このページでは、日野家(藤原氏北家・真夏流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
日野家(名家)の略系図
1 資業→藤原資業の系図
1-A1 実政→藤原実政~有成の系図
1-A2 政業→藤原政業の系図
2 実綱→藤原実綱の系図
2-A1 有綱→藤原有綱~信重の系図
2-A2 資綱→藤原資綱の系図
2-B 有俊→藤原有俊の系図
2-C 有定→藤原有定の系図
3 有信→藤原有信の系図
3-A 宗光→藤原宗光の系図
3-B 範綱・資光→藤原範綱・資光の系図
4 実光→藤原実光の系図
4-A1 資憲→藤原資憲~快成の系図
4-A2 快有→快有の系図
5 資長→藤原資長の系図
6 兼光→藤原兼光の系図
7 資実→日野資実の系図
8 家光→日野家光・資宣の系図
10 俊光→日野俊光・資名の系図
12 時光→日野時光・資康の系図
14 重光→裏松重光・義資の系図
16 勝光→日野勝光~晴光の系図
20 輝資→日野輝資~光慶の系図
23 弘資→日野弘資~永資の系図
27 資時→日野資時~資平の系図
藤原資業の系図
藤原資業(すけなり)【988-1070】〔養子:藤原実仲(→藤原公業の系図)〕
従三位。日野に法界寺薬師堂を建立した。以後、日野を家名とした。
祖父 輔道→藤原浜雄~輔道の系図
父 有国→藤原有国の系図
祖父 橘仲遠→橘仲遠の系図
妻 源重文の娘
妻の父 源重文→源信明の系図
子 実家
子の妻 源顕定の娘
子の妻の父 源顕定→源顕定の系図
子の妻 高階業敏の娘
子の妻の父 高階業敏→高階敏忠・業遠の系図
孫 保宗/保家〔養父:藤原実政・藤原清宗(→藤原実政~有成の系図)〕
子 実政・孫 敦宗→藤原実政~有成の系図
妻 藤原師長の娘
妻の父 藤原師長→藤原興方~師長の系図
子 実綱→藤原実綱の系図
孫 有綱→藤原有綱~信重の系図
孫 有俊→藤原有俊の系図
孫 有信→藤原有信の系図
孫 有定→藤原有定の系図
妻 藤原興方の娘
妻の父 藤原興方→藤原興方~師長の系図
子 良覚/良寛
子の夫 藤原経輔→藤原経輔の系図
孫 師家→藤原師家・家範の系図
孫 師基→藤原師基の系図
孫 師信→藤原師信の系図
子の夫 藤原敦宗→藤原実政~有成の系図
子の夫 藤原長房→藤原長房の系図
子の夫 藤原惟経→藤原惟経~知信の系図
子の夫 藤原定房→藤原兼隆の系図
藤原実政~有成の系図
藤原実政(さねまさ)【1019-1093】〔養子:藤原保宗(→藤原資業の系図)〕
参議。後三条天皇・白河天皇の侍読を務めた。大宰大弐在任時には、鹿子木荘の寄進を受けたほか、宇佐八幡宮と争い、伊豆に流された。
祖父 有国→藤原有国の系図
父 資業→藤原資業の系図
祖父 源重文→源信明の系図
妻 藤原国成の娘
妻の父 藤原国成→藤原公利・守義の系図
孫 保宗
実は藤原実家(→藤原資業の系図)の子。
子の夫 藤原有信→藤原有信の系図
孫 実光→藤原実光の系図
孫 宗光→藤原宗光の系図
藤原敦宗(あつむね)【1042-1111】
妻 藤原公房の娘
妻の父 藤原公房→藤原資房・公房の系図
孫 廉実/有実
父は藤原敦宗とも。
妻 藤原資業の娘
妻の父 藤原資業→藤原資業の系図
子 廉実/有実
父は藤原宗兼とも。
藤原有成
妻 藤原俊信の娘
妻の父 藤原俊信→藤原正家~顕業の系図
子 政業→藤原政業の系図
子 範業/範宗
孫 光成/光業
