このページでは、近衛家(藤原氏北家)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
近衛家(摂家)の略系図
1 基実→近衛基実の系図
1-A1 忠良→粟田口忠良の系図
1-A2 基良→粟田口基良の系図
2 基通→近衛基通の系図
2-A 道経・兼基→藤原道経・鷹司兼基の系図
3 家実→近衛家実・兼経の系図
5 基平→近衛基平の系図
6 家基→近衛家基~道嗣の系図
10 兼嗣→近衛兼嗣~政家の系図
14 尚通→近衛尚通~信尹の系図
18 信尋→近衛信尋~家煕の系図
22 家久→近衛家久・内前の系図
24 経煕→近衛経煕~忠房の系図
近衛基実の系図
近衛基実(もとざね)【1143-1166】
摂政・関白・左大臣。近衛家の祖。若くして亡くなり、死後太政大臣正一位を贈られた。
祖父 忠実→藤原忠実の系図
父 忠通→藤原忠通の系図
祖父 源国信→源国信の系図
妻 藤原忠隆の娘
妻の父 藤原忠隆→藤原基隆の系図
子 基通→近衛基通の系図
孫 家実→近衛家実・兼経の系図
孫 道経・鷹司兼基→藤原道経・鷹司兼基の系図
妻 六条顕輔の娘
妻の父 六条顕輔→六条顕輔の系図
子 粟田口忠良→粟田口忠良の系図
孫 基良→粟田口基良の系図
子 通子→高倉天皇・安徳天皇の系図
妻 平盛子(もりこ)【1156-1179】
平清盛(→平清盛の系図)の娘。高倉天皇の准母。基実が亡くなった際には、その所領を相続した。白河殿と号した。
粟田口忠良の系図
粟田口忠良(ただよし)【1164-1225】
権大納言。歌人。鳴滝大納言と号した。
祖父 忠通→藤原忠通の系図
父 基実→近衛基実の系図
祖父 六条顕輔→六条顕輔の系図
妻 滋野井実国の娘
妻の父 滋野井実国→滋野井実国~実宣の系図
子 基良→粟田口基良の系図
妻 二条定能の娘
妻の父 二条定能→二条定能の系図
子 衣笠家良(いえよし)【1192-1264】
内大臣。歌人。『続古今和歌集』の撰者になったが、途中で亡くなった。衣笠内大臣と号した。
子の妻 藤原親能の娘
子の妻の父 藤原親能→藤原親能・定季の系図
孫 経平【?-1274】
権中納言。
孫の妻 藤原公基の娘
孫の妻の父 藤原公基→西園寺実氏の系図
曾孫 冬良/家平【1267-1308】
中納言。
曾孫の妻 小倉公雄の娘
曾孫の妻の父 小倉公雄→小倉公雄~実名の系図
冬良孫 家輔/道平
冬良孫 冬長/兼基
曾孫 兼良/兼教
曾孫の夫 鷹司基忠→鷹司兼平~冬教の系図
子の妻 聖覚の娘
子の妻の父 聖覚→澄憲の系図
妻 徳大寺実定の娘
妻の父 徳大寺実定→徳大寺実定・公継の系図
妻 藤原師長の娘
妻の父 藤原師長→藤原頼長の系図
妻 藤原成賢の娘
妻の父 藤原成賢→藤原成親の系図
孫の夫 一条実経→一条実経~内経の系図
孫の夫 源通行→源通親の系図
粟田口基良の系図
粟田口基良(もとよし)【1187-1276】
権大納言。
祖父 基実→近衛基実の系図
父 忠良→粟田口忠良の系図
祖父 滋野井実国→滋野井実国~実宣の系図
妻 藤原隆雅の娘
妻の父 藤原隆雅→藤原隆季の系図
子 良教(よしのり)【1224-1287】
大納言。亀山天皇・後宇多天皇の笛の師になった。
子の妻 川原公斉の娘
子の妻の父 川原公斉→川原実重・近衛実光の系図
孫 経良【1250-1289】
権中納言。
孫の妻 藤原重季の娘
孫の妻の父 藤原重季→藤原重俊の系図
