水野氏(清和源氏・満政流)・忠清流の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、水野氏(清和源氏・満政流)・忠清流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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水野氏・忠清流(駿河国沼津藩主)の略系図

水野氏・忠清流の略系図

1 忠清水野忠清・忠職の系図
3 忠直水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図
7 忠穀水野忠穀~忠敬の系図

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水野忠清・忠職の系図

水野忠清・忠職の系図

  水野忠清(ただきよ)【1582-1647】
 上野国小幡藩主・三河国刈谷藩主・三河国吉田藩主・信濃国松本藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。

祖父 信元水野信元の系図
 忠重水野忠重の系図

 前田利家の娘
 実は小林氏の娘。
妻の父 前田利家→前田利家の系図
 忠次(ただつぐ)【1604-1628】
 祖活
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 京極高三→京極高三の系図
子の夫 山内忠直→山内忠直の系図

 忠増 忠位水野忠増~忠定の系図
 忠顕〔養父:水野忠貞〕→水野忠顕の系図
 忠清の息子(『華族系譜』による。)
子の夫 有馬康純→有馬康純の系図
子の夫 菅沼定実→菅沼定実の系図
子の夫 小笠原長知(『華族系譜』による。)


  水野忠職(ただもと)/忠正【1613-1668】
 松本藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 中川仙
 中川久盛(→中川久盛の系図)の娘。
 采女
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 忠直 忠周 忠照水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図

 忠職の娘
 片桐貞明に嫁ぐ予定であった。
子の夫 小笠原長章→小笠原長章の系図

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水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図

水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図

  水野忠直(ただなお)【1652-1713】
 松本藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。

祖父 忠清 忠職水野忠清・忠職の系図
祖父 中川久盛→中川久盛の系図

 鍋島光茂の娘
妻の父 鍋島光茂→鍋島光茂の系図
 忠富〔養父:水野忠顕〕→水野忠富の系図
子の夫 石川勝之→石川勝之の系図

 櫟原氏
 忠穀〔養父:水野忠恒〕→水野忠穀~忠敬の系図

 忠房〔養父:水野忠休〕→水野忠房の系図
 忠照→水野忠照の系図
 内藤種春〔養父:内藤種元〕→内藤種春の系図
 忠英〔養父:水野忠房〕→水野忠英の系図
 鍋島直恭〔養父:鍋島長行〕→鍋島直恭の系図
 元陳〔養父:水野元朝〕→水野分長~元貞の系図
 鍋島直弼〔養父:鍋島長行〕→鍋島直弼の系図
子の夫 小笠原信辰→小笠原信辰の系図
子の夫 板倉重泰→板倉重泰の系図
子の夫 小笠原長暉→小笠原長暉の系図


  水野忠周(ただちか)【1673-1718】
 松本藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 前田松【1674-1705】
 前田利明(→前田利明の系図)の娘。
 忠恒〔養父:水野忠幹〕
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 土屋陳直→土屋陳直の系図
子の夫 亀井茲長→亀井茲長の系図

 忠周の娘
 米倉忠仰に嫁ぐ予定であった。


  水野忠幹(ただもと)【1699-1723】
 松本藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 浅野綱長の娘
妻の父 浅野綱長浅野綱長・吉長の系図
 河鰭輝季河鰭実陳~公述の系図
 森長生→森長生の系図


  水野忠恒(ただもと)【1701-1739】
 松本藩主。実は水野忠周の子。江戸城松の廊下で毛利師就を斬りつけ、改易となった。
 戸田氏定の娘〔養父:戸田氏長(→戸田氏長の系図)〕
妻の父 戸田氏定→戸田氏定の系図

 忠穀 忠友水野忠穀~忠敬の系図


  水野忠照(ただてる)【1696-1743】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 忠隣〔養父:水野忠卿〕
子の夫 織田信方→織田信方の系図


  水野忠卿(ただあきら)【1734-1751】


  水野忠隣(ただちか)【1735-1778】
 実は水野忠照の子。
 水野忠穀の娘
妻の父 水野忠穀水野忠穀~忠敬の系図

子の夫 水野忠成水野忠穀~忠敬の系図


  水野忠成水野忠穀~忠敬の系図
 後に水野忠友の養子になり、沼津藩を継いだ。


  水野忠紹(ただつぐ)【1779-?】
 忠寛〔養父:水野忠良〕→水野忠穀~忠敬の系図

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水野忠穀~忠敬の系図

水野忠穀~忠敬の系図

  水野忠穀(ただよし)/忠年(ただとし)/忠永(ただなが)【1707-1742】
 実は水野忠直(→水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図)の子。家名再興を許された。

祖父 忠幹 忠恒水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図

 松平信志〔養父:松平信交〕→松平信志の系図
子の夫 中根正均→中根正均の系図
子の夫 水野忠隣水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図
子の夫 牧野成如→牧野成如の系図


  水野忠友(ただとも)【1731-1802】
 老中・三河国大浜藩主・駿河国沼津藩主。旗本から大名に復帰し、中興の英主と称された。
 牧野康周の娘
妻の父 牧野康周→牧野康周の系図


  水野忠成(ただあきら)【1762-1834】〔養父:水野忠隣(→水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図)〕
 老中・沼津藩主。実は岡野智暁(→岡野智暁の系図)の子。
 水野忠友の娘
 英次郎 忠成の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 忠成の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)

 水野忠隣の娘
 実は水野政勝(→水野政勝の系図)の娘。
妻の父 水野忠隣水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図

 忠紹水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図
 忠成の息子(『寛政重修諸家譜』による。)
 忠成の娘(2人)(『水野家譜(上総菊間)』による。)


  水野忠義(ただよし)【1792-1842】
 沼津藩主。
 松平乗寛の娘
妻の父 松平乗寛→松平乗寛の系図

 松村氏
 忠良〔養父:水野忠武〕

 惣兵衛【1823-1825】
 忠義の娘〔養父:水野忠寛〕
 忠義の娘(2人)(『水野家譜(上総菊間)』による。)
子の夫 土方雄嘉→土方雄嘉の系図
子の夫 植村家保植村家道~家壺の系図


  水野忠武(ただたけ)【1824-1844】
 沼津藩主。
 毛利斉煕の娘
妻の父 毛利斉煕→毛利斉煕の系図
 毛利元純→毛利元純の系図


  水野忠良(ただなが)【1834-1858】
 沼津藩主。実は水野忠義の子。


  水野忠寛(ただひろ)【1807-1874】(以下、『水野家譜(上総菊間)』による。)
 沼津藩主。実は水野忠紹(→水野忠直~忠恒・忠照~忠紹の系図)の子。


  水野忠誠(ただのぶ)【1834-1866】
 老中・沼津藩主。実は本多忠考(→本多忠典~忠直の系図)の子。第二次長州征討の際に老中となり、間もなく亡くなった。
 水野忠寛の娘
 実は水野忠義の娘。


  水野忠敬(ただのり)【1851-1907】
 沼津藩主・上総国菊間藩主。実は水野忠明の子。徳川宗家の駿府入りに際し、転封となった。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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