北条氏(桓武平氏・維将流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、北条氏(桓武平氏・維将流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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北条氏(鎌倉幕府執権・河内国狭山藩主)の略系図

北条家の略系図

1 時家北条時家~時政の系図
3-A1 時房北条時房の系図
3-A2 時盛北条時盛の系図

4 義時北条義時の系図
4-A 朝時名越朝時の系図
4-B 重時極楽寺重時の系図
4-C 政村有時北条政村・有時の系図
4-D 実泰金沢実泰の系図

5 泰時北条泰時~時頼の系図
8 時宗北条時宗~時行の系図
12 行氏北条行氏~氏綱の系図
16-A1 綱成北条綱成~氏重の系図
16-A2 繁広北条繁広・正房の系図
16-A3 氏平北条氏平~氏征の系図
16-A4 元氏北条元氏~氏富の系図

17 氏康北条氏康の系図
18 氏政北条氏政~氏盛の系図
20-A 氏利北条氏利~氏副の系図

21 氏信北条氏信~氏朝の系図
25 氏貞北条氏貞~氏恭の系図

鎌倉幕府執権の略系図

鎌倉幕府執権の略系図
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北条時家~時政の系図

北条時家~時政の系図

  北条時家
 父は聖範(→平維将~時直の系図)とも。

祖父 聖範 時直平維将~時直の系図


  北条時政(ときまさ)【1138-1215】
 鎌倉幕府初代執権(1203-1205)。将軍の外祖父として実権を握った。平賀朝雅を将軍にしようとしたが失敗し、出家して伊豆に退隠した。
 伊東入道の娘
 義時北条義時の系図
 泰時北条泰時~時頼の系図
 名越朝時名越朝時の系図
 極楽寺重時極楽寺重時の系図
 政村有時北条政村・有時の系図
 金沢実泰金沢実泰の系図

 牧の方(まきのかた)
 牧宗親の娘又は妹。平賀朝雅の将軍擁立に失敗し、時政とともに伊豆に退隠した。
 政範【1189-1204】(『系図纂要』による。)
子の夫 平賀朝雅→平賀朝雅の系図
子の夫 藤原国通藤原泰通の系図
子の夫 宇都宮頼綱→宇都宮頼綱の系図
子の夫 松殿師家松殿隆忠・師家の系図
子の夫 稲毛重成(『系図纂要』による。)→稲毛重成の系図
子の夫 坊門忠清(『系図纂要』による。)→坊門信清の系図

 宗時(『系図纂要』による。)
 時房北条時房の系図
 時盛北条時盛の系図

 時綱【1175-?】(『系図纂要』による。)
 政子源頼朝の系図
子の夫 滋野井実宣滋野井実国~実宣の系図
子の夫 足利義兼足利義康・義兼の系図
 義氏足利義氏の系図

子の夫 畠山義純→畠山義純の系図
子の夫 畠山重忠(『系図纂要』による。)→畠山重忠の系図
子の夫 全成→全成の系図
子の夫 河野通信(『系図纂要』による。)→河野通信の系図
子の夫 大岡時親(『寛政重修諸家譜』による。)

北条時房の系図

北条時房の系図

  北条時房(ときふさ)/時連【1175-1240】
 承久の乱では京都に攻め入り、乱後は六波羅探題となった。泰時が執権になると、連署として支えた。

祖父 時方 時政北条時家~時政の系図

 足立遠元の娘
妻の父 足立遠元→足立遠元の系図
 資時【1199-1251】
 時成(『系図纂要』による。)
孫の夫 畠山泰国→畠山泰国の系図

 大仏朝直(ともなお)【1206-1264】
 引付衆の頭人などを務めた。
子の妻 北条泰時の娘
子の妻の父 北条泰時北条泰時~時頼の系図

 朝房【?-1295】
 宣時(のぶとき)/時忠(ときただ)【1238-1323】
 連署として執権北条貞時を支えた。
曾孫 宗宣(むねのぶ)【1259-1312】
 鎌倉幕府第11代執権(1311-1312)。
曾孫の妻 極楽寺時茂の娘
曾孫の妻の父 極楽寺時茂極楽寺重時の系図
宗宣孫 維貞(これさだ)/貞宗【1286-1327】
 六波羅探題や連署を務めた。
宗宣孫 高宣【?-1328】
宗宣孫 家時【?-1333】
宗宣孫 高直(たかなお)【?-1334】(以下、『系図纂要』による。)

曾孫の妻 宇都宮経綱の娘
曾孫の妻の父 宇都宮経綱→宇都宮経綱の系図

宗宣孫 貞房(さだふさ)【1272-1309】
 父は大仏宣時とも。六波羅探題を務めた。

曾孫 宗泰(以下、『系図纂要』による。)
宗泰孫 貞直(さだなお)【?-1333】
 鎌倉攻めを受けた際、脇屋義助の陣に突入して亡くなった。

 時仲頼直(『系図纂要』による。)

