このページでは、毛利氏(宇多源氏・扶義流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
毛利氏(豊後国佐伯藩主)の略系図
1 高久→鯰江高久~森高次・吉安~浜之助・吉房~震太郎の系図
9 高政→毛利高政~高久・高定~高逵の系図
14 高慶→毛利高慶・高通の系図
16 高丘→毛利高丘~高謙の系図
鯰江高久~森高次・吉安~浜之助・吉房~震太郎の系図
鯰江高久(たかひさ)【?-1493】〔養父:三井乗定〕(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
近江国愛智郡鯰江に住んだ。三井乗定の養子となったことで、藤原氏となった。
祖父 満高→近江頼綱~六角満高の系図
父 満綱→六角満綱~佐々木定賢の系図
鯰江尚昌(ひさまさ)/高昌(たかまさ)
鯰江義尭(よしたか)
鯰江為定(ためさだ)
実は三条為季の子。
妻 朽木稙綱の娘
妻の父 朽木稙綱→朽木義綱~元綱の系図
子の夫 山岡景佐→山岡景佐の系図
子の夫 蒲生堅秀→蒲生堅秀の系図
子の夫 藤堂虎高→藤堂景盛~高虎の系図
鯰江定秀(さだひで)
妻 浅井祐政の娘
妻の父 浅井祐政→浅井祐政の系図
子 秀国〔養父:三井乗秀〕
子 豊後守〔養父:多賀高忠(→京極宗氏~高詮の系図)〕
子 森政次〔養父:森定春〕
子 森高次〔養父:森政次〕
子の夫 六角義治→六角満綱~佐々木定賢の系図
森定春(さだはる)
鯰江庄の森村に住んだ。
森政次(まさつぐ)
実は鯰江定秀の子。
森高次(たかつぐ)【1527-1597】
実は鯰江定秀の子。
子 毛利高政・孫 高成・孫 高定→毛利高政~高久・高定~高逵の系図
森吉安(よしやす)【1573-1640】
森吉隆(よしたか)【?-1672】
森勘十郎【?-1688】
子 次郎四郎
実は矢島七左衛門の子。
森浜之助【?-1689】
実は白樫三郎兵衛の子。
森吉房(よしふさ)/吉成(よしなり)【?-1699】
森伊織【1668-1753】
実は高橋五郎左衛門の子。
森小三郎【1710-1742】
妻 図司末親の娘
妻の父 図司末親→図司末親の系図
森等候
実は図司末親(→図司末親の系図)の子。
妻 柘植正富の娘
妻の父 柘植正富→柘植正富の系図
夫 河野通哲→河野通利~通顕の系図
森震太郎
妻 杉原正英の娘
妻の父 杉原正英→杉原正英の系図
毛利高政~高久・高定~高逵の系図
毛利高政(たかまさ)【1559-1628】(以下、『系図纂要』による。)
豊後国佐伯藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。豊臣秀吉に仕え、毛利氏の人質になった折に、毛利を称するようになった。
祖父 政次・父 高次→鯰江高久~森高次・吉安~浜之助・吉房~震太郎の系図
妻 木曽義昌の娘
妻の父 木曽義昌→木曽家道~義徳の系図
子の夫 松平重長→松平重長の系図
毛利高成(たかなり)【1603-1632】
佐伯藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 佐久間安政の娘
妻の父 佐久間安政→佐久間安政の系図
子の夫 川口宗重→川口宗重の系図
毛利高直(たかなお)/高尚(たかなお)【1630-1664】
佐伯藩主。
妻 牧野信成の娘
妻の父 牧野信成→牧野信成の系図
夫 大久保忠兼→大久保忠兼の系図
妻 萩野氏
子の夫 戸田忠真→戸田忠昌~忠盈の系図
毛利高重(たかしげ)【1662-1682】
佐伯藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
毛利高久(たかひさ)【1667-1716】
佐伯藩主。実は久留島通清(→久留島通清・通政の系図)の子。
妻 南部幕子
南部行信(→南部行信の系図)の娘。
夫 小出重興→小出重興の系図
子 高慶・孫 高通→毛利高慶・高通の系図
毛利高定(たかさだ)/高明(たかあきら)【1602-1688】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 間宮盛俊→間宮盛俊の系図
子の夫 石川政之→石川政之の系図
毛利高信(たかのぶ)【?-1692】
毛利高輝(たかてる)【1690-1724】
妻 永井直又の娘
妻の父 永井直又→永井直元・直又~直陟の系図
子の夫 武島茂正→武島茂正の系図
子の夫 本郷一泰→本郷一泰の系図
