このページでは、植松家(村上源氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
植松雅永~雅言の系図
植松雅永【1654-1707】
参議。植松家の祖。
祖父 具尭→岩倉具尭~乗具の系図
父 有能→千種有能~有敬の系図
祖父 久我通前→久我通世~通名の系図
植松雅孝/雅康【1687-1730】
正三位。
子 幸雅〔養父:植松賞雅〕
植松賞雅(たかまさ)/具全【1705-1785】
権中納言。実は岩倉乗具(→岩倉具尭~乗具の系図)の子。華道をまなび、植松家家元と称した。
子 岩倉尚具(『植松家譜』による。)→岩倉恒具~具視の系図
子 岩倉広雅〔養父:岩倉尚具〕→岩倉恒具~具視の系図
植松幸雅/雅久(まさひさ)【1721-1777】
従三位。実は植松雅孝の子。宝暦事件に連座した。
妻 白川佐子〔養父:白川雅富(→雅朝王~白川資訓の系図)〕
実は滋野井実全(→滋野井公澄~公麗の系図)の娘。
植松雅陳【1750-1786】
従三位。
植松文雅【1771-1815】
従三位。実は千種有政(→千種有補~有任の系図)の子。
植松雅諸【1803-1828】
子 雅弘(『植松家譜』による。)
植松雅恭【1816-1856】
実は押小路実富(→押小路公音~実潔の系図)の子とも。
妻 押小路豊
押小路実富(→押小路公音~実潔の系図)の娘。
妻 東園基貞の娘
妻の父 東園基貞→東園基禎~基愛の系図
子 雅徳【1843-1887】〔養父:植松雅言〕
植松雅言【1826-1876】〔養子:植松雅徳〕
実は東園基貞(→東園基禎~基愛の系図)の子。
妻 藤井光子
藤井行学(→藤井行学の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。