曾孫 時親
 父は北条時盛(→北条時盛の系図)とも。
曾孫の子の夫 葉室定藤藤原光親の系図

 時盛北条時盛の系図
 時村(ときむら)【?-1225】
 藤原定家に和歌を学んだ。
 時定(ときさだ)【?-1278】(『系図纂要』による。)
 時広【1222-1275】(『系図纂要』による。)
 父は北条時村とも。
 時隆(『系図纂要』による。)
子の夫 一条頼氏一条高能の系図
子の夫 名越朝時(『系図纂要』による。)→名越朝時の系図
子の夫 安達義景(『系図纂要』による。)→安達義景の系図
子の夫 千葉時胤(『系図纂要』による。)→千葉時胤の系図
子の夫 三条実任(『系図纂要』による。)→正親町三条公氏・実蔭の系図
子の夫 長井時広(『系図纂要』による。)→長井時広の系図
子の夫 宇都宮泰綱(『系図纂要』による。)→宇都宮泰綱の系図

 時藤
 父は北条清時とも。
 政房【?-1265】(『系図纂要』による。)
 時通時連時遠(『系図纂要』による。)

北条時盛の系図

北条時盛の系図

  北条時盛(ときもり)【1197-1277】
 六波羅探題を務めた。

祖父 時政北条時家~時政の系図
 時房北条時房の系図

 朝盛【1206-1243】
 『系図纂要』では名は時景。
 信時【1242-1297】
 母は『系図纂要』による。

 政氏(まさうじ)
 『系図纂要』では名は時氏。
 盛房(もりふさ)【1242-1297】
 六波羅探題を務めた。
政氏孫 時有
 父は名越公貞(→名越朝時の系図)とも。

 時親(以下、『系図纂要』による。)
 時治(ときはる)【?-1333】(以下、『系図纂要』による。)
時治孫 明治【1476-1555】
時治孫 康資【1546-1617】
 徳大寺家に仕えた。
時治孫 康直【1609-1667】
 平氏から藤原氏に改めた。

 時員/時俊
 『系図纂要』では名は時貞。
 高基(以下、『系図纂要』による。)
 時国(ときくに)【?-1284】
 六波羅探題を務めた。後に常陸国伊佐郡に流されて誅された。
孫の妻 吉良満氏の娘
孫の妻の父 吉良満氏→吉良満氏の系図

曾孫 国時極楽寺重時の系図
 父は極楽寺義政、極楽寺時茂とも。

 政俊(『系図纂要』による。)
子の夫 赤橋長時極楽寺重時の系図
子の夫 藤原光氏藤原光親の系図

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北条義時の系図

北条義時の系図

  北条義時(よしとき)【1163-1224】
 鎌倉幕府2代執権(1205-1224)。源頼朝の信頼を受け、十三人の合議制の一人となった。有力御家人を排し、幕府内での地位を固めていった。

祖父 時方 時政北条時家~時政の系図

 阿波局
 泰時 時氏北条泰時~時頼の系図

 姫の前
 比企朝宗の娘。
 名越朝時名越朝時の系図
 極楽寺重時極楽寺重時の系図

 伊賀朝光の娘
妻の父 伊賀朝光→伊賀朝光の系図
 政村北条政村・有時の系図

 有時北条政村・有時の系図
 金沢実泰金沢実泰の系図
 時経尚村(『系図纂要』による。)
子の夫 大江親広→大江親広の系図
子の夫 土御門定通土御門定通・顕定の系図
子の夫 藤原実雅一条通重・能保の系図
子の夫 唐橋通時唐橋通資の系図
子の夫 一条実有一条実有~実連の系図
子の夫 一条能基(『系図纂要』による。)→一条高能の系図
子の夫 足利頼氏(『寛政重修諸家譜』による。)→足利頼氏~尊氏の系図
子の夫 実春中原季時(『系図纂要』による。)

名越朝時の系図

名越朝時の系図

  名越朝時(ともとき)【1194-1245】
 一時、義時に義絶されて蟄居していたが、和田義盛の乱の直前に召し出され、承久の乱でも活躍した。

祖父 時政北条時家~時政の系図
 義時北条義時の系図

 大友能直の娘
妻の父 大友能直→大友能直の系図
 光時(みつとき)
 北条時頼に排され、伊豆国江馬に流された。
 時親(『系図纂要』による。)

 時章(ときあき)【1215-1272】
 二月騒動で弟教時と間違えられて殺された。
子の妻 二階堂行方の娘
子の妻の父 二階堂行方→二階堂行方の系図

 公時(きんとき)【1267-1294】
曾孫 時家【?-1333】
時章孫 貞家(以下、『系図纂要』による。)
時章孫 高家【?-1333】

曾孫 公貞
 父は名越時章とも。
時章孫 時有北条時盛の系図
 父は北条宣房とも。
時章孫 有公【?-1333】(『系図纂要』による。)

 頼章【?-1258】(以下、『系図纂要』による。)
曾孫 貞持【?-1333】

 篤時【?-1333】
時章孫 朝宣(『系図纂要』による。)

 北条時房の娘
妻の父 北条時房北条時房の系図
 教時(のりとき)【1235-1272】
 宗尊親王に近侍し、引付衆・評定衆を務めたが、二月騒動で誅された。
曾孫 時治(『系図纂要』による。)

 公朝
 実は藤原実文(→姉小路公宣~実広の系図)の子。
 時通時兼(『系図纂要』による。)
 時長【?-1251】
 定長政雄(『系図纂要』による。)