父は藤原政業(→藤原政業の系図)とも。
孫 基成/基業
孫 有頼
実は寛然、藤原政業(→藤原政業の系図)の子。
孫 維業/維長
実は藤原友業(→藤原公利・守義の系図)の子。
孫 範慶
父は寛然、藤原政業(→藤原政業の系図)とも。
子 資家/俊国
子 定資/有康
子 清豪/晴豪
孫 有頼〔養父:藤原範業〕
父は藤原政業(→藤原政業の系図)とも。
孫 範慶
父は藤原範業、藤原政業(→藤原政業の系図)とも。
藤原政業の系図
藤原政業
祖父 敦宗・父 有成→藤原実政~有成の系図
祖父 藤原俊信→藤原正家~顕業の系図
妻 平繁賢の娘
妻の父 平繁賢→平繁賢の系図
子 能業/資頼
子の妻 平範家の娘
子の妻の父 平範家→平実親・範家の系図
曾孫 家盛【1197-?】
家盛孫 有実/俊実
孫 尾張局→後鳥羽天皇の系図
藤原実綱の系図
藤原実綱(さねつな)【1013-1082】
祖父 有国→藤原有国の系図
父 資業→藤原資業の系図
祖父 藤原師長→藤原興方~師長の系図
妻 源道成の娘
妻の父 源道成→盛明親王~源道成の系図
子 有綱・孫 実義→藤原有綱~信重の系図
子 有俊→藤原有俊の系図
子 有信→藤原有信の系図
孫 実光→藤原実光の系図
孫 宗光→藤原宗光の系図
孫 範綱・資光→藤原範綱・資光の系図
子 有定→藤原有定の系図
子 有長
実は源基成(→盛明親王~源道成の系図)の子。
子の夫 中御門宗俊→中御門宗俊の系図
孫 宗忠→中御門宗忠の系図
藤原有綱~信重の系図
藤原有綱【?-1086】〔養子:藤原資言(→藤原公業の系図)〕
祖父 資業→藤原資業の系図
父 実綱→藤原実綱の系図
祖父 源道成→盛明親王~源道成の系図
妻 藤原永職の娘
妻の父 藤原永職→藤原信通の系図
子の夫 源義家→源義家の系図
孫 義国・義忠→源義国・義忠の系図
孫 為義→源為義の系図
藤原実義【1067-1106】
妻 菅原是綱の娘
妻の父 菅原是綱→菅原是綱~長守の系図
孫 宗業→藤原宗光の系図
実は藤原経尹(→藤原親経の系図)の子。養父は藤原宗光とも。
藤原信重/親業
子 資綱→藤原資綱の系図
藤原資綱の系図
藤原資綱
父は藤原信末(→藤原有綱~信重の系図)とも。
祖父 実義・父 信重→藤原有綱~信重の系図
妻 盛資の娘
子 忠綱(ただつな)
孫 長綱(ながつな)
歌人。
曾孫 重能
父は藤原資綱とも。
曾孫 忠雄
曾孫の妻 坊城経俊の娘
曾孫の妻の父 坊城経俊→坊城経俊・俊定の系図
曾孫の夫 藤原俊言→御子左為氏の系図
孫 基綱/忠兼
曾孫 資有〔養父:日野資宣〕→日野家光・資宣の系図
孫の夫 日野家光→日野家光・資宣の系図
子 重能
父は藤原長綱とも。
子 家綱/信綱
秋綱孫 説綱
父は藤原資有とも。
業氏孫 康氏/義氏
父は藤原資綱、藤原家綱、藤原業綱とも。
業氏孫 氏繁
父は藤原資綱とも。
業氏孫 清綱
弟親綱によって殺されたとされる。
業氏孫 兼氏/季綱
業氏孫 有憲
父は藤原仲氏とも。
業氏孫 昌氏
父は藤原資綱、藤原家綱とも。
藤原有俊の系図
藤原有俊【1037-1102】
祖父 資業→藤原資業の系図
父 実綱→藤原実綱の系図
祖父 源道成→盛明親王~源道成の系図
妻 橘俊通の娘
子 国資【1067-1128】
子の妻 藤原家綱の娘
子の妻の父 藤原家綱→藤原実範の系図
孫 国能/国親
孫の妻 小田知家の娘
孫の妻の父 小田知家→小田知家の系図
曾孫 業実/資能
孫の妻 政家の娘
