このページでは、後嵯峨天皇から花園天皇までの系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
後嵯峨天皇の系図
第88代 後嵯峨天皇(ごさが)/邦仁親王(くにひと)【1220-1272/在位:1242-1246】
四条天皇の崩御後、幕府によって擁立された。後深草よりも亀山を寵愛し、両統迭立の遠因となった。
祖父 後鳥羽天皇→後鳥羽天皇の系図
父 土御門天皇→土御門天皇の系図
祖父 源通宗→源通親の系図
皇后 西園寺姞子(よしこ)/大宮院(おおみやいん)【1225-1292】
西園寺実氏(→西園寺実氏の系図)の娘。
子 後深草天皇→後深草天皇の系図
孫 伏見天皇→伏見天皇・花園天皇の系図
子 綜子内親王(そうし)/月華門院(げっかもんいん)【1247-1269】
子 亀山天皇→亀山天皇の系図
孫 後宇多天皇→後宇多天皇の系図
子 雅尊親王(まさたか)【1254-1256】
典侍 平棟子(むねこ)
平棟基(→平行範・棟範の系図)の娘。
子 宗尊親王(むねたか)【1242-1274】
鎌倉幕府6代将軍(1252-1266)。
子の妻 近衛宰子〔養父:北条時頼(→北条泰時~時頼の系図)〕
近衛兼経(→近衛家実・兼経の系図)の娘。
孫 惟康親王(これやす)【1264-1326】
中納言。鎌倉幕府7代将軍(1266-1289)。
孫 掄子女王→後宇多天皇の系図
子の妻 堀川具教の娘
子の妻の父 堀川具教→堀川通具~基具の系図
孫 真覚(しんかく)【1270-?】
孫 瑞子女王→後宇多天皇の系図
掌侍 藤原博子
藤原孝時(→藤原孝定の系図)の娘。
子 覚助法親王(かくじょ)【1247-1336】
子 懌子内親王→亀山天皇の系図
掌侍 藤原藤子
藤原隆衡(→藤原隆衡の系図)の娘。
子 最助法親王(さいじょ)【1253-1293】
後宮 体子内親王(たいし)/神仙門院(しんせんもんいん)【1231-1301】
後堀河天皇(→守貞親王~四条天皇の系図)の皇女。
後宮 西園寺公子(こうし)
西園寺公経(→西園寺公経の系図)の娘。
子 慈助法親王(じじょ)【1254-1295】
天台座主。
子 悦子内親王(えつし)/延政門院(えんせいもんいん)【1259-1332】
後宮 御匣殿
三条公房(→三条公房の系図)の娘。
子 性助法親王(しょうじょ)/省仁親王【1247-1282】
子 忠助法親王(ちゅうじょ)【?-1290】
後宮 二条局
藤原俊盛の娘。
子 愷子内親王(がいし)【1249-1284】
斎宮。
後宮 大納言局(だいなごんのつぼね)
中院通方(→中院通方の系図)の娘。
後宮 藤原実世の娘
後宮の父 藤原実世→姉小路公宣~実広の系図
子 浄助法親王(じょうじょ)【1253-1280】
後宮 左衛門督局(さえもんのかみのつぼね)
一条能保(→一条通重・能保の系図)の娘。
子 円助法親王(えんじょ)【1236-1282】
後宮 源頼政曾孫
子 勝助(しょうじょ)
後宮 藤原兼房の娘
後宮の父 藤原兼房→藤原兼房の系図
子 仁恵法親王(にんえ)【1244-1298】
後宮 藤原氏
子 高峯顕日(こうほうけんにち)【1241-1316】
後深草天皇の系図
第89代 後深草天皇(ごふかくさ)/久仁親王(ひさひと)【1243-1304/在位:1246-1259】
持明院統の最初の天皇。父の意向で弟に譲位した。
祖父 土御門天皇→土御門天皇の系図
父 後嵯峨天皇→後嵯峨天皇の系図
祖父 西園寺実氏→西園寺実氏の系図
皇后 西園寺公子(きみこ・こうし)/東二条院(ひがしにじょういん)【1232-1304】
西園寺実氏(→西園寺実氏の系図)の娘。
子 貴子内親王(たかこ)
子 姈子内親王→後宇多天皇の系図
後宮 洞院愔子(いんし)/玄輝門院(げんきもんいん)【1246-1329】
洞院実雄(→洞院実雄の系図)の娘。
子 伏見天皇・孫 花園天皇→伏見天皇・花園天皇の系図
孫 後伏見天皇→後伏見天皇の系図
