三条家(藤原氏北家・公季流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、三条家(藤原氏北家・公季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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三条家(清華家)の略系図

三条家の略系図

1 実行三条実行の系図
2 公教三条公教の系図
3 実房三条実房の系図
4 公房三条公房の系図
5 実親三条実親・公親の系図
7 実重三条実重~公忠の系図
11 実冬三条実冬~公敦の系図
15 実香三条実香~公広の系図
19 実秀三条実秀~公充の系図
23 実顕三条実顕~実美の系図

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三条実行の系図

三条実行の系図

  三条実行(さねゆき)【1080-1162】〔養子:藤原公頼(→藤原仲実の系図)、藤原実綱(→三条公教の系図)、藤原行光(→藤原隆佐の系図)〕
 太政大臣。八条太政大臣と号した。

祖父 実季藤原実季の系図
 公実藤原公実の系図
祖父 藤原基貞藤原基貞の系図

 藤原顕季の娘
妻の父 藤原顕季藤原顕季の系図
 公教三条公教の系図
 滋野井実国滋野井実国~実宣の系図
 実房三条実房の系図

 公行/公輔【1105-1148】
 参議。
子の妻 源顕親の娘
子の妻の父 源顕親源雅俊の系図
 実長(さねなが)【1128-1182】〔養子:藤原行雅(→花山院忠雅・兼雅の系図)〕
 権大納言。
孫の妻 藤原雅教の娘
孫の妻の父 藤原雅教藤原雅教・雅長の系図
曾孫 公俊
曾孫の妻 藤原雅長の娘
曾孫の妻の父 藤原雅長藤原雅教・雅長の系図
曾孫の妻の夫 藤原長兼藤原長方の系図

曾孫 公房【1143-?】
 実は藤原雅教(→藤原雅教・雅長の系図)の子。

孫の妻 藤原家成の娘
孫の妻の父 藤原家成藤原家成の系図

子の妻 花山院忠宗の娘
子の妻の父 花山院忠宗花山院忠宗の系図
 行雅〔養父:花山院忠雅〕→花山院忠雅・兼雅の系図
 養父は藤原実長とも。

子の妻 藤原信輔の娘
子の妻の父 藤原信輔藤原信輔の系図

 顕成〔養父:六条顕輔〕→六条顕輔の系図

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三条公教の系図

三条公教の系図

  三条公教(きんのり)【1103-1160】〔養父:徳大寺実能(→徳大寺実能の系図)、養子:藤原成兼(→藤原公実の系図)、藤原隆教(→藤原基貞の系図)〕
 内大臣。保元の荘園整理を指揮した。

祖父 公実藤原公実の系図
 実行三条実行の系図
祖父 藤原顕季藤原顕季の系図

 林覚の娘
 実綱(さねつな)/実経【1128-1180】〔養父:三条実行(→三条実行の系図)〕
 権中納言。
子の妻 二条院三河内侍藤原説定・憲頼の系図

子の妻 藤原通基の娘
子の妻の父 藤原通基藤原基頼・通基の系図

孫の夫 源雅行孫の夫 源親行源定房の系図

 藤原憲方の娘
妻の父 藤原憲方藤原憲方の系図
 滋野井実国 公時滋野井実国~実宣の系図
 八条公清八条公清~一条公邦の系図
 阿野公佐阿野公佐~公廉の系図

 藤原清隆の娘
妻の父 藤原清隆藤原清隆の系図
 実房三条実房の系図
 公房三条公房の系図
 姉小路公宣姉小路公宣~実広の系図
 正親町三条公氏正親町三条公氏・実蔭の系図

