このページでは、藤原氏北家・真夏流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤原氏北家・真夏流の略系図
1 真夏→藤原真夏の系図
1-A1 越雄・竹雄→藤原越雄・竹雄~光業の系図
1-A2 範綱→藤原範綱の系図
2 浜雄→藤原浜雄~輔道の系図
7 有国→藤原有国の系図
7-A 公業→藤原公業の系図
8 広業→藤原広業・家経の系図
9-A 行家→藤原行家の系図
10 正家→藤原正家~顕業の系図
13 俊経→藤原俊経・盛経の系図
15 信盛→藤原信盛の系図
藤原真夏の系図
藤原真夏(まなつ)【774−830】
参議。平城天皇に信任された。薬子の変後には、備中権守に左遷された。
妻 三国氏
子 越雄→藤原越雄・竹雄~光業の系図
子 浜雄・孫 家宗→藤原浜雄~輔道の系図
妻 橘清友の娘
妻の父 橘清友→嵯峨天皇の系図
妻 伊勢老人の娘
子 竹雄→藤原越雄・竹雄~光業の系図
子 吉備雄
子の妻の父 滋野貞主→仁明天皇の系図
子 是雄【?-831】
孫 列子→文徳天皇の系図
子 博雄/恒雄
子 関雄(せきお)【805−853】
文章生試に合格するも、しばらく東山に閑居し東山進士と称された。音楽や書に優れた。
関雄の子の夫 藤原世則→藤原葛野麿・道継・道雄の系図
曾孫 博文【?-929】
子の夫 藤原愛発→藤原内麿の系図
子の夫 藤原高房→藤原高房の系図
孫 智泉→藤原智泉の系図
孫 山蔭→藤原山蔭の系図
孫 時長→藤原時長・利仁の系図
子の夫 藤原近峯→藤原綱継・吉野の系図
子の夫 藤原三成→藤原百城・三成の系図
孫 岳雄→藤原岳雄の系図
藤原越雄・竹雄~光業の系図
藤原越雄(こお)
子 休樹/斯行
孫の夫 藤原敏行→藤原敏行の系図
弘材/宏材
光業/篤業
子 範綱→藤原範綱の系図
藤原範綱の系図
藤原範綱
祖父 篤茂・父 光業→藤原越雄・竹雄~光業の系図
子 篤昌/篤衡
子 範義/篤房
曾孫 盛仲
父は藤原忠頼(→藤原良仁の系図)とも。
盛仲孫 利永/俊長
父は藤原光憲とも。
盛仲孫 孝範〔養父:藤原永範〕→藤原孝範の系図
盛仲孫 光兼/業資
盛仲孫 保範→藤原孝範の系図
父は藤原孝範とも。
盛仲孫 光実/光衡
盛仲孫 光国
光国の子の夫 藤原経雅→藤原経忠の系図
藤原浜雄~輔道の系図
藤原浜雄【?-840】
妻 藤原叡子
妻の父 藤原乙叡→藤原乙叡・真葛の系図
子 門宗(かどむね)
孫の夫 光孝天皇→光孝天皇の系図
孫の夫 源昇→源融~宛の系図
孫 礼典(ただのり)
家宗(いえむね)【817-877】
参議。日野に法界寺を創立した。
妻 藤原山蔭の娘
妻の父 藤原山蔭→藤原山蔭の系図
子 継蔭
孫 伊勢→宇多天皇の系図
弘蔭【?-904】
妻 藤原房子
妻の父 藤原高経→藤原高経・惟岳の系図
繁時【?-943】
妻 藤原輔国の娘
妻の父 藤原輔国→藤原良相の系図
輔道
妻 源俊の娘
妻の父 源俊→源定の系図
子 有国→藤原有国の系図
孫 広業→藤原広業・家経の系図
孫 公業→藤原公業の系図
孫 資業→藤原資業の系図
孫 慶命(けいみょう)【965-1038】
天台座主。
藤原有国の系図
藤原有国(ありくに)/在国【943-1011】
参議。藤原兼家・道長の家司を務めた。
祖父 繁時・父 輔道→藤原浜雄~輔道の系図
祖父 源俊→源定の系図
妻 藤原義友の娘
妻の父 藤原義友→藤原乙縄の系図
子 貞嗣/貞順
孫 家業
父は藤原有国、藤原広業(→藤原広業・家経の系図)とも。
孫 斉慶・有慶
父は藤原有国とも。
子 基嗣/基隆/基澄
子 広業・孫 家経→藤原広業・家経の系図
子 公業→藤原公業の系図
子 家業〔養子:藤原広家(→藤原広業・家経の系図)〕