曾孫 忠輔/経忠【1271-?】
権大納言。
孫 教経【?-1292】
参議。母は『系図纂要』による。
教経孫 忠定【1300-1344】
従三位。
忠定の妻 中御門冬定の娘
忠定の妻の父 中御門冬定→中御門宗冬~松木宗藤の系図
孫 嗣房【1269-1304】
従三位。
孫 憲淳(『系図纂要』による。)
孫の夫 日野俊光→日野俊光・資名の系図
子 房教【1231-1299】
正二位。
孫 房通【?-1309】
正三位。
妻 藤原公頼の娘
妻の父 藤原公頼→山科実教の系図
子 藤井教嗣〔養父:藤原公頼(→山科実教の系図)〕
孫 嗣実〔養父:藤原房範(→藤原孝範の系図)〕
参議。
孫の妻 勘解由小路兼仲の娘
孫の妻の父 勘解由小路兼仲→勘解由小路頼資~光業の系図
曾孫 嗣家【1310-1346】
従三位。
曾孫 嗣兼
曾孫の妻 藤原光遠の娘
曾孫の妻の父 藤原光遠→藤原光家の系図
曾孫の夫 近衛基嗣→近衛家基~道嗣の系図
教嗣孫 嗣尹【?-1406】
参議。
教嗣孫 嗣忠/嗣孝
正三位。
近衛基通の系図
近衛基通(もとみち)【1160-1233】
摂政・関白・内大臣。平清盛の後ろ盾で氏長者となった。普賢寺殿と号した。
祖父 忠通→藤原忠通の系図
父 基実→近衛基実の系図
祖父 藤原忠隆→藤原基隆の系図
妻 源顕子
源顕信(→源信時・顕信の系図)の娘。
子 家実・孫 兼経→近衛家実・兼経の系図
孫 鷹司兼平→鷹司兼平~冬教の系図
妻 平信範の娘
妻の父 平信範→平信範・信基の系図
子 道経→藤原道経・鷹司兼基の系図
妻 最舜の娘
妻の父 最舜→藤原顕良・忠実の系図
子 鷹司兼基→藤原道経・鷹司兼基の系図
子 基教(もとのり)【1196-1213】
従二位。
妻 能円の娘
妻の父 能円→能円の系図
夫 藤原忠季→中山忠親・兼宗の系図
妻 平寛子
平清盛(→平清盛の系図)の娘。
子 円浄(えんじょう)【1189-1256】
園城寺長吏。
藤原道経・鷹司兼基の系図
藤原道経(みちつね)【1184-1238】〔養子:道俊〕
右大臣。
祖父 基実→近衛基実の系図
父 基通→近衛基通の系図
祖父 平信範→平信範・信基の系図
妻 疋田以頼の娘
妻の父 疋田以頼→疋田以頼の系図
子 基輔(もとすけ)【1198-1245】
従二位。
子の妻 疋田以助の娘
子の妻の父 疋田以助→疋田以助の系図
子の妻の夫 源定平→源雅頼の系図
孫 道俊(どうしゅん)【1229-1309】〔養父:藤原道経〕
東寺長者。
妻 成定の娘
子 道嗣(みちつぐ)【1217-1242】
権中納言。
子の妻 小槻国宗の娘
子の妻の父 小槻国宗→小槻国宗の系図
孫 良勝
父は藤原基輔とも。
孫 静珍
父は藤原基輔とも。
曾孫 道景/道蔭
実は公行の子。
妻 平時忠の娘
妻の父 平時忠→平時信の系図
子 道静/道修
鷹司兼基【1185-?】
大納言。
祖父 最舜→藤原顕良・忠実の系図
子 兼忠(かねただ)【1205-1269】〔養父:近衛家実(→近衛家実・兼経の系図)〕
正二位。
孫 忠光
孫の妻 烏丸兼頼の娘
孫の妻の父 烏丸兼頼→五辻家経の系図
曾孫 兼輔〔養父:鷹司兼忠〕
孫 兼輔
従三位。実は藤原忠光の子。
曾孫 輔房/冬兼
従三位。
曾孫の子の夫 正親町忠季→正親町実明~実綱の系図
子 玄助〔養父:三条公親(→三条実親・公親の系図)〕
近衛家実・兼経の系図