 琮子後白河天皇~六条天皇の系図

 藤原国隆の娘
妻の父 藤原国隆藤原為房の系図

子の夫 松殿基房松殿基房の系図
 隆忠松殿隆忠・師家の系図

子の夫 藤原俊憲藤原俊憲の系図

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三条実房の系図

三条実房の系図

  三条実房(さねふさ)【1147-1225】
 左大臣。源頼朝から議奏公卿に指名された。日記は『愚昧記』。

祖父 実行三条実行の系図
 公教三条公教の系図
祖父 藤原清隆藤原清隆の系図

 大炊御門経宗の娘
妻の父 大炊御門経宗大炊御門経宗の系図
 公房三条公房の系図
 実親三条実親・公親の系図

 姉小路公宣 実尚姉小路公宣~実広の系図
 正親町三条公氏 実蔭正親町三条公氏・実蔭の系図
 公俊【1194-?】〔養父:大炊御門頼実(→大炊御門頼実の系図)〕
 従二位。
子の妻 藤原親能の娘
子の妻の父 藤原親能藤原親能・定季の系図
子の妻の夫 坊門忠信坊門忠信の系図
 公為【1226-?】〔養父:三条実親(→三条実親・公親の系図)、西園寺実氏(→西園寺実氏の系図)〕
 従三位。

孫の夫 平高輔平親輔の系図
孫の夫 名越時基名越朝時の系図
孫の夫 中院通教中院通成~通冬の系図

 藤原季兼の娘
妻の父 藤原季兼藤原敦兼の系図
 公兼/公基
 実兼〔養父:三条公房(→三条公房の系図)〕

 源為義の娘
妻の父 源為義源為義の系図
 公円(こうえん)【1168-1235】
 天台座主。

 覚教(かくきょう)【1167-1242】
 東寺長者。
子の夫 徳大寺公継徳大寺実定・公継の系図

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三条公房の系図

三条公房の系図

  三条公房(きんふさ)【1179-1249】〔養子:藤原実兼(→三条実房の系図)、範海(→藤原脩範の系図)〕
 太政大臣。公房流を転法輪三条家といい、弟公氏に始まる正親町三条家と区別した。

祖父 公教三条公教の系図
 実房三条実房の系図
祖父 大炊御門経宗大炊御門経宗の系図

 中山忠親の娘
妻の父 中山忠親中山忠親・兼宗の系図
 実親 公親三条実親・公親の系図
 実平【1197-?】
 正三位。
 公誉〔養父:三条実親(→三条実親・公親の系図)〕
 公喜/尊順
 大納言典侍亀山天皇の系図

 藤原修子
 藤原範能(→藤原脩範の系図)の娘。
 有子守貞親王~四条天皇の系図

 奝助三条実親・公親の系図
 父は三条実親とも。
 御匣殿後嵯峨天皇の系図
子の夫 九条忠家九条教実~師教の系図

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三条実親・公親の系図

三条実親・公親の系図

  三条実親(さねちか)【1195-1263】〔養子:公誉(→三条公房の系図)、藤原公為(→三条実房の系図)〕
 右大臣。

祖父 実房三条実房の系図
 公房三条公房の系図
祖父 中山忠親中山忠親・兼宗の系図

 西園寺公経の娘
妻の父 西園寺公経西園寺公経の系図
 公泰【1231-1305】
 権中納言。
子の妻 近衛実忠の娘
子の妻の父 近衛実忠近衛公明の系図
 実盛【?-1304】
 参議。
曾孫の夫 花山院師信花山院師継~師資の系図