子 満仁親王/性仁入道親王(しょうにん)【1267-1304】
子 久子内親王(ひさこ)/永陽門院(えいようもんいん)【1272-1346】
後宮 西園寺相子(そうし)
西園寺公相(→西園寺公相の系図)の娘。
子 媖子内親王(えいし)/陽徳門院(ようとくもんいん)【1288-1352】
後宮 三善忠子(ただこ)
三善康衡の娘。
子 深性法親王(じんしょう)【1275-1299】
後宮 三条房子(ふさこ)
三条公親(→三条実親・公親の系図)の娘。
子 行覚法親王(ぎょうかく)【1274-1293】
子 久明親王(ひさあきら)【1276-1328】
鎌倉幕府8代将軍(1289-1308)。
子の妻 惟康親王の娘
子の妻の父 惟康親王→後嵯峨天皇の系図
孫 守邦親王(もりくに)【1301-1333】
鎌倉幕府9代将軍(1308-1333)。
子の妻 冷泉宣子
冷泉為相(→冷泉為相~為之の系図)の娘。
孫 久良親王(ひさなが)【1310-?】〔養子:洞院公賢の娘(→近衛家基~道嗣の系図)〕
従三位。
子 永子内親王(ながこ)/章善門院(しょうぜんもんいん)【?-1338】
後宮 西園寺成子(せいし)
西園寺公経(→西園寺公経の系図)の娘。
子 幸仁親王(こうじん)【1269-1272】
後宮 別当典侍
高倉茂通(→高倉敦通の系図)の娘。
子 恒助法親王(こうじょ)【1288-1310】
子 増覚法親王(ぞうかく)
亀山天皇の系図
第90代 亀山天皇(かめやま)/恒仁親王(つねひと)【1249-1305/在位:1259-1274】〔養子:恒鎮法親王〕
大覚寺統の最初の天皇。元寇の際には伊勢神宮に祈願した。
祖父 土御門天皇→土御門天皇の系図
父 後嵯峨天皇→後嵯峨天皇の系図
祖父 西園寺実氏→西園寺実氏の系図
皇后 洞院佶子(さねこ・きっし)/京極院(きょうごくいん)【1245-1272】
洞院実雄(→洞院実雄の系図)の娘。
子 知仁親王(ともひと)【1265-1267】
子 後宇多天皇→後宇多天皇の系図
孫 後二条天皇→後二条天皇の系図
孫 後醍醐天皇→後醍醐天皇の系図
皇后 西園寺嬉子(きし)/今出河院(いまでがわいん)【1253-1318】
西園寺公相(→西園寺公相の系図)の娘。
女御 近衛位子(いし)/新陽明門院(しんようめいもんいん)【1262-1296】
近衛基平(→近衛基平の系図)の娘。母は源宣通(→久我通光の系図)の娘とも。
子 啓仁親王(よしひと)
子 継仁親王(つぐひと)【1279-1280】
典侍 法性寺雅子(まさこ)
法性寺雅平(→法性寺雅平の系図)の娘。
子 憙子内親王(きし)/昭慶門院(しょうけいもんいん)【1270-1324】
世良親王の養母になった。
典侍 大納言典侍/三条局(さんじょうのつぼね)
藤原実平(→三条公房の系図)の娘。
子 良助法親王(りょうじょ)【1268-1318】
子 聖雲法親王(しょううん)【1271-1314】
子 覚雲法親王(かくうん)【1272-1323】
天台座主。
子の夫 九条師教→九条教実~師教の系図
典侍 帥典侍(そちのてんじ)
平時仲(→平時高~行高の系図)の娘。
子 順助法親王(じゅんじょ)【1277-1320】
子 慈道法親王(じどう)【1282-1341】
天台座主。
子 行円法親王(ぎょうえん)
後宮 西園寺瑛子(えいし)/昭訓門院(しょうくんもんいん)【1273-1336】
西園寺実兼(→西園寺実兼の系図)の娘。
子 恒明親王(つねあき)【1303-1351】
常磐井宮の祖。
子の妻 永福門院東御方
洞院実泰(→洞院実泰の系図)の娘。鷹司師平(→鷹司師平~忠冬の系図)の妻。
孫 仁誉法親王(にんよ)【1340-?】
子の妻 西園寺公衡の娘
子の妻の父 西園寺公衡→西園寺公衡~公宗の系図
孫 全仁親王(ぜんじん)【1320-1367】
孫 尊守法親王(そんしゅ)
孫 深勝(しんしょう)
時宗を中興した尊観と同一人物ともされる。
孫 尊信法親王(そんしん)【1324-1380】〔養父:後醍醐天皇(→後醍醐天皇の系図)〕