近衛家実(いえざね)【1179-1242】〔養子:鷹司兼忠(→藤原道経・鷹司兼基の系図)〕
摂政・関白・太政大臣。猪熊殿と号した。日記は『猪熊関白記』。
祖父 基実→近衛基実の系図
父 基通→近衛基通の系図
祖父 源顕信→源信時・顕信の系図
妻 藤原季定の娘
妻の父 藤原季定→藤原敦兼の系図
子 家通(いえみち)【1204-1224】
左大臣。若くして亡くなった。
妻 楊梅忠行の娘
実は藤原伊忠(→楊梅重季~経季の系図)の娘。
妻の父 楊梅忠行→楊梅重季~経季の系図
子 鷹司兼平・孫 基忠→鷹司兼平~冬教の系図
子 慈禅【1231-1276】
天台座主。
妻 楊梅忠行の娘
妻の父 楊梅忠行→楊梅重季~経季の系図
子 増忠(ぞうちゅう)【1233-1298】
園城寺長吏。
子 聖兼(しょうけん)【1242-1293】
醍醐寺座主。
妻 藤原季信の娘
妻の父 藤原季信→藤原敦兼の系図
子 長子→守貞親王~四条天皇の系図
子 家輔【1208-1220】
近衛兼経(かねつね)【1210-1259】
摂政・関白・太政大臣。岡屋殿と号した。日記は『岡屋関白記』。
妻 九条仁子
九条道家(→九条道家の系図)の娘。
子 基平→近衛基平の系図
孫 家基→近衛家基~道嗣の系図
子 信昭(しんしょう)【1253-1286】
興福寺別当。
子 宰子→後嵯峨天皇の系図
近衛基平の系図
近衛基平(もとひら)【1246-1268】
関白・左大臣。深心院殿と号した。日記は『深心院関白記』。
祖父 家実・父 兼経→近衛家実・兼経の系図
祖父 九条道家→九条道家の系図
妻 近衛兼経の娘
妻の父 近衛兼経→近衛家実・兼経の系図
子 猪隈兼教(かねのり)【1267-1336】
准大臣。
子の妻 平信忠の娘
子の妻の父 平信忠→平親輔の系図
孫 公雲〔養父:三条実重(→三条実重~公忠の系図)〕
子の妻 近衛家基の娘
子の妻の父 近衛家基→近衛家基~道嗣の系図
子の妻 鷹司基忠の娘
子の妻の父 鷹司基忠→鷹司兼平~冬教の系図
孫 増覚〔養父:近衛家基(→近衛家基~道嗣の系図)〕
孫 崇空/深恵【?-1378】
妻 源通能の娘
妻の父 源通能→久我通光の系図
子 覚昭(かくしょう)【?-1308】
興福寺別当。
子 位子→亀山天皇の系図
子の夫 鷹司兼忠→鷹司兼平~冬教の系図
妻 西園寺公相の娘
妻の父 西園寺公相→西園寺公相の系図
妻 一条実有の娘
妻の父 一条実有→一条実有~実連の系図
妻 洞院実雄の娘
妻の父 洞院実雄→洞院実雄の系図
子 家基・孫 経平→近衛家基~道嗣の系図
近衛家基~道嗣の系図
近衛家基(いえもと)【1261-1296】〔養子:増覚(→近衛基平の系図)〕
関白・右大臣。浄妙寺殿・高山寺殿と号した。
祖父 兼経→近衛家実・兼経の系図
父 基平→近衛基平の系図
妻 鷹司兼平の娘
妻の父 鷹司兼平→鷹司兼平~冬教の系図
子 家平(いえひら)【1282-1324】
関白・左大臣。岡本殿と号した。
孫 経忠(つねただ)【1302-1352】
関白・左大臣。堀河殿と号した。
孫の妻 花山院家定の娘
孫の妻の父 花山院家定→花山院通雅~長定の系図
曾孫 経家【1333-1389】
従三位。
曾孫 冬実【?-1380】(『系図纂要』による。)
従三位。
孫 覚実【1310-1351】
孫 家平の娘【?-1379】(『系図纂要』による。)
妻 亀山天皇の皇女
妻の父 亀山天皇→亀山天皇の系図
