このページでは、有馬氏(藤原氏北家・長良流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
有馬氏(越前国丸岡藩主)の略系図
1 経澄→有馬経澄~尚鑑の系図
11 晴純→有馬晴純~晴信の系図
15 直純→有馬直純の系図
16 康純→有馬康純の系図
16-A 純息・純珍→有馬純息~純長・純珍~純昌の系図
16-B 純富→有馬純富~純久の系図
17 清純→有馬清純~孝純の系図
20 允純→有馬允純~道純の系図
有馬経澄~尚鑑の系図
有馬経澄(つねすみ)
肥前国高来郡を領し、有馬に城を築いたとされる。
祖父 遠澄・父 幸澄→藤原遠経の系図
有馬朝澄(ともすみ)
子 連澄〔養父:有馬家澄〕
有馬家澄(いえすみ)
子 澄世
父は有馬貞澄とも。
有馬連澄(つらすみ)
実は有馬朝澄の子。
有馬貞澄(さだすみ)/直澄(なおすみ)
有馬澄世(すみよ)
父は有馬家澄とも。
子 俊澄(『有馬家譜(越前丸岡)』による。)
有馬満澄(みつすみ)
有馬氏澄(うじすみ)
妻 島津久豊の娘
妻の父 島津久豊→島津久豊の系図
有馬貴純(ただすみ)/貴澄(たかすみ)
子の夫 大村純伊→大村忠澄~純前の系図
曾孫 長崎純景
曾孫の妻 大村純忠の娘【?-1622】
曾孫の妻の父 大村純忠→大村純忠の系図
有馬尚鑑(なおみ・ひさみ)/純鑑(すみみ)
子 晴純・孫 義貞→有馬晴純~晴信の系図
子の夫 大村純前→大村忠澄~純前の系図
有馬晴純~晴信の系図
有馬晴純(はるずみ)/賢純(かたすみ)【1483-1566】
日野江城主。キリシタンを弾圧した。
祖父 貴純・父 尚鑑→有馬経澄~尚鑑の系図
妻 大村純伊の娘
妻の父 大村純伊→大村忠澄~純前の系図
子 大村純忠〔養父:大村純前〕→大村純忠~純信の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 直員(なおかず)【?-1570】
母は『寛政重修諸家譜』による。千々石氏の養子になった。
子 松浦盛〔養父:松浦定〕→松浦親~信貞の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 諸経(もろつね)【?-1607】
母は『寛政重修諸家譜』による。
有馬義貞(よしさだ)/晴直/義直(よしなお)【1521-1576】
日野江城主。母は『寛政重修諸家譜』による。竜造寺氏としばしば戦った。晩年にはキリシタンの洗礼を受けた。
妻 安富得円の娘
子 晴信〔養父:有馬義純〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 波多盛の娘
子 鎮【?-1598】〔養父:波多盛〕
母は『有馬家譜(越前丸岡)』による。
子 純忠(すみただ)/直政
子の夫 竜造寺政家→竜造寺政家の系図
有馬義純(よしすみ)【1550-1571】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 大村喜前→大村純忠~純信の系図
有馬晴信(はるのぶ)/鎮純(しげすみ)/鎮貴(しげたか)/久貴(ひさたか)/久賢(ひさかた)/正純(まさすみ)【1567-1612】
肥前国日之江藩主。実は有馬義貞の子。バリニァーノから洗礼を受けたキリシタン大名として、千々石ミゲルをローマに派遣した。後に岡本大八事件で死を賜った。
妻 山田純規の娘【?-1597】
子 直純→有馬直純の系図
孫 康純→有馬康純の系図
子 晴信の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
西郷純経に嫁いだ。
妻 今出川晴季の娘
妻の父 今出川晴季→今出川晴季~公規の系図
子 冨蘭・於松(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 荒木氏
子 純貞(すみさだ)【1595-1681】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 国子→今出川晴季~公規の系図
子の夫 酒井摂津守(『寛政重修諸家譜』による。)
有馬直純の系図
有馬直純(なおずみ)【1586-1641】
日之江藩主・日向国県藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。キリシタンの洗礼を受けたが棄教した。島原の乱に出兵し功を挙げた。
祖父 義純・父 晴信→有馬晴純~晴信の系図
