このページでは、久松松平家(菅原氏)・康俊流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
久松松平家・康俊流(下総国多古藩主)の略系図
1 康俊→松平康俊~勝易の系図
3-A 勝光→松平勝光~勝秀の系図
3-B 勝忠・勝秀→松平勝忠~勝方・勝秀・勝久の系図
5 勝以→松平勝以~勝慈の系図
松平康俊~勝易の系図
松平康俊(やすとし)/勝俊(かつとし)【1555-1586】
徳川家康の異父兄弟として松平姓を許された。
祖父 定義→久松道定~定義の系図
父 俊勝→久松俊勝・定員の系図
祖父 水野忠政→水野忠政の系図
松平勝政(かつまさ)【1573-1635】
実は水野忠分(→水野忠分の系図)の子。
妻 松平六【1584-1647】
子の夫 宮城豊嗣→宮城豊嗣の系図
松平勝義(かつよし)【1602-1670】
妻 安藤重能の娘【?-1633】
妻の父 安藤重能→安藤重能・直政の系図
子 勝就(かつなり)/勝則(かつのり)【1622-1669】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 稲葉紀通の娘【?-1682】
子の妻の父 稲葉紀通→稲葉重通~紀通の系図
孫 市太郎【?-1670】
孫 千代〔養父:松平勝義〕
子 土屋知義〔養父:土屋知貞〕→土屋知義の系図
母は『久松家譜(下総多古)』による。
子 幾知→神尾元清の系図
子 波留→岡部忠豊の系図
妻 村上氏
子 勝光・孫 勝興→松平勝光~勝秀の系図
子 木村清真〔養父:木村清治〕→木村清真の系図
『寛政重修諸家譜』によれば、母は久松氏。
子 亀→本多重良~繁文の系図
子 福→篠山資門の系図
子 志知【?-1677】
妻 野村氏
子 勝秀・孫 勝久→松平勝忠~勝方・勝秀・勝久の系図
子 勝以〔養父:松平勝易〕→松平勝以~勝慈の系図
母は『久松家譜(下総多古)』による。
子 勝直(かつなお)【?-1693】
子 勝忠・孫 勝央→松平勝忠~勝方・勝秀・勝久の系図
子 千代→川口平宗の系図
松平勝易(かつやす)/勝忠(かつただ)【1623-1680】
妻 川勝広尚の娘【1636-1715】
妻の父 川勝広尚→川勝広尚の系図
子 勝以・孫 勝房→松平勝以~勝慈の系図
松平勝光~勝秀の系図
松平勝光(かつみつ)【1640-1717】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
母は『久松家譜(下総多古)』による。
祖父 勝政・父 勝義→松平康俊~勝易の系図
妻 水野勝安の娘
妻の父 水野勝安→水野吉勝~勝之・吉政~勝行の系図
子 飯河俊信〔養父:飯河方信〕→飯河俊信の系図
松平勝興(かつおき)【1662-1715】
子の夫 井戸弘隆→井戸弘隆の系図
子の夫 松下長賢→松下長賢の系図
松平勝寿(かつなが)【1687-1719】
子の夫 五味豊太→五味豊太の系図
松平勝忠(かつただ)【1709-1772】
実は井戸弘隆(→井戸弘隆の系図)の子。
子 井戸弘武〔養父:井戸弘民〕→井戸弘武の系図
子 勝信(かつのぶ)
実は井戸良弘(→井戸良弘の系図)の子。
松平勝久(かつひさ)【1749-1777】
実は菅沼定好(→菅沼定好の系図)の子。
子の夫 三田好文→三田好文の系図
子の夫 中川忠常→中川忠常の系図
松平勝秀(かつひで)【1770-?】
松平勝忠~勝方・勝秀・勝久の系図
松平勝忠(かつただ)/勝郷(かつさと)【1647-1715】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 勝政・父 勝義→松平康俊~勝易の系図
松平勝央(かつなが)【1670-1739】
実は小野忠於(→小野忠於の系図)の子。
妻 松平勝忠の娘
実は川口平宗(→川口平宗の系図)の娘。
松平勝友(かつもと)【1707-1762】
子 長野孝祖〔養父:長野正好〕→長野孝祖の系図
子 島田氏馬〔養父:島田利広〕→島田氏馬の系図
子の夫 守能長栄→守能長栄の系図
子の夫 梶忠知→梶忠知の系図
子の夫 佐橋佳通→佐橋佳通の系図
松平勝方(かつみち)【1732-?】
妻 川口尹張の娘
妻の父 川口尹張→川口尹張の系図
夫 山本正房→山本正房の系図