子 良覚【1290-1332】
妻 鷹司頼平の娘
妻の父 鷹司頼平→鷹司頼平の系図
子の夫 猪熊兼教→近衛基平の系図
近衛経平(つねひら)【1287-1318】
左大臣。後浄妙寺殿と号した。
妻 一条公頼の娘
妻の父 一条公頼→八条公清~一条公邦の系図
子 多羅尾師俊(『近衛家譜』による。)
近衛基嗣(もとつぐ)【1305-1354】
関白・左大臣。後岡本殿と号した。
妻 藤井嗣実の娘
妻の父 藤井嗣実→粟田口基良の系図
妻 後醍醐天皇の皇女
妻の父 後醍醐天皇→後醍醐天皇の系図
近衛道嗣(みちつぐ)【1332-1387】
関白・左大臣。後深心院殿と号した。日記は『後深心院関白記』。
妻 洞院実夏の娘
実は洞院実世(→洞院公賢の系図)の娘。
妻の父 洞院実夏→洞院実夏~公連の系図
子 兼嗣・孫 良嗣→近衛兼嗣~政家の系図
妻 洞院公賢の娘〔養父:久良親王(→後深草天皇の系図)〕
妻の父 洞院公賢→洞院公賢の系図
子 良昭【1363-1402】
近衛兼嗣~政家の系図
近衛兼嗣(かねつぐ)【1360-1388】
摂政・右大臣。後六条殿と号した。
祖父 基嗣・父 道嗣→近衛家基~道嗣の系図
祖父 洞院実夏→洞院実夏~公連の系図
子 玄昭(『系図纂要』による。)
子 良兼(りょうけん)【1385-1414】
興福寺別当。
近衛良嗣(よしつぐ)/忠嗣(ただつぐ)【1383-1454】
関白・左大臣。後普賢寺殿と号した。
近衛房嗣(ふさつぐ)【1402-1488】〔養子:良誉〕
関白・太政大臣。日記は『後知足院殿記』。後知足院殿と号した。
妻 武者小路隆光の娘
妻の父 武者小路隆光→柳原資明の系図
子 教基(のりもと)【1423-1462】
右大臣。
子 道興(どうこう)【?-1501】
園城寺長吏。東国を巡歴し、『廻国雑記』を著した。
子 政深〔養父:足利義教(→足利義教・義政の系図)〕
近衛政家(まさいえ)【1444-1505】
関白・太政大臣。日記は『後法興院政家記』。後法興院殿と号した。
妻 北小路俊宣の娘
妻の父 北小路俊宣→北小路俊宣の系図
子 尚通・孫 稙家→近衛尚通~信尹の系図
孫 大浦政信(『系図纂要』による。)→大浦政信~津軽信枚の系図
子 良誉〔養父:近衛房嗣〕
近衛尚通~信尹の系図
近衛尚通(ひさみち)【1472-1544】
関白・太政大臣。宗祇から古今伝授を受けた。後法成寺殿と号した。
祖父 房嗣・父 政家→近衛兼嗣~政家の系図
祖父 北小路俊宣→北小路俊宣の系図
妻 徳大寺維子
徳大寺実淳(→徳大寺公有~公胤の系図)の娘。
子 覚誉(かくよ)【?-1562】
興福寺別当。
子 道増(どうぞう)【1508-1571】
園城寺長吏。
子 禅意/義俊(ぎしゅん)【1504-1567】
子 久我晴通〔養父:久我通言〕→久我晴通~敦通の系図
子 尚通の娘(『系図纂要』による。)
子の夫 足利義晴→足利義澄~義昭の系図
子 大浦政信・孫 守信(『系図纂要』による。)→大浦政信~津軽信枚の系図
近衛稙家(たねいえ)【1503-1566】〔養子:聖音・秀貴(→広橋兼秀・国光の系図)〕
関白・太政大臣。将軍家と深い関係を築いた。恵雲院殿と号した。
妻 細川慶子〔養父:久我通言(→久我通博~通言の系図)〕
細川高基(→細川頼元の系図)の娘。
子 道澄(どうちょう)【1544-1608】(『系図纂要』による。)
園城寺長吏。豊臣秀吉が創建した方広寺の住持となった。