妻 徳川国姫
実は本多忠政(→本多忠政の系図)の娘。
妻の父 徳川家康→徳川家康の系図
子 康純→有馬康純の系図
孫 清純→有馬清純~孝純の系図
孫 純息・純珍→有馬純息~純長・純珍~純昌の系図
孫 純富→有馬純富~純久の系図
子 本多純政(すみまさ)/元純(もとすみ)【?-1655】
子 吉子→黒田長政~光之・高政~長寛の系図
子 長子→秋元富朝の系図
子の夫 本多政勝→本多政朝~忠孝の系図
妻 皆吉続能の娘
子 与志子【?-1696】(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 酒井忠季→酒井広親~重忠の系図
有馬康純の系図
有馬康純(やすずみ)【1613-1692】
県(延岡)藩主。
祖父 晴信→有馬晴純~晴信の系図
父 直純→有馬直純の系図
祖父 徳川家康→徳川家康の系図
妻 水野忠清の娘
妻の父 水野忠清→水野忠清・忠職の系図
妻 阿部忠秋の娘【?-1645】
実は阿部政澄(→阿部正俊~正次の系図)の娘。
妻の父 阿部忠秋→阿部忠吉~正能の系図
子 清純・孫 一準→有馬清純~孝純の系図
妻 草野純則の娘
子 亀子→大村純長~純富の系図
妻 馬場氏
子 康純の娘【?-1651】(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 松木氏
子 本多純親(すみちか)【1649-1684】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
孫 文韶(ぶんしょう)【?-1726】
孫 有馬純度〔養父:有馬純息〕→有馬純息~純長・純珍~純昌の系図
孫 栢子【?-1708】
子 平岡頼恒〔養父:平岡頼重〕→平岡頼恒の系図
子 純息・孫 純度→有馬純息~純長・純珍~純昌の系図
子 寛存(かんそん)【1660-1674】〔養父:大炊御門経敦(→大炊御門経敦~経音の系図)〕(『寛政重修諸家譜』による。)
子 慈秀(じしゅう)【1663-1682】〔養父:日野茂郷〕(『寛政重修諸家譜』による。)
子 安子→分部嘉高の系図・諏訪頼蔭の系図
子 与曽子→戸川安宣の系図
子 国子【?-1658】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 康純の娘【?-1669】(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 樫沢氏
子 純英(すみひで)【1679-1717】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 康純の娘【?-1668】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 康純の娘【?-1670】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 康純の娘【1675-1708】
母は『寛政重修諸家譜』による。秀如に嫁いだ。
子 康純の娘【1682-1703】
母は『寛政重修諸家譜』による。真田正房に嫁いだ。
子の夫 阿部正員→阿部正房~正良・正員~正永の系図
妻 伊東次右衛門の娘
子 純富・孫 純意→有馬純富~純久の系図
子 由之助【?-1668】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 純珍・孫 純之→有馬純息~純長・純珍~純昌の系図
子 万千代(『寛政重修諸家譜』による。)
子 純就(すみなり)【?-1686】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 梅子→沼間清氏の系図
子 康純の娘【?-1669】(『有馬家譜(越前丸岡)』による。)
有馬純息~純長・純珍~純昌の系図
有馬純息(すみやす)【1657-1729】
有馬純度(すみのり)【1682-1731】
実は本多純親(→有馬康純の系図)の子。
子の夫 上原元喜→上原元喜の系図
子の夫 真田信積→真田信積の系図
有馬純経(すみつね)【1715-1745】
有馬純佐(すみすけ)【1730-1764】
実は有馬純之の子。
妻 酒井可賡の娘
妻の父 酒井可賡→酒井可賡の系図
有馬純長(すみなが)【1763-?】
妻 武田信復の娘
妻の父 武田信復→武田信良~信敏・信成~信邦の系図
子 純長の娘
実は松平親貞(→松平親貞の系図)の娘。