曾孫 資康
曾孫の妻 藤原師実の娘
曾孫の妻の父 藤原師実→藤原師実の系図
資康孫 康業/能光
資康孫 康氏/康光
資康孫 頼舜〔養父:勘解由小路頼資(→勘解由小路頼資~光業の系図)〕
藤原有定の系図
藤原有定/有房【1043-1094】
祖父 資業→藤原資業の系図
父 実綱→藤原実綱の系図
祖父 源道成→盛明親王~源道成の系図
妻 橘資成の娘
妻の父 橘資成→橘資成の系図
子 国定
実は高階成重の子。
孫 泰定
父は藤原国盛とも。
孫の夫 源有房→源顕仲の系図
孫の夫 源行頼→源光行の系図
孫の夫 源雅仲→源信雅・雅仲の系図
曾孫 泰定
父は藤原国定とも。
曾孫 有宗/清定/有家
国清孫 有憲/有範
子の夫 藤原実光→藤原実光の系図
孫 資憲→藤原資憲~快成の系図
藤原有信の系図
藤原有信【1040-1099】
祖父 資業→藤原資業の系図
父 実綱→藤原実綱の系図
祖父 源道成→盛明親王~源道成の系図
妻 藤原実政の娘
妻の父 藤原実政→藤原実政~有成の系図
子 実光→藤原実光の系図
孫 資憲→藤原資憲~快成の系図
孫 資長→藤原資長の系図
子 宗光→藤原宗光の系図
子 有範
父は藤原経尹(→藤原親経の系図)とも。崇徳天皇の侍読を務めた。
孫 範宴→範宴の系図
孫 兼有(けんゆう)・行兼〔養父:藤原範綱(→藤原範綱の系図)〕
子 範綱・資光→藤原範綱・資光の系図
子 宗慶/信慶
子の夫 藤原宗兼→藤原良基の系図
藤原宗光の系図
藤原宗光【?-1143】
祖父 実綱→藤原実綱の系図
父 有信→藤原有信の系図
祖父 藤原実政→藤原実政~有成の系図
子 資綱/資経
子 経尹〔養父:藤原親経・藤原経仲〕→藤原親経の系図
子 宗業〔養子:藤原信綱(→藤原範綱・資光の系図)〕
従三位。実は藤原経尹(→藤原親経の系図)の子。養父は藤原実重(→藤原有綱~信重の系図)とも。
孫 業茂〔養父:藤原宗業〕
実は宗慶の子。
業行孫 業房/宗春
遠業孫 光綱
光綱の子の夫 高倉永季→高倉永季~永豊の系図
遠業孫 為茂/業茂
基業孫 業宣/業信
基業孫 業貞/業定
光業孫 業仲/業兼
業氏孫 業長
業長の妻 藤原長村の娘
業長の妻の父 藤原長村→藤原長村の系図
藤原範綱・資光の系図
藤原範綱/章綱
父は藤原経尹(→藤原親経の系図)とも。
子 信綱/広綱〔養父:藤原宗業(→藤原宗光の系図)〕
子の妻 範宴の娘
子の妻の父 範宴→範宴の系図
孫 宗恵〔養父:日野家光(→日野家光・資宣の系図)〕
父は藤原広綱とも。
曾孫 宗昭〔養父:如信、勘解由小路兼仲(→勘解由小路頼資~光業の系図)〕→如信の系図
曾孫 宗恵
父は藤原信綱とも。
子 範実
父は藤原範宗(→藤原範宗の系図)とも。
子 範宗→藤原範宗の系図
実は藤原実澄の子。
子の夫 菅原淳高→菅原在高~良頼の系図
藤原資光
妻 藤原忠興の娘
妻の父 藤原忠興→藤原成家・忠興の系図
子 盛業/盛信【?-1181】
子の妻 藤原懐遠の娘
子の妻の父 藤原懐遠→藤原懐遠~経尹の系図
孫 通業【1153-1191】
孫 兼業/盛資/盛賢
藤原実光の系図
藤原実光【1069-1147】
権中納言。鳥羽天皇・崇徳天皇の侍読を務めた。日野帥と号した。
祖父 実綱→藤原実綱の系図
父 有信→藤原有信の系図
祖父 藤原実政→藤原実政~有成の系図
妻 藤原有定の娘
妻の父 藤原有定→藤原有定の系図
子 資憲・孫 基光→藤原資憲~快成の系図
妻 高階重仲の娘
