このページでは、唐橋家(菅原氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
唐橋家(半家)の略系図
1 在良→菅原在良~公輔の系図
1-A 時登→菅原時登の系図
6 在公・公氏→菅原在公~在永・公氏・公頼の系図
8 在雅→唐橋在雅~在名の系図
16 在通→唐橋在通~在秀の系図
23 在家→唐橋在家~在光の系図
菅原在良~公輔の系図
菅原在良(ありよし)【1043-1122】〔養子:菅原在長〕
漢詩人。鳥羽天皇の侍読を務めた。唐橋家の祖。
祖父 孝標→菅原高視~孝標の系図
父 定義→菅原定義~在茂の系図
祖父 藤原実方→藤原定時・実方の系図
子 善弘
小倉冠者と号した。
孫 在長/在業〔養父:菅原在良〕
父は菅原是基(→菅原定義~在茂の系図)とも。
曾孫 在茂→菅原定義~在茂の系図
実は菅原是基の子。
曾孫 長守〔養父:菅原宣忠〕→菅原是綱~長守の系図
子 時登→菅原時登の系図
子の夫 光清→光清の系図
孫 登宣〔養父:菅原時登〕→菅原時登の系図
孫 直幾(『唐橋家譜』による。)
菅原清能
子 在清〔養父:菅原貞衡〕
子の夫 藤原光成→藤原実光の系図
菅原貞衡【1096-1167】
子 時清・浄尊
父は菅原清能とも。
菅原在清
実は菅原清能の子。
菅原公輔
子 在公・孫 在輔・子 公氏・孫 公頼→菅原在公~在永・公氏・公頼の系図
子 公良→高辻為長~長宣の系図
実は高辻為長の子。
子 公輔の娘(『唐橋家譜』による。)
菅原時登の系図
菅原時登【1070-1139】
祖父 定義→菅原定義~在茂の系図
父 在良→菅原在良~公輔の系図
妻 菅原淳中の娘
妻の父 菅原淳中→菅原是綱~長守の系図
子 公賢/清賢【1107-1157】
孫の夫 源雅頼→源雅頼の系図
曾孫 公貞/定資
定忠孫 良円〔養父:菅原良頼(→菅原在高~良頼の系図)〕
曾孫 資高【?-1236】
母は『系図纂要』による。
良盛孫 在宗【1199-1280】
従三位。
良盛孫 資宗【1248-1302】
従三位。
良盛孫 定行/宗行/宗賢/在延
良盛孫 在氏
在氏の妻 藤原信実の娘
在氏の妻の父 藤原信実→藤原信実の系図
良盛孫 俊豪
父は菅原資高とも。
子 登宣
実は菅原信永(→菅原在良~公輔の系図)の子。実父は偸範とも。
子の夫 藤原孝能→藤原俊家の系図
孫 時賢・良雲
父は菅原公賢とも。
在寛孫 茂成/茂賢
菅原在公~在永・公氏・公頼の系図
菅原在公【?-1287】〔養父:菅原公良(→高辻為長~長宣の系図)〕
従三位。在公の流れは壬生坊城、中御門、若江を号した。
祖父 在清・父 公輔→菅原在良~公輔の系図
子 慶禅(『唐橋家譜』による。)
菅原在輔/在行【1247-1320】〔養子:唐橋在雅(→唐橋在雅~在名の系図)〕
正二位。
子 在康【?-1375】
子 在富【?-1375】
従二位。
在富孫 在長/在年
子 在淳〔養父:菅原在登〕
菅原在登【1272-1350】
参議。
菅原在淳【1306-1354】
正三位。実は菅原在輔の子。
子の夫 菅原長嗣→高辻為長~長宣の系図
菅原在直【?-1457】
参議。
菅原在綱/在教【?-1481】
権中納言。
菅原在永/在長【?-1488】
参議。
子 須賀丸【1480-1492】(『系図纂要』による。)
子 真照/真海
子 宏助〔養父:広橋兼顕〕→広橋兼郷~守光の系図
子 若江理長【1623-1666】(以下、『系図纂要』による。)
実は五条為適(→五条為適~為房の系図)の子。
孫 長近【1664-1720】
曾孫 長統【1698-1721】
実は清岡長時(→清岡長時~長説の系図)の子。
理長孫 登長/長仍【1709-1773】
実は東坊城資長(→東坊城恒長~夏長の系図)の子。
理長孫 長山【1739-?】
実は堤代長(→中川貞長~堤功長の系図)の子。
理長孫 長公/昌長【1755-1827】〔養父:若江長山〕
実は若江登長の子。
理長孫 公義/義道【1765-1828】