子 尊信/義性【?-1588】(『系図纂要』による。)
子 陽山・子 稙家の娘(2人)(『系図纂要』による。)
子の夫 足利義輝(『系図纂要』による。)→足利義澄~義昭の系図
近衛前久(さきひさ)/晴嗣/前嗣【1536-1612】
関白・太政大臣。度々地方に下向し、中央の文化を地方に普及させるきっかけを作った。
妻 久我晴通の娘
妻の父 久我晴通→久我晴通~敦通の系図
子 尊勢/尊政【1563-1616】(『系図纂要』による。)
子 尭真→尭真の系図
実は尭恵の子。
子 慈運(『系図纂要』による。)
実は大炊御門経頼(→大炊御門宗実~頼国の系図)の子。
子 前子(『系図纂要』による。)→後陽成天皇の系図
孫 後水尾天皇→後水尾天皇~後光明天皇の系図
子 前久の娘(2人)(『系図纂要』による。)
近衛信尹(のぶただ)/信基/信輔【1565-1614】
関白・左大臣。勅勘を蒙り、数年薩摩国に滞在した。書にすぐれ、寛永の三筆の一人に数えられた。三藐院殿と号した。日記は『三藐院記』。
子 信尋・孫 尚嗣→近衛信尋~家煕の系図
近衛信尋~家煕の系図
近衛信尋(のぶひろ)【1599-1649】
関白・左大臣。実は後陽成天皇(→後陽成天皇の系図)の皇子。茶道など様々な文芸で活躍した。日記は『本源自性院記』。
祖父 前久・父 信尹→近衛尚通~信尹の系図
子 寛俊【1648-1682】(『系図纂要』による。)
子 如雲(『系図纂要』による。)→光瑛の系図
子 信尋の娘(2人)(『系図纂要』による。)
子の夫 徳川光圀(『系図纂要』による。)→徳川光圀・綱条の系図
近衛尚嗣(ひさつぐ)【1622-1653】(以下、『系図纂要』による。)
関白・左大臣。
妻 昭子内親王(あきこ)【1625-1651】
後水尾天皇(→後水尾天皇~後光明天皇の系図)の皇女。
子の夫 貞致親王→貞致親王の系図
近衛基煕(もとひろ)【1648-1722】
関白・太政大臣。和歌にすぐれた。日記は『基煕公記』。
妻 常子内親王(つねこ)【1642-1702】
後水尾天皇(→後水尾天皇~後光明天皇の系図)の皇女。日記は『无上法院殿日記』。
子 煕子→徳川綱吉~家継の系図
子 大炊御門信名〔養父:大炊御門経光〕→大炊御門経敦~経音の系図
子 寛守〔養父:近衛家煕〕
子 脩子→直仁親王の系図
近衛家煕(いえひろ)【1667-1736】
摂政・関白・太政大臣。様々な文芸にすぐれ、『花木真写』などを遺した。日記は『家煕公記』。
妻 憲子内親王(のりこ)【1669-1688】
霊元天皇(→霊元天皇の系図)の皇女。
子 家久・孫 内前→近衛家久・内前の系図
妻 町尻量子
町尻兼量(→町尻具英~兼重の系図)の娘。
子 鷹司房煕〔養父:鷹司兼煕〕→鷹司房輔~基輝の系図
子 尚子→中御門天皇~後桃園天皇の系図
子 安克子→徳川吉通~宗春の系図
子 鷹司尚輔〔養父:鷹司房煕〕→鷹司房輔~基輝の系図
子 寛守【1713-1730】
実は近衛基煕の子。
子 実演【1714-1733】
子 寛深/信性【1723-1787】
子 房子→光乗の系図
子 政姫〔養父:徳川家宣〕→徳川綱吉~家継の系図
子 家煕の息子(3人)・子 家煕の娘(2人)(『近衛家譜』による。)
子の夫 徳大寺公全→徳大寺実維~公城の系図
子の夫 津軽信興→津軽信政~信著の系図
近衛家久・内前の系図