妻の父 高階重仲→高階重仲の系図
子 資長→藤原資長の系図
孫 兼光→藤原兼光の系図
子 光成/光盛
子の妻 菅原清能の娘
子の妻の父 菅原清能→菅原在良~公輔の系図
孫 最賢/最遍
光成孫 経恵〔養父:勘解由小路経光〕→勘解由小路頼資~光業の系図
光成孫 有円【?-1314】
子 覚海【1122-?】
孫 尊長/仙長〔養父:藤原資憲(→藤原資憲~快成の系図)〕
松谷律師と号した。
曾孫 慶親〔養父:藤原親光(→藤原資憲~快成の系図)〕
藤原資憲~快成の系図
藤原資憲
祖父 有信→藤原有信の系図
父 実光→藤原実光の系図
祖父 藤原有定→藤原有定の系図
子 俊光/経光
子 親光〔養子:慶親(→藤原実光の系図)〕
孫 親資〔養父:藤原親経(→藤原俊経・盛経の系図)〕
孫 時光〔養父:藤原基定〕
子 尊長→藤原実光の系図
実は光澄の子。
子の夫 平教盛→平経盛・教盛・頼盛の系図
藤原基光〔養父:藤原資長(→藤原資長の系図)〕
妻 藤原良兼の娘
妻の父 藤原良兼→藤原良基の系図
子 円慶
父は藤原基重とも。
藤原基定〔養子:藤原時光〕
子 俊定→藤原頼成の系図
父は藤原雅清とも。
藤原邦俊
実は藤原邦良(→藤原邦忠の系図)の子。養父は藤原顕盛(→藤原親通の系図)とも。
藤原邦行
子 種範【?-1321】
従三位。
孫 行氏【1283-1340】
正三位。
曾孫の夫 菅原高嗣→菅原在嗣の系図
孫 俊基(としもと)【?-1332】
後醍醐天皇の側近。倒幕計画が露見し、捕らえられて殺された。
孫 行光/光種/高光
従二位。
曾孫 氏種【1329-1385】
従三位。
快成
子 快有→快有の系図
快有の系図
快有
祖父 快豪・父 快成→藤原資憲~快成の系図
曾孫 左京大夫局→後光厳天皇の系図
宗快孫 亮快
亮快の子の夫 源澄→源基の系図
亮快の孫 女嬬→山科言綱の系図
宗快孫 高快
高快の子の夫 橘以緒→橘以緒の系図
豪快孫 源雅〔養父:源誉〕→源基の系図
藤原資長の系図
藤原資長(すけなが)【1119-1195】〔養子:藤原基光(→藤原資憲~快成の系図)〕
権中納言。日野民部卿と号した。
祖父 有信→藤原有信の系図
父 実光→藤原実光の系図
祖父 高階重仲→高階重仲の系図
妻 源季兼の娘
妻の父 源季兼→源季兼~兼教の系図
子 兼光→藤原兼光の系図
孫 日野資実→日野資実の系図
孫 勘解由小路頼資→勘解由小路頼資~光業の系図
子 覚玄/信性
子 長遍【?-1178】
藤原兼光の系図
藤原兼光(かねみつ)【1145-1196】〔養子:藤原家能(→大炊御門光能の系図)〕
権中納言。高倉天皇・後鳥羽天皇の侍読を務めた。
祖父 実光→藤原実光の系図
父 資長→藤原資長の系図
祖父 源季兼→源季兼~兼教の系図
妻 源家時の娘
妻の父 源家時→源盛長・盛家の系図
子 日野資実→日野資実の系図
孫 家光→日野家光・資宣の系図
子 長親/禅寂(ぜんじゃく)
出家して法然の弟子となった。
妻 院慶の娘
子 勘解由小路頼資・孫 経光→勘解由小路頼資~光業の系図
妻 平業房の娘
妻の父 平業房→平維盛の系図
妻 山科実教の娘
妻の父 山科実教→山科実教の系図
子 有兼
16歳で亡くなった。
子 基長〔養父:中御門宗家(→中御門宗家~宗雅の系図)〕
子 良兼【?-1227】
孫 頼円・頼誉・兼恵
父は勘解由小路頼資(→勘解由小路頼資~光業の系図)とも。
子の夫 姉小路公宣→姉小路公宣~実広の系図