子の夫 横山一散→横山一散の系図
毛利高平(たかひら)【1713-1744】
毛利高寛(たかひろ)【1721-1781】
実は間宮盛次(→間宮盛次の系図)の子。
毛利高伴(たかとも)/祐倫(すけとも)【1745-1790】
実は伊東祐房(→伊東祐春~祐膺・祐恵・祐程の系図)の子。
子 祐純〔養父:伊藤祐標〕
毛利高逵(たかみち)【1762-?】
妻 安部信旨の娘
実は安部信允(→安部信允の系図)の娘。
妻の父 安部信旨→安部信旨の系図
毛利高慶・高通の系図
毛利高慶(たかやす)/高定(たかさだ)/高寛(たかひろ)【1675-1743】
佐伯藩主。実は久留島通清(→久留島通清・通政の系図)の子。学習所を設置した。
祖父 高重・父 高久→毛利高政~高久・高定~高逵の系図
妻 宗義真の娘
妻の父 宗義真→宗義真~義方の系図
夫 松平忠敏→松平忠敏の系図
妻 山下氏
子 高能(たかよし)【1715-1740】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 松平忠暁の娘
子の妻の父 松平忠暁→松平忠尚~忠恒の系図
子の妻の夫 堀田正実→堀田正実の系図
子 南部信之〔養父:南部信尹〕→南部勝信~信起の系図
子 褧(かさね)/泰高(やすたか)/義方(よしのり)【1730-1786】〔養父:山野辺義胤〕
孫 滝川利雍〔養父:滝川一貞〕→滝川利雍の系図
孫 関盛平〔養父:関盛有〕→関盛平の系図
孫の夫 片桐貞芳→片桐貞芳の系図
子の夫 戸田忠言→戸田忠位~忠行の系図
子の夫 大久保教純→大久保教純の系図
子の夫 巨勢至忠→巨勢至忠の系図
毛利高通(たかみち)【1703-1733】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 高丘・孫 高標→毛利高丘~高謙の系図
子 一高
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 松平直道→松平隆政~直道の系図
子の夫 竹中元儔→竹中元儔の系図
毛利高丘~高謙の系図
毛利高丘(たかおか)【1728-1760】
佐伯藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
祖父 高慶・父 高通→毛利高慶・高通の系図
妻 鳥居豊子
鳥居忠瞭(→鳥居忠瞭の系図)の娘。
子 秀太郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 秋田季済〔養父:秋田季満〕→秋田季済の系図
妻 佐原氏
子 花房正応〔養父:花房正域〕→花房正応の系図
子 滝川一貞〔養父:滝川利広〕→滝川一貞の系図
子の夫 本庄道利→本庄道利の系図
子の夫 井上正乗→井上重成~正直の系図
毛利高標(たかすえ)【1755-1801】
佐伯藩主。藩校四教堂を創設したほか、8万冊にも及ぶ書籍を収集し、佐伯文庫を形成した。
妻 加藤泰衑の娘
妻の父 加藤泰衑→加藤泰衑の系図
子 高標の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 田中氏
子 小笠原政雍〔養父:小笠原政恒〕→小笠原政雍の系図
子の夫 織田長裕→織田長裕の系図
毛利高誠(たかのぶ)/高聴(たかあき)【1776-1829】
佐伯藩主。財政改革を推し進めた。
妻 喜連川恵氏の娘
妻の父 喜連川恵氏→喜連川氏連~足利聡氏の系図
子 高〓
〓は「雨」+「月」。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 京極高文の娘
妻の父 京極高文→京極高通~高典の系図
子 政庸〔養父:杉浦政行〕
子 通純/高徳〔養父:久留島通正〕
子 高保/高栄
毛利高翰(たかなか)【1795-1852】(以下、『華族系譜』による。)
佐伯藩主。佐伯文庫の一部を幕府に献上した。
妻 井伊直朗の娘
妻の父 井伊直朗→井伊直存~直安の系図
子の夫 細川行芬→細川立之~行真の系図
子の夫 喜連川煕氏→喜連川氏連~足利聡氏の系図
毛利高泰(たかやす・たかよし)【1815-1869】
佐伯藩主。
妻 亀井延
亀井茲尚(→亀井矩貞~茲監の系図)の娘。
毛利高謙(たかあき・たかかた)【1840-1876】
佐伯藩主。
妻 細川立則の娘
妻の父 細川立則→細川立之~行真の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。