林氏(清和源氏・義光流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、林氏(清和源氏・義光流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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林氏(上総国請西藩主)の略系図

林氏の略系図

1 光政林光政~忠政・忠定~土屋存久の系図
6-A 重信林重信~直英・重澄~政善の系図

7 吉忠林吉忠~忠勝の系図
12 忠久林忠久・忠篤の系図
14 忠英林忠英~忠崇の系図

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林光政~忠政・忠定~土屋存久の系図

林光政~忠政・忠定~土屋存久の系図

  林光政【?-1455】

祖父 持長 清宗小笠原持長~貞朝の系図
祖父 武田信昌武田信重~信昌の系図


  林光政/信政/長政【?-1488】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)


  林忠長/政村/政縁【?-1499】
 朝輝(以下、『華族系譜』による。)
 光親(『華族系譜』による。)
子の夫 光衡(『華族系譜』による。)


  林忠満(ただみつ)/政通(まさみち)/縁正(よりまさ)【?-1541】


  林忠時(ただとき)/政忠(まさただ)/清忠(きよただ)【?-1570】
 定昌(以下、『華族系譜』による。)


  林忠政(ただまさ)【1564-1622】
 吉忠 忠勝林吉忠~忠勝の系図
子の夫 重信 重直林重信~直英・重澄~政善の系図


  林忠定(たださだ)【1568-1628】
 上林政重の娘
妻の父 上林政重→上林政重の系図


  林定清(さだきよ)


  土屋定頼(さだより)
 山中常義の娘
妻の父 山中常義→山中常義の系図


  土屋盛定(もりさだ)【1670-1719】


  土屋泰重(やすしげ)【1670-1722】
 実は細井安勝(→細井安勝の系図)の子。


  土屋存義(ありよし)【1694-1758】
 実は長谷川安茂(→長谷川安茂の系図)の子。
 金田正賢〔養父:金田正美〕→金田正賢の系図
子の夫 中山宏充→中山宏充の系図
子の夫 戸田忠捷戸田重真・重康~捷重の系図


  土屋定考(さだたか)【1721-1778】


  土屋存久(ありひさ)【1761-?】
 織田信温の娘
妻の父 織田信温→織田信温の系図

林重信~直英・重澄~政善の系図

林重信~直英・重澄~政善の系図

  林重信(しげのぶ)【1605-1638】

祖父 忠時 忠政林光政~忠政・忠定~土屋存久の系図

 林忠政の娘
 実は林吉忠(→林吉忠~忠勝の系図)の娘。
妻の父 林忠政林光政~忠政・忠定~土屋存久の系図


  林重直(しげなお)/重将(しげまさ)【1624-1671】
 実は成瀬重治(→成瀬重治の系図)の子。
 角南重勝の娘
妻の父 角南重勝→角南重勝の系図
 角南重世〔養父:角南重国〕→角南重世の系図


  林直秀(なおひで)/重昌(しげまさ)【1655-1731】
 荒尾久次の娘
妻の父 荒尾久次→荒尾久次の系図
 直久(なおひさ)【1691-1715】
 直久の娘〔養父:林直秀〕

 堀田一輝の娘
妻の父 堀田一輝→堀田一輝の系図
 加藤泰茂→加藤泰茂の系図

子の夫 角南国通→角南国通の系図
子の夫 角南国寛→角南国寛の系図


  林直孝(なおたか)【1700-1742】
 実は伊丹雅次(→伊丹雅次の系図)の子。
 林直秀の娘
 実は林直久の娘。


  林直白(なおあき)【1721-1755】
 実は堀田一竜(→堀田一竜の系図)の子。
 角南国寛の娘
 実は荒尾敏樹(→荒尾敏樹の系図)の娘。
妻の父 角南国寛→角南国寛の系図


  林直英(なおてる)・直令(なおよし)【1746-?】
 鈴木直賢の娘
妻の父 鈴木直賢→鈴木直賢の系図

 根岸鎮衛の娘
妻の父 根岸鎮衛→根岸鎮衛の系図
 曽我祐弼→曽我祐弼の系図


  林重澄(しげずみ)/直澄(なおずみ)【1654-1721】


  林就友(なりとも)【1689-1758】
 実は辻勘左衛門の子。
 戸田直栄の娘
妻の父 戸田直栄戸田玄蕃・直頼・直寛~政儀の系図


  林包広(かねひろ)【1725-1775】
 実は神谷忠恒(→神谷忠恒の系図)の子。
 林就友の娘
 実は戸田格誠(→戸田玄蕃・直頼・直寛~政儀の系図)の娘。
 宮村利屋〔養父:角南重国〕→宮村利屋の系図