子の夫 藤原行光→藤原行隆の系図
子の夫 源信定→源有雅の系図
子の夫 一条高能→一条高能の系図
日野資実の系図
日野資実(すけざね)/家実【1162-1223】
権中納言。土御門天皇・順徳天皇の侍読を務めた。日野後帥と号した。
祖父 資長→藤原資長の系図
父 兼光→藤原兼光の系図
祖父 源家時→源盛長・盛家の系図
妻 平棟子(むねこ)【?-1221】
平棟範(→平行範・棟範の系図)の娘。
子 家光・孫 資宣→日野家光・資宣の系図
子 光国(みつくに)【1206-1270】〔養父:日野家光(→日野家光・資宣の系図)〕
従三位。
子の妻 覚舜の娘
子の妻の父 覚舜→藤原行隆の系図
孫 資広
実は範長の子。
曾孫 道名/光氏
父は藤原資広、藤原資嗣、藤原資兼(→日野家光・資宣の系図)とも。
孫 実浄・真覚・光性
父は日野資実とも。
孫の夫 藤原資頼→堀河頼定の系図
子 光性
父は藤原光国とも。
子の夫 藤原範朝→藤原範朝の系図
孫 宗氏〔養父:藤原行光〕→藤原行隆の系図
孫 正兼/智禅
子 家宣【1185-1222】
参議。
子の妻 親資の娘
孫 兼資/兼綱/兼持
曾孫 長光
父は藤原兼親とも。
孫 兼宣/兼綱
曾孫 家房/家方
曾孫の妻 藤原高業の娘
曾孫の妻の父 藤原高業→藤原季永・清高の系図
兼宣孫 家季【?-1322】
兼宣孫 兼親/兼方
子 光恵【?-1232】
子 実浄・真覚
父は藤原光国とも。
子の夫 鷹司伊平→鷹司頼平の系図
曾孫 実源
曾孫の子の夫 藤原光遠→藤原光家の系図
日野家光・資宣の系図
日野家光(いえみつ)【1199-1236】〔養子:藤原光国(→日野資実の系図)〕
権中納言。
祖父 兼光→藤原兼光の系図
父 資実→日野資実の系図
祖父 平棟範→平行範・棟範の系図
妻 藤原忠綱の娘
妻の父 藤原忠綱→藤原資綱の系図
子 資定〔養父:勘解由小路経光(→勘解由小路頼資~光業の系図)〕
従三位。
子 宗恵→藤原範綱・資光の系図
実は藤原信綱の子。
孫 道名→日野資実の系図
父は藤原資広、藤原資嗣とも。
孫 実存/兼源/尊源
日野資宣(すけのぶ)【1224-1292】
権中納言。日記は『仁部記』。
妻 賀茂能継の娘
子 俊光・孫 資名→日野俊光・資名の系図
孫 柳原資明→柳原資明の系図
妻 小笠原長房の娘
妻の父 小笠原長房→小笠原長房の系図
妻 藤原遠基の娘
妻の父 藤原遠基→藤原遠基の系図
子 資有
実は藤原基綱(→藤原資綱の系図)の子。
子の夫 藤原師藤→花山院師継~師資の系図
孫の夫 日野資名→日野俊光・資名の系図
日野俊光・資名の系図
日野俊光(としみつ)【1260-1326】〔養子:俊玄(→俊玄の系図)〕
権大納言。
祖父 家光・父 資宣→日野家光・資宣の系図
妻 粟田口良教の娘
実は僧の娘とも。
妻の父 粟田口良教→粟田口基良の系図
子 資冬【?-1307】
子の妻 平仲兼の娘
子の妻の父 平仲兼→平時高~行高の系図
孫 朝光
父は日野資朝とも。
妻 阿野寛子
阿野公寛(→阿野公佐~公廉の系図)の娘。
妻 亀山院三位局
子 柳原資明→柳原資明の系図
孫 忠光→柳原忠光~量光の系図
子 資朝(すけとも)【1290-1332】
権中納言。正中の変により、佐渡に流された後に殺された。
孫 朝光
父は藤原資冬とも。
孫 邦光(くにみつ)/阿新丸(くまわかまる)【1320-1363】
佐渡に赴き、父の仇を討ったとされる。南朝に仕え、中納言になったとされる。