孫 恒鎮法親王(こうちん)【?-1372】〔養父:亀山天皇〕
天台座主。
孫 恒助法親王(こうじょ)〔養父:大宮季衡(→西園寺公衡~公宗の系図)〕
孫 乗朝法親王(じょうちょう)
孫 恒守法親王(こうしゅ)
後宮 懌子内親王(よしこ・えきし)/五条院(ごじょういん)【1262-1294】
後嵯峨天皇(→後嵯峨天皇の系図)の皇女。
後宮 洞院禖子(ばいし)
洞院実雄(→洞院実雄の系図)の娘。姉佶子の没後、後宮に入った。
子 理子内親王(りし)【1274/1275-1282】
後宮 北畠親子→後醍醐天皇の系図
北畠師親(→北畠師親の系図)の娘。
後宮 藤原寿子(じゅし)〔養父:西園寺公相(→西園寺公相の系図)〕
藤原景房(→藤原景房の系図)の娘。
子 定良親王(さだなが)/叡雲法親王
後宮 三条公親の娘
後宮の父 三条公親→三条実親・公親の系図
子 性恵法親王(しょうえ)
後宮 日野俊子(としこ)/帥局(そちのつぼね)
日野俊光(→日野俊光・資名の系図)の娘。
子 寛尊法親王(かんそん)/寛融法親王【?-1382】
後宮 民部卿局(みんぶきょうのつぼね)
藤原雅藤(→藤原親房の系図)の娘。
子 道澄法親王(どうちょう)
後宮 小倉公雄の娘
後宮の父 小倉公雄→小倉公雄~実名の系図
子 恒雲法親王(こううん)
後宮 藤原実任の娘
後宮の父 藤原実任→西園寺公通の系図
子 守良親王(もりよし)
娘に九条師教(→九条教実~師教の系図)の妻がいる。
後宮 権大納言局(ごんのだいなごんのつぼね)
源宣通(→久我通光の系図)の娘。父は源通能(→久我通光の系図)とも。
子 性覚法親王(しょうかく)【1267-1297】
子 性融法親王(しょうゆう)
後宮 藤原資子(すけこ)
子 尊珍法親王(そんちん)【1306-?】
後宮 廊御方(ろうのおんかた)/下野
花山院通雅(→花山院通雅~長定の系図)の養女。実は玄駒の子。
後宮 貫川(ぬきかわ)
御霊社の巫女。京極院に仕えた。
子の夫 近衛家基→近衛家基~道嗣の系図
後宮 督局(かみのつぼね)
藤原貞子に仕えた。
子 道性(どうしょう)【1278-?】
子の夫 後醍醐天皇→後醍醐天皇の系図
後宇多天皇の系図
第91代 後宇多天皇(ごうだ)/世仁親王(よひと)【1267-1324/在位:1274-1287】
後二条天皇・後醍醐天皇の御代で院政を行った。
祖父 後嵯峨天皇→後嵯峨天皇の系図
父 亀山天皇→亀山天皇の系図
祖父 洞院実雄→洞院実雄の系図
典侍 五辻忠子(ちゅうし)/談天門院(だんてんもんいん)【1268-1319】〔養父:花山院師継(→花山院師継~師資の系図)〕
五辻忠継(→五辻雅継の系図)の娘。母は卜部兼夏(→卜部兼夏の系図)の娘、卜部兼直(→卜部兼直の系図)の娘とも。
子 奨子内親王(しょうし)/達智門院(たっちもんいん)【1286-1348】
斎宮。
子 後醍醐天皇→後醍醐天皇の系図
孫 後村上天皇→後村上天皇~後亀山天皇の系図
子 性円法親王(しょうえん)【1292-1347】
子 承覚法親王(しょうかく)【1294-?】
天台座主。
後宮 瑞子女王(ずいし)/永嘉門院(えいかもんいん)【1272-1329】
宗尊親王(→後嵯峨天皇の系図)の皇女。
後宮 堀川基子(もとこ)/西華門院(せいかもんいん)【1269-1355】〔養父:堀川具実(→堀川通具~基具の系図)〕
堀川具守(→堀川具守の系図)の娘。
子 後二条天皇→後二条天皇の系図
後宮 掄子女王(りんし)【1265-?】
宗尊親王(→後嵯峨天皇の系図)の皇女。
子 禖子内親王→後二条天皇の系図
後宮 鷹司長雅の娘
後宮の父 鷹司長雅→花山院忠経・定雅の系図
後宮 藤原宗親の娘
後宮の父 藤原宗親→五辻雅継の系図
子 愉子内親王(ゆうこ)
後宮 一条局(いちじょうのつぼね)
橋本実俊(→橋本実俊~公国の系図)の娘。後醍醐天皇の後宮に入った遊義門院一条局とは同一人物とも。
子 性勝法親王(しょうかつ)/良治親王【?-1354】