 時幸(ときゆき)【?-1246】
 北条時頼の排除を企てたが、発覚したため自殺した。
 時基(ときもと)
 引付衆・評定衆を務めた。
子の妻 藤原公俊の娘
子の妻の父 藤原公俊三条実房の系図

 顕勝(『系図纂要』による。)

子の夫 宇都宮泰綱→宇都宮泰綱の系図
子の夫 足利泰氏足利泰氏の系図
子の夫 通俊(『系図纂要』による。)

極楽寺重時の系図

極楽寺重時の系図

  極楽寺重時(しげとき)【1198-1261】
 六波羅探題や連署を務め、幕府を支えた。歌人としても活躍した。

祖父 時政北条時家~時政の系図
 義時北条義時の系図

 平時親の娘
 赤橋長時(ながとき)【1230-1264】
 鎌倉幕府6代執権(1256-1264)。
子の妻 北条時盛の娘
子の妻の父 北条時盛北条時盛の系図

 義宗(よしむね)【1253-1277】
 六波羅探題を務めた。北条時宗の命で北条時輔を討った。
曾孫 久時(ひさとき)【1272-1307】
 六波羅探題を務めた。
曾孫の妻 北条宗頼の娘
曾孫の妻の父 北条宗頼北条泰時~時頼の系図
長時孫 守時(もりとき)【?-1333】
 鎌倉幕府16代執権(1326-1333)。
長時孫 重時(『系図纂要』による。)

長時孫 登子足利頼氏~尊氏の系図
登子の子 足利義詮足利義詮・義満の系図
登子の子 足利基氏足利基氏~持氏の系図

長時孫 英時(ひでとき)【?-1333】
 鎮西探題を務めた。
久時の子の夫 正親町公蔭正親町実明~実綱の系図
久時の子の夫 洞院公守洞院公守の系図

曾孫 高則(『系図纂要』による。)

 長弁(『系図纂要』による。)
孫の夫 業時(『系図纂要』による。)

 時茂(ときもち)【1241-1270】
 六波羅探題を務めた。
子の妻 北条政村の娘
子の妻の父 北条政村北条政村・有時の系図
 時範(ときのり)【1270-1307】
 六波羅探題を務めた。
曾孫 範貞(のりさだ)【?-1333】
 六波羅探題を務めた。幕府滅亡の際には、東勝寺で自刃した。

 時国(『系図纂要』による。)→北条時盛の系図
 父は北条時員、極楽寺義政とも。
孫の夫 足利家時足利頼氏~尊氏の系図
孫の夫 大仏宗宣北条時房の系図

 義政(よしまさ)【1242-1281】
 連署。歌人としても活躍した。
 国時
 父は北条時国(→北条時盛の系図)とも。

 業時(なりとき)【1241-1287】
 連署として北条時宗らを支えた。
子の妻 北条政村の娘
子の妻の父 北条政村北条政村・有時の系図
 時兼【1266-1296】
曾孫 基時(もととき)【?-1333】
 鎌倉幕府13代執権(1315-1316)。東勝寺で自刃した。
業時孫 仲時(なかとき)【1306-1333】
 六波羅探題を務めた。幕府滅亡時、関東を目指すも近江国番場で自刃した。
業時孫 友時(『系図纂要』による。)

子の妻 足利泰氏の娘
子の妻の父 足利泰氏足利泰氏の系図

 時義義宗(『系図纂要』による。)
子の夫 宇都宮経綱→宇都宮経綱の系図
子の夫 波多野義重(『系図纂要』による。)→波多野義重の系図
子の夫 北条時頼北条泰時~時頼の系図
 時宗北条時宗~時行の系図

 為時の娘(『系図纂要』による。)

北条政村・有時の系図

北条政村・有時の系図

  北条政村(まさむら)【1205-1273】
 鎌倉幕府7代執権(1264-1268)。時宗に執権を譲ってからは、連署として時宗を支えた。

祖父 時政北条時家~時政の系図
 義時北条義時の系図
祖父 伊賀朝光→伊賀朝光の系図

 三浦重澄の娘
妻の父 三浦重澄三浦義澄の系図
 時村(ときむら)【1242-1305】
 母は『系図纂要』による。六波羅探題や連署を務めた。北条宗方に討たれた。
子の妻 二階堂行義の娘
子の妻の父 二階堂行義→二階堂行義の系図

 為時【1265-1286】
曾孫 煕時(ひろとき)【1279-1315】
 鎌倉幕府12代執権(1312-1315)。反乱を起こした北条宗方を討った。
曾孫の妻 北条貞時の娘
曾孫の妻の父 北条貞時北条時宗~時行の系図
時村孫 茂時【?-1333】

 政長【1250-1301】
 時敦【1281-1320】
曾孫 時益(ときます)【?-1333】
 六波羅探題を務めた。幕府滅亡の際には、関東に向かおうとするも、京都東山で戦死した。

 宗房(『系図纂要』による。)
子の夫 安達顕盛→安達顕盛の系図
子の夫 極楽寺業時極楽寺時茂極楽寺重時の系図
子の夫 北条宗政北条泰時~時頼の系図
子の夫 金沢実時金沢実泰の系図


  北条有時(ありとき)【1200-1270】
 陸奥国伊具荘を所領とした。
 兼時(かねとき)【?-1263】(『系図纂要』による。)
 時基有助(『系図纂要』による。)
 兼義(以下、『系図纂要』による。)
子の夫 堀口家貞→堀口家貞の系図

