このページでは、園家(藤原氏北家・頼宗流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
園家(羽林家)の略系図
1 基氏→園基氏~基藤の系図
4 基成→園基成~基有の系図
9 基富→園基富~基音の系図
14 基福→園基福~基香の系図
17 基衡→園基衡~基祥の系図
園基氏~基藤の系図
園基氏(もとうじ)【1211-1282】
参議。園家の祖。
祖父 通基→藤原基頼・通基の系図
父 基家→持明院基家の系図
妻 松殿隆忠の娘
妻の父 松殿隆忠→松殿隆忠・師家の系図
子の夫 西園寺公相→西園寺公相の系図
孫 橋本実俊→橋本実俊~公国の系図
子の夫 藤原公基→西園寺実氏の系図
子の夫 一条実経→一条実経~内経の系図
子の夫 花山院通雅→花山院通雅~長定の系図
子 基有【1238-1273】
子 基重
従三位。父は園基顕とも。
孫 基冬/基定【1290-1344】
従三位。
基重孫 基定
従三位。
園基顕【1238-1318】
参議。
妻 明清の娘
妻の父 明清→明清の系図
子 基兼/基隆
波多中将と号した。
子 光仲(『園家譜』による。)
子の夫 久我長通→久我長通~清通の系図
園基藤【1277-1316】
権中納言。
妻 昭訓門院大夫局
子 基成・孫 基隆→園基成~基有の系図
子 基春【1304-?】
参議。
孫 基賢【?-1375】
正三位。
妻 橋本実俊の娘
妻の父 橋本実俊→橋本実俊~公国の系図
子の夫 六条有光→六条通有~有定の系図
園基成~基有の系図
園基成【1297-1341】
権中納言。
祖父 基顕・父 基藤→園基氏~基藤の系図
妻 小倉実教の娘
妻の父 小倉実教→小倉公雄~実名の系図
園基隆(もとたか)/基宣(もとのぶ)【1314-1374】
権中納言。
子 隆子→御子左為世の系図
園基光【?-1402】
権中納言。
園基秀(もとひで)【1369-1445】
権中納言。華道をよくした。
子 基世【1403-1429】(『系図纂要』による。)
参議。
園基有【1423-1487】(以下、『系図纂要』による。)
権中納言。
子 基富・孫 基国→園基富~基音の系図
子の夫 町広光→町資藤の系図
園基富~基音の系図
園基富【1457-1533】
権中納言。
祖父 基秀・父 基有→園基成~基有の系図
子 基正【?-1601】
園基国【1503-1586】
妻 中院通世の娘
妻の父 中院通世→中院通氏~通右の系図
子 橘以清〔養父:橘以緒〕→橘以清の系図
園基継【1526-1602】
子の夫 岩倉具尭→岩倉具尭~乗具の系図
孫 千種有能→千種有能~有敬の系図
園基任【1573-1613】
参議。後光明天皇の外祖父となり、左大臣を贈られた。
子 東園基教・孫 基賢→東園基教~基雅の系図
子 光子→後水尾天皇~後光明天皇の系図
子の夫 京極忠高→京極高次~高和の系図
子の夫 柳原茂光→柳原資定~資尭の系図
園基音【1604-1655】
権大納言。霊元天皇の外祖父となり、左大臣を贈られた。
妻 谷衛友の娘
妻の父 谷衛友→福田正之~谷衛友・衛成~衛晴の系図
子 基福・孫 基勝→園基福~基香の系図
子 東園基賢〔養父:東園基教〕→東園基教~基雅の系図
子 国子→後水尾天皇~後光明天皇の系図
孫 霊元天皇→霊元天皇の系図
子 基音の息子(『園家譜』による。)
子の夫 柳原資行→柳原資定~資尭の系図
孫 三室戸誠光→三室戸誠光~和光の系図
子の夫 上冷泉為清→上冷泉為満~為清の系図
孫 為綱→上冷泉為綱~為村の系図
子 葉川基起・孫 基淳→葉川基起~壬生基修の系図
孫 石山師香→石山師香~基正の系図
孫 六角基維→六角基維~博通の系図
子の夫 阿部正春→阿部正春~正実・正長~正保の系図
園基福~基香の系図
園基福(もとよし)【1622-1699】
准大臣。
祖父 基任・父 基音→園基富~基音の系図
祖父 谷衛友→福田正之~谷衛友・衛成~衛晴の系図
妻 中御門尚良の娘
妻の父 中御門尚良→中御門資胤~宣基の系図
妻 水野勝俊の娘【?-1654】
妻の父 水野勝俊→水野勝成~勝貞の系図
子 六角基維→六角基維~博通の系図
園基勝【1663-1738】
権大納言。
妻 白川雅喬の娘
妻の父 白川雅喬→雅朝王~白川資訓の系図
妻 甘露寺方長の娘
妻の父 甘露寺方長→甘露寺経元~尚長の系図
妻 池尻勝房の娘
妻の父 池尻勝房→池尻共孝~共条の系図
子 常子→中御門天皇~後桃園天皇の系図
園基香【1691-1745】
権大納言。
妻 高倉永重の娘
妻の父 高倉永重→高倉永重~永秀の系図
子 基衡・孫 基村→園基衡~基祥の系図
子 壬生基貫〔養父:壬生俊平〕→葉川基起~壬生基修の系図
子 六角知通〔養父:六角孝通〕→六角基維~博通の系図
子の夫 石野基棟→石野基顕~基佑の系図
園基衡~基祥の系図
園基衡(もとひら)/基望【1721-1794】
権大納言。華道家として活躍した。
祖父 基勝・父 基香→園基福~基香の系図
祖父 高倉永重→高倉永重~永秀の系図
妻 高倉永房の娘
妻の父 高倉永房→高倉永重~永秀の系図
子 基理〔養父:園基村〕
子 高野保香〔養父:高野隆古〕→高野保春~保建の系図
子 杲観〔養父:三条実顕(→三条実顕~実美の系図)〕
子 馴公丸〔養父:泰有〕(『園家譜』による。)
子 馴公丸・子 基衡の娘(2人)(『園家譜』による。)
子の夫 六角光通→六角基維~博通の系図
子の夫 千家俊秀(『園家譜』による。)
子の夫 石野基棟(『園家譜』による。)→石野基顕~基佑の系図
園基村【1744-1770】
園基理【1758-1815】
権大納言。実は園基衡の子。
子 基利【1790-1792】(『園家譜』による。)
子 花園実路〔養父:花園公燕〕→花園実教~実延の系図
子 正子→光格天皇~孝明天皇の系図
子 理子(『園家譜』による。)
子 槙子(『園家譜』による。)→石井行文~行知の系図
園基茂(もとしげ)【1793-1840】
権中納言。基衡と同じく、華道家として活躍した。
妻 松浦清の娘
妻の父 松浦清→松浦清~詮の系図
子 基祥〔養父:園基万〕
孫 基資・常麿・信麿(『園家譜』による。)
孫 政麿〔養父:峯森近海〕(『園家譜』による。)
孫 忠子(『園家譜』による。)→東園基禎~基愛の系図
孫 祥子〔養父:木下秀舜〕(『園家譜』による。)
子 愛子→中山愛親~忠愛の系図
子の夫 藤谷為兄(『藤谷家譜』による。)→藤谷為敦~為兄の系図
子 基茂の息子・子 茂子(『園家譜』による。)
園基万【1817-1841】
実は中山忠頼(→中山愛親~忠愛の系図)の子。母は『園家譜』による。
園基祥(もとさち)【1833-1905】
実は園基茂の子。母は『園家譜』による。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。