このページでは、松江松平家(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
松江松平家(出雲国松江藩主)の略系図
1 直政→松平直政~吉透の系図
5 宣維→松平宣維~定安の系図
松平直政~吉透の系図
松平直政(なおまさ)【1601-1666】
上総国姉崎藩主・越前国大野藩主・信濃国松本藩主・出雲国松江藩主。松江松平家の祖。
祖父 家康→徳川家康の系図
父 秀康→結城秀康・松平忠直の系図
妻 松平忠良の娘
妻の父 松平忠良→松平忠良・康尚の系図
子 近栄・孫 近時→松平近栄~近朝の系図
子 駒→松平直基~基知の系図
子 直政の娘【1630-1632】
妻 長谷川氏
子 隆政・孫 直丘→松平隆政~直道の系図
妻 篠塚氏
子 直丘〔養父:松平隆政〕→松平隆政~直道の系図
子 直政の娘【1662-1663】
子 直政の娘【?-1664】
子の夫 佐竹義処→佐竹義処の系図
松平綱隆(つなたか)【1631-1675】
松江藩主。弟の近栄・隆政に所領を分与した。
妻 松平万
松平忠昌(→松平忠昌の系図)の娘。
子 大学【1651】
子 弁丸【1653-1664】
子 小次郎【1655】
子 津与子→有馬忠頼~頼旨の系図
子 吉透〔養父:松平綱近〕
子の夫 松平近時→松平近栄~近朝の系図
松平綱近(つなちか)/綱周(つなちか)【1659-1709】
松江藩主。
妻 松平康尚の娘
妻の父 松平康尚→松平忠良・康尚の系図
子 綱近の息子【1680】
子 綱近の娘【1682-1683】
子 綱近の娘【1688-1690】
子 綱近の息子【1684】
子 綱近の娘【?-1700】
毛利吉広に嫁ぐ予定であった。
松平吉透(よしとお)/近憲(ちかのり)【1668-1705】
出雲国松江新田藩主・松江藩主。実は松平綱隆の子。
妻 松平昌勝の娘
妻の父 松平昌勝→松平忠昌の系図
子 宣維・孫 宗衍→松平宣維~定安の系図
子 円次郎【1699-1702】
子 吉透の息子【1697】
子 吉透の娘【1703-1708】
子 簾之助【1700】
子 熊八【1702-1703】
子 長次郎【1705-1712】
子 吉透の娘【1704-1705】
松平宣維~定安の系図
松平宣維(のぶすみ)/直郷/宣澄【1698-1731】
松江藩主。
祖父 綱近・父 吉透→松平直政~吉透の系図
祖父 松平昌勝→松平忠昌の系図
妻 光子女王【1699-1738】
邦永親王(→邦永親王の系図)の王女。
妻 佐竹義処の娘
妻の父 佐竹義処→佐竹義処の系図
妻 槙島氏
子 長孝〔養父:松平長煕〕→松平長孝・康哉の系図
松平宗衍(むねのぶ)【1729-1782】
松江藩主。藩政改革を行うとともに、藩校文明館を創設した。
妻 松平常
松平明矩(→松平明矩~直温の系図)の娘。
子 千代松【1749】
子 衍親(のぶちか)【1753-1803】
子 蒔田定静〔養父:蒔田定安〕→蒔田定静の系図
子 元吉【1761-1762】
子 幾百→朽木鋪綱・昌綱の系図
子の夫 稲葉正諶→稲葉正諶~正邦の系図
松平治郷(はるさと)/治好(はるたか)【1751-1818】
松江藩主。茶人として活躍し、石州流不昧派を創始した。
妻 伊達宗村の娘
妻の父 伊達宗村→伊達宗村の系図
子 善功/郷広【1799-1868】〔養父:岡田善明〕
子 治郷の娘【1792-1800】
子 治郷の娘【1795-1796】
子 治郷の娘【1796-1803】
子の夫 堀田正愛→堀田正愛の系図
松平斉恒(なりつね)【1791-1822】
松江藩主。
妻 細川斉茲の娘
妻の父 細川斉茲→細川斉茲~護久の系図
妻 酒井忠道の娘
妻の父 酒井忠道→酒井忠以・忠道の系図
子 信進〔養父:松平信賢〕→松平信進の系図
子 斉恒の娘【1817-1820】
子 斉恒の娘【1819-1825】
松平斉貴(なりたけ)/直貴/斉斎【1815-1863】
松江藩主。遊興にふけるなどしたため、隠居させられた。
妻 鍋島斉直の娘
妻の父 鍋島斉直→鍋島斉直~直大の系図
子 直応(なおたか)【1855-?】〔養父:松平定安〕
子の妻 貴子女王
邦家親王(→邦家親王の系図)の王女。
子の妻の夫 松平忠敬→松平忠和~忠敬の系図
子 吉子→堀田正倫の系図
松平定安(さだやす)/徳広/直利【1835-1882】〔養子:松平直応〕
松江藩主。実は松平斉孝(→松平康乂~慶倫の系図)の子。
妻 松平斉貴の娘【1850-1872】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。