 時高/斉時
 父は名越時基(→名越朝時の系図)とも。

金沢実泰の系図

金沢実泰の系図

  金沢実泰(さねやす)/実義【1208-1263】

祖父 時政北条時家~時政の系図
 義時北条義時の系図

 天野政景の娘
妻の父 天野政景→天野政景の系図
 実時(さねとき)【1224-1276】
 学問に関心を持ち、書物を集めて金沢文庫を創設した。
子の妻 北条政村の娘
子の妻の父 北条政村北条政村・有時の系図
 顕時(あきとき)/時方【1248-1301】
 霜月騒動に連座し、下総国埴生に流されて出家したが、後に召し返された。
孫の妻 千葉泰胤の娘
孫の妻の父 千葉泰胤→千葉泰胤の系図

孫の妻 安達泰盛の娘
孫の妻の父 安達泰盛→安達泰盛の系図

曾孫 貞顕(さだあき)【1278-1333】
 鎌倉幕府15代執権(1326)。
顕時孫 貞将(さだゆき・さだまさ)【?-1333】
 幕府滅亡の際には、千葉貞胤に敗れ、最後は鎌倉で討たれた。
顕時孫 忠時(『系図纂要』による。)

顕時孫 貞冬(さだふゆ)(『系図纂要』による。)
 後醍醐天皇の笠置脱出の際には、楠木正成を攻めた。
顕時孫 顕助【1294-1330】〔養父:三条公茂(→三条実重~公忠の系図)〕(『系図纂要』による。)
顕時孫 貞助(『系図纂要』による。)

曾孫 顕実【1273-1327】(以下、『系図纂要』による。)
顕時孫 時顕(ときあき)【?-1333】
 幕府滅亡の際には、東勝寺で自刃した。

 実村
 父は金沢実政(『系図纂要』)とも。
曾孫 時直(ときなお)【?-1333】
 幕府滅亡を知り、少弐貞経に降伏した。

 実政(さねまさ)【1249-1302】
 鎮西探題を務めた。
曾孫 政顕(まさあき)【1269-?】
 父の後をうけて鎮西探題を務めた。

 時家(『系図纂要』による。)
孫の夫 飛鳥井雅有飛鳥井雅経~雅孝の系図

子の夫 大江広時→大江広時の系図
子の夫 九条忠嗣(『系図纂要』による。)→九条教実~師教の系図

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北条泰時~時頼の系図

北条泰時~時頼の系図

  北条泰時(やすとき)/頼時【1183-1242】
 鎌倉幕府3代執権。連署や評定衆を新設し、『御成敗式目』を制定した。

祖父 時政北条時家~時政の系図
 義時北条義時の系図

 矢部禅尼
 三浦義村(→三浦義村の系図)の娘。
 佐原盛連→佐原盛連の系図

 時実(ときざね)【1211-1227】(『系図纂要』による。)
 公義(こうぎ)・ 冨士姫(『系図纂要』による。)
子の夫 足利義氏足利義氏の系図
 泰氏足利泰氏の系図

子の夫 三浦泰村(『系図纂要』による。)→三浦義村の系図
子の夫 大仏朝直(『寛政重修諸家譜』による。)→北条時房の系図
子の夫 実春実政(『寛政重修諸家譜』による。)


  北条時氏(ときうじ)【1203-1230】
 承久の乱では父とともに京都に攻め上った。その後、六波羅探題を務めるも、若くして亡くなった。
 松下禅尼(まつしたぜんに)
 安達景盛(→安達景盛の系図)の娘。自ら障子の切り貼りを行い、時頼に倹約を教えたという。
 経時(つねとき)【1224-1246】
 鎌倉幕府4代執権(1242-1246)。
 頼助【?-1297】
 隆時/隆政【?-1263】(『系図纂要』による。)

 時定(ときさだ)/為時【?-1290】
 宝治合戦で活躍したほか、肥前守護として蒙古襲来に備えた。
 時家(『系図纂要』による。)
 定宗【?-1295】
曾孫 随時【?-1321】
 父は北条時定とも。

孫の夫 斯波家氏→斯波家氏の系図
孫の夫 渋川義顕→渋川義顕の系図

 檜皮姫九条道家の系図
子の夫 足利泰氏足利泰氏の系図
 頼氏足利頼氏~尊氏の系図


  北条時頼(ときより)【1227-1263】〔養子:近衛宰子(→後嵯峨天皇の系図)〕
 鎌倉幕府5代執権(1246-1256)。評定衆や引付衆を新設した。
 極楽寺重時の娘
妻の父 極楽寺重時極楽寺重時の系図
 時宗 貞時北条時宗~時行の系図
 宗政(むねまさ)【1253-1281】
子の妻 北条政村の娘
子の妻の父 北条政村北条政村・有時の系図
 師時(もろとき)【1275-1311】
 鎌倉幕府10代執権(1301-1311)。
孫の妻 北条貞時の娘
孫の妻の父 北条貞時北条時宗~時行の系図

 讃岐
 時輔(ときすけ)/時利【1248-1272】
 六波羅探題を務めたが、執権北条時宗と対立し、二月騒動で戦死した。
子の妻 小山長村の娘
子の妻の父 小山長村→小山長村の系図