孫 慈俊〔養父:日野俊光〕→慈俊の系図
父は宗昭とも。
子 雅光
従三位。
子 賢俊(けんしゅん)【1299-1357】
東寺長者。醍醐寺座主。足利尊氏の帰依を受けた。
子 光海/道俊
子 光玄→光玄の系図
実は宗昭の子。
子 慈俊→慈俊の系図
実は宗昭の子。父は日野資朝とも。
子 浄俊【?-1334】
子 禅俊/真俊
子 俊子→亀山天皇の系図
子の夫 鷹司家雅→花山院忠経・定雅の系図
子の夫 花山院師賢→花山院師継~師資の系図
日野資名(すけな)【1285-1338】
権大納言。光厳天皇に重用された。
妻 頼宣の娘
妻の父 頼宣→日野家光・資宣の系図
子 氏光【?-1335】
子 時光・孫 資康→日野時光・資康の系図
子 名子→西園寺公衡~公宗の系図
孫 西園寺実俊→西園寺実俊~実遠の系図
子 宣子【?-1382】
岡松一品と号した。
子の夫 西園寺実俊→西園寺実俊~実遠の系図
子の夫 鷹司冬雅→花山院忠経・定雅の系図
孫 房宋
実は光玄の子。
孫 武者小路資俊〔養父:武者小路教光〕→柳原資明の系図
日野時光・資康の系図
日野時光/栄光【1328-1367】〔養子:時芸(→時芸の系図)〕
権大納言。
祖父 俊光・父 資名→日野俊光・資名の系図
子 資教(すけのり)【1356-1428】
権大納言。
孫 有光(ありみつ)【1387-1443】
権大納言。禁闕の変では、神剣・神璽を奪って延暦寺に立て籠もったが滅ぼされた。
曾孫 資親【?-1443】
参議。
曾孫 光子→後円融天皇~称光天皇の系図
孫 秀光/量光/家秀【1401-1432】〔養子:広橋春龍丸(→広橋兼郷~守光の系図)〕
権大納言。
曾孫 郷子→後花園天皇~後柏原天皇の系図
子 日野西資国【1365-1428】
権大納言。
孫 盛光/国盛【?-1449】
権大納言。
曾孫 資宗【1423-1466】
権大納言。
資国孫 朝光/知光
孫 資子・孫の夫 後小松天皇→後円融天皇~称光天皇の系図
孫の夫 柳原行光→柳原忠光~量光の系図
子 光助【?-1389】
父は柳原忠光(→柳原忠光~量光の系図)とも。
子 業子→足利義詮・義満の系図
子の夫 洞院公定→洞院実夏~公連の系図
子の夫 甘露寺兼長→甘露寺隆長~兼長の系図
孫 房長→甘露寺房長~伊長の系図
日野資康(すけやす)【1348-1390】〔養子:玄康(→玄康の系図)〕
権大納言。
子 裏松重光・孫 義資→裏松重光・義資の系図
子 烏丸豊光・孫 資任→烏丸豊光~光康の系図
子 康子・栄子→足利義詮・義満の系図
裏松重光・義資の系図
裏松重光(しげみつ)【1370-1413】
大納言。足利家と姻戚関係を結び、権勢をふるった。左大臣を贈られ、広寿院贈左大臣と号した。
祖父 時光・父 資康→日野時光・資康の系図
妻 武者小路資俊の娘
妻の父 武者小路資俊→柳原資明の系図
子 資方【1391-1407】
権大納言を贈られた。
子 俊円/光円【1401-1484】
子 重子・子の夫 足利義教→足利義教・義政の系図
子 重光の娘【?-1476】
裏松義資(よしすけ)【1397-1434】
権中納言。足利義教の不興を買って殺害された。大納言を贈られた。
子 政光/重政【1412-1441】
内大臣正二位を贈られた。
孫 増円
31歳で亡くなった。
孫 永俊〔養父:足利義政(→足利義教・義政の系図)〕
曾孫の夫 花山院忠輔→花山院兼定~家輔の系図