実は藤波季忠(→藤波季忠の系図)の子。
理長孫 量長【1812-1872】〔養子:平松範忠(→平松時行~時厚の系図)〕
実は錦小路頼理(→錦小路頼理の系図)の子。
曾孫の夫 久松定郷(『寛政重修諸家譜』による。)→久松定弘~定安の系図
菅原公氏
子 公業【?-1288】
孫 公時【1284-1342】〔養父:菅原在兼(→菅原在嗣の系図)〕
従三位。
曾孫 時親/在豊【?-1378】
従三位。
公業孫 在行【?-1454】
参議。
子の夫 御子左為世→御子左為世の系図
菅原公頼
子 唐橋在雅・孫 在親→唐橋在雅~在名の系図
唐橋在雅~在名の系図
唐橋在雅【1276-1357】〔養父:菅原在輔(→菅原在公~在永・公氏・公頼の系図)〕
従二位。
祖父 公氏・父 公頼→菅原在公~在永・公氏・公頼の系図
唐橋在親
子 公煕【?-1381】
従三位。
唐橋在貫
37歳で亡くなった。
唐橋在遠
24歳で亡くなった。
唐橋在豊【1391-1464】
権大納言。
子 東坊城顕長〔養父:東坊城長政〕→東坊城茂長~長遠の系図
子の夫 九条満教→九条房実~満教の系図
孫 政基→九条政基~兼孝の系図
唐橋在治【1414-1489】
権中納言。
唐橋在数(ありかず)【1448-1496】
九条政基・尚経父子に殺された。
子 橘以緒〔養父:橘以量〕→橘以緒の系図
唐橋在名
子 在忠〔養子:唐橋在通(→唐橋在通~在秀の系図)〕
実は東坊城定雄(→東坊城茂長~長遠の系図)の子。
子 在通・孫 在村→唐橋在通~在秀の系図
唐橋在通~在秀の系図
唐橋在通(ありみち)/昭孝(あきたか)【1565-1615】〔養父:唐橋在忠(→唐橋在雅~在名の系図)〕(以下、『系図纂要』による。)
父は唐橋在数(→唐橋在雅~在名の系図)(『寛政重修諸家譜』)とも。
祖父 在数・父 在名→唐橋在雅~在名の系図
子 在種→一色在種の系図
子 昭房→一色昭房の系図
唐橋在村(ありむら)【1592-1675】
参議。
子 在村の娘(『唐橋家譜』による。)
唐橋在勝【1636-1666】
子 在隆〔養父:唐橋在庸〕
子の夫 松前矩広(『寛政重修諸家譜』による。)→松前氏広~邦広の系図
唐橋在庸【1656-1690】
実は五条為庸(→五条為適~為房の系図)の子。
子 在庸の娘(『唐橋家譜』による。)
唐橋在隆【1665-1707】
実は唐橋在勝、五条為庸(→五条為適~為房の系図)の子。
唐橋在廉【1687-1750】
参議。
子 積子→庭田重煕~重胤の系図
子 在家〔養父:唐橋在秀〕→唐橋在家~在光の系図
子 尭演【?-1742】
唐橋在秀【1710-1740】
子 在家・孫 在煕→唐橋在家~在光の系図
子 説子→大原栄顕~重実の系図
唐橋在家~在光の系図
唐橋在家/在富【1729-1791】
権大納言。実は唐橋在廉(→唐橋在通~在秀の系図)の子。
祖父 在廉・父 在秀→唐橋在通~在秀の系図
妻 黒田長貞の娘
妻の父 黒田長貞→黒田長興~長貞の系図
妻 甘露寺規長の娘
妻の父 甘露寺規長→甘露寺規長・篤長の系図
子 尭道【?-1805】
子 千万子→大原栄顕~重実の系図
唐橋在煕【1757-1812】
権大納言。
妻 吉田良延の娘
妻の父 吉田良延→吉田良延の系図
子 利丸〔養父:亮融〕(『唐橋家譜』による。)
子 姪子→九条師孝~道孝の系図
子 嫁子→六角基維~博通の系図
唐橋在経【1782-1834】
参議。
妻 黒田長舒の娘
妻の父 黒田長舒→黒田長邦~長徳の系図
子 三雄丸(『唐橋家譜』による。)
子 隆子〔養父:明照寺〕(『唐橋家譜』による。)
唐橋在久【1809-1850】
正三位。
妻 広幡経豊の娘
妻の父 広幡経豊→広幡長忠~忠礼の系図
子 錦小路頼徳〔養父:錦小路頼易〕→錦小路頼徳の系図
子 正富・信言(『唐橋家譜』による。)
唐橋在光【1827-1874】
正三位。
妻 西洞院美子
西洞院信堅(→西洞院範篤~信愛の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。