妻 長塩正親の娘
妻の父 長塩正親→長塩正親の系図
妻 朝比奈泰有の娘
妻の父 朝比奈泰有→朝比奈泰有の系図
子 勝美(かつみ)
実は細井勝房(→細井勝房の系図)の子。
子の妻 松平勝方の娘
実は荒尾成徳(→荒尾成徳の系図)の娘。
子の夫 人見在恭→人見在恭の系図
松平勝秀(かつひで)【1652-1690】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
母は『久松家譜(下総多古)』による。
妻 松平重治の娘
実は松平勝広(→松平勝広の系図)の娘。
妻の父 松平重治→松平重治の系図
子の夫 水野吉藤→水野重央・重良・良全~長啓の系図
松平勝久(かつひさ)【1680-1726】
子 勝尹〔養父:松平勝房〕→松平勝以~勝慈の系図
子の夫 松田定方→松田定方の系図
松平勝以~勝慈の系図
松平勝以(かつゆき)【1661-1728】
下総国多古藩主。実は松平勝義(→松平康俊~勝易の系図)の子。加増により大名となった。
祖父 勝義・父 勝易→松平康俊~勝易の系図
妻 池田政武の娘
実は池田政直(→池田輝澄の系図)の娘。
妻の父 池田政武→池田政武の系図
妻 西洞院時成の娘
実は池尻勝房(→池尻共孝~共条の系図)の娘。
妻の父 西洞院時成→西洞院時直~時光の系図
子の夫 神保茂清→神保茂清の系図
子の夫 水野吉藤→水野重央・重良・良全~長啓の系図
松平勝房(かつふさ)【1702-1746】
多古藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 水野忠定の娘
妻の父 水野忠定→水野忠増~忠定の系図
松平勝尹(かつただ)/勝延(かつのぶ)【1713-1768】
多古藩主。実は松平勝久(→松平勝忠~勝方・勝秀・勝久の系図)の子。『久松家譜(下総多古)』では、他に喜意という名の娘を掲げるが、脇坂安崇に嫁いだ娘を載せない。
妻 松平忠刻の娘
実は松平勘敬(→松平重良~勘満の系図)の娘。
妻の父 松平忠刻→松平忠刻~忠恕の系図
子 久松尹方(ただかた)【1752-?】(以下、『久松家譜(下総多古)』による。)
子 亀吉【1754】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 房→本多忠永~忠貫の系図
子 順【1756-1758】
母は『久松家譜(下総多古)』による。
子 捨→安藤次由~次猷の系図
子 飯河信門〔養父:飯河包信〕→飯河信門の系図
子の夫 脇坂安崇→脇坂安崇の系図
松平勝全(かつたけ)【1750-1796】
多古藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平信直の娘
妻の父 松平信直→松平信直~信彰の系図
子 勝従(かつのぶ)【1776-1779】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 村上正方〔養父:村上正親〕→村上正方の系図
子 全好(たけよし)(以下、『華族系譜』による。)
孫 全賢〔養父:永田喜六右衛門〕
孫 全正〔養父:久松熊蔵〕
孫 喜久〔養父:松平勝升〕
孫 銚【1816-1817】
松平勝升(かつゆき)【1778-1818】(以下、『久松家譜(下総多古)』による。)
多古藩主。
妻 植村家長の娘
妻の父 植村家長→植村家道~家壺の系図
子 喜久/歌鶴【1814-1816】
実は松平全好の娘。
子 寿美〔養父:松平全好〕(『華族系譜』による。)
松平勝権(かつのり)【1807-1868】
多古藩主。実は井伊直中(→井伊直中~直憲の系図)の子。
妻 松平寿美〔養父:松平全好〕
実は松平勝升の娘。
松平勝行(かつゆき)【1832-1869】
多古藩主。
妻 本多忠考の娘
妻の父 本多忠考→本多忠典~忠直の系図
子 勝定【1860-?】
子 菊丸【1862-1863】
子 勝栄【1866-?】
子 謹【1858-?】
松平勝慈(かつなり)【1855-1904】
多古藩主。母は『久松家譜(下総多古)』による。後に多古町長を務めた。
妻 松平頼縄の娘
妻の父 松平頼縄→松平頼永~頼策の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。