子の妻 橘知茂の娘
子の妻の父 橘知茂→橘知茂の系図
 実永【?-1312】
 参議。
孫の妻 法性寺雅平の娘
孫の妻の父 法性寺雅平法性寺雅平の系図

曾孫 公雅
 実は三条公泰の子。

子の妻 藤原教雅の娘
子の妻の父 藤原教雅飛鳥井雅経~雅孝の系図

 公雅/公夏【1264-1340】〔養父:藤原実永〕
 権中納言。
曾孫 実古/実雅【?-1365】
 参議。
曾孫 実村/実清

 権大納言局後二条天皇の系図

 源時賢の娘
妻の父 源時賢源時賢・有資の系図

 奝助(ちょうじょ)【1217-1290】
 東寺長者。父は三条公房(→三条公房の系図)とも。


  三条公親(きんちか)【1222-1292】
 内大臣。
 洞院実雄の娘
妻の父 洞院実雄洞院実雄の系図
 実重 公茂三条実重~公忠の系図

 深円
 父は三条実重(→三条実重~公忠の系図)とも。
 玄助
 実は鷹司兼基(→藤原道経・鷹司兼基の系図)の子。
 道救/実済〔養父:二条師忠(→二条良実・師忠の系図)〕
 房子後嵯峨天皇の系図
 喜子徳大寺実基~実孝の系図
 御匣殿後二条天皇の系図
子の夫 亀山天皇亀山天皇の系図
子の夫 源彦仁→源彦仁の系図

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三条実重~公忠の系図

三条実重~公忠の系図

  三条実重(さねしげ)【1259-1329】〔養子:公雲(→近衛基平の系図)、尊什(→清水谷公定の系図)、藤原重親(→藤原脩範の系図)〕
 太政大臣。三条入道相国と号した。

祖父 実親 公親三条実親・公親の系図
祖父 洞院実雄洞院実雄の系図

 中院通成の娘
妻の父 中院通成中院通成~通冬の系図

 洞院公守の娘
妻の父 洞院公守洞院公守の系図

 実忠〔養父:三条公茂〕


  三条公茂(きんしげ)【1284-1324】〔養子:顕助(→金沢実泰の系図)〕
 内大臣。押小路内府と号した。
 教奝
 父は三条実忠とも。


  三条実忠(さねただ)【1304-1347】
 内大臣。実は三条実重の子。後三条内府と号した。
 川原公直の娘
妻の父 川原公直川原実重・近衛実光の系図

子の夫 今出川実尹今出川兼季~公彦の系図
子の夫 九条経教九条房実~満教の系図


  三条公忠(きんただ)【1324-1383】
 内大臣。後押小路内府と号した。日記は『後愚昧記』。
 大宮季衡の娘
妻の父 大宮季衡西園寺公衡~公宗の系図
 実冬 公量三条実冬~公敦の系図

 厳子後円融天皇~称光天皇の系図
 実禅〔養父:徳大寺実時(→徳大寺公清~実盛の系図)〕(『系図纂要』による。)

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三条実冬~公敦の系図

三条実冬~公敦の系図

  三条実冬(さねふゆ)【1354-1411】
 太政大臣。後三条入道相国と号した。

祖父 実忠 公忠三条実重~公忠の系図
祖父 大宮季衡西園寺公衡~公宗の系図

 公宣【?-1410】
 権大納言。
 実敒(『系図纂要』による。)

 公承(こうしょう)【1406-1485】
 天台座主。


  三条公量/公光/公冬(きんふゆ)【1391-1459】
 右大臣。後白川入道右府と号した。
 水無瀬具景の娘
妻の父 水無瀬具景水無瀬具景~兼成の系図
 水無瀬季兼〔養父:水無瀬重親〕→水無瀬具景~兼成の系図

子の夫 細川教春→細川教春の系図


  三条実尚/実教/実量(さねかず)【1415-1483】
 左大臣。赤松氏の遺臣に旧南朝方にある神璽の奪還を勧め、実現させた。後三条入道左府と号した。実尚には他にも十数人の子供がいた。
 正親町三条実雅の娘〔養父:正親町三条実雅(→正親町三条実雅~実望の系図)〕
 大炊御門信量〔養父:大炊御門信宗〕→大炊御門宗実~頼国の系図
 冬子(ふゆこ)【1441-1489】
 後花園天皇・後土御門天皇に仕えた。

 公顕〔養父:正親町三条実雅(→正親町三条実雅~実望の系図)〕
 宗一/覚遍
子の夫 水無瀬季兼水無瀬具景~兼成の系図


  三条公敦(きんあつ)【1439-1507】〔養父:正親町三条実雅(→正親町三条実雅~実望の系図)〕
 右大臣。洞院公数の代で洞院家が一度断絶した際に、それまで洞院家に伝わっていた『尊卑分脈』を感得したという。
 徳大寺公有の娘
妻の父 徳大寺公有徳大寺公有~公胤の系図

