重家(しげいえ)【?-1623】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠政→水野忠政の系図
父 忠守→水野忠守・忠元の系図
子の夫 大久保忠職→大久保忠職の系図
水野元重(もとしげ)/重勝(しげかつ)【?-1691】
子 重職(しげもと)【1644-1672】
子の妻 小堀正之の娘
子の妻の父 小堀正之→小堀正之の系図
子の夫 柴田勝門→柴田勝門の系図
水野重路(しげみち)【1644-1693】
妻 酒井忠次の娘
妻の父 酒井忠次→酒井忠次~忠貞の系図
妻 水野忠久の娘
妻の父 水野忠久→水野忠久~忠朋の系図
水野豊昌(とよまさ)【?-1738】
実は水野忠久(→水野忠久~忠朋の系図)の子。
水野為昌(ためまさ)
妻 水野忠英の娘
妻の父 水野忠英→水野忠重~忠嶽の系図
夫 新見正容→新見正容の系図
子 為久(ためひさ)
実は水野勝満(→水野吉勝~勝之・吉政~勝行の系図)の子。
水野元吉(もとよし)/重吉(しげよし)【?-1669】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 永田重真の娘
妻の父 永田重真→永田重真の系図
水野元正(もとまさ)/吉政(よしまさ)/元政(もとまさ)【?-1695】
水野政種(まさたね)【1676-1719】
妻 井戸良弘の娘
妻の父 井戸良弘→井戸良弘の系図
水野元睍(もとてる)/利忠(としただ)【1698-1737】
実は土屋利意(→土屋利意の系図)の子。
水野元長(もとなが)【1718-1773】
子 窪田正豊〔養父:窪田正武〕→窪田正豊の系図
子の夫 朝比奈昌始→朝比奈昌始の系図
水野元休(もとよし)/元敏(もととし)【1748-?】
妻 戸田勝愛の娘
実は山中幸正(→山中幸正の系図)の娘。
妻の父 戸田勝愛→戸田正吉~勝英の系図
夫 室賀正朋→室賀正朋の系図
妻 織田光子
織田秀賢(→織田秀賢の系図)の娘。
水野元典(もとのり)〔養子:池田元茂(→池田政直~政保の系図)〕
実は石野範尭(→石野則員~則存の系図)の子。
水野忠善の系図
水野忠善(ただよし)【1612-1676】
山川藩主・駿河国田中藩主・三河国吉田藩主・三河国岡崎藩主。武備を拡張し、これを諫めた長男忠春を廃嫡した。
祖父 忠守・父 忠元→水野忠守・忠元の系図
祖父 三浦為春→三浦為春の系図
妻 井上正就の娘
妻の父 井上正就→井上正就の系図
子 忠春・孫 忠盈→水野忠春~忠任の系図
子の夫 京極高直→京極高三~高盛・高門~高貞の系図
子の夫 松平乗久→松平乗久・乗春・好乗~影乗の系図
子の夫 丹羽氏純→丹羽氏純の系図
子の夫 水野元知→水野分長~元貞の系図
子の夫 片桐貞房→片桐貞房の系図
子の夫 牧野康道→牧野康道の系図
水野忠春~忠任の系図
水野忠春(ただはる)/元春(もとはる)【1641-1692】
岡崎藩主。父に廃嫡されたが、子の忠直の夭逝により藩主を継いだ。
祖父 忠元→水野忠守・忠元の系図
父 忠善→水野忠善の系図
祖父 井上正就→井上正就の系図
妻 前田梅【?-1677】
前田利次(→前田利次~利隆の系図)の娘。
子 忠之〔養父:水野忠盈〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠直(ただなお)【1661-1676】
子 政之助【?-1665】
子 内匠【?-1679】
子 重富〔養父:水野重上〕→水野重上~忠実の系図
水野忠盈(ただみつ)【1662-1699】
岡崎藩主。
妻 本多忠平の娘
実は本多忠義(→本多忠義・忠以の系図)の娘。
妻の父 本多忠平→本多忠平~忠烈の系図
子 忠盈の娘〔養父:水野忠之〕
水野忠之(ただゆき)【1669-1731】〔養父:水野忠近(→水野義忠~忠次・光綱~忠近の系図)〕
老中・岡崎藩主。実は水野忠春の子。老中として享保の改革を支えた。
子 斎宮【?-1690】
子 清次郎【?-1697】
子の夫 京極高栄→京極高栄~高厚の系図
水野忠輝(ただてる)/忠篤(ただあつ)【1691-1737】
岡崎藩主。
妻 酒井重英の娘
妻の父 酒井重英→酒井重英の系図
子 忠剛(ただかた)【1727-1754】
子 忠観(ただみ)【1727-1746】
子 忠輝の娘〔養父:水野忠辰〕
水野忠辰(ただとき)/忠欣(ただよし)【1722-1752】
岡崎藩主。藩政改革を試みるも失敗した。後に遊興に耽り、座敷牢に押し込められた。
