このページでは、朽木氏(宇多源氏・扶義流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
朽木氏(丹波国福知山藩主)の略系図
1 義綱→朽木義綱~元綱の系図
12-A1 宣綱→朽木宣綱・良綱~金綱の系図
12-A2 智綱→朽木智綱~綱泰の系図
12-A3 元綱→朽木元綱~綱利の系図
12-B 友綱→朽木友綱~賢綱の系図
13 稙綱→朽木稙綱の系図
13-A 則綱→朽木則綱~綱弘の系図
14 稙昌→朽木稙昌~稙綱の系図
17 稙治→朽木稙治~綱貞の系図
20 鋪綱→朽木鋪綱・昌綱の系図
22 倫綱→朽木倫綱~為綱の系図
朽木義綱~元綱の系図
朽木義綱(よしつな)
近江国高島郡朽木荘の地頭職を継ぎ、朽木を称した。
祖父 高信・父 頼綱→高嶋高信の系図
子 時経(以下、『系図纂要』による。)
孫 義氏
父は朽木義綱とも。
孫 義信/時綱
子 有信(『寛政重修諸家譜』による。)
朽木義氏(よしうじ)
父は朽木時経とも。
朽木頼氏(よりうじ)/経氏(つねうじ)
子 氏秀(『系図纂要』による。)
朽木氏綱(うじつな)/氏時(うじとき)(以下、『系図纂要』による。)
朽木能綱(よしつな)
朽木時綱(ときつな)
朽木貞高(さだたか)
朽木貞綱(さだつな)/貞武(さだたけ)【?-1485】
妻 甘露寺親長の娘〔養父:伊勢貞祐(→伊勢貞祐の系図)〕
養父は伊勢貞親とも。
妻の父 甘露寺親長→甘露寺房長~伊長の系図
朽木貞清(さだきよ)/材秀(きひで)
朽木稙綱(たねつな)/稙広(たねひろ)
京都を追われた足利義晴を朽木に迎え、足利将軍家の奉公衆となった。
妻 葉室頼継の娘
妻の父 葉室頼継→葉室長隆~頼継の系図
子 藤賢/苡賢(『尊卑分脈』による。)
子の夫 鯰江為定→鯰江高久~森高次・吉安~浜之助・吉房~震太郎の系図
朽木晴綱(はるつな)/貞綱(さだつな)【1518-1550】
妻 飛鳥井雅綱の娘
妻の父 飛鳥井雅綱→飛鳥井雅綱~雅敦の系図
朽木元綱(もとつな)【1549-1632】
織田信長・豊臣秀吉に従った。関ケ原の戦いでは西軍に属したが、東軍に転じて大谷吉継を攻めた。
妻 尭恵の娘
妻の父 尭恵→尭恵の系図
子 宣綱・孫 良綱→朽木宣綱・良綱~金綱の系図
孫 智綱→朽木智綱~綱泰の系図
孫 元綱→朽木元綱~綱利の系図
妻 田中吉兵衛の娘
子 友綱・孫 正綱→朽木友綱~賢綱の系図
子 稙綱→朽木稙綱の系図
孫 稙昌→朽木稙昌~稙綱の系図
孫 則綱→朽木則綱~綱弘の系図
子の夫 堀直政→堀直政~直高の系図
朽木宣綱・良綱~金綱の系図
朽木宣綱(のぶつな)【1582-1662】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 晴綱・父 元綱→朽木義綱~元綱の系図
妻 京極高吉の娘
妻の父 京極高吉→京極高光~高吉の系図
子 智綱・孫 定朝→朽木智綱~綱泰の系図
子 京極高通〔養父:京極高知〕→京極高通~高之・高重~高伴の系図
妻 伴友重の娘
子 元綱・孫 尚綱→朽木元綱~綱利の系図
子の夫 大島義唯→大島義唯の系図
子の夫 岡本介球→岡本介球の系図
子の夫 川口宗次→川口宗次の系図
子の夫 高麗道覚→高麗道覚の系図
朽木良綱(よしつな)【1633-1678】