 実香 公頼三条実香~公広の系図

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三条実香~公広の系図

三条実香~公広の系図

  三条実香(さねか)【1469-1558】
 太政大臣。

祖父 実尚 公敦三条実冬~公敦の系図

子の夫 貞敦親王→貞敦親王の系図


  三条公頼(きんより)【1498-1551】
 左大臣。周防国に下向し、大内義隆を頼るが、陶晴賢の乱に巻き込まれた。
 勧修寺尚顕の娘
妻の父 勧修寺尚顕勧修寺政顕~尹豊の系図

 花園実教花園実教~実延の系図
子の夫 細川勝元(『系図纂要』による。)→細川勝元の系図
子の夫 武田晴信(『系図纂要』による。)→武田晴信・勝頼・海野信親~武田崇信の系図
子の夫 光佐(『系図纂要』による。)→光佐の系図


  三条実綱(さねつな)/公宣【1562-1581】(以下、『系図纂要』による。)
 権中納言。実は三条西実世(→三条西実世~実条の系図)の子。右大臣を贈られた。
 勧修寺晴秀の娘
妻の父 勧修寺晴秀勧修寺晴秀・晴豊の系図


  三条公広(きんひろ)/公盛(きんもり)【1577-1626】
 権大納言。実は三条西公国(→三条西実世~実条の系図)の子。内大臣を贈られた。
 正親町三条公仲の娘
妻の父 正親町三条公仲正親町三条公兄~公仲の系図
 実秀 公富三条実秀~公充の系図

 公広の息子 公広の娘(『三条家系譜』による。)

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三条実秀~公充の系図

三条実秀~公充の系図

  三条実秀(さねひで)【1598-1671】
 左大臣。

祖父 実綱 公広三条実香~公広の系図
祖父 正親町三条公仲正親町三条公兄~公仲の系図

 日野資勝の娘
妻の父 日野資勝日野輝資~光慶の系図

 松平近正の娘
妻の父 松平近正松平親清~一生の系図

 空英(『三条家系譜』による。)
子の夫 内藤義概内藤忠興~義稠の系図


  三条公富(きんとみ)【1620-1677】
 右大臣。
 宗義成の娘
妻の父 宗義成宗義智・義成の系図
子の夫 永井直時永井直清~直英の系図

子の夫 山内豊昌→山内豊昌の系図
子の夫 松平定澄松平定澄~定謐の系図


  三条実治(さねはる)/季房/実通【1650-1724】〔養子:押小路実岑(→押小路公音~実潔の系図)〕
 左大臣。
 今出川公規の娘
妻の父 今出川公規今出川晴季~公規の系図
子の夫 大炊御門経音(『三条家系譜』による。)→大炊御門経敦~経音の系図
子の夫 井伊直通→井伊直通の系図

 公兼(きんかね)【1679-?】
 従三位。
子の妻 広幡豊忠の娘
子の妻の父 広幡豊忠広幡忠幸・豊忠の系図
 実顕〔養父:三条公充〕→三条実顕~実美の系図

 河鰭輝季〔養父:河鰭実詮〕→河鰭実陳~公述の系図

子の夫 八条隆英(『八条家譜』による。)→八条隆英~隆声の系図


  三条公充(きんみつ)【1691-1726】
 権大納言。
 井伊直該の娘
妻の父 井伊直該→井伊直該の系図
子の夫 実顕 季晴三条実顕~実美の系図

 公充の娘【?-1714】(『三条家系譜』による。)

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三条実顕~実美の系図

三条実顕~実美の系図

  三条実顕(さねあき)/利季【1708-1772】〔養子:三条西公里(→三条西実称~公允の系図)、杲観(→園基衡~基祥の系図)〕
 右大臣。実は三条公兼(→三条実秀~公充の系図)の子。

