近衛家(藤原氏北家)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、近衛家(藤原氏北家)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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近衛基実の系図

近衛基実の系図

  近衛基実(もとざね)【1143-1166】
 摂政・関白・左大臣。近衛家の祖。若くして亡くなり、死後太政大臣正一位を贈られた。

祖父 忠実藤原忠実の系図
 忠通藤原忠通の系図
祖父 源国信源国信の系図

 藤原忠隆の娘
妻の父 藤原忠隆藤原基隆の系図
 基通近衛基通の系図
 家実近衛家実・兼経の系図
 道経鷹司兼基藤原道経・鷹司兼基の系図

 六条顕輔の娘
妻の父 六条顕輔六条顕輔の系図
 粟田口忠良粟田口忠良の系図
 基良粟田口基良の系図

 通子高倉天皇・安徳天皇の系図

 平盛子(もりこ)【1156-1179】
 平清盛(→平清盛の系図)の娘。高倉天皇の准母。基実が亡くなった際には、その所領を相続した。白河殿と号した。

粟田口忠良の系図

粟田口忠良の系図

  粟田口忠良(ただよし)【1164-1225】
 権大納言。歌人。鳴滝大納言と号した。

祖父 忠通藤原忠通の系図
 基実近衛基実の系図
祖父 六条顕輔六条顕輔の系図

 滋野井実国の娘
妻の父 滋野井実国滋野井実国~実宣の系図
 基良粟田口基良の系図

 二条定能の娘
妻の父 二条定能二条定能の系図
 衣笠家良(いえよし)【1192-1264】
 内大臣。歌人。『続古今和歌集』の撰者になったが、途中で亡くなった。衣笠内大臣と号した。
子の妻 藤原親能の娘
子の妻の父 藤原親能藤原親能・定季の系図
 経平【?-1274】
 権中納言。
孫の妻 藤原公基の娘
孫の妻の父 藤原公基西園寺実氏の系図
曾孫 冬良/家平【1267-1308】
 中納言。
曾孫の妻 小倉公雄の娘
曾孫の妻の父 小倉公雄小倉公雄~実名の系図

冬良孫 家輔/道平
冬良孫 冬長/兼基

曾孫 兼良/兼教
曾孫の夫 鷹司基忠鷹司兼平~冬教の系図

子の妻 聖覚の娘
子の妻の父 聖覚澄憲の系図

 徳大寺実定の娘
妻の父 徳大寺実定徳大寺実定・公継の系図

 藤原師長の娘
妻の父 藤原師長藤原頼長の系図

 藤原成賢の娘
妻の父 藤原成賢藤原成親の系図

孫の夫 一条実経一条実経~内経の系図
孫の夫 源通行源通親の系図

粟田口基良の系図

粟田口基良の系図

  粟田口基良(もとよし)【1187-1276】
 権大納言。

祖父 基実近衛基実の系図
 忠良粟田口忠良の系図
祖父 滋野井実国滋野井実国~実宣の系図

 藤原隆雅の娘
妻の父 藤原隆雅藤原隆季の系図
 良教(よしのり)【1224-1287】
 大納言。亀山天皇・後宇多天皇の笛の師になった。
子の妻 川原公斉の娘
子の妻の父 川原公斉川原実重・近衛実光の系図
 経良【1250-1289】
 権中納言。
孫の妻 藤原重季の娘
孫の妻の父 藤原重季藤原重俊の系図
曾孫 忠輔/経忠【1271-?】
 権大納言。

 教経【?-1292】
 参議。母は『系図纂要』による。
教経孫 忠定【1300-1344】
 従三位。
忠定の妻 中御門冬定の娘
忠定の妻の父 中御門冬定中御門宗冬~松木宗藤の系図

 嗣房【1269-1304】
 従三位。
 憲淳(『系図纂要』による。)
孫の夫 日野俊光日野俊光・資名の系図

 房教【1231-1299】
 正二位。
 房通【?-1309】
 正三位。

 藤原公頼の娘
妻の父 藤原公頼山科実教の系図
 藤井教嗣〔養父:藤原公頼(→山科実教の系図)〕
 嗣実〔養父:藤原房範(→藤原孝範の系図)〕
 参議。
孫の妻 勘解由小路兼仲の娘
孫の妻の父 勘解由小路兼仲勘解由小路頼資~光業の系図