後宮 姈子内親王(さとこ)/遊義門院(ゆうぎもんいん)【1270-1307】
後深草天皇(→後深草天皇の系図)の皇女。後二条天皇の准母。
伏見天皇・花園天皇の系図
伏見天皇
第92代 伏見天皇(ふしみ)/煕仁親王(ひろひと)【1265-1317/在位:1287-1298】
十三カ条の新制の制定など、政治の刷新を進めた。和歌や書にもすぐれた。
祖父 後嵯峨天皇→後嵯峨天皇の系図
父 後深草天皇→後深草天皇の系図
祖父 洞院実雄→洞院実雄の系図
皇后 西園寺鏱子(しょうし)/永福門院(えいふくもんいん)【1271-1342】
西園寺実兼(→西園寺実兼の系図)の娘。歌人として、多くの歌が勅撰集に採られている。
典侍 五辻経子(つねこ・けいし)【?-1324】
五辻経氏(→五辻雅継の系図)の娘。
子 後伏見天皇→後伏見天皇の系図
孫 光厳天皇・光明天皇→光厳天皇・光明天皇の系図
掌侍 三善衡子
三善俊衡の娘。
子 尊円法親王(そんえん)/尊彦親王(たかひこ)【1298-1356】
天台座主。能筆で、青蓮院流を創始した。
後宮 洞院季子(すえこ)/顕親門院(けんしんもんいん)【1265-1336】
洞院実雄(→洞院実雄の系図)の娘。
子 璹子内親王(じゅし)/朔平門院(さくへいもんいん)【1287-1310】
子 寛性法親王(かんしょう)【1289-1346】
子 延子内親王(えんし)/延明門院(えんめいもんいん)【1291-?】
後宮 正親町守子(もりこ)【?-1322】
正親町実明(→正親町実明~実綱の系図)の娘。陽徳門院に仕えた。のちに後伏見天皇(→後伏見天皇の系図)の後宮に入った。
子 道煕法親王(どうき)【1308-?】
後宮 藤原英子(えいし)
藤原公宗(→洞院実雄の系図)の娘。
子 誉子内親王(たかこ)/章義門院(しょうぎもんいん)【?-1336】
後宮 源親子(しんし)〔養父:北畠師親(→北畠師親の系図)〕
源具氏(→中院通方の系図)の娘。
子 尊悟法親王(そんご)/吉永親王【1302-1359】
後宮 高倉茂通の娘
後宮の父 高倉茂通→高倉敦通の系図
子 尊煕法親王(そんき)
後宮 治部卿局(じぶきょうのつぼね)/春日局
任快(→水無瀬親兼~具隆の系図)の娘。
子 恵助法親王(えじょ)
後宮 西御方
深源の娘。
子 聖珍法親王(しょうちん)【?-1382】
子 進子内親王(しんし)
花園天皇
第95代 花園天皇(はなぞの)/富仁親王(とみひと)【1297-1348/在位:1308-1318】
量仁親王(光厳天皇)の教育のため、『誡太子書』を著した。日記は『花園天皇宸記』。
典侍 藤原頼子(よりこ)
藤原頼任(→葉室季頼~頼藤の系図)の娘。中納言局・別当典侍と称された。
子 祝子内親王(しゅくし)
後宮 正親町実子(じっし)/宣光門院(せんこうもんいん)【1297-1360】〔養父:洞院公守(→洞院公守の系図)〕
正親町実明(→正親町実明~実綱の系図)の娘。
子 寿子内親王→光厳天皇・光明天皇の系図
子 源性法親王(げんしょう)/業永親王【1327-1353】
子 直仁親王(なおひと)【1335-1398】〔養父:光厳天皇(→光厳天皇・光明天皇の系図)〕
崇光天皇の皇太弟に立てられたが廃された。
孫 周高(しゅこう)【?-1419】
子 儀子内親王(よしこ)
後宮 一条局(いちじょうのつぼね)
正親町実明(→正親町実明~実綱の系図)の娘。
子 覚誉法親王(かくよ)【1320-1382】
後伏見天皇の系図
第93代 後伏見天皇(ごふしみ)/胤仁親王(たねひと)【1288-1336/在位:1298-1301】
花園天皇・光厳天皇の代に院政を行った。
祖父 後深草天皇→後深草天皇の系図
父 伏見天皇→伏見天皇・花園天皇の系図
祖父 五辻経氏→五辻雅継の系図
女御 西園寺寧子(ねいし)/広義門院(こうぎもんいん)【1292-1357】
西園寺公衡(→西園寺公衡~公宗の系図)の娘。花園天皇の養母。北朝の上皇と直仁親王が南朝に捕らわれた際に、後光厳天皇を践祚させた。
