このページでは、池田氏(清和源氏・頼光流)・忠継流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
池田氏・忠継流(因幡国鳥取藩主)の略系図
1 忠継→池田忠継~光仲の系図
4 綱清→池田綱清~重寛の系図
8 治道→池田治道~慶徳の系図
池田忠継~光仲の系図
池田忠継(ただつぐ)【1599-1615】
備前国岡山藩主。幼少のため、兄利隆が藩政を代行した。
祖父 信輝→池田恒利・信輝の系図
父 輝政→池田輝政の系図
祖父 徳川家康→徳川家康の系図
池田忠雄(ただかつ)【1602-1632】
淡路国洲本藩主・岡山藩主。実は池田輝政(→池田輝政の系図)の子。
妻 蜂須賀三保【1607-1632】
蜂須賀至鎮(→蜂須賀至鎮・忠英の系図)の娘。
子 仲政(なかまさ)【1632-1649】
子 忠雄の娘(『池田家譜(因幡鳥取)』による。)
池田光仲(みつなか)【1630-1693】〔養子:池田輝澄の娘(→池田輝澄の系図)〕
因幡国鳥取藩主。鳥取の市街を整備し、藩政の基礎を築いた。
妻 徳川因幡姫【1631-1708】
徳川頼宣(→徳川頼宣~頼職の系図)の娘。
子 綱清・孫 吉泰→池田綱清~重寛の系図
子 仲澄・孫 仲央→池田仲澄~延俊の系図
妻 上野氏
子 九鬼隆律〔養父:九鬼隆昌〕→九鬼隆律~隆義の系図
子 清定・孫 定賢→池田清定~定得の系図
子 清勝〔養父:池田政弘〕→池田利隆・恒元~恒行・輝興~清勝の系図
子 久留島通孝〔養父:久留島通政〕→久留島通清・通政の系図
子 亀之助・子 光仲の娘(6人)(『池田家譜(因幡鳥取)』による。)
池田綱清~重寛の系図
池田綱清(つなきよ)【1647-1711】
鳥取藩主。弟の仲澄に2万5000石を分与した。
祖父 忠雄・父 光仲→池田忠継~光仲の系図
祖父 徳川頼宣→徳川頼宣~頼職の系図
妻 南部式子【1649-1698】
南部重信(→南部重信の系図)の娘。
子 綱清の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子 澄古(すみひさ)【1694-1727】〔養父:池田清勝(→池田利隆・恒元~恒行・輝興~清勝の系図)〕
実は池田仲澄(→池田仲澄~延俊の系図)の子。
子 豊→蜂須賀光隆~綱矩の系図
池田吉泰(よしやす)/吉明(よしあき)【1687-1739】
鳥取藩主。実は池田仲澄(→池田仲澄~延俊の系図)の子。叔父の清定に1万5000石を分与した。
妻 前田敬【?-1737】
前田綱紀(→前田利常~綱紀の系図)の娘。
妻 横尾氏
子 吉泰の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。鍋島宗教に嫁ぐ予定であった。
子 吉泰の娘(3人)(『寛政重修諸家譜』による。)
池田宗泰(むねやす)【1717-1747】
鳥取藩主。
妻 徳川久姫【1726-1800】
徳川宗直(→徳川宗直の系図)の娘。
池田重寛(しげのぶ)/仲穆(なかあつ)/重〓(「禾」+「翏」)(しげみつ)【1746-1783】
鳥取藩主。藩校の尚徳館を創設した。
妻 松平律子
松平忠刻(→松平忠雅~忠功の系図)の娘。
妻 田安仲姫
田安宗武(→田安宗武の系図)の娘。
子 重寛の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 高野氏
子 治恕(はるひろ)【1765-1781】
妻 村上氏
子 治道・孫 斉邦→池田治道~慶徳の系図
子 澄時〔養父:池田延俊〕→池田澄時~徳澄の系図
妻 浅井氏
子 仲雅〔養父:池田澄時〕→池田澄時~徳澄の系図
子の夫 池田斉政→池田斉政~章政の系図
子の夫 松平信成→松平信友~信謹の系図
子 安次郎・駒吉(『池田家譜(因幡鳥取)』による。)
池田治道~慶徳の系図
池田治道(はるみち)【1768-1798】
鳥取藩主。
祖父 宗泰・父 重寛→池田綱清~重寛の系図
妻 伊達生姫
伊達重村(→伊達重村~宗基の系図)の娘。
子 周子→島津斉興の系図
妻 徳川丞姫【1770-1826】
徳川重倫(→徳川重倫~茂承の系図)の娘。
妻 佃氏
子 斉稷〔養父:池田斉邦〕
子 道興・道一(『寛政重修諸家譜』による。)
孫 道一の娘〔養父:池田斉訓〕
孫 鋼太郎・孫 道一の娘(『池田家譜(因幡鳥取)』による。)
孫の夫 池田喜通(『池田家譜(因幡鳥取)』による。)→池田政森~徳潤の系図
子 幸姫→鍋島斉直~直大の系図
子 善之進(『池田家譜(因幡鳥取)』による。)
子の夫 毛利斉煕→毛利治親~元徳の系図
子の夫 牧野貞幹→牧野貞幹の系図
子の夫 秋月種任→秋月種茂~種殷の系図
池田斉邦(なりくに)/昭邦(てるくに)【1787-1807】
鳥取藩主。
池田斉稷(なりとし)【1788-1830】
鳥取藩主。実は池田治道の子。
妻 上杉演【1796-1818】
上杉治広(→上杉治広の系図)の娘。
子 斉衆【1812-1826】
実は徳川家斉(→徳川家斉の系図)の子。
子 鋼太郎【?-1833】
子 繍子→松平忠和~忠敬の系図
子 吉之丞・郁之進・斉稷の息子・子 斉稷の娘(『池田家譜(因幡鳥取)』による。)
子の夫 佐竹義厚→佐竹義厚の系図
池田斉訓(なりみち)【1820-1841】〔養子:池田繍子(→松平忠和~忠敬の系図)〕
鳥取藩主。
妻 徳川益子/泰姫【1827-1843】
徳川家斉(→徳川家斉の系図)の娘。
子の夫 秋田肥季→秋田肥季の系図
池田慶行(よしゆき)/茂高/茂行【1832-1848】
鳥取藩主。実は池田仲律(→池田澄時~徳澄の系図)の子。
池田慶栄(よしたか)/利順【1834-1850】
鳥取藩主。実は前田斉泰(→前田治脩~慶寧の系図)の子。
妻 池田慶行の娘
実は池田仲律(→池田澄時~徳澄の系図)の娘。
池田慶徳(よしのり)/昭徳【1837-1877】
鳥取藩主。実は徳川斉昭(→徳川斉昭~昭武の系図)の子。藩政改革を行い、幕末は大政奉還論を唱えた。戊辰戦争では、関東や奥羽に出兵した。
妻 池田清直の娘
実は池田定保(→池田定常~徳定の系図)の娘。
妻の父 池田清直→池田定常~徳定の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。