父は藤原貞嗣、藤原広業(→藤原広業・家経の系図)とも。
子の妻 大中臣輔親の娘
子の妻の父 大中臣輔親→大中臣輔親の系図
孫 章経【?-1066】
孫の夫 藤原経平→藤原経平の系図
孫の夫 源資定→源顕定の系図
妻 橘徳子(とくし)【?-1011頃】
一条天皇の乳母。
妻の父 橘仲遠→橘仲遠の系図
子 資業→藤原資業の系図
孫 実綱→藤原実綱の系図
孫 実政→藤原実政~有成の系図
子 有慶(ゆうきょう)【986-1071】
父は藤原貞嗣とも。東大寺別当などを務めた。
孫の夫 藤原公信→藤原公信~伊信の系図
子 斉慶(さいけい)【985-1047】
父は藤原貞嗣とも。東大寺別当などを務めた。
子の夫 源頼定→為平親王の系図
藤原公業の系図
藤原公業(きんなり)/景能
祖父 輔道→藤原浜雄~輔道の系図
父 有国→藤原有国の系図
祖父 藤原義友→藤原乙縄の系図
妻 藤原敦信の娘
妻の父 藤原敦信→藤原正峯~敦信の系図
子 経衡(つねひら)【1005-1072】
母は藤原広業(→藤原広業・家経の系図)の娘とも。
子の妻 慶滋為政の娘
孫 業綱【?-1090】
曾孫 有隆【1066-1116】
業綱孫 義経/能経
業綱孫 能成/能茂
業綱孫 久〓
〓は「修」+「辶」。
曾孫 経禅【?-1106】
孫 厳寛
父は藤原基国とも。
妻 藤原信理の娘
妻の父 藤原信理→藤原永頼の系図
子 実仲【1015-1061】〔養父:藤原資業(→藤原資業の系図)〕
子の妻 藤原定通の娘
子の妻の父 藤原定通→藤原説孝の系図
孫 為綱【?-1085】
孫 資言/有政/言家【?-1086】〔養父:藤原有綱(→藤原有綱~信重の系図)〕
孫 頼厳【?-1099】
子 隆業/業隆
実は藤原時清(→藤原安親の系図)の子。実父は藤原有国(→藤原有国の系図)とも。
子の夫 藤原家経→藤原広業・家経の系図
孫 行家→藤原行家の系図
子の夫 藤原則経→藤原則経の系図
藤原広業・家経の系図
藤原広業(ひろなり)【976-1028】
参議。漢詩人。
祖父 輔道→藤原浜雄~輔道の系図
父 有国→藤原有国の系図
祖父 藤原義友→藤原乙縄の系図
妻 藤原遠度の娘
妻の父 藤原遠度→藤原遠量・忠君・遠度・遠基の系図
子 広算【?-1080】
子の夫 藤原兼綱→藤原道兼の系図
藤原家経(いえつね)【992-1058】
妻 藤原能通の娘
妻の父 藤原能通→藤原能通・実範の系図
子 正家・孫 俊信→藤原正家~顕業の系図
子 広家〔養父:藤原家業(→藤原有国の系図)〕
妻 藤原公業の娘
妻の父 藤原公業→藤原公業の系図
子 行家→藤原行家の系図
子 長済【?-1077】
子の夫 藤原通宗→藤原経平の系図
子の夫 藤原師仲→藤原行成の系図
藤原行家の系図
藤原行家【1029-1106】〔養子:藤原為兼(→藤原憲房・敦輔の系図)〕
祖父 広業・父 家経→藤原広業・家経の系図
祖父 藤原公業→藤原公業の系図
妻 藤原実範の娘
妻の父 藤原実範→藤原能通・実範の系図
子 広実【?-1086】
子 行盛〔養父:藤原行綱(→藤原実範の系図)〕
子の妻 藤原敦憲の娘
子の妻の父 藤原敦憲→藤原憲房・敦輔の系図
孫 有盛【1114-1153】
曾孫の夫 藤原俊経→藤原俊経の系図
妻 藤原永業の娘
妻の父 藤原永業→藤原永信・永業の系図
子 有業【?-1132】
孫の夫 藤原能忠→藤原能季の系図
孫の夫 藤原顕時→藤原長隆・顕時の系図
曾孫 行隆→藤原行隆の系図
曾孫 玄勝/覚定
曾孫の夫 源定俊→源定俊の系図
子 信誉/仁誉
子の夫 藤原良兼→藤原良基の系図
子の夫 高階敦遠→高階敦遠の系図
藤原正家~顕業の系図
藤原正家(まさいえ)【1026-1111】
漢詩人。堀河天皇の侍読を務めた。