妻 秋田氏
子 尚綱〔養父:朽木元綱〕→朽木元綱~綱利の系図
妻 宮川氏
子 定盛〔養父:朽木久綱〕
朽木久綱(ひさつな)【1659-1688】
朽木定盛(さだもり)【1669-1763】
実は朽木良綱の子。
妻 柴田康能の娘
妻の父 柴田康能→柴田康能の系図
子の夫 河野通喬→河野通重~通致の系図
朽木尹綱(みちつな)【1689-1756】
実は朽木尚綱(→朽木元綱~綱利の系図)の子。
妻 大島義全の娘
妻の父 大島義全→大島義全の系図
子 神尾元雅〔養父:神尾元経〕→神尾元雅の系図
朽木真綱(ちかつな)【1737-1788】
妻 池田博道の娘
子 門綱(ゆきつな)【1760-1779】
子 友俊/俊綱〔養父:田村友重〕
子の夫 庄田安長→庄田安長の系図
子の夫 吉田宗思→吉田宗思の系図
子の夫 松野助紐→松野助紐の系図
朽木金綱(かねつな)【1763-?】
妻 三上季良の娘
妻の父 三上季良→三上季良の系図
妻 水野勝羨の娘
妻の父 水野勝羨→水野勝彦~勝善・勝英~勝順の系図
朽木智綱~綱泰の系図
朽木智綱(ともつな)/茂綱(しげつな)【1598-1671】
祖父 元綱→朽木義綱~元綱の系図
父 宣綱→朽木宣綱・良綱~金綱の系図
祖父 京極高吉→京極高光~高吉の系図
妻 竹中重門の娘
妻の父 竹中重門→竹中重門の系図
朽木定朝(さだとも)/亮綱(すけつな)【1651-1708】
妻 大島義近の娘
妻の父 大島義近→大島義近の系図
子 衆綱〔養父:朽木周綱〕
子の夫 多羅尾光顕→多羅尾光顕の系図
朽木周綱(ちかつな)【1673-1723】
妻 南部直政の娘
妻の父 南部直政→南部直房~広信の系図
朽木衆綱(もろつな)/定規(さだのり)【1696-1733】
実は朽木定朝の子。
子の夫 中御門宣時→中御門宣顕~宣猷の系図
子の夫 六角知通→六角基維~博通の系図
朽木朝綱(ともつな)【1717-1764】
妻 大久保教端の娘
妻の父 大久保教端→大久保教端の系図
子 友重〔養父:田村友亮〕
朽木道綱(みちつな)【1749-?】
妻 朽木孝
朽木玄綱(→朽木稙治~綱貞の系図)の娘。
朽木綱泰(つなひろ)【1769-?】
妻 本堂親房の娘
妻の父 本堂親房→本堂親房の系図
子 大綱
子の妻 丹羽直
丹羽氏福(→丹羽氏福~氏中の系図)の娘。
朽木元綱~綱利の系図
朽木元綱(もとつな)【1637-1693】
祖父 元綱→朽木義綱~元綱の系図
父 宣綱→朽木宣綱・良綱~金綱の系図
妻 坂井成令の娘
妻の父 坂井成令→坂井成令の系図
子の夫 高城清胤→高城清胤の系図
朽木尚綱(なおつな)【1667-1755】
実は朽木良綱(→朽木宣綱・良綱~金綱の系図)の子。
子 尹綱〔養父:朽木定盛〕→朽木宣綱・良綱~金綱の系図
子の夫 一尾安通→一尾安通の系図
朽木基綱(もとつな)【1688-1768】
子の夫 一尾通春→一尾通春の系図
朽木広綱(ひろつな)【1719-1773】
実は京極高方(→京極高成~高朝の系図)の子。
子 直綱〔養父:朽木徳綱〕→朽木友綱~賢綱の系図
子の夫 松平勝武→松平勝武の系図
子の夫 矢部定中→矢部定中の系図
子の夫 水原保興→水原保興の系図
朽木徳綱(のりつな)【1748-?】
妻 水野忠寄の娘
妻の父 水野忠寄→水野勝隆~忠一・勝宥~勝興の系図