有馬純珍(すみよし)【1669-1738】
子 純珍の娘
実は牧野英成(→牧野英成の系図)の娘。
有馬純之(すみゆき)【1695-1756】
実は有馬純富(→有馬純富~純久の系図)の子。
子 純佐〔養父:有馬純経〕
子の夫 武田信復→武田信良~信敏・信成~信邦の系図
子の夫 望月弘武→望月弘武の系図
子の夫 戸田忠久→戸田清勝~忠純の系図
有馬純明(すみあきら)【1726-1769】
妻 大沢信富の娘
妻の父 大沢信富→大沢信富の系図
子の夫 松平忠義→松平忠義の系図
有馬純昌(すみまさ)【1747-?】
妻 青山幸亮の娘
妻の父 青山幸亮→青山幸正~幸宣の系図
有馬純富~純久の系図
有馬純富(すみとみ)【1666-1726】
妻 向井正興の娘
妻の父 向井正興→向井正興の系図
子 純之〔養父:有馬純珍〕→有馬純息~純長・純珍~純昌の系図
子 芦野資演〔養父:芦野資泰〕→蘆野資演の系図
子の夫 松平武郷→松平武郷の系図
子の夫 松田勝説→松田勝説の系図
有馬純意(すみもと)【1699-1781】
子 大沢信容〔養父:大沢信亮〕→大沢信容の系図
有馬純務(すみあつ)【1733-1771】
妻 土屋亮直の娘
妻の父 土屋亮直→土屋逵直~知直の系図
妻 山口直救の娘
妻の父 山口直救→山口直救の系図
子 布施文彬〔養父:布施良知〕→布施文彬の系図
子 三宅与則〔養父:三宅政甫〕→三宅与則の系図
子の夫 上野資徳→上野資徳の系図
有馬純久(すみひさ)【1758-?】
妻 牧野成久の娘
妻の父 牧野成久→牧野成久の系図
夫 戸田勝英→戸田正吉~勝英の系図
妻 榊原長良の娘
妻の父 榊原長良→榊原長良の系図
夫 宮原義利→宮原義利の系図
有馬清純~孝純の系図
有馬清純(きよずみ)/永純(ながすみ)【1644-1702】
延岡藩主・越後国糸魚川藩主・越前国丸岡藩主。
祖父 直純→有馬直純の系図
父 康純→有馬康純の系図
祖父 阿部忠秋→阿部忠吉~正能の系図
妻 岡部国子【?-1675】
岡部行隆(→岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図)の娘。
子 清純の娘【?-1670】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 清純の娘【?-1666】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 阿久理子【?-1681】(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 脇坂正子【?-1692】
脇坂安政(→脇坂安政の系図)の娘。
妻 皆吉純忠の娘
子の夫 永井直亮→永井直円~直国の系図
有馬一準(かずのり)/真純(さねすみ)/純寿(すみひさ)/寿純(ひさすみ)【1697-1757】
丸岡藩主。
妻 毛利吉広の娘
実は毛利匡広(→毛利元知~師就の系図)の娘。
妻の父 毛利吉広→毛利秀就~吉広の系図
子 毛利重広〔養父:毛利重就〕→毛利吉元~重就の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 本多忠由〔養父:本多忠央〕→本多忠利~忠慎の系図
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 松平近輝→松平近明~直巳の系図
子の夫 安部信允→安部信允の系図
妻 高山氏
子 一準の娘【1716-1742】(『寛政重修諸家譜』による。)
草野義雄に嫁いだ。
妻 山本氏
子の夫 間部詮方→間部詮方・詮央の系図
子 一準の娘【1717-1740】(『寛政重修諸家譜』による。)
有馬孝純(たかずみ)/純長(すみなが)【1715-1757】
丸岡藩主。
妻 稲葉加祢子【?-1747】
土井利武に嫁ぐ予定であった。
妻の父 稲葉正知→稲葉正往~正恒の系図
子 蔵人【1746】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 允純・孫 誉純→有馬允純~道純の系図
子 孝純の娘【1742-1751】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 孝純の娘【1744-1745】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 田中氏