祖父 広業・父 家経→藤原広業・家経の系図
祖父 藤原能通→藤原能通・実範の系図
妻 藤原良任の娘
妻の父 藤原良任→藤原季随の系図
藤原俊信/家通【1055-1105】
妻 菅原是綱の娘
妻の父 菅原是綱→菅原是綱~長守の系図
子の夫 藤原有成→藤原実政~有成の系図
孫 政業→藤原政業の系図
藤原顕業(あきなり)【1090-1148】
参議。
妻 大江有継の娘
子 俊業/基業
俊業孫 信業〔養父:藤原経業(→藤原信盛の系図)〕
俊業孫 栄海〔養父:藤原信経〕→藤原信盛の系図
俊業孫 道我(どうが)【1284-1343】
二条派の歌人として活躍した。
妻 大江有経の娘
子 俊経・孫 盛経→藤原俊経・盛経の系図
子 基業/忠長
子 顕厳
実は中原広忠(→中原広忠の系図)の子。
藤原俊経・盛経の系図
藤原俊経(としつね)【1113-1191】
参議。近衛天皇・高倉天皇の侍読を務めた。
祖父 俊信・父 顕業→藤原正家~顕業の系図
妻 藤原為隆の娘
妻の父 藤原為隆→藤原為隆の系図
妻 平実親の娘
妻の父 平実親→平実親・範家の系図
子 親経(ちかつね)【1151-1210】
権中納言。後鳥羽天皇・土御門天皇の侍読を務めた。『新古今和歌集』真名序を著した。
子の妻 楊梅季行の娘
子の妻の父 楊梅季行→楊梅季行の系図
孫 宗親/俊親【1184-1228】
孫の妻 高辻為長の娘
孫の妻の父 高辻為長→高辻為長~長宣の系図
曾孫 俊国【1212-1271】
曾孫の妻 小槻季継の娘
曾孫の妻の父 小槻季継→小槻季継の系図
親経孫 経雄【1249-1323】
参議。後二条天皇の侍読を務めた。
親経孫 正国/正雄
親経孫 正雄/正業
孫 親資→藤原資憲~快成の系図
実は藤原親光の子。
孫の夫 雅成親王→後鳥羽天皇の系図
曾孫の夫 源有教→源師時の系図
子 俊厳【?-1254】
子の夫 九条光長→九条光長・長房の系図
藤原盛経【1162-1235】
従三位。父は藤原親経とも。
妻 小槻広房の娘
妻の父 小槻広房→小槻広房の系図
子 信盛→藤原信盛の系図
子 良盛【1196-1262】
興福寺別当。
孫 覚暁
父は藤原盛経とも。
曾孫 良暁(りょうぎょう)【1285-?】
興福寺別当。
孫の夫 鷹司基忠→鷹司兼平~冬教の系図
子 盛厳
父は藤原信盛(→藤原信盛の系図)とも。
藤原信盛の系図
藤原信盛【1193-1270】
参議。大堀池宰相と号した。
祖父 俊経・父 盛経→藤原俊経・盛経の系図
祖父 小槻広房→小槻広房の系図
子 経業【1227-1289】〔養子:藤原親業、信業(→藤原正家~顕業の系図)〕
参議。
孫 信経【1262-1304】
参議。
曾孫 栄海(ようかい)【1278-1347】
実は聖誉(→藤原正家~顕業の系図)の子。東寺長者。後醍醐天皇の帰依を受けた。
曾孫の夫 藤原宗実→中御門宗家~宗雅の系図
孫 良覚/良寛【?-1325】
孫の夫 藤原経守→中御門経任の系図
子 親業【1231-1313】〔養父:藤原経業〕
従三位。
孫 親顕【1259-1298】
孫の妻 藤原茂範の娘
孫の妻の父 藤原茂範→藤原孝範の系図
曾孫 有正/親信【1277-1325】
親顕孫 光祖→光祖の系図
実は光玄の子。
孫 覚経【?-1307】
孫 顕盛/広信/信仲
曾孫 業家【?-1338】
従三位。
曾孫 信家/信顕
顕盛孫 顕高/顕信
顕盛孫 信業
父は藤原信家とも。
子 盛厳
父は藤原盛経(→藤原俊経・盛経の系図)とも。
子の夫 中御門宗雅→中御門宗家~宗雅の系図
孫 宗冬→中御門宗冬~松木宗藤の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。