曾孫 嗣家【1310-1346】
 従三位。
曾孫 嗣兼
曾孫の妻 藤原光遠の娘
曾孫の妻の父 藤原光遠藤原光家の系図

曾孫の夫 近衛基嗣→近衛基嗣の系図

教嗣孫 嗣尹【?-1406】
 参議。
教嗣孫 嗣忠/嗣孝
 正三位。

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近衛基通の系図

近衛基通の系図

  近衛基通(もとみち)【1160-1233】
 摂政・関白・内大臣。平清盛の後ろ盾で氏長者となった。普賢寺殿と号した。

祖父 忠通藤原忠通の系図
 基実近衛基実の系図
祖父 藤原忠隆藤原基隆の系図

 源顕子
 源顕信(→源信時・顕信の系図)の娘。
 家実 兼経近衛家実・兼経の系図
 鷹司兼平鷹司兼平~冬教の系図

 平信範の娘
妻の父 平信範平信範・信基の系図
 道経藤原道経・鷹司兼基の系図

 最舜の娘
妻の父 最舜藤原顕良・忠実の系図
 鷹司兼基藤原道経・鷹司兼基の系図
 基教(もとのり)【1196-1213】
 従二位。

 能円の娘
妻の父 能円能円の系図
 藤原忠季中山忠親・兼宗の系図

 平寛子
 平清盛(→平清盛の系図)の娘。

 円浄(えんじょう)【1189-1256】
 園城寺長吏。

藤原道経・鷹司兼基の系図

藤原道経・鷹司兼基の系図

  藤原道経(みちつね)【1184-1238】〔養子:道俊〕
 右大臣。

祖父 基実近衛基実の系図
 基通近衛基通の系図
祖父 平信範平信範・信基の系図

 疋田以頼の娘
妻の父 疋田以頼→疋田以頼の系図
 基輔(もとすけ)【1198-1245】
 従二位。
子の妻 疋田以助の娘
子の妻の父 疋田以助→疋田以助の系図
子の妻の夫 源定平源雅頼の系図

 道俊(どうしゅん)【1229-1309】〔養父:藤原道経〕
 東寺長者。

 成定の娘
 道嗣(みちつぐ)【1217-1242】
 権中納言。
子の妻 小槻国宗の娘
子の妻の父 小槻国宗→小槻国宗の系図
 良勝
 父は藤原基輔とも。

 静珍
 父は藤原基輔とも。

曾孫 道景/道蔭
 実は公行の子。

 平時忠の娘
妻の父 平時忠平時信の系図
 道静/道修


  鷹司兼基【1185-?】
 大納言。

祖父 最舜藤原顕良・忠実の系図

 兼忠(かねただ)【1205-1269】〔養父:近衛家実(→近衛家実・兼経の系図)〕
 正二位。
 忠光
孫の妻 烏丸兼頼の娘
孫の妻の父 烏丸兼頼五辻家経の系図
曾孫 兼輔〔養父:鷹司兼忠〕

 兼輔
 従三位。実は藤原忠光の子。
曾孫 輔房/冬兼
 従三位。
曾孫の子の夫 正親町忠季正親町実明~実綱の系図

 玄助〔養父:三条公親(→三条実親・公親の系図)〕

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近衛家実・兼経の系図

近衛家実・兼経の系図

  近衛家実(いえざね)【1179-1242】〔養子:鷹司兼忠(→藤原道経・鷹司兼基の系図)〕
 摂政・関白・太政大臣。猪熊殿と号した。日記は『猪熊関白記』。

祖父 基実近衛基実の系図
 基通近衛基通の系図
祖父 源顕信源信時・顕信の系図

 藤原季定の娘
妻の父 藤原季定藤原敦兼の系図
 家通(いえみち)【1204-1224】
 左大臣。若くして亡くなった。

 楊梅忠行の娘
 実は藤原伊忠(→楊梅重季~経季の系図)の娘。
妻の父 楊梅忠行楊梅重季~経季の系図
 鷹司兼平 基忠鷹司兼平~冬教の系図
 慈禅【1231-1276】
 天台座主。

 楊梅忠行の娘
妻の父 楊梅忠行楊梅重季~経季の系図
 増忠(ぞうちゅう)【1233-1298】
 園城寺長吏。
 聖兼(しょうけん)【1242-1293】
 醍醐寺座主。

 藤原季信の娘
妻の父 藤原季信藤原敦兼の系図
 長子守貞親王~四条天皇の系図

 家輔【1208-1220】


  近衛兼経(かねつね)【1210-1259】
 摂政・関白・太政大臣。岡屋殿と号した。日記は『岡屋関白記』。
 九条仁子
 九条道家(→九条道家の系図)の娘。
 基平近衛基平の系図
 信昭(しんしょう)【1253-1286】
 興福寺別当。
 宰子後嵯峨天皇の系図

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近衛基平の系図

近衛家基の系図

  近衛基平(もとひら)【1246-1268】
 関白・左大臣。深心院殿と号した。日記は『深心院関白記』。

祖父 家実 兼経近衛家実・兼経の系図
祖父 九条道家九条道家の系図

 近衛兼経の娘
妻の父 近衛兼経近衛家実・兼経の系図
 猪隈兼教(かねのり)【1267-1336】
 准大臣。
子の妻 平信忠の娘
子の妻の父 平信忠平親輔の系図
 公雲〔養父:三条実重(→三条実重~公忠の系図)〕

子の妻 近衛家基の娘
子の妻の父 近衛家基→近衛家基の系図

子の妻 鷹司基忠の娘
子の妻の父 鷹司基忠鷹司兼平~冬教の系図

 増覚〔養父:近衛家基(→近衛家基の系図)〕
 崇空/深恵【?-1378】

 源通能の娘
妻の父 源通能久我通光の系図
 覚昭(かくしょう)【?-1308】
 興福寺別当。
 位子亀山天皇の系図
子の夫 鷹司兼忠鷹司兼平~冬教の系図

 西園寺公相の娘
妻の父 西園寺公相西園寺公相の系図

 一条実有の娘
妻の父 一条実有一条実有~実連の系図

 洞院実雄の娘
妻の父 洞院実雄洞院実雄の系図

 家基→近衛家基の系図

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