子 純養(すみなり)【1739-1797】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子の妻 安田氏
孫 栄十郎【?-1780】
孫 純嘏
実は有馬純如の子。
孫 純養の娘【?-1773】
孫 純養の娘【?-1778】(『有馬家譜(越前丸岡)』による。)
子の妻 幾子
孫の夫 酒井忠藎→酒井忠言~忠経の系図
子 純弁(すみたけ)【1741-1763】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 純如(すみゆき)【1743-1797】(『寛政重修諸家譜』による。)
子の妻 高辻幸【?-1783】
高辻家長(→高辻総長~修長の系図)の娘。
孫 純嘏〔養父:有馬純養〕
妻 上村氏
子 本多忠可〔養父:本多忠尭〕→本多忠可~忠明の系図
子 純峯(すみみね)【1743-1764】
子 宇蔵【1745-1749】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 喜次郎【1747】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 純許(すみもと)【1751-1794】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 弘純【1753-1802】(『寛政重修諸家譜』による。)
子 梶子→近藤政明の系図
子 純貴(すみたか)【1756-1785】(『寛政重修諸家譜』による。)
有馬允純~道純の系図
有馬允純(まさずみ)【1747-1772】
丸岡藩主。
祖父 一準・父 孝純→有馬清純~孝純の系図
祖父 稲葉正知→稲葉正往~正恒の系図
妻 松平止美子【?-1812】
松平定温(→松平定陳~定温の系図)の娘。
妻 村田氏
子 政五郎【1771-1779】(『寛政重修諸家譜』による。)
有馬誉純(しげずみ)【1769-1836】(以下、『有馬家譜(越前丸岡)』による。)
丸岡藩主。藩政改革に当たり、藩校平章館を創設した。
妻 稲葉鶴子【1772-1819】
稲葉正弘(→稲葉正親~正弘の系図)の娘。
子 誉純の娘【1806-1809】
妻 糸桜氏
子 誉純の息子【1789】
妻 江間氏
子 誉純の娘【1804-1806】
妻 阪岡氏
子 誉純の娘【1813-1840】
久貝正典に嫁いだ。
子 誉純の娘【1814-?】
小笠原長儀に嫁いだ。
子 誉純の娘【1815-?】
浅野長和に嫁いだ。
子 鋭子【1819-?】
妻 草柳氏
子 鏗子→本多長教~副元の系図
子 一純【1789-?】
実は島津重豪(→島津重豪の系図)の子。
子の妻 有馬国子【1800-1816】
孫 一純の娘【1809-1812】
孫 章子【1813】
子 純佑/純皦/光天/光田【1810-1876】〔養父:戸田光明〕
孫 温純〔養父:有馬徳純〕
孫 純全【1831-?】〔養父:皆吉純寛、有馬純孝〕
孫 純佑の娘【1828】
孫 純佑の娘【1832-?】
宮崎泰道に嫁いだ。
孫 純佑の娘【1833】
子 繰子【1828-1846】
有馬徳純(のりずみ)【1804-1837】
丸岡藩主。実は榊原政敦(→榊原政敦の系図)の子。
妻 有馬稵子【1811-1863】
子 鉄之助【1831】
子 徳純の娘【1829-1833】
妻 井川氏
子 徳純の娘【?-1826】
妻 柴田氏
子 三浦朗次〔養父:三浦義次〕→三浦誠次~顕次の系図
子 包子【1833-1834】
有馬温純(はるずみ)【1829-1855】
丸岡藩主。実は有馬純佑の子。領内に台場を築いた。
妻 松平善子【1832-1848】
実は松平定芝(→松平定剛~定法の系図)の娘。
妻の父 松平勝道→松平定剛~定法の系図
妻 榊原富子【1830-1852】
榊原政養(→榊原政養の系図)の娘。
子 久仁子→榊原政敬の系図
子 淑子【1852-1858】
有馬道純に嫁ぐ予定であった。
妻 戸田作子【?-1866】
戸田氏正(→戸田氏正~氏共の系図)の娘。
有馬道純(みちずみ)/忠蕃【1837-1903】
老中・丸岡藩主。実は本多忠鄰(→本多忠可~忠明の系図)の子。
妻 戸田富子【?-1862】
戸田忠温(→戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図)の娘。
妻 戸田果子
戸田忠温(→戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。