妻 千本昌隆の娘
実は千本嘉隆(→千本嘉隆の系図)の娘。
妻の父 千本昌隆→千本昌隆の系図
朽木綱利(つなとし)【1771-?】
妻 飯田易信の娘
妻の父 飯田易信→飯田易信の系図
妻 丸毛利隆の娘
妻の父 丸毛利隆→丸毛利隆の系図
妻 松野照尹の娘
妻の父 松野照尹→松野照尹の系図
朽木友綱~賢綱の系図
朽木友綱(ともつな)【1599-1662】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 晴綱・父 元綱→朽木義綱~元綱の系図
妻 加藤則勝の娘
妻の父 加藤則勝→加藤則勝の系図
子の夫 加々爪信澄→加々爪信澄の系図
子の夫 由良貞房→由良貞房の系図
朽木正綱(まさつな)/正利(まさとし)【1629-1681】
妻 石川政信の娘
妻の父 石川政信→石川政次・政信の系図
朽木長綱(ながつな)【1676-1749】
妻 九鬼隆常の娘
妻の父 九鬼隆常→九鬼隆季~隆寛の系図
朽木明綱(あきつな)【1697-1761】
妻 秋山正輔の娘
妻の父 秋山正輔→秋山正輔の系図
朽木徳綱(よしつな)【1716-1768】
実は稲葉恒通(→稲葉恒通の系図)の子。
朽木直綱(なおつな)【1750-1769】
実は朽木広綱(→朽木元綱~綱利の系図)の子。
妻 朽木徳綱の娘
実は九鬼隆寛(→九鬼隆季~隆寛の系図)の娘。
朽木栄綱(よしつな)【1751-?】
実は朽木綱貞(→朽木稙治~綱貞の系図)の子。
妻 一柳寛直の娘
妻の父 一柳寛直→一柳寛直の系図
子の夫 織田信由→織田信由の系図
子の夫 朽木綱方→朽木倫綱~為綱の系図
朽木賢綱(やすつな)【1774-?】
妻 水野吉
水野忠実(→水野重上~忠実の系図)の娘。
朽木稙綱の系図
朽木稙綱(たねつな)【1605-1660】
下野国鹿沼藩主・常陸国土浦藩主。
祖父 晴綱・父 元綱→朽木義綱~元綱の系図
妻 稲葉正成の娘
妻の父 稲葉正成→稲葉正成の系図
妻 安藤重長の娘
実は志水忠宗の娘。
妻の父 安藤重長→安藤重信・重長・重元~重武の系図
子 稙昌・孫 稙元→朽木稙昌~稙綱の系図
子 則綱・孫 直綱→朽木則綱~綱弘の系図
子の夫 三浦安次→三浦正次・安次の系図
子の夫 内藤政親→内藤政晴~政苗の系図
子の夫 木下俊長→木下俊長の系図
朽木則綱~綱弘の系図
朽木則綱(のりつな)/稙武(たねたけ)【1651-1726】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 元綱→朽木義綱~元綱の系図
父 稙綱→朽木稙綱の系図
祖父 安藤重長→安藤重信・重長・重元~重武の系図
妻 柳生宗冬の娘
妻の父 柳生宗冬→柳生永珍~宗在の系図
子の夫 秋田季品→秋田季品の系図
子の夫 仙石久治→仙石久治の系図
子の夫 長谷川正武→長谷川正武の系図
朽木直綱(なおつな)【1694-1745】
妻 板倉重同の娘
妻の父 板倉重同→板倉重形~勝清の系図
朽木紀綱(のりつな)/弘綱(ひろつな)【1721-1772】
妻 一柳末昆の娘
妻の父 一柳末昆→一柳末昆の系図
夫 山口弘長→山口弘長の系図
子の夫 松平信交→松平信重~信寅の系図
子の夫 大久保教純→大久保教純の系図
子の夫 本堂親房→本堂親房の系図