 戸田友隆〔養父:戸田格誠〕→戸田玄蕃・直頼・直寛~政儀の系図
 包広の娘〔養父:戸田格誠〕→戸田玄蕃・直頼・直寛~政儀の系図


  林算秀(かずひで)【1746-?】
 入江兼尚の娘
妻の父 入江兼尚→入江兼尚の系図


  林政善(まさよし)【1772-?】
 上田政喜の娘
妻の父 上田政喜→上田政喜の系図

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林吉忠~忠勝の系図

林吉忠~忠勝の系図

  林吉忠(よしただ)/吉正(よしまさ)【1587-1615】
 実は上林政重(→上林政重の系図)の子。

祖父 忠時 忠政林光政~忠政・忠定~土屋存久の系図

 河村重信の娘
妻の父 河村重信→河村重信の系図

子の夫 林重信林重信~直英・重澄~政善の系図


  林忠勝(ただかつ)【1615-1638】
 天野重房の娘
妻の父 天野重房→天野重房の系図


  林忠隆(ただたか)/忠重(ただしげ)【1631-1696】
 高城重胤の娘
妻の父 高城重胤→高城重胤の系図
 忠晟(ただあきら)【1656-1682】

子の夫 溝口重時→溝口重時の系図


  林忠和(ただかず)/忠朗(ただあきら)【1658-1705】〔養父:横田能之(→横田能之の系図)〕
 佐野政信の娘
妻の父 佐野政信→佐野政信の系図

 亀井経矩の娘
妻の父 亀井経矩亀井経矩~茲求の系図

 中御門宣顕の娘
妻の父 中御門宣顕中御門宣顕~宣猷の系図

 横田庸松→横田庸松の系図


  林忠勝(ただかつ)【1673-1732】
 実は溝口重時(→溝口重時の系図)の子。
 忠久 忠篤林忠久・忠篤の系図
 忠勝の娘【?-1723】

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林忠久・忠篤の系図

林忠久・忠篤の系図

  林忠久(ただひさ)【1711-1763】

祖父 忠和 忠勝林吉忠~忠勝の系図

 秋山正億の娘
妻の父 秋山正億→秋山正億の系図

 内藤正芳の娘
妻の父 内藤正芳内藤正貞~正博の系図

 細井勝辰〔養父:細井勝尚〕→細井勝辰の系図
 川田貞興〔養父:川田貞陳〕→川田貞興の系図
 内藤正元〔養父:内藤正武〕→内藤正俊~正香・正治~正億の系図
 石黒易明〔養父:石黒嵩易〕→石黒易明の系図
 松前端広~忠広・広長・恭広の系図
 由幾類武(『華族系譜』による。)
子の夫 小林正陽→小林正陽の系図


  林忠篤(ただあつ)【1738-1796】
 興津忠通の娘
妻の父 興津忠通→興津忠通の系図

 水野友
 実は植村恒朝(→植村忠朝~泰通・忠元~千吉の系図)の娘。
妻の父 水野勝前水野勝前~勝寛の系図
 忠英 忠旭林忠英~忠崇の系図
 奥山良恭〔養父:奥山良意〕→奥山良恭の系図

子の夫 深尾元篤→深尾元篤の系図
子の夫 高木守富→高木守富の系図

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林忠英~忠崇の系図

林忠英~忠崇の系図

  林忠英(ただふさ)【1765-1845】(以下、『華族系譜』による。)
 上総国貝淵藩主。徳川家斉の側衆から若年寄となり、加増を受けて立藩した。

祖父 忠久 忠篤林忠久・忠篤の系図

 神保茂清の娘
妻の父 神保茂清→神保茂清の系図
 忠起(ただおき)【1785-?】

 忠交〔養父:林忠旭〕
子の夫 五島運竜→五島運竜の系図
子の夫 土岐頼旨土岐頼郷~頼門の系図


  林忠旭(ただあきら)【1805-1867】
 貝淵藩主・上総国請西藩主。陣屋を貝淵から請西に移した。
 忠崇〔養父:林忠交〕
 忠旭の娘〔養父:柴田勝明〕
 忠旭の娘〔養父:曽我梅峯〕


  林忠交(ただかた)【1845-1867】
 請西藩主。実は林忠英の子。
 錧次郎〔養父:小笠原貞正(→小笠原貞温~貞正の系図)〕


  林忠崇(ただたか)【1848-1941】
 請西藩主。実は林忠旭の子。戊辰戦争で新政府軍に抵抗し、除封された。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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