曾孫の夫 足利義澄→足利義澄~義昭の系図
孫 日野勝光〔養父:裏松義資〕→日野勝光~晴光の系図
孫 富子→足利義教・義政の系図
孫の夫 足利義視→足利義教・義政の系図
子 日野勝光・孫 政資→日野勝光~晴光の系図
日野勝光~晴光の系図
日野勝光(かつみつ)【1429-1476】
左大臣。実は裏松政光(→裏松重光・義資の系図)の子。妹の富子が足利義政の妻となったため、権勢をふるった。唯称院と号した。
祖父 重光・父 義資→裏松重光・義資の系図
妻 伊勢貞国の娘
妻の父 伊勢貞国→伊勢貞国の系図
子 資基【1456-1512】
子 尊慶【?-1512】
子 烏丸冬光〔養父:烏丸資任〕→烏丸豊光~光康の系図
子 円深【1476-1534】
子 光什→町資藤の系図
実は町資広の子。
子の夫 足利義尚→足利義教・義政の系図
子の夫 高辻章長→高辻国長~長雅の系図
日野政資【1469-1495】
権中納言。
日野内光(うちみつ)/高光/澄光【1489-1527】
権大納言。実は徳大寺実淳(→徳大寺公有~公胤の系図)の子。細川高国らとともに三好勝長・政長らと戦って討死した。
妻 畠山尚順の娘
妻の父 畠山尚順→畠山尚順の系図
子 光実〔養父:広橋守光(→広橋兼郷~守光の系図)、広橋兼秀(→広橋兼秀・国光の系図)〕
子 慈承
実は中山康親(→中山宣親~孝親の系図)の子。
日野晴光【1518-1555】
権大納言。
妻 藤原元造の娘
子 晴資/資条【1536-1551】
子 輝資・孫 資勝→日野輝資~光慶の系図
子の夫 津守国繁→津守国繁の系図
妻 伊勢貞忠の娘
妻の父 伊勢貞忠→伊勢貞忠の系図
妻 烏丸冬光の娘
妻の父 烏丸冬光→烏丸豊光~光康の系図
日野輝資~光慶の系図
日野輝資(てるすけ)/兼保【1555-1623】
権大納言。実は広橋国光(→広橋兼秀・国光の系図)の子。有職故実や詩歌にすぐれた。日記は『輝資卿記』。
祖父 内光・父 晴光→日野勝光~晴光の系図
妻 津守国繁の娘
妻の父 津守国繁→津守国繁の系図
子 顕啅・忠宥・日宣・祐慶(『系図纂要』による。)
子 日韶/日禛(『系図纂要』による。)
子 輝子→後陽成天皇の系図
子 輝資の娘(『系図纂要』による。)
子の夫 花房正栄(『系図纂要』による。)→花房正栄の系図
子 資栄→日野資栄の系図
子の夫 東条安長(『寛政重修諸家譜』による。)→東条安長の系図
子の夫 小笠原貞慶(『寛政重修諸家譜』による。)→小笠原貞慶・秀政の系図
日野資勝(すけかつ)【1577-1639】
権大納言。武家伝奏として活躍した。日記は『資勝卿記』。
妻 烏丸光宣の娘
妻の父 烏丸光宣→烏丸光宣~光賢の系図
子 慈性(『系図纂要』による。)
子の夫 三条実秀(『系図纂要』による。)→三条実秀~公充の系図
子の夫 宗義成(『系図纂要』による。)→宗義智・義成の系図
孫 義真→宗義真~義方の系図
子の夫 平松時庸(『系図纂要』による。)→平松時庸~時春の系図
日野光慶(みつよし)【1591-1630】(以下、『系図纂要』による。)
権中納言。
妻 加藤嘉明の娘
妻の父 加藤嘉明→加藤嘉明の系図
夫 池田長政→池田恒利・信輝の系図
子 弘資・孫 資茂→日野弘資~永資の系図
孫 外山光顕→外山光顕~光輔の系図
孫 豊岡有尚→豊岡有尚~健資の系図
子の夫 葉室頼業→葉室頼業~頼要の系図
日野弘資~永資の系図