子の夫 松平忠孝→松平忠成~忠寧の系図
子の夫 阿部正朗→阿部正房~正良・正員~政永の系図
子の夫 松平庸孝→松平信庸・信岑・庸倫・庸孝の系図
子の夫 岡本介寿→岡本介寿の系図
子の夫 松野助紐→松野助紐の系図
子の夫 竹中元道→竹中元道の系図
朽木長綱(ながつな)【1750-?】
妻 松平康真の娘
妻の父 松平康真→松平忠充~康豊の系図
夫 酒井忠和→酒井忠能~忠善の系図
朽木綱弘(つなひろ)【1786-?】
朽木稙昌~稙綱の系図
朽木稙昌(たねまさ)/季綱(すえつな)【1643-1714】
土浦藩主・丹波国福知山藩主。
祖父 元綱→朽木義綱~元綱の系図
父 稙綱→朽木稙綱の系図
祖父 安藤重長→安藤重信・重長・重元~重武の系図
妻 岡部宣勝の娘
妻の父 岡部宣勝→岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図
子 稙治〔養父:朽木稙綱〕→朽木稙治~綱貞の系図
子 久子→石川乗政・松平乗紀の系図
孫 松平乗賢→松平乗賢~乗命の系図
孫 松平致乗→松平致乗~乗集の系図
子 土屋秀直〔養父:土屋朝直〕→土屋之直~業直の系図
子 昌充・迪綱〔養父:朽木稙治〕→朽木稙治~綱貞の系図
子の夫 大田原純清→大田原政清~清信の系図
子の夫 松平義尭→松平義尭の系図
子の夫 近藤政徳→近藤政徳の系図
子の夫 池田政森→池田政森~徳潤の系図
子の夫 水谷勝時→水谷勝時の系図
子の夫 藤堂良端→藤堂嘉長~良真の系図
朽木稙元(たねもと)【1664-1721】
福知山藩主。
妻 秋元喬知の娘
妻の父 秋元喬知→秋元喬知の系図
子 常・梅(『華族系譜』による。)
朽木稙綱(たねつな)【1710-1726】
福知山藩主。病弱で元服後間もなく亡くなった。
子 稙治・孫 玄綱→朽木稙治~綱貞の系図
朽木稙治~綱貞の系図
朽木稙治(たねはる)【1665-1741】
福知山藩主。実は朽木稙昌(→朽木稙昌~稙綱の系図)の子。
祖父 稙元・父 稙綱→朽木稙昌~稙綱の系図
子 昌充(まさみつ)【?-1717】
実は朽木稙昌(→朽木稙昌~稙綱の系図)の子。
子 迪綱(みちつな)【?-1723】
実は朽木稙昌(→朽木稙昌~稙綱の系図)の子。
孫 綱貞〔養父:朽木玄綱〕
孫 迪綱の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
朽木玄綱(とおつな)【1709-1770】
福知山藩主。実は松平乗紀(→石川乗政・松平乗紀の系図)の子。藩財政の再建に努めた。
妻 内藤清枚の娘
妻の父 内藤清枚→内藤清枚~頼直の系図
妻 浅田氏
子 松平乗保〔養父:松平乗蘊〕→松平乗賢~乗命の系図
子 鋪綱〔養父:朽木綱貞〕→朽木鋪綱・昌綱の系図
子 松平乗純〔養父:松平乗俊〕→松平致乗~乗集の系図
子 牧野成音〔養父:牧野成如〕→牧野成音の系図
子 民→内藤政晴~政苗の系図・間部詮央の系図
子 八重→柴田勝満の系図
子 千枝→松平忠成~忠寧の系図
子 孝→朽木智綱~綱泰の系図
子 倉→内藤清枚~頼直の系図
子 五百・路・琴・利(『華族系譜』による。)
朽木綱貞(つなさだ)【1713-1788】
福知山藩主。実は朽木迪綱の子。
子 鋪綱・孫 昌綱→朽木鋪綱・昌綱の系図
子 昌綱〔養父:朽木鋪綱〕→朽木鋪綱・昌綱の系図