子 珣子内親王→後醍醐天皇の系図
子 光厳天皇・光明天皇→光厳天皇・光明天皇の系図
孫 崇光天皇→崇光天皇~貞成親王の系図
孫 後光厳天皇→後光厳天皇の系図
子 景仁親王(かげひと)
後宮 正親町守子(もりこ)→伏見天皇・花園天皇の系図
正親町実明(→正親町実明~実綱の系図)の娘。
子 承胤法親王(しょういん)【1317-1377】
天台座主。
子 長助法親王(ちょうじょ)【1320-1361】
子 亮性法親王(りょうしょう)【1318-1363】
子 璜子内親王(こうし)/章徳門院(しょうとくもんいん)
子 寛胤法親王(かんいん)【1309-1376】
後宮 対御方(たいのおんかた)【?-1372】
正親町実明(→正親町実明~実綱の系図)の娘。
子 尊実法親王(そんじつ)/慈真法親王【1314-?】
子 尊道法親王(そんどう)【1332-1403】
天台座主。
子 進子内親王(ますこ)
後宮 廊御方(ろうのおんかた)
正親町実明(→正親町実明~実綱の系図)の娘。宣光門院に仕えた。
後宮 高階邦子(くにこ)
高階邦経(→高階邦経の系図)の娘。堀河局・別当局と称された。
子 法守法親王(ほうしゅ)/寧永親王【1308-1391】
後宮 治部卿局(じぶきょうのつぼね)
子 尊胤法親王(そんいん)【1306-1359】
天台座主。
後二条天皇の系図
第94代 後二条天皇(ごにじょう)/邦治親王(くにはる)【1285-1308/在位:1301-1308】
両統の争いが激化するなか、若くして崩御した。
祖父 亀山天皇→亀山天皇の系図
父 後宇多天皇→後宇多天皇の系図
祖父 堀川具守→堀川具守の系図
皇后 藤原忻子(きんし)/長楽門院(ちょうらくもんいん)【1283-1352】
徳大寺公孝(→徳大寺実基~実孝の系図)の娘。天皇の崩御後に出家した。
尚侍 一条頊子(ぎょくし)/万秋門院(ばんしゅうもんいん)【1267-1338】
一条実経(→一条実経~内経の系図)の娘。
典侍 藤原宗子(むねこ・そうし)
藤原宗親(→五辻雅継の系図)の娘。
子 邦良親王(くによし)/惟善親王【1300-1326】
木寺宮の祖。皇太子のまま没した。
子の妻 禖子内親王(ばいし)/崇明門院(すうめいもんいん)
後宇多天皇(→後宇多天皇の系図)の皇女。後醍醐天皇が隠岐から戻った際に院号を一度廃された。
子の妻 藤原定教の娘
子の妻の父 藤原定教→花山院忠経・定雅の系図
孫 康仁親王(やすひと)【1320-1355】
光厳天皇の皇太子となったが廃された。妻に洞院公泰(→洞院公敏・公泰の系図)の娘がいる。
孫 邦世親王(くによ)【1322-1365】
子の妻 俊覚の娘
孫 弘覚(こうかく)
子の妻 尾張局(おわりのつぼね)
孫 深守法親王(しんしゅ)【1323-1391】
子の妻 北畠重子
北畠師重(→北畠師重の系図)の娘。
子 邦省親王(くにみ)【1302-1375】
中御門経継に養育された。
孫 禅守〔養父:中院通冬〕→中院通成~通冬の系図
掌侍 勾当内侍(こうとうのないし)
平棟俊(→平行範・棟範の系図)の娘。
子 㛹子内親王(よしこ)/寿成門院(じゅせいもんいん)【1302-1362】
後宮 御匣殿
三条公親(→三条実親・公親の系図)の娘。
子 尊済法親王(そんさい)/永尊法親王【1304-1329】
後宮 権大納言局
三条公泰(→三条実親・公親の系図)の娘。
子 祐助法親王(ゆうじょ)【1302-1359】
天台座主。光明天皇の護持僧。徳大寺公孝に養育された。
子 聖尊法親王(しょうそん)【1304-1370】
子 栄子内親王(よしこ・ひでこ・えいし)
後宮 平信輔の娘
後宮の父 平信輔→平親輔の系図
後宮 新大納言局(しんだいなごんのつぼね)
良珍(→九条兼実の系図)の娘。
子 珉子内親王(たまこ・みんし)
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。