 時朝(『系図纂要』による。)

 毛利季光の娘
妻の父 毛利季光→毛利季光の系図

 宗頼(むねより)/宗顕(むねあき)【1259-1279】
 長門守護として蒙古襲来に備えた。
子の妻 大友頼泰の娘
子の妻の父 大友頼泰→大友頼泰の系図
 宗方(むねかた)/久時【1278-1305】
 北条時村を誅したため、北条貞時らに討たれた。

 兼時(かねとき)/時業【1264-1295】
 六波羅探題を務めたほか、九州で蒙古襲来に備えた。
曾孫 有助(ゆうじょ)【1277-1333】
 東寺長者。

孫の夫 土岐頼貞→土岐頼貞の系図
孫の夫 赤橋久時極楽寺重時の系図

 宗時(以下、『系図纂要』による。)
 治時【?-1333】

 政頼(まさより)(以下、『系図纂要』による。)
 時厳(ときたか)(以下、『系図纂要』による。)

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北条時宗~時行の系図

北条時宗~時行の系図

  北条時宗(ときむね)【1251-1284】
 鎌倉幕府8代執権(1268-1284)。蒙古襲来への対応にあたったほか、円覚寺を建立した。

祖父 時氏 時頼北条泰時~時頼の系図
祖父 極楽寺重時極楽寺重時の系図

 覚山(かくざん)【1252-1306】
 安達義景(→安達義景の系図)の娘。東慶寺の開山となった。

子の夫 足利貞氏(『系図纂要』による。)→足利頼氏~尊氏の系図


  北条貞時(さだとき)【1271-1311】
 鎌倉幕府9代執権(1284-1301)。安達泰盛や平頼綱を討ち、得宗の権力を強めた。
 安達泰宗の娘
妻の父 安達泰宗→安達泰宗の系図
 泰家(やすいえ)/時利/時興
 執権を望んだが果たせず出家した。幕府滅亡の際には、高時の子らを脱出させた。その後、京都で再挙を試みるも失敗した。

 菊寿丸金寿丸千代寿丸(『系図纂要』による。)
子の夫 土岐光定→土岐光定の系図
子の夫 北条煕時北条政村・有時の系図
子の夫 北条師時北条泰時~時頼の系図


  北条高時(たかとき)【1303-1333】
 鎌倉幕府14代執権(1316-1326)。内管領の長崎高資らに実権を握られた。幕府滅亡の際には、東勝寺で自刃した。


  北条時行(ときゆき)【?-1353】
 幕府滅亡の際には、諏訪盛高に擁されて鎌倉を脱出した。中先代の乱では、一時鎌倉を奪還した。その後、南朝方として転戦したが、足利尊氏に捕らえられ、鎌倉で斬られた。
 行氏 時盛(『系図纂要』による。)→北条行氏~氏綱の系図
 高持(『系図纂要』による。)
 時満(以下、『系図纂要』による。)
時満孫 清長
 実は大橋重賢の子。

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北条行氏~氏綱の系図

北条行氏~氏綱の系図

  北条行氏(ゆきうじ)(以下、『系図纂要』による。)

祖父 高時 時行北条時宗~時行の系図


  北条行長(ゆきなが)
 北川殿→今川義忠の系図


  北条長氏(ながうじ)/氏茂/早雲(そううん)【1432-1519】
 実は伊勢貞国(→伊勢貞国の系図)の子。今川氏の内紛を収拾し、興国寺城の城主となった。後に伊豆や小田原を攻略し、相模を制圧した。家訓に『早雲寺殿廿一箇条』がある。
 氏時(『寛政重修諸家譜』による。)〔養父:葛山備中守〕
 長綱/幻庵(げんあん)【1493-1589】〔養父:葛山氏信〕
 箱根権現別当。一族の長老的な存在として重んじられた。『古今和歌集』にも造詣があった。
 氏重/綱重【?-1569】
孫の夫 北条氏光北条氏康の系図


  北条氏綱(うじつな)【1487-1541】
 氏を伊勢から北条に改めた。鶴岡八幡宮の造営を行い、武蔵を制圧した。
 氏康北条氏康の系図
 氏政北条氏政~氏盛の系図

子の夫 綱成 氏繁北条綱成~氏重の系図
子の夫 太田資高→太田資高の系図
子の夫 足利晴氏足利高基~喜連川頼氏の系図
子の夫 吉良頼康→吉良頼康の系図

北条綱成~氏重の系図

北条綱成~氏重の系図

  北条綱成(つななり)【1515-1587】
 実は福島正成の子。玉縄城主、河越城主。

祖父 長氏 氏綱北条行氏~氏綱の系図

 北条氏綱の娘
妻の父 北条氏綱北条行氏~氏綱の系図

子の夫 北条氏規北条氏康の系図


  北条氏繁(うじしげ)/康成【1536-1578】
 玉縄城主。後に下総国飯沼城主になった。
 北条氏康の娘
妻の父 北条氏康北条氏康の系図
 氏成/時茂
 氏常/胤村
 繁広 正房北条繁広・正房の系図

 氏繁の娘(『寛政重修諸家譜』による。)


  北条氏勝(うじかつ)【1559-1611】
 下総国岩富藩主。小田原攻めの際には、山中城に籠城して戦った。後に徳川家康に岩富城主に取り立てられた。
 繁広北条繁広・正房の系図
 実は北条氏繁の子。