近衛家久(いえひさ)【1687-1737】〔養子:尊信女王(→尊信女王の系図)〕
関白・太政大臣。日記は『家久公記』。
祖父 基煕・父 家煕→近衛信尋~家煕の系図
祖父 霊元天皇→霊元天皇の系図
子 周子→徳川宗睦~義宜の系図
子 通子→田安宗武の系図
子 家久の息子(2人)・子 家久の娘(5人)(『近衛家譜』による。)
近衛内前【1728-1785】〔養子:広幡前豊・広幡前秀(→広幡長忠~忠礼の系図)、広幡長忠の娘(→西園寺公晃~公望の系図)〕
摂政・関白・太政大臣。日記は『内前公記』。
妻 吉田良倶の娘
妻の父 吉田良倶→吉田良倶の系図
子 経煕・孫 基前→近衛経煕~忠房の系図
妻 徳川勝子/頼姫/高姫/三喜姫/伝姫【1728-1760】
実は徳川宗春(→徳川吉通~宗春の系図)の娘。
妻の父 徳川宗勝→徳川宗勝の系図
妻 高倉永房の娘
妻の父 高倉永房→高倉永重~永秀の系図
妻 徳川宗尭の娘
実は松平頼豊(→松平頼豊~頼恭の系図)の娘。
妻の父 徳川宗尭→徳川宗尭の系図
子 深真【1777-1799】
子 維子→中御門天皇~後桃園天皇の系図
子 因子→美仁親王の系図
子 内前の息子(5人)・子 内前の娘(4人)(『近衛家譜』による。)
子の夫 伊達重村→伊達重村~宗基の系図
近衛経煕~忠房の系図
近衛経煕(つねひろ)/師久【1761-1799】〔養子:広幡経豊(→広幡長忠~忠礼の系図)〕
右大臣。日記は『経煕公記』。
祖父 家久・父 内前→近衛家久・内前の系図
祖父 吉田良倶→吉田良倶の系図
妻 董子女王
職仁親王(→職仁親王の系図)の娘。
子 亮深【?-1855】
子 義海(ぎかい)【1788-1832】
園城寺長吏。
子 経煕の息子(2人)(『近衛家譜』による。)
子 寔子→徳川家斉の系図
子 煕子・依子→光朗の系図
近衛基前(もとさき)【1783-1820】〔養子:光浄(→光浄の系図)〕
左大臣。
妻 徳川静子【1785-1847】
実は松平勝当(→松平義敏~義和の系図)の娘。
妻の父 徳川宗睦→徳川宗睦~義宜の系図
子 定子→徳川宗睦~義宜の系図
子 増子女王→光浄の系図
子 基前の娘(2人)(『近衛家譜』による。)
近衛忠煕(ただひろ)【1808-1898】
関白・左大臣。
妻 島津郁君【?-1850】〔養父:島津斉興(→島津斉興の系図)〕
実は島津斉宣(→島津斉宣の系図)の娘。
子 常磐井尭煕(ぎょうき)【1844-1919】〔養父:幟仁親王(→幟仁親王の系図)〕
子の妻 藤堂高猷の娘
実は円禧(→円禧の系図)の娘。
子の妻の父 藤堂高猷→藤堂高兌~高潔の系図
子 水谷川忠起
子の妻 一条勝子〔養父:一条実良(→一条忠良~実良の系図)〕
実は光勝(→光勝の系図)の娘。
子 篤麿(あつまろ)【1863-1904】〔養父:近衛忠房〕(『近衛家譜』による。)
学習院院長・貴族院議長などを務めた。
子 充子→徳川重倫~茂承の系図
子 静子→広幡長忠~忠礼の系図
子 敬子→徳川家慶~慶喜の系図
子 総子→一条忠良~実良の系図
子 備子→伊達慶邦の系図
子 暐→島津忠義の系図
子 忠煕の息子(5人)・子 高鳳・忠煕の娘(3人)(『近衛家譜』による。)
子の夫 津軽承昭(『近衛家譜』による。)→津軽信寧~承昭の系図
近衛忠房(ただふさ)【1838-1873】
左大臣。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。