日野弘資(ひろすけ)【1617-1687】〔養子:周清(→中院通茂~通枝の系図)〕
権大納言。後水尾天皇から古今伝授を受けた。
祖父 資勝・父 光慶→日野輝資~光慶の系図
祖父 加藤嘉明→加藤嘉明の系図
妻 正親町三条実有の娘
妻の父 正親町三条実有→正親町三条実有~実彦の系図
子 外山光顕・孫 光和→外山光顕~光輔の系図
子 豊岡有尚→豊岡有尚~健資の系図
子 豊岡弘昌〔養父:豊岡有尚〕→豊岡有尚~健資の系図
子 憲雄【1655-1672】
子 新典侍→徳川綱吉~家継の系図
日野資茂(すけもち)【1650-1687】〔養子:中院仲子(→中院通勝~通純の系図)〕
権中納言。
妻 宗義真の娘
妻の父 宗義真→宗義真~義方の系図
夫 徳大寺公全→徳大寺実維~公城の系図
日野輝光(てるみつ)/有富【1670-1717】
権大納言。
妻 東園基量の娘
妻の父 東園基量→東園基教~基雅の系図
子 忠資【1695-1697】
妻 裏松意光の娘
妻の父 裏松意光→裏松資清~益光の系図
子 光繋【1710-1718】
実は上冷泉為綱(→上冷泉為綱~為村の系図)の子。
日野永資/資敬【1694-1712】
子 資時・孫 資枝→日野資時~資平の系図
日野資時~資平の系図
日野資時(すけとき)【1690-1742】〔養子:烏丸資総・烏丸光栄の息子(→烏丸光栄~光徳の系図)〕
権大納言。実は豊岡弘昌(→豊岡有尚~健資の系図)の子。初め豊岡家を継いだ。
祖父 輝光・父 永資→日野弘資~永資の系図
妻 鍋島吉茂の娘
実は鍋島直称(→鍋島直称の系図)の娘。
妻の父 鍋島吉茂→鍋島吉茂の系図
子 資綱【1733-1736】
子 資礼【1724-1728】
子 豊岡光全→豊岡有尚~健資の系図
子 資子→中御門天皇~後桃園天皇の系図
子の夫 葉室頼要→葉室頼業~頼要の系図
孫 頼煕→葉室頼煕~長邦の系図
日野資枝(すけき)【1737-1801】
権大納言。実は烏丸光栄(→烏丸光栄~光徳の系図)の子。歌人として活躍した。
妻 広橋勝胤の娘
妻の父 広橋勝胤→広橋兼廉~勝胤の系図
子 北小路祥光〔養父:北小路光教〕→北小路徳光~随光の系図
子の夫 錦小路頼尚→錦小路頼尚の系図
日野資矩(すけのり)【1756-1830】〔養子:吉田兼倶の娘(→毛利政苗~元純の系図)〕
権大納言。
妻 柳原光綱の娘
妻の父 柳原光綱→柳原光綱~光定の系図
子 永光【1774-1776】
子 資雄【1777-1782】
妻 壬生基貫の娘
妻の父 壬生基貫→葉川基起~壬生基修の系図
子 大宮良季〔養父:大宮盛季〕→大宮季光~実典の系図
子 矩子【?-1797】
子の夫 広幡経豊→広幡長忠~忠礼の系図
子の夫 勘解由小路資善→勘解由小路資忠~光尚の系図
日野資愛(すけなる)【1780-1846】〔養子:広橋光成の娘(→広橋光成~胤光の系図)〕
准大臣。頼山陽と親交があった。
妻 勧修寺経逸の娘
妻の父 勧修寺経逸→勧修寺顕道~経逸の系図
子の夫 北小路師光→北小路徳光~随光の系図
日野資宗(すけむね)/資統【1815-1879】
権大納言。実は広橋胤定(→広橋胤定の系図)の子。
妻 松浦煕の娘
妻の父 松浦煕→松浦清~詮の系図
子 資貴【1861-?】(『日野家譜』による。)
日野資平【1832-1835】
母は『日野家譜』による。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。