  北条氏重(うじしげ)【1595-1658】
 岩富藩、下野国富田藩、遠江国久野藩、下総国関宿藩、駿河国田中藩、遠江国掛川藩主。実は保科正直(→保科正直の系図)の子。嗣子がなく除封となった。
 杉原長房の娘
妻の父 杉原長房→杉原長房の系図

 岩倉具起の娘
妻の父 岩倉具起岩倉具尭~乗具の系図

子の夫 小笠原康広→小笠原康広の系図
子の夫 内藤忠清→内藤忠清の系図
子の夫 土方雄高→土方雄高の系図
子の夫 近藤重信→近藤重信の系図
子の夫 大岡忠高→大岡忠高の系図
子の夫 酒井忠時→酒井忠時の系図

北条繁広・正房の系図

北条繁広・正房の系図

  北条繁広(しげひろ)【1574-1612】〔養父:北条氏勝(→北条綱成~氏重の系図)〕(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 氏勝の養子となったが、氏勝の養子である氏重が継ぐことになったため、江戸に向かい訴えを起こそうとしたが、直後に亡くなった。

祖父 綱成 氏繁北条綱成~氏重の系図
祖父 北条氏康北条氏康の系図


  北条正房/氏長(うじなが)/氏永【1609-1670】
 軍学者として活躍した。明暦の大火後、江戸の地図の作成を命じられた。
 北条氏則の娘
妻の父 北条氏則北条氏康の系図
 氏平 氏英北条氏平~氏征の系図
 元氏 氏如北条元氏~氏富の系図

 福島国隆→福島国隆の系図
 氏如〔養父:北条元氏〕→北条元氏~氏富の系図
 正房の娘〔養父:北条元氏〕→北条元氏~氏富の系図
子の夫 松前泰広→松前泰広の系図
子の夫 辻高昭→辻高昭の系図
子の夫 内藤政季→内藤政季の系図
子の夫 堀親泰→堀親泰の系図
子の夫 鈴木長頼→鈴木長頼の系図
子の夫 伊丹勝元→伊丹勝元の系図

北条氏平~氏征の系図

北条氏平~氏征の系図

  北条氏平(うじひら)【1637-1704】

祖父 繁広 正房北条繁広・正房の系図
祖父 北条氏則北条氏康の系図

 西郷延員の娘
妻の父 西郷延員→西郷延員の系図

 島田時郷の娘
妻の父 島田時郷→島田時郷の系図
 松前勝広〔養父:松前嘉広〕→松前勝広の系図

子の夫 今川氏睦→今川氏睦の系図
子の夫 島田正辰→島田正辰の系図
子の夫 神尾守鄰→神尾守鄰の系図


  北条氏英(うじひで)【1668-1727】
 若林直方の娘
妻の父 若林直方→若林直方の系図

子の夫 中山信興→中山信興の系図


  北条氏庸(うじつね)【1693-1749】
 松前勝広の娘
妻の父 松前勝広→松前勝広の系図

子の夫 桑山元如→桑山元如の系図


  北条氏応(うじまさ)【1712-1756】
 実は京極高甫(→京極高甫の系図)の子。


  北条氏興(うじおき)【1731-1798】
 実は板倉勝清(→板倉勝清の系図)の子。
 氏統〔養父:北条氏紀〕→北条元氏~氏富の系図
子の夫 久永勝信→久永勝信の系図
子の夫 戸田勝英→戸田勝英の系図
子の夫 松前広歓→松前広歓の系図


  北条氏乾(うじかた)
 津軽著高の娘
妻の父 津軽著高→津軽著高の系図

子の夫 佐橋佳通→佐橋佳通の系図


  北条氏征(うじゆき)
 阿部正朗の娘
妻の父 阿部正朗→阿部正朗の系図

北条元氏~氏富の系図

北条元氏~氏富の系図

  北条元氏(もとうじ)【1638-1702】

祖父 繁広 正房北条繁広・正房の系図
祖父 北条氏則北条氏康の系図

 小堀政尹の娘
妻の父 小堀政尹→小堀政尹の系図

 本目直信の娘
妻の父 本目直信→本目直信の系図

 松平乗政の娘
妻の父 松平乗政→松平乗政の系図

 元氏の娘
 実は北条正房(→北条繁広・正房の系図)の娘。


  北条氏如(うじすけ)【1666-1727】〔養父:福島国隆(→福島国隆の系図)〕
 実は北条正房(→北条繁広・正房の系図)の子。
 松浦信正の娘
 実は松浦信方(→松浦信方の系図)の娘。
妻の父 松浦信正→松浦信正の系図


  北条氏孝(うじたか)【1692-1741】
 実は小川保顧(→小川保顧の系図)の子。
 松浦豊の娘
 実は松浦信朝(→松浦信朝の系図)の娘。
妻の父 松浦豊→松浦豊の系図
 氏紀〔養父:北条義氏〕