妻 本多忠良の娘
妻の父 本多忠良→本多忠良~忠粛の系図
子 忠辰の娘〔養父:水野忠任〕
子 忠辰の娘〔養父:水野忠任〕
本多忠薫に嫁ぐ予定であった。
子の夫 阿部正敏→阿部正敏~正篤の系図
水野忠任(ただとう)【1736-1811】〔養子:水野忠辰の娘〕
岡崎藩主・肥前国唐津藩主。実は水野守満(→水野守満~政恒の系図)の子。藩政改革を行うも、虹の松原一揆が起こり、頓挫した。
子・子の夫 忠鼎→水野忠鼎の系図
孫 忠光→水野忠光の系図
水野忠鼎の系図
水野忠鼎(ただかね)【1744-1818】
唐津藩主。実は浅野宗恒(→浅野宗恒の系図)の子。藩校経誼館を設立した。
祖父 忠辰・父 忠任→水野忠春~忠任の系図
妻 水野忠任の娘
実は水野忠辰(→水野忠春~忠任の系図)の娘。
妻の父 水野忠任→水野忠春~忠任の系図
子 忠光→水野忠光の系図
孫 忠邦→水野忠邦~忠弘の系図
子 久米次郎【?-1777】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 為三郎【?-1773】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 内藤正国〔養父:内藤正興〕→内藤正敬~正誠の系図
子 米倉昌俊〔養父:米倉昌由〕→米倉昌晴~昌言の系図
子 内藤政璟〔養父:内藤政徧〕→内藤貞幹~政憲の系図
子 忠方【1779-1853】
子 栄吉【1791-1833】(『華族系譜』による。)
子 乙次郎・千鹿吉・豊三郎・安井百十郎・忠鼎の息子・子 忠鼎の娘(2人)(『華族系譜』による。)
子の夫 水野貞利→水野貞利の系図
子の夫 片桐貞彰→片桐貞彰の系図
子の夫 石川総師→石川総師~成之の系図
子の夫 大岡忠正→大岡忠烈~忠貫の系図
子の夫 水野忠純(『華族系譜』による。)
水野忠光の系図
水野忠光(ただあきら)【1771-1814】
唐津藩主。
祖父 忠任→水野忠春~忠任の系図
父 忠鼎→水野忠鼎の系図
妻 浅野重晟の娘
妻の父 浅野重晟→浅野重晟の系図
子 芳丸
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 中川氏
子 忠邦・孫 忠精→水野忠邦~忠弘の系図
子 内藤正縄〔養父:内藤正国〕→内藤正敬~正誠の系図
子 堀直哉〔養父:堀直温〕→堀直著~之美の系図
子 良弼(よしすけ)/忠粛【?-1868】〔養父:跡部良貞〕
大坂東町奉行として、大塩平八郎の乱の鎮圧にあたった。
子 忠敏〔養父:駒木根政暁〕
子 忠勧〔養父:水野忠純〕
子 忠脩/正直〔養父:長谷川正以〕
子 忠光の息子(2人)・子 忠光の娘(『華族系譜』による。)
子の夫 大久保忠保→大久保忠保の系図
子の夫 小笠原長昌→小笠原長尭~長国の系図
子の夫 内藤政民→内藤貞幹~政憲の系図
子の夫 堀親義→堀親義の系図
水野忠邦~忠弘の系図
水野忠邦(ただくに)【1794-1851】〔養子:戸田忠温の娘(→戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図)〕(以下、『華族系譜』による。)
老中・唐津藩主・遠江国浜松藩主。天保の改革を行ったが、失敗し減封され、謹慎となった。
妻 酒井忠進の娘
妻の父 酒井忠進→酒井忠与~忠氏の系図
子 倉→榊原政愛の系図
子の夫 戸田忠温→戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図
子の夫 石川総安→石川総師~成之の系図
子の夫 伊藤祐相→伊東祐隆~祐帰の系図
子の夫 水野忠幹→水野忠啓~忠幹の系図
水野忠精(ただきよ)/忠良/忠経【1832-1884】
老中・浜松藩主・出羽国山形藩主。
妻 井上愛/豊
井上正春(→井上正定~正直の系図)の娘。
子 静→奥平昌高~昌邁の系図
子の夫 水野忠幹→水野忠啓~忠幹の系図
水野忠弘(ただひろ)/忠篤【1856-1905】
山形藩主・近江国朝日山藩主。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わった。
妻 水野悦
実は水野忠制(→水野忠啓~忠幹の系図)の娘。
妻の父 水野忠幹→水野忠啓~忠幹の系図
妻 伊達照
伊達宗城(→伊達宗城・宗徳の系図)の娘。
夫 南部利恭→南部利済~利恭の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。