祖父 実治 公充三条実秀~公充の系図
祖父 井伊直該→井伊直該の系図

 三条公充の娘【?-1756】
妻の父 三条公充三条実秀~公充の系図
子の夫 三条西実称三条西実称~公允の系図
子の夫 藪保季藪保季~実方の系図

 河鰭実祐〔養父:河鰭季満〕→河鰭実陳~公述の系図
 三条西廷季三条西実称~公允の系図
 猶君中山愛親~忠愛の系図
 貞君【?-1730】(『三条家系譜』による。)
 高君【?-1736】(『三条家系譜』による。)
 実顕の娘【?-1761】(『三条家系譜』による。)
 実顕の娘【?-1748】(『三条家系譜』による。)
 有雅寛澄実顕の息子 実顕の娘(『三条家系譜』による。)


  三条季晴(すえはる)【1733-1781】〔養子:成実(→正親町公明~公董の系図)、杲助(→今出川公言~実順の系図)〕
 右大臣。
 井伊直定の娘
妻の父 井伊直定→井伊直定の系図
 季晴の息子【?-1753】(『三条家系譜』による。)

 武者小路実純〔養父:武者小路公陰〕→武者小路公種~公香の系図
 季晴の息子【?-1765】(『三条家系譜』による。)
 依君大炊御門経秀~師前の系図
子の夫 大炊御門家孝大炊御門経秀~師前の系図


  三条実起(さねおき)【1756-1823】〔養子:二条胤麿(→二条治孝~斉敬の系図)〕
 右大臣。
 井伊美代
 実は蜂須賀宗鎮(→蜂須賀宗員~宗鎮の系図)の娘。
妻の父 井伊直幸→井伊直幸の系図

 押小路実茂〔養父:押小路実富〕→押小路公音~実潔の系図
 良助
 実は一条輝良(→一条輝良の系図)の子。
 有真(『三条家系譜』による。)
 実は二条治孝(→二条治孝~斉敬の系図)の子。
 秀葽【?-1810】(『三条家系譜』による。)
 実は二条治孝(→二条治孝~斉敬の系図)の子。
 空晁(『三条家系譜』による。)
 祐麿 純姫(『三条家系譜』による。)→二条治孝~斉敬の系図
 実は二条治孝の子。
 実起の息子【?-1774】(『三条家系譜』による。)
 万寿君三条西実称~公允の系図
子の夫 滋野井公敬滋野井冬康~公寿の系図


  三条公修(きんおさ)【1774-1840】〔養子:三条西季知(→三条西実称~公允の系図)〕
 内大臣。
 一条輝子
 一条輝良(→一条輝良の系図)の娘。
 実師【1798-1802】
 礼君【?-1807】(『三条家系譜』による。)
 公修の息子【?-1802】(『三条家系譜』による。)
 泰君姉小路公文~公知の系図
 公修の娘(『三条家系譜』による。)
 実は一条輝良(→一条輝良の系図)の娘。有信の妻になった。

 四辻公積〔養父:四辻公説〕→四辻公韶~公賀の系図
 駿君【1807-1808】(『三条家系譜』による。)
 公修の息子【?-1817】(『三条家系譜』による。)


  三条実万(さねつむ)【1802-1859】
 内大臣。条約勅許問題や将軍継嗣問題では関白九条尚忠と対立した。安政の大獄で出家した。のちに右大臣、正一位を贈られた。
 山内紀子
 山内豊策(→山内豊策の系図)の娘。
 公煕【1825-1826】
 公睦【1828-1854】
 権中納言。
 河鰭実文〔養父:河鰭公述(→河鰭実陳~公述の系図)〕
 種君【?-1827】(『三条家系譜』による。)
 正君→山内豊信の系図
 数君(『三条家系譜』による。)

 岡君【?-1832】(『三条家系譜』による。)
 峯子→細川慶順の系図


  三条実美(さねとみ)【1837-1891】
 右大臣。幕末は尊攘派の公家として活躍し、維新後は議定、太政大臣、内大臣などを務め、一時は首相を兼任した。

 鷹司治子
 鷹司輔煕(→鷹司政通~輔政の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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