子 栄綱〔養父:朽木直綱〕→朽木友綱~賢綱の系図
子 綱貞の息子(『朽木家譜(丹波福知山)』による。)
朽木鋪綱・昌綱の系図
朽木鋪綱(のぶつな)【1730-1787】
福知山藩主。実は朽木玄綱(→朽木稙治~綱貞の系図)の子。
祖父 玄綱・父 綱貞→朽木稙治~綱貞の系図
子 倫綱〔養父:朽木昌綱〕→朽木倫綱~為綱の系図
子 文
柴田勝房に嫁ぐ予定であった。
子 左衛→大久保教長の系図
朽木昌綱(まさつな)【1750-1802】
福知山藩主。実は朽木綱貞(→朽木稙治~綱貞の系図)の子。前野良沢に蘭学を学んだほか、古銭や茶道などにも通じた。
妻 松平幾百(きお)【1756-1809】
松平宗衍(→松平宣維~定安の系図)の娘。
子 唯之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 本多アクリ
本多助盈(→本多助盈~助寵の系図)の娘。
妻 伊東長詮の娘
妻の父 伊東長詮→伊東長詮の系図
子 倫綱・孫 綱方→朽木倫綱~為綱の系図
子 綱方〔養父:朽木倫綱〕→朽木倫綱~為綱の系図
子 米倉昌寿〔養父:米倉昌俊〕→米倉昌晴~昌言の系図
子 鍬
蒔田定切に嫁ぐ予定であった。
子 福寿太郎・子 亀・昌綱の娘(『華族系譜』による。)
朽木倫綱~為綱の系図
朽木倫綱(ともつな)【1767-1802】
福知山藩主。実は朽木鋪綱(→朽木鋪綱・昌綱の系図)の子。
祖父 鋪綱・父 昌綱→朽木鋪綱・昌綱の系図
妻 松平直紹の娘
妻の父 松平直紹→松平堅房~直静の系図
夫 分部光弘→分部光弘の系図
子 綱条〔養父:朽木綱方〕
子 澄→板倉勝喜~勝弘の系図
子 豊→木下俊敦の系図
子 照子→松平乗賢~乗命の系図
子 綱徳・子 清・梅(『華族系譜』による。)
朽木綱方(つなかた)【1786-1838】(以下、『華族系譜』による。)
福知山藩主。実は朽木昌綱(→朽木鋪綱・昌綱の系図)の子。藩校惇明館を創設した。
妻 本庄資承の娘
妻の父 本庄資承→本庄資承の系図
妻 朽木栄綱の娘
妻の父 朽木栄綱→朽木友綱~賢綱の系図
子 綱紀・子 健〔養父:朽木綱条〕
朽木綱条(つなえだ)【1801-1836】
福知山藩主。実は朽木倫綱の子。
妻 松平定信の娘
実は真田幸貫(→真田幸貫の系図)の娘。
妻の父 松平定信→松平定信の系図
妻 松平輝延の娘
妻の父 松平輝延→松平輝和~輝声の系図
子 綱紀【?-1825】
実は朽木綱方の子。
子 鉄→牧野康哉の系図
子 〓
〓は「坎」+「金」。
子 枕→諏訪忠誠の系図
子 鈊〔養父:朽木綱張〕
朽木綱張(つなはる)【1816-1867】
福知山藩主。実は本多康禎(→本多康完~康穣の系図)の子。
妻 朽木健
実は朽木綱方の娘。
子 〓之助
〓は「金」+「蹇」。
子 紘綱
実は米倉昌寿(→米倉昌晴~昌言の系図)の子。
子の妻 朽木鈊
実は朽木綱条の娘。
子の妻の夫 建部政和→建部政周~政世の系図
子 高〔養父:朽木為綱〕
朽木為綱(もりつな)【1845-1883】
福知山藩主。
妻 米倉昌寿の娘
妻の父 米倉昌寿→米倉昌晴~昌言の系図
妻 青山忠良の娘
妻の父 青山忠良→青山忠良・忠敏の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。