子の夫 小野高族→小野高族の系図


  北条義氏(よしうじ)【1723-1750】


  北条氏紀(うじとし)【1726-1796】
 実は北条氏孝の子。
 仁賀保誠之の娘
妻の父 仁賀保誠之→仁賀保誠之の系図

 知恭
 実は赤松恭富(→赤松恭富の系図)の子。
 氏泰
 実は八木補道(→八木補道の系図)の子。


  北条氏統(うじもと)【1760-1792】
 実は北条氏興(→北条氏平~氏征の系図)の子。
 氏統の娘
 実は松浦忠(→松浦忠の系図)の娘。


  北条氏富(うじとみ)【1773-?】
 実は鳥居忠継(→鳥居忠継の系図)の子。
 永田直行の娘
妻の父 永田直行→永田直行の系図

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北条氏康の系図

北条氏康の系図

  北条氏康(うじやす)【1515-1571】
 河越の戦いで扇谷上杉氏を破った。今川氏・武田氏と同盟を組み、領国支配に努めた。

祖父 長氏 氏綱北条行氏~氏綱の系図

 今川氏親の娘
妻の父 今川氏親→今川氏親の系図
 氏政 氏直北条氏政~氏盛の系図
 氏輝(うじてる)/氏照【?-1590】〔養父:大石定久、養子:北条於鶴(→北条氏政~氏盛の系図)〕
 武蔵国滝山城主。小田原攻めで降伏し、切腹を命じられた。
 直重〔養父:千葉親胤(→千葉親胤の系図)〕
 実は北条氏政(→北条氏政~氏盛の系図)の子。

 氏邦(うじくに)/重氏/邦憲【1541/43-1597】〔養父:藤田邦房〕
 北条氏の上野国進出で大きな役割を果たした。小田原攻めで降伏し、前田利家に預けられた。
 氏定
 実は北条氏政(→北条氏政~氏盛の系図)の子。

 氏規(うじのり)【1545-1600】
 三崎城主、韮山城主。小田原攻めの後、高野山に入ったが、豊臣秀吉から河内国に所領を与えられた。
子の妻 北条綱成の娘
子の妻の父 北条綱成北条綱成~氏重の系図
 氏盛〔養父:北条氏直〕→北条氏政~氏盛の系図
 勘十郎【1580-1600】
孫の夫 東条長頼→東条長頼の系図

 氏忠(うじただ)/氏能【1547/48-1593】
 佐野氏の家督を継ぎ、下野国の唐沢山城主となった。小田原攻めの後は伊豆に移った。
 上杉景虎〔養父:上杉輝虎〕→上杉景虎の系図
 氏光/氏尭
子の妻 北条長綱の娘
子の妻の父 北条長綱北条行氏~氏綱の系図

 氏光の娘(『寛政重修諸家譜』による。)

曾孫の夫 北条正房北条繁広・正房の系図
曾孫の子 氏平北条氏平~氏征の系図
曾孫の子 元氏北条元氏~氏富の系図

 氏康の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 今川氏真→今川氏真の系図
子の夫 北条氏繁北条綱成~氏重の系図
 繁広北条繁広・正房の系図

子の夫 千葉親胤→千葉親胤の系図
子の夫 武田勝頼→武田勝頼の系図
子の夫 太田資正(『寛政重修諸家譜』による。)→太田資正の系図
子の夫 小笠原康広→小笠原康広の系図
子の夫 蒔田某(『寛政重修諸家譜』による。)

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北条氏政~氏盛の系図

北条氏政~氏盛の系図

  北条氏政(うじまさ)【1538-1590】
 北条氏の勢力を北関東に拡げた。小田原攻めで降伏し、切腹を命じられた。

祖父 氏綱北条行氏~氏綱の系図
 氏康北条氏康の系図
祖父 今川氏親→今川氏親の系図

 武田晴信の娘
妻の父 武田晴信→武田晴信の系図
 氏房(うじふさ)【1565-1592】〔養父:太田資正(→太田資正の系図)〕
 岩槻城主。小田原攻めで不利になった際には、氏直に徳川家康を頼るように進言した。

 源五郎〔養父:太田資正(→太田資正の系図)〕
 直重〔養父:千葉親胤(→千葉親胤の系図)、北条氏輝(→北条氏康の系図)〕
 氏定〔養父:北条氏邦〕→北条氏康の系図
 於鶴〔養父:北条氏輝(→北条氏康の系図)〕
子の夫 皆川広照→皆川広照の系図
子の夫 庭田少将(『寛政重修諸家譜』による。)


  北条氏直(うじなお)【1562-1591】
 豊臣秀吉の小田原攻めに降伏し、高野山に入った。
 徳川督姫→池田輝政の系図
妻の父 徳川家康→徳川家康の系図
 氏直の娘
 池田利隆に嫁ぐ予定であった。


  北条氏盛(うじもり)【1577-1608】
 河内国狭山藩主。実は北条氏規(→北条氏康の系図)の子。小田原攻めの後、徳川家康に召し出だされ、関ヶ原の戦いでは東軍に属して戦い、本領を安堵された。
 船越景直の娘
妻の父 船越景直→船越景直の系図
 氏信 氏宗北条氏信~氏朝の系図
 氏利 氏澄北条氏利~氏副の系図
 氏重(うじしげ)【1604-1635】

北条氏利~氏副の系図

北条氏利~氏副の系図

  北条氏利(うじとし)/氏叔【1604-1672】

祖父 氏直 氏盛北条氏政~氏盛の系図
祖父 船越景直→船越景直の系図

 三井吉正の娘
妻の父 三井吉正→三井吉正の系図
 氏治〔養父:北条氏宗〕→北条氏信~氏朝の系図
 氏清(うじきよ)【1642-1665】
子の妻 小出有棟の娘
子の妻の父 小出有棟→小出有棟の系図

 氏朝〔養父:北条氏治〕→北条氏信~氏朝の系図
 氏成〔養父:北条氏常〕
 武大夫八平(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 渡辺真→渡辺真の系図
子の夫 竹中重職→竹中重職の系図
子の夫 谷衛常→谷衛常の系図
子の夫 船越為景→船越為景の系図
子の夫 松前泰広→松前泰広の系図


  北条氏澄(うじすみ)【1667-1719】
 石川総氏の娘
妻の父 石川総氏→石川総氏の系図

 氏園(うじその)【1693-1718】(『寛政重修諸家譜』による。)
 『系図纂要』では、氏園の本の名が氏副とある。
孫の夫 本多攄信→本多攄信の系図


  北条氏副(うじすけ)【1710-1721】
 実は北条氏朝(→北条氏信~氏朝の系図)の子。

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北条氏信~氏朝の系図

北条氏信~氏朝の系図

  北条氏信(うじのぶ)/氏勝【1601-1625】
 狭山藩主。

祖父 氏直 氏盛北条氏政~氏盛の系図
祖父 船越景直→船越景直の系図

 佐久間安政の娘
妻の父 佐久間安政→佐久間安政の系図

子の夫 佐久間勝盛→佐久間勝盛の系図


  北条氏宗(うじむね)【1619-1685】
 狭山藩主。
 大久保幸信の娘
妻の父 大久保幸信→大久保幸信の系図

子の夫 久留島通貞→久留島通貞の系図
子の夫 船越為景→船越為景の系図


  北条氏治(うじはる)【1639-1696】
 狭山藩主。実は北条氏利(→北条氏利~氏副の系図)の子。
子の夫 石川義孝→石川義孝の系図
子の夫 久世広貞→久世広貞の系図


  北条氏朝(うじとも)/氏副(うじすけ)【1669-1735】
 狭山藩主。実は北条氏利(→北条氏利~氏副の系図)の子。
 内藤政親の娘
妻の父 内藤政親→内藤政親の系図

 相馬貞胤の娘
妻の父 相馬貞胤→相馬貞胤の系図

 秋月種信の娘
妻の父 秋月種信→秋月種信の系図
 氏貞 氏彦北条氏貞~氏恭の系図
 氏朝の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 民部 氏朝の娘(『寛政重修諸家譜』による。)

 氏副〔養父:北条氏澄〕→北条氏利~氏副の系図
 氏朝の娘
 土方雄房に嫁ぐ予定であった。
子の夫 稲垣定享→稲垣定享の系図
子の夫 安藤次由→安藤次由の系図
子の夫 本多攄信→本多攄信の系図

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北条氏貞~氏恭の系図

北条氏貞~氏恭の系図

  北条氏貞(うじさだ)【1703-1758】
 狭山藩主。田中仙右衛門を登用して藩政改革を試みるが失敗した。

祖父 氏治 氏朝北条氏信~氏朝の系図
祖父 秋月種信→秋月種信の系図

 大関増恒の娘
妻の父 大関増恒→大関増恒の系図
 本多正喬〔養父:本多正尹〕→本多正喬の系図
 氏貞の娘
 永井白衆に嫁ぐ予定であった。
子の夫 永井直国→永井直国の系図

 恭順〔養父:理順〕
子の夫 石原正範→石原正範の系図


  北条氏彦(うじよし・うじひこ)【1742-1769】
 狭山藩主。
 小笠原長庸の娘
妻の父 小笠原長庸→小笠原長庸の系図

 落合道昌〔養父:落合道有〕→落合道昌の系図


  北条氏昉(うじあきら)【1760-1811】
 狭山藩主。軍用方を設け、軍事費の確保に努めた。
 脇坂釥
 脇坂安親(→脇坂安親の系図)の娘。
 氏昇〔養父:西尾教休(→西尾教休の系図)〕
 亀之進尹吉寿殿也(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 永井直方→永井直方の系図

 氏燕〔養父:北条氏久〕

 保寿の娘〔養父:北条氏喬〕

 半井清雅〔養父:半井成美〕→半井清雅の系図


  北条氏喬(うじたか)【1785-1846】
 狭山藩主。
 氏章【?-1834】
 幾太郎揖之丞安之丞氏喬の息子(『北条家譜』による。)
子の夫 谷衛昉→谷衛昉の系図
子の夫 櫛笥隆韶(『北条家譜』による。)→櫛笥隆望~隆韶の系図


  北条氏久(うじひさ)/庸修【1823-1852】
 狭山藩主。実は戸田氏庸(→戸田氏庸の系図)の子。
 明麿彦麿 氏久の娘(『北条家譜』による。)


  北条氏燕(うじよし)【1830-1891】
 狭山藩主。実は北条氏迪の子。財政再建のため、氷豆腐を藩の専売にした。
 兼次郎(『北条家譜』による。)


  北条氏恭(うじゆき)【1845-1919】
 狭山藩主。実は堀田正衡(→堀田正衡の系図)の子。維新後は明治天皇の侍従を務めた。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』及び東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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