このページでは、斯波氏(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
斯波氏の略系図

1 家氏→斯波家氏~家貞の系図
4 高経→斯波高経~義郷の系図
8 義健→斯波義健~義銀の系図
8-A 正勝→牧正勝~又太郎・長高~義珍の系図
斯波家氏~家貞の系図
斯波家氏(いえうじ)
斯波氏の祖。陸奥国斯波郡の地頭。
祖父 義氏→足利義氏の系図
父 泰氏→足利泰氏の系図
祖父 名越朝時→名越朝時の系図
妻 北条時定の娘
妻の父 北条時定→北条泰時~時頼の系図
曾孫 石橋和義(かずよし)/氏義
足利尊氏の挙兵に従い、後に若狭守護になった。
義利孫 棟義
『系図纂要』によれば、父は石橋義幸。
義利孫 満博(以下、『系図纂要』による。)
義利孫 治義/祐義
義利孫 義幸/宣義
斯波宗家(むねいえ)
斯波家貞/宗氏(むねうじ)
妻 長井時秀の娘
妻の父 長井時秀→長井時秀の系図
子 高経・孫 義将→斯波高経~義郷の系図
子 家兼→斯波家兼の系図
斯波高経~義郷の系図
斯波高経(たかつね)/高国(たかくに)【1305-1367】
足利尊氏の挙兵に従い、新田義貞を討った。尊氏没後は幕府の実権を握ったが、佐々木導誉らの讒言により失脚した。
祖父 宗家・父 家貞→斯波家氏~家貞の系図
祖父 長井時秀→長井時秀の系図
子 家長(いえなが)【1321-1337】
鎌倉府執事。北畠顕家に攻められて自刃した。
孫 詮経/経詮
子 氏経(うじつね)
九州探題となったが、菊池武光に敗れて出家した。
孫 義久(『系図纂要』による。)
子 氏頼
子の妻 京極高氏の娘
子の妻の父 京極高氏→京極宗氏~高詮の系図
子 義種(よしたね)【1352-1408】
侍所頭人、山城守護などを務めた。
子の妻 千秋高範の娘
子の妻の父 千秋高範→千秋高範の系図
孫 満種【?-1427】
曾孫 持種【1413-1475】(以下、『系図纂要』による。)
義種孫 義敏〔養父:斯波義健〕→斯波義健~義銀の系図
義種孫 義孝
義孝の妻 斯波義敏の娘
義孝の妻の父 斯波義敏→斯波義健~義銀の系図
義種孫 義信〔養父:斯波義縁〕
実は斯波義孝の子。
義種孫 奥田氏種→奥田氏種~直純の系図
孫 満理(『系図纂要』による。)
末裔 蜂須賀正昭→蜂須賀正昭~家政の系図
斯波義将(よしまさ・よしゆき)【1350-1410】
細川頼之を追放し、管領として幕府で重きをなした。『竹馬抄』を著した。
妻 吉良満貞の娘
妻の父 吉良満貞→吉良満義~持広の系図
子 義将の娘(2人)(『系図纂要』による。)
斯波義教(よしのり)/義重(よししげ)【1371-1418】
父の庇護のもと管領となった。分国の統治を守護代に任せたため、守護代が徐々に力を持つようになった。
子 義淳(よしあつ)【1397-1433】
管領となったが主導力を発揮できず、領国経営も重臣に運営されるようになった。
子 持輔/持有【1413-1440】(『系図纂要』による。)
斯波義郷(よしさと)【1410-1436】(以下、『系図纂要』による。)
兄義淳の死去により、還俗して家督を継いだ。
子 義健・孫 義敏→斯波義健~義銀の系図
斯波義健~義銀の系図
斯波義健(よしたけ)【1435-1452】
2歳で家督を継いだ。
祖父 義教・父 義郷→斯波高経~義郷の系図
子 千代徳丸【?-1460】
子 義廉(よしかど)
実は渋川義鏡(→渋川義顕~義尭の系図)の子。家督を巡って義敏と対立し、応仁の乱では西軍に加わった。
孫 義寛【?-1471】
義廉孫 牧正勝→牧正勝~又太郎・長高~義珍の系図
義廉孫 長清【?-1570】
義廉孫 長盛/義盛【1555-1643】
義廉孫 長正〔養父:牧正勝〕→牧正勝~又太郎・長高~義珍の系図
斯波義敏(よしとし)【1435-1508】
実は斯波持種(→斯波高経~義郷の系図)の子。甲斐常治らに擁立されたが対立して周防の大内氏のもとに逃れた。家督を巡って義廉と対立し、応仁の乱では東軍に加わった。
子の夫 斯波義孝→斯波高経~義郷の系図
孫 義虎【1510-1553】
斯波義良/義寛【1458-1514】
妻 一色義直の娘
妻の父 一色義直→一色満範~範永の系図
斯波義達(よしたつ)/義敦【?-1521】
今川氏親に攻められて降伏した。
斯波義統(よしむね)【1513-1554】
織田信友の専横に対抗するため、織田信長と内通するが、後に殺された。
子 義永(よしなが)/義冬/近治【?-1584】
織田信雄に仕えたが、信雄を排除しようと謀り、発覚して討たれた。
斯波義銀(よしかね)【1540-1600】
織田信長に擁立されて家督を継いだが、後に敵対してその地位を追われた。
子の夫 恕俊→恕俊の系図
牧正勝~又太郎・長高~義珍の系図
牧正勝(まさかつ)/長治(ながはる)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
75歳で亡くなった。
祖父 義寛・父 義長→斯波義健~義銀の系図
牧長正(ながまさ)/長定(ながさだ)【1532-1572】
実は牧長義(→斯波義健~義銀の系図)の子。
牧長勝(ながかつ)【1562-1622】
子 内記(『系図纂要』による。)
子の夫 大久保忠拠→大久保忠拠の系図
牧長重(ながしげ)/勝信(かつのぶ)【1593-1659】
牧勝秋(かつあき)【?-1671】
子の夫 鵜殿長時→鵜殿長時の系図
牧又太郎【?-1688】
牧長高(ながたか)【1626-1692】
妻 逸見義持の娘
妻の父 逸見義持→逸見義持の系図
子 長房〔養父:牧長富〕
子の夫 坂本治之→坂本治之の系図
子の夫 中根正勝→中根正勝の系図
牧長富(ながとみ)/長往(ながゆき)/長房(ながふさ)【?-1728】
実は大久保忠寿(→大久保忠寿の系図)の子。
子 長房(ながふさ)【1670-1711】
牧義陳(よしのぶ)【1701-1778】
妻 大久保康明の娘
妻の父 大久保康明→大久保康明の系図
妻 逸見義教の娘
妻の父 逸見義教→逸見義教の系図
子 伸義→水野定勝・忠順~忠告の系図
実は水野忠伸の子。
子の夫 榊原長里→榊原長里の系図
牧長賢(ながかた)【1736-?】
実は榊原長国(→榊原長国の系図)の子。
妻 牧義陳の娘
実は水野伸義(→水野定勝・忠順~忠告の系図)の娘。
子の夫 原田種徳→原田種徳の系図
牧義珍(よしたか)【1767-?】
妻 生駒親睦の娘
実は生駒親賢(→生駒親賢の系図)の娘。
妻の父 生駒親睦→生駒親睦の系図
妻 榊原長里の娘
妻の父 榊原長里→榊原長里の系図
妻 前田清長の娘
妻